第14話 仲間殺し
「……生きていたのか……クレイス……」
「あぁ。地獄から帰ってきたよ。どうした? そんなに俺の姿が信じられないか」
目の前のかつて仲間だった男は、今、頭の中で確実に殺しておかなかったことを後悔しているに違いない。
「あの状況からどうやって生き延びた!? 俺は確かにお前を――」
「殺したはずだったか? 俺をなんだロンド。言ってみろよ」
ゆっくりとクレイスがギルドの中に足を踏み入れる。
「ク、クレイス……生きていたのね! 良かった……本当に良かった!」
安堵の表情を浮かべたヒノカが胸に飛び込んきた。
ギルドを支配していた異様な気配が一瞬で霧散していた。
感動の再会に、空気が緩みかける。
「それも演技かヒノカ?」
クレイスから発せられたその言葉は、幻想を切り裂くかのように怜悧だった。
ピタリと水を打ったようにギルド内が静まり返る。
ヒノカとは正反対にクレイスの顔には再会の喜びなど一切浮かんでいない。
ただその冷たい目だけがヒノカを見下ろしていた。
「え……?」
「それも演技なのかと聞いた」
「……ど、どうして……? クレイスなにを……」
クレイスは自嘲する。
「まぁ、今更どうでもいいことか」
クレイスの声には、いつもヒノカを気遣う優しさが秘められていた。その声が好きで、その声を聴くだけで、クレイスが自分を気に掛けてくれていることが分かって、ヒノカはいつも嬉しくなるのだった。
だが、今その大好きだったクレイスの声からは感情を読み取ることが出来ない。
「俺は君のことが好きだった。俺は君は愛していた。あの日、俺は君との約束を果たそうとした」
「私も、私もクレイスのことが――――」
ヒノカの声を遮るようにクレイスの言葉は淡々と続く。
「君が俺のことを嫌っているのは知っていた」
「違う! それは違うのクレイス! 聞いて、私はクレイスが――」
クレイスは止まらない。
クレイスにはもうヒノカを気に掛ける様子は微塵もない。
「だから、この依頼を最後に俺は君の前から消えるつもりだった。君が俺以外の誰かを選ぶのならそれでも良かった」
「――クレイス以外の人なんてありえない! クレイスじゃないと駄目なの!」
どうしてそれを伝えるのが今だったのか。
その言葉を、もっと早く言えていたなら、こんな結果にはならなかった。
「君がロンドと付き合っていたのならそれでいい。アイツに抱かれて、それで君が幸せなら俺は君を祝福した」
「ロ、ロンドと? なに言っているのか分からないよクレイス!?」
ズキリと頭痛がヒノカを襲う。
なにか思い出してはいけない記憶が脳にこびりついて離れない。
駄目だ思い出すな駄目だ思い出すな駄目だ思い出すな駄目だ思い出すな
それがなんだったのか、クレイスが生きていた。
嬉しいはずのその事実が、何故こんなにも恐怖を呼び起こすのか。
自分はあのとき――
なにかを――
「そんな俺の覚悟まで君は裏切った」
「ク、クレイス……?」
クレイスの言葉に、思い出しかけてた何かを意識の外へ追いやる。
「そんなに俺が邪魔だったかヒノカ? この依頼が終わればパーティーを抜けると伝えていたはずだ。それすら待てない程、君は俺を殺したかったのか? それほど俺が憎かったか?」
ただただクレイスから零れる言葉にヒノカは恐怖を憶えていた。
怯えるようにヒノカがクレイスの胸から離れる。
そこでヒノカは、再会して初めてクレイスの瞳を直視した。
その瞳は、かつて裏切られ絶望していた頃のクレイスよりも遥かに深い闇に囚われていた。一切の光を遠ざけるような仄暗い絶望と憎悪に彩られた瞳がヒノカを覗き込んでいた。
「かつて俺は信頼を裏切られた。そして今度は、信頼と愛を裏切られた」
呆然としていたロンドがハッとしたように慌てて声を掛けてきた。
「クレイス生きていて良かった! また一緒にパーティーを組んでやり直そう! 俺達なら今度は上手くやれるはずだ!」
クレイスはそこで初めて笑顔を見せた。
だがそれは、ヒノカが知っているクレイスの笑顔ではない。
「今度はもっと上手く俺を殺すとでも言うつもりかロンド?」
「な!? な、なにを言ってるんだクレイス。俺達はお前を救おうと――」
事の顛末に目を白黒させていたマイナが割り込んでくる。
「ちょ、ちょっとどういうことですかクレイスさん!? 殺そうとしたって、いったい何があったんですか!?」
「マイナ、クレイスは恐怖で精神をやられてるんだ! 今すぐ医者に――」
ロンドが慌ててかき消そうとしてくるが、クレイスの言葉は冷徹にギルド内へと響き渡った。
「恐怖か。あぁ、確かに恐怖だったよ。お前に脚を潰され全身をズタズタにされ、タイラントウルフの群れの中に置き去りにされたときにはな」
ざわり
と、ギルドの空気が一変する。
それは冒険者ギルドでは最も忌避されるべき行為だった。
『仲間殺し』
立証されれば、極めて重い刑が科せられる重罪である。
しかし、それが難しいのは、クエスト中の事故が故意かどうかを判断する手段がないということだ。目撃者でもいれば別だが、仲間を殺そうと仕掛ける側も重々にそれを承知している為、滅多にそれが適用されることはない。だがそれでも、そういう噂が一度でも出れば、それはパーティーに付き纏う呪いとして、大きく評価を落とすことになる。
冒険者のタブー『仲間殺し』。
かつて名をはせたSランクパーティー【エインヘリアル】の姿は、もうそこにはなかった。




