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第16話 壊れた剣聖

 ギルドから立ち去ろうとするクレイスの背中が視界から消える。 

 ――ハッと、気づいたとき私はロンドに剣を向けていた。


「ロンド、クレイスになにを言ったの!? 言わなければ殺す!」


 コイツがクレイスに何かを言ったんだ!

 コイツがクレイスを殺そうとした!

 クレイスが嘘を吐くはずがない!


 殺しておくべきだった。

 クレイスの敵を倒すのは私の役目だったのに!


 こちらが本気だと悟ったのだろう。

 ガクガク震えながら、ロンドは答える。


「アイツはお前が好きだった。だから、絶望させてやりたくて、俺がお前と付き合ってると言ってやったんだよ! 抱いてやったってな! あぁ、最高だったぜ。ソレを聞いたときのアイツの顔はな! だが、お前もアイツが倒れているのを無視して逃げただろうが!?」


「――――ッ!?」


 私は躊躇いなく剣を振るった。

 剣聖の凶刃が、ロンドの左腕を斬り飛ばす。


「ぎゃああああああああああああああああああああああああああああ!?!?!?!?!?」


 鮮血がギルド内に飛び散る。

 噴水のように吹き出した血が、瞬く間に血だまりを作っていく。


「止めてッ! ヒノカさん!?」


「追いかけなきゃ!」


 あの日、クレイスは約束を果たそうとしてくれていた。

 それなのに、私はクレイスを拒絶した。

 去っていくクレイスの表情は泣いていた。

 だけど、私は追いかけなかった。

 

 その後も、クレイスと話すチャンスは沢山あった。

 自分の弱さに負け、関係を壊したくなくて、耳を塞ぎ続けた。

 

 ほんの少しの勇気を持てなかった。


 森の中、クレイスと目が合ったのは気のせいじゃなかった!

 だとすれば、クレイスは自分を見捨てて逃げ出す私を見て、どう思ったのだろう?


 クレイスは言っていた。

 君も同じだと。

 

 裏切られたと思ったに違いない。

 事実クレイスを裏切って、殺そうとしたのは私なのだから。


 ごめんなさい!

 ごめんなさいクレイス!


 そんな謝罪に意味はないと知りながら、それでも今はそれだけが私を支配する。


 ギルドから飛び出す。

 周囲を見渡すが、クレイスの姿は何処にもない。


 「そうだ、クレイスの宿に行けば!」


 クレイスが宿泊していた宿はギルドから北に20分程度の距離にある。

 急げば間に合うかもしれない。


 私には予感があった。

 もう、クレイスには会えないかもしれない……。




◇◇◇




「クレイス、あのね話がしたいの。もう一度だけ私の話を聞いて! 入るね」


 クレイスの宿に着いた私は、ゆっくりと部屋の扉を開く。

 心臓が高鳴っている。


 決して広いとは言えない室内を見渡す。

 クレイスの姿はなかった。


 しかし、部屋の中には、ほんの少し前まで人がいた気配が残っていた。

 

 ――遅かった。

 それは致命的だった。


 もう、クレイスの手がかりがない。

 いつも隣にいてくれた人が、今は何処にもいない。


 ふと、ベッドの横に置かれているゴミ箱が目に入った。

 中に何かが捨てられている。


 私はおもむろにそれを手に取る。

 それはグシャグシャに握り潰された綺麗な小箱だった。

 

 ――これって、何処かで……?

 朧気ながら見覚えがある。


 あの日、クレイスは私の誕生日に何かを渡そうとしてくれていた。あのときは、良く確認もせずに跳ねつけてしまったが、クレイスが去り際にそれを拾って去っていったのを思い出した。


 だとすれば、それは――

 そっと、震える手で小箱を開ける。







 ――その中には、バラバラに砕かれた【黒蘭宝珠】が入っていた。







「あ……あぁ…………」


 熱い水滴が頬を伝っていく。 

 気づけば、ポロポロと涙が零れ落ちていた。


 バラバラになった欠片を震える手で少しずつ重ね合わせる。

 

 宝石に興味がないわけではない。綺麗だと思うし、アクセサリーに拘ったりもする。これまで何度か告白されたり、求婚を受けたりもしてきた。その中には貴族やハンターもいたが、中には黒蘭宝珠を渡そうとしてきた人もいた。


 その作業はすぐに終わる。

 歪ながらも黒蘭宝珠が元の形を取り戻す。

 

 それは、これまで見たことがあるどの黒蘭宝珠よりも大きく美しいものだった。


 そもそも黒蘭宝珠は普通に買うことも出来る。

 Sランクパーティーであるクレイスならそれくらい簡単なはずだ。


 なのにクレイスは、わざわざそれを私の為に一生懸命探してきてくれたのだ。


「ごめん……なさい! ……ごめんなさい…………ごめんなさい! クレイス! 戻って来て! 戻って来てよ……クレイス!」





「うわぁぁぁぁぁぁあああああああああああああああああああああああん!」





 【黒蘭宝珠】

 

 それは――「秘めた想い」と「永遠の絆」――その証。


 あの日、確かにクレイスは私に、私がずっと望んでいた答えをくれようとしていた。

 そして愚かな私は、それを自ら手放した。


 12年間、欲しくて堪らなかった、クレイスの気持ち。その証を用意してくれていたのに。


 目の前にあった幸せから、目を背けて、跳ねのけた。

 僅かに手を伸ばせば届いた幸せ。


 くだらない甘言に惑わされ、真実を聞く勇気が持てなかった愚かな女が私だった。



 ――クレイスを信頼できなかった?

