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第32話 「聖女」と「少女」

「やはり気づきませんでしたわね……」


 別に期待していたわけではない。気づいたからといって何かあるわけでもない。ただ単に私の中で感情の整理がつくというだけのことでしかない。



 ――あの男を許してはいけない。



 あのときの男の子はもういない。そこにいるのは災厄を振りまく悪魔だった。遥か昔、ほんの少しだけ重なりあった運命を信じていた私はもういない。彼を知れば知るほどに激しい怒り、激情に駆られる。あのような人間が生きていることを許容することは罪でしかない。


 一方で、正反対の感情も私の中にあった。



 ネガティブなものとは違う温かな感情。とても大切な想い。

 相反する2つの感情。


 あの日、クレイス様に会いに行った日、私には2つの目的があった。



 一つは見定める為。

 もう一つは見定めてもらう為。



 一つは成功し、もう一つは保留となっている。

 それでも、何処か心が高揚するのを感じていた。

 


 その気持ちがなんなのか、まだ私は知らない。




◇◇◇




 私、ミロロロロロ・イスラフィールは孤児だった。


 転機を迎えたのは6歳の時。

 私は洗礼の儀で【聖女】のギフトを授かる。


 その日から、私の人生は大きく変わった。

 孤児院から連れ出され教会に引き取られた私は、6歳という年齢にして大陸でも最高の権威を与えられ、最高の教育を受けることになった。何人もの侍女が付き、莫大な資産を手に入れ、誰もが私に尊敬と畏敬の念を向けてくる。


 私は愛されていた。

 幸福で満たされていた。


 10歳のとき、私は当時暮らしてた孤児院を視察することになった。

 再会したシスターは大喜びで泣きながら私に祈りを捧げてくれた。


 彼女から感じられる感情は、憧憬と呼ぶべきものだったのかもしれない。


 孤児院で一緒に暮らしていた仲間達も再開を喜んでくれたが、昔のように気安く話しかけてはくれなかった。孤児院での暮らしは裕福なものではなかったが、みんなはそれぞれが支え合い、信頼し合いながら笑って暮らしていた。



 ふと、私の心に影が差す。

 おかしいな? と、疑念を持つが、その理由が分からない。



 そろそろお時間です。と、司祭が恭しく私に告げる。

 私は周囲を見渡す。私の周りは沢山の人で溢れていた。その誰もが、私に好意を向けてくれていた。これまでは、それが幸福なのだと素直に信じられていた。


 けれど、私は気づいてしまう。

 声を掛けてきた司祭も、周囲で私に祈りを捧げる人達も、私の一歩後ろに並んでいる。こんなに人がいるのに、どうして私の隣には誰もいないの?


 私は唐突に理解した。

 そうだ、この人達が愛しているのは、私じゃない。




 ()()()()()()()()()




 私は自分が特別な存在だと思っていた。女神に選ばれし存在なのだと己惚れていた。だがそれは違う。特別なのは【聖女】というギフトであり、私じゃない。


 私という人間が愛されているいたのではなく、全ては【聖女】というギフトが愛されていたにすぎない。【聖女】であれば、私じゃなくても誰でもいい。


 その真実、辿り着いた真理は10歳の私には重すぎた。



 私の見ていた世界が急速に色褪せていく。

 愛されていると思っていた。だが、実際は孤独だった。



 【聖女】というギフトを授かったのが、私じゃなければ、その人物が同じように特別視されるだけ。【聖女】でなれけば、きっと私は同じように彼らと一緒に今でも孤児院で暮らしているだろう。



 でも、不思議なことに、それが嫌ではない。

 むしろ、羨ましいと感じてしまう。

 


 隣には信頼し合える仲間がいてくれる。一緒に笑って、泣いて、濃密な時間を共有する掛け替えのない友人達。どんなに辛くても、それはきっと自分の心を支えてくれるはずだ。



 なのに、どうして私の隣には誰もいないのだろう?

 私は、誰なの?



 その悲痛な叫びは、決して胸中から表に出ることはない。

 誰も私を見てくれない、この孤独の牢獄の中で私は誰かに助けを求めていた。


 愛されているのは【聖女】のミロロロロロ・イスラフィール。

 少女のミロロロロロ・イスラフィールのことを誰も見ていない。


 【聖女】のミロロロロロ・イスラフィールが笑う。

 その裏で、少女のミロロロロロ・イスラフィールはいつも泣いていた。





 ()()()()()()()()()





 みんなが見ているのは【聖女】のギフト。私じゃない。

 ギフトは死ぬまで変わらない。ならば私は死ぬまで【聖女】であり続ける。


 それは私にとって、あまりにも残酷な現実だった。

 私を見つけてくれる人は、この世界の何処にもいない。


 【聖女】は死ぬまで【聖女】。

 なら少女の私はこのまま死ぬまで少女のままなのだろうか。



 私は【聖女】というギフトの付属品でしかなかった。 

 暗澹たる気持ちを抱え、日に日に心が蝕まれていく。



 【聖女】として、毎日張り付いた笑顔を浮かべながら、少女としての私は摩耗され続けていた。


 でも、ある日、仄暗い暗闇の中に沈んでいた私の人生に一筋の光が差し込む。



 ギフトを授けるギフト【天の聖杯】。



 何故そのような力が存在しているのか。

 世界を破壊する不条理の極み、不純物。


 あまりにも馬鹿げたそのギフトの力は、一瞬で私を無価値にしてしまう。

 何故だろう、それがとても心地良い。


 望むまま願うままに、ありとあらゆるギフトを無制限に授けることが出来る神なる力。彼の前では全てが無価値で、平等で、そして無意味だった。


 人間社会の根幹を担ってきたギフトという恩恵をまるで否定するかのような異質なギフト。



 世界で、たった一人だけの孤独を背負う異端者。

 


 【聖女】のミロロロロロ・イスラフィールは思う。

 私は特別ではないのだと。


 少女のミロロロロロ・イスラフィールは想う。

 彼なら、本当の私を見てくれるのではないかと。



 彼にとっては【聖女】でも【勇者】でも等しく無価値で、どうでもいい。だからこそ、私は彼に会いたいと思った。私にとって、彼は運命の人だった。




 これは「恋」なのでしょうか?




 誰に問いかけるわけでもなく、それは私自身への問いかけだった。



 この気持ちが「恋」ならば、きっと私は「恋」をしている。


 甘美で幸せで溺れていたい誘惑に駆られる。



 けれど、それはまだ半分。

 私はまだ半分しか「恋」を知らない。

 

 「恋」とは決して、幸福で甘いだけのものではない。

 きっと、それと同じくらい辛いものでもあるはずだから。








 ――何故なら「恋」とは、








「貴女は、そんなにも恋をしていたのですか? ヒノカ・エントール」



 彼女は恋をしていて、だからこそ壊れてしまったのだから。



 白いベッドの上に上半身を起こし、彼女はただ虚ろな目で窓から空を見上げていた。

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