第34話 「勇者」と「魔王」
「クソ! ……この俺が必要ないだと!」
苛立ちを抑えきれず、たまらずロンドは石壁を蹴り砕いた。【勇者】のギフトは規格外の身体能力を与える。たった一撃で強固な石壁は何の抵抗もなく粉々になった。とはいえ、こんなものではストレス解消にもならない。
これまでロンドは、【勇者】として誰からも必要とされてきた。だからこそ粗暴で横暴な態度や行動も許容されてきたが、それが一気に通用しなくなった。『仲間殺し』の汚名、悪名も広まり、今や誰かとパーティーを組むことすら出来ない。
なにより、自分を蔑む周囲の冷たい視線に耐えられなかった。
(どいつもこいつも、手のひらを返しやがって!)
何もかもが上手くいかない。ヒノカは目の前からいなくなり、殺したと思っていたクレイスは生きていた。そして帰ってくるなり、クレイスは女神の代行者として持て囃され、そのギフトの能力によって、自分は無価値に追いやられた。
「あのとき、確実に殺しておけば……」
後悔に苛まれる。ロンドは自らの失敗を、クレイスを殺し損ねたことだと考えていた。クレイスさえいなければ、自分は【勇者】としての輝かしい人生を謳歌していたはずだ。誰もが傅く支配者で絶対者、それが自分のはずだった。しかし、その予定が狂ってしまった。あの瞬間、殺していればこんなことにはならなかったのだから。
今でもロンドはクレイスを侮っている。いつでも殺せると信じ切っていた。自分の知るクレイスが、周囲の言うような大それた力を持っているなどと思っていない。半信半疑、所詮はただの雑魚だと信じて疑わない。
次に会ったら必ず殺してやる。
だが、その前に【勇者】ロンドはあまりにも落ちぶれてしまっていた。
自分が再び【勇者】としての地位を取り戻す為には、それ相応の成果が必要になる。そして、【勇者】に求められる成果など、一つしかない。
「魔王討伐、やるしかねぇか……」
魔族との争いなどどうでもいいが、見下されたまま誰からも必要とされない棄民になることだけはプライドが許さなかった。自分こそが、この世界の主役であり、当事者なのだと証明しなければならない。
何故なら自分は選ばれし者なのだから。
他の雑魚共とは違う、神に選ばれし特別な人間なのだから。
生ぬるい風が頬を撫でる。
黄昏に染まる空の下、醜悪な笑みを浮かべるその存在を【勇者】だと知っている者は誰もいない。そこにいるのは、お伽の話の中に出てくる誰もが知る【勇者】ではなく、ただの醜い人間だった。
しかし、ロンドは理解していない。
真に選ばし者など、誰もいないのだということを。
◇◇◇
「もうすぐだ。もうすぐ彼らに対抗しうる力を得る事が出来る!」
その男の声には確たる信念が宿っていた。
長年を費やしてきた研究の集大成が今まさに結実しようとしている。
彼は自らの研究成果を誇ったりはしない。それらは全て彼が生涯を賭してでも守り抜きたいものに捧げられてきた。何年も何十年も、積み重ねてきたあまりにも多くの犠牲、時間、未来を願った多くの同胞達の願いが込められている。故に止まれない。止まることは許されない。
「しかし、種族は違えど、同じ女としては気が引けるな……」
「許されるつもりはない。それでも『希望』は必要だ」
「――――すまない」
随分としおらしく女性が頭を下げる。
彼女がそのような姿を見せるのは彼の前だけだった。
「俺達で終わらせよう。この戯曲めいた1000年の戦争を。断ち切ろう、その呪いを」
「永劫続いてきたこの宿業、流石にそろそろ鬱陶しい」
2人は幼馴染だった。
今ではその地位が邪魔するが、ふとこんなとき、2人は仲の良い幼馴染の関係に戻る。
「どんな犠牲を払ってでも、必ず成し遂げる」
「頼りにしていいか……?」
彼にとっても、彼女にとっても、目の前にいる人物は大切な存在だ。決して変わりのいない、自分の半身のようなかけがえのない存在。
「君を【勇者】には殺させない」
「【勇者】に対抗する力。抑止力として機能すれば良いがな」
実験は上手くいっている。もうすぐ結果が出るだろう。
そうすれば両者の関係性は決定的に変わることになる。
もう、うんざりだった。
この世界の狂ったシステムに躍らされるのは。
1000年に渡り続いてきた世界のエラーを正すときが来ていた。
その為にはどうしても必要だった。
破滅への輪舞を終わらせる力が。
なればこそ求めた、倫理を逸脱した許されぬ狂気に支配された研究と実験。
それでも彼は守りたかった。
「そろそろ前に進む時だ。これはその為に必要な犠牲だと信じている」
「良くもまぁ1000年も争い続けたものだ。過去の亡霊にはそろそろご退場願おう」
忙しい日々の中、こうして訪れる甘いひと時。
愛していた。彼は彼女を。彼女は彼を。
「俺が君を守るよ。魔王イルハート」
「私を救ってくれ。ベイン」
遥かに過去に誓った約束をもう一度交わす。
魔王イルハート・ローゲン。
その女性こそ【勇者】の打ち滅ぼす敵、人類に仇名す者、魔王だった。




