第36話 孕んだ剣聖
「門……開門、<オープンゲートシステム>。そういえば以前、論文を――」
ベインは思索に耽る。
ウインスランド家との邂逅は、思わぬ発見をもたらした。
ギフトの研究を進める中で数多くの論文に目を通したが、その中にウインスランドが持つ力と酷似しているものがあった。
彼ら一族が隠し持っていた特殊な技術。いや、理論を持ち込んだのは恐らく魔族だろう。武器の召喚程度にしか使用していないようだが、本来の目的、機能は別にある。
オープンゲートシステム。
閉じられた世界から、未来を選択する力。
“可能性を抽出する”システム。
「実用化されているとは言い難いがな……」
これもまた新たな疑念の火種となる。
使い方を理解していないことを考えれば、その真価が発揮されることはあり得ないだろうが、それでもギフト同様、過剰ともいえる力を人間種族が所持していることに対して違和感を禁じ得ない。
そして、最大の疑問は、何故人間達の世界が閉じられているのかということだった。
彼らが持つ、文明、技術の発展によって獲得する段階的なプロセスを経ない逸脱した力。人間種族のみが進化のロードマップから外れた強大な力を行使しているのは何故なのか。
(やはり人間種族は進化しないようにコントロールされている? 誰に?)
仮にそのような存在がいるのだとすれば、そんな者は神しかいない。
つまりはそれこそが、神の意向、そのものだった。
◇◇◇
「いや、いまはそれどころじゃない」
ベインは現実に意識を引き戻す。過去に思いを馳せている場合ではない。自分には自分のやるべきことがある。
「君にとって、俺は悪魔だろう」
目の前の少女をベインは悲し気に見つめる。
これから自分がやろうとしていることのおぞましさに手が震えていた。
ベインは研究を完成させていた。
そして迎えた千載一遇のチャンスが今だった。
引き返せない。その手はもう血に染まっている。
【勇者】の動向を逐一チェックしていたが、ロンドという男は、あまりにも【勇者】に相応しくない人物だった。しかし、だからこそベインはそこに活路を見出していた。
魔族と人間が半々になる異種間交配は成立しない。
お伽話によくあるオークが人間を孕ませるといったようなことは現実には難しい。
ウインスランドの者達で試した、核を注入することで後天的に魔族化する方法も失敗した。人間として完成している生物を強制的に新たな種族として作り替えることは不可能だった。
その結果、誕生したのは理性のタガが外れ、本能に忠実な人魔モドキでしかない。人間でも魔族でもない合成獣キメラ。魔族の細胞が人間の細胞と適合せず、過度なアレルギー反応が起こり怪物のように変形してしまった者もいた。当然、母体が人間である以上、ギフト因子を遺伝させることも不可能だった。
この不可逆性こそが、ベインの研究における最後の壁となっていた。
だがベインは見つけ出した。
たった一つだけ、人間から魔族へとギフトを取り込む方法を。
人間を魔族化する方法。
「人魔転換」
人間として完成している生物を作り替えることは出来ない。
ならば、人間として完成される前ならば可能なのではないか?
――『胚』に核を注入する。
その為に必要なのは、妊娠している母体。
それも強力なギフトの遺伝子情報を持つ個体が好ましい。
人間が人間としての形、機能を完成させる前に魔族化することで、人間でありながら、魔族を作り出す。
そこに、魔王イルハートから抽出した強大な力を宿す遺伝子情報を持つ核を注入すれば、人間と魔族、2つの力を合わせ持つハイブリッドな異形が完成する。
人間でありながら、魔族。
魔族でありながら、人間。
そして人間を母体に魔族と適合したギフト因子ならば、他の魔族にも移植することが可能となるだろう。
人間からギフトを奪うこと、それこそが研究の最終段階。
魔族自身がギフトを獲得することで、【勇者】に対しての抑止力となる。互いを拮抗させ、その間に人間種族を発展させ、進化を促すことで、閉じられた世界の殻を破り、長きに渡る争いに終止符を打つ、というのがベインの計画だった。その為の研究は終わった。
計画は壮大だが、これはその第1歩でしかない。
しかし、やり遂げなければならない。
それが魔王イルハートを殺させない為に、ベインが考えた唯一の方法だった。
ベインは自嘲する。
なるほど、確かに自分は悪魔だと。
力に溺れ、異形になる道を選んだウインスランドの者達とは違う。
これからやろうとしていることはつまり、
――胎児を作り替える
「悪魔実験」
そのようなことが許されるはずがない。
あまりに倫理を逸脱したマッドサイエンティスト。
同族からも嫌悪され敵視されるだろう。
それでも、これが1000年に渡る魔王と【勇者】の争いを終わらせる為の希望なのだと信じるしかなかった。魔王を殺させない為に必要なのだと躊躇することは許されない。覚悟はとうに決まっていた。
目の前で少女は眠っている。
その存在を踏み躙ろうとしている。
「許してくれよ、ヒノカ・エントール」
人間と魔族。
それらを兼ね合わせた存在。
それは、「魔人」の誕生。