 

 

 ――12年間積み重ねてきたのはなんだったの?



 ――守ると誓った日の決意は嘘だったの?

 


 私の全てが真っ黒に否定されていく。

 答えは最初から目の前にあって、それが私には見えなかった。

 

 本当は冒険者なんてどうでも良かった。

 クレイスさえいてくれれば、一緒に村でゆっくり暮らしているだけでも幸せだった。


 そんな幸せはもう何処にもない。

 全てを失ってしまった。


 急速に身体から力が抜けていく。

 ただならぬ喪失感。


 これまで頼ってきた【剣聖】という私の根源。


「……え?」

 

 いつからか、私のステータスは【剣聖】から【剣士】へと変わっていた。


 どうして?

 去来する疑問に答えるものはいない。



 アレ? でも私は6歳のとき――

 洗礼の儀を受けたとき、私は――

 私が授かったギフトは――







 【剣士】じゃなかったっけ?






 

 私はいつから【剣聖】になったんだっけ?







 遠い昔、村に住んでいた少女は、1人の少年と出会った。

 今にも消えてしまいそうな程、儚げで憔悴しきっていた少年を見て、少女は自分が護らなければならないのだと、強く、そうただ強く心に誓った。


 いつしか2人の少女と少年は冒険者となる。

 

 少年に恋をしていた少女は願った。

 これから少年を護れるだけの誰にも負けない力が欲しいと。

 少年を傷つける、あらゆる全ての悪意から護れるだけの絶対的な力が欲しいと。


 少女に恋をしていた少年もまた強く願った。

 少年にとって掛け替えのないこの少女の隣に立ちたいと。

 その少女の想い、願いを叶えたいと。



 力を願う少女と、その少女の力になりたい少年。

 


 それが、少女の願いを少年のギフトが叶えたものだと知っている者は誰もいない。



 だから少女は知らない。

 最初から自分が少年にとって、たった1人の「特別」な存在だったことを。



 だから少年は知らない。

 最初から少女が自分にとって、たった1人の「特別」な存在だったことを。



「裏切ったから……? クレイスを……裏切ったからギフトが無くなった……の?」



 知らないはずの正解を私は導き出す。

 考えても分からない。


 が、何故だろう。

 きっとそれが答えなのだと、私は確信していた。

 

 【剣士】だった私が【剣聖】になったのは何の為に、誰の為に?


 それを違えたからこそ、私からそのギフトが失われたのだ。

 クレイスを裏切った私は【剣聖】では居られない。





 おぞましい悪夢がフラッシュバックする。

 必死で封印していた忌まわしい憎悪の記憶。

 目を逸らし続けることで、かろうじて耐えてきた。

 心がその事実を受け入れるのを拒否していた。




 思い出せば、きっと私は壊れる。




 ――あぁ、そうだ



 ――私はあのときにロンドに



 ――私の全てを奪われていた



 ――クレイスにあげるはずだった私の初めて




「うえっ……げぷっ……………」


 猛烈な吐き気に襲われ、胃液を吐き出してしまう。

 気持ち悪い、いますぐに死んでしまいたい。


「なんで!? どうして……私……!? いやだいやだいやだ! ………汚い……穢された……私の身体はクレイスのものなのに、クレイスだけが触れて良いのに……いや……いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああああああ!!!!!」



 穢された身体が、まるで自分のものではないかのように醜い汚物に見える。捨ててしまいたい。自らの身体も心も。穢された汚い身体と裏切った醜い心を捨ててしまいたい!


 綺麗だった身体も純真だった心も全てを失ってしまった。



 心の中を絶望が支配していく。



 もうクレイスに再会しても何も捧げることができない。

 穢れた身体でクレイスと結ばれることは許されない。

 愛した少年に愛される資格など、もう存在しない。 




 ――――なにもかもを失った――――




 クレイスを守るための力で彼を傷つけ、裏切り、穢され、最愛の少年、クレイスは私の前からいなくなった。



「あはは……無くなっちゃったよクレイス……全部……ギフトも処女も……貴方だけだったのに……私にはクレイスだけだったのに……何もあげられなかったね……」



「なんで……こんなことになったのかな? 欲しかったもの……守りたかったもの……あげたかったもの……全部消えちゃった。……私は何の為に生きてきたのかな……?」



「あは……あはははははははははははは……ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」



 少女の慟哭が止まることはなく、その心は砕けて壊れた。

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