信ずるもの 16
拙い暗号文に、深い海色の瞳が驚きに見開かれる。
自分の命を投げ打ってでも、私をテッラに送り帰すつもりだったレジデ。
そんな彼に、残されたカードはもう無い。
ならばこの現状を打破出来るのは、猟犬のフォリアだけだ。
――フォリアと組織は、私をここから連れて帰るつもりだった。
――ならば、取り合えずフォリアが逃げ出すことは可能。
それが私達二人の、昨夜の見解だ。
術者の片割れであるフォリアさえ逃げれれば、レジデの命も延命される。
私の体内時間が戻るまで、教団側はレジデを殺すというリスクはとらないだろう。
三人同時に逃げる事が、ほぼ不可能な現状で、レジデは彼の知る抜け道や、様々な情報を私の背中の治療魔法に託したのだ。
『私が施した治療魔法の上に、フォリアのリバウンド防止の呪がかけられています。魔法陣の呪を少しだけ変化させるくらいなら、現状でも出来るかも知れません。一度解読したフォリアが、その差異に気がついてくれれば……。』
レジデが言った、その言葉の意味は分からない。
けれども、二人しか分からない手紙を、私の体に託した事だけは分かった。
『フォリア・そしき・にげる・ひとり』
恋人同時が睦みあっているように見える、ギリギリの仕草で、フォリアに暗号を紡ぐ。
でも……、髪の色が変わるほど魔力疲労を起こしている彼に、魔法陣を解析する――手紙を読む力が残っているのだろうか。
表情の硬いフォリアに、小さく指先で問いかけても、答えは無い。
『よむ・つらい?』
やはり――…、相当辛いみたい。
小さく首をかしげ、目で問いかける私に返るのは、沈黙ばかりだ。
――やっぱり、ひと寝入りして体調を整えてからの方が良い。
少し気まずい位の、長い沈黙に耐え切れなくて。
上がりっぱなしの鼓動と動揺を落ち着かせるために、一度大きく息を吐く。
寝台に肘を突いて、上体を起こしながら――、そうしてから自由になった手で、乱れた髪をかきあげた。
突然。
いきなりその腕を、強く引かれた。
「……わわっ。」
横に引かれた腕にアンバランスな体勢は反転し、シーツの上にうつ伏せになるよう、ひっくり返される。
「……。」
乱暴な仕草に、不快そうな舌打ちの音。
振り向くまでも無く、無言のままのフォリアの、一挙一動が信じられない位に重い。
ええと。
――どうやら今、解読する気みたい……?
ぎしりと音を立てて、背中に覆いかぶさるように、フォリアは体勢を変える。
無言のままの彼に、衝撃から立ち直って、慌てて協力しようとして……、もう一つの壁にぶち当たった。
――解読の場合は……。どこまで、脱ぐ……べき?
ここには治療結界も、魔術を補助するための道具も、一切無い。
だから、昨夜のように――そして、アンバーの娼館でリバウンド防止魔法をかけたように、素肌に直接触らなければいけなくて。
けど流石に……。
この現状で、上半身全部脱いで、肌を触られるのは――。
辛いって言うか……、ありえないだろ。
落ち着かせようとする気持ちと、肌のささくれ立つ神経が、思考を鈍くする。
――解析だけなら、そこまで肌を晒す必要、無いよね。
暫く考えて、――これでも出来るんじゃなかろうかと、自分で腰紐をしゅるりと緩めて、大きく衣紋を抜くように、襟ぐりを後ろに引いた。
「………。」
夜の寒さに、肌が小さく震える。
要は素肌を触れれば良いはずだよね?と、居た堪れない空気のまま、馬乗りになるよう覆いかぶさったフォリアに、これで良いかと顔だけで後ろを振り返る。
すると、表情の無く、無言で見つめるフォリアと目があった。
どこと無く、冷たい表情。
「――…。」
視線を外せないまま――。
ゆっくりと。
首筋に顔を埋めるように、フォリアがうつ伏せの私の上に、身体を重ねる。
レジデと違った、剣を持つ男の硬い、かさついた手のひらが、肩先に引っかかっていた服を、ぐいと引き下げる。
「――…ふっ」
羞恥と重苦しい空気に耐え切れずに、寝台に顔をうずめる。
肩甲骨まで剥き出しになった背中に、落とされたフォリアの唇。
首筋をくすぐる彼の髪にぞわりとした感覚を感じて、ぎゅっと目をつぶった。
リバウンド防止の呪を施した時とは違って、フォリアの唇は、その場からピクリとも動かない。
ぞわりぞわりと、身体の中を小さく駆け巡る感覚を、フォリアの冷たい視線を思い出して、沈静させる。
あまりに昨夜がショックだったのか。
それとも、立会いがいない分、肌が自然と温もりを求めるのか。
時折揺れる髪が、重ねられた肌が感じる筋肉の動きが、いっかな落ち着かない感覚を与え続ける。
――思い出すなっ!
自分を強く叱咤しても、素肌の感覚は尖ったままで。
凍ったように動かない彼の邪魔にならないように、静かに深呼吸する。
どれだけ経ったのだろう――。
ふいに、言葉に出来ないような振動を感じるのと、低い声で
「くっ」
と、小さく呻いたフォリアが、私の横に自分の体を投げ出すのが同時だった。
「だ、大丈夫――?!」
小さく掠れた声で、慌てて問いかける。
すると、少し苦しげな乱れた呼吸の合間、低く短い返答の声がかえった
まるで精神世界から、無理矢理弾き飛ばされたようなフォリアに、色々な意味で不安になって顔を覗き込む。
返信出来なくても、せめて有益な情報だけでも、汲み取れたのだろうか……。
――レジデからの手紙は読めた?
そう、小さく暗号で問う。
それに視線だけで大丈夫だと私に教えた彼は、何ていうか……不機嫌で。
もしかして、怒っている?
先ほどと同じ、表情の無い顔なんだけど……ちらちらと、瞳の奥に暗い感情が見え隠れした気がする。
困惑する私をよそに、フォリアは一度大きく息を吐いて乱れた呼吸を整える。
――まぁ……。
――疲労の所に、無理矢理読ませられたら不機嫌にもなるか。
背中を向け、肌蹴た前をあわせながらも、気まずくて――。
何でもない事のように、振り向きざまに
「どうしましょう?読んだよって分かるように、何か印でもつけますか?」
と、フォリアにしか聞こえないほどの声で、小さくおどけた。
けれども。
冗談めいたその発言に、何が触発されたのかは、分からない。
ただその一言に――剣呑な光を宿していた瞳の上に、強い感情が乗った。
いきなり引かれた帯が立てる、高い衣擦れの音。
寝台の上に投げ出された衝撃と混乱。
「えっ!……!!」
剥き出しの首筋に、フォリアの唇が明確な意思を持って落とされる。
「――っ!?」
もう一度大きく肌蹴た襟元から、フォリアの掌が滑り込むのと、首筋に濡れた舌先の感触を感じるのとが、同時だった。




