表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
47/50

逆転の策

「マグライア!」


 吸血鬼の自室。

 テーブルにヌイを横たえながら、オレは声を荒げた。

 ここでお茶会を開いたのが、遠い昔のように感じる。


「マグライア。いるんだろう。起きろ!」

「うるさいね、きみ。何事だい」

 霧が室内に渦巻いたかと思うと、銀髪の吸血鬼が憮然としながら姿を現した。

「高貴なるボクの安眠を妨げて……魔王様?」


 マグライアが緋色の瞳を眇めた。

 動かないヌイの姿を見て、取り乱さないあたりはさすがだ。


「説明している時間はない。マグライア、確認するぞ。お前は以前、うっかり寝ぼけてヌイの血を吸ったことがあると言っていたな」

「……それが?」

「こうも言っていた。吸血鬼は、吸った相手の血を、何十年も体内に留めていると。そしてその血を、他者に分け与えることで、眷族を増やすと」

「それで?」


「詳細は省くが、ヌイの身体から魔王の血が消滅した。今ヌイの身体を巡っているのは、人間の血だけだ」

「それは、魔王様は死んだも同然だね」

 オレはかぶりを振った。

 半ば自分に言い聞かせるように否定する。


「そうはならない。マグライア、ヌイに噛み付いて血を分け与えてくれ。命の源たる魔王の血が戻れば、ヌイは恐らく復活する」

 緋色の双眸が爛々と、オレを窺っている。


 ……おかしい。

 マグライアが冷静なのはいいが、動揺がまるで見られないのも妙な話だ。


「魔王様を吸血鬼にする気かい?」

「いいや。自分より上位の種には、その魔物が持つ特殊な力は効かない。吸血鬼の眷属化の力は、魔王に通じない。マグライアが自分で話したことだろう?」

「なるほどね。ふん、人間にしては考えたね。だけどお断りだ」


「……何だって?」

 オレは、自分の瞳孔が収縮するのを感じた。

 マグライアが何を言っているのか理解できない。


「時間がないんだ! 何か報酬が必要なら――」

「いみじくも、今きみが言った通りさ。力関係の問題だよ」

「何?」

 オレが身を乗り出すと、マグライアは気だるそうに銀髪をかき上げた。


「いいかい。この魔王様はもう魔王様じゃなくなった。何の力もない、ただの人間さ」

 物分りの悪い幼子に、丁寧に教え聞かせるような口調。

「ボクより下位の劣等種を、高貴なるボクが、どうして助けるんだい?」

「――」


 一瞬、目の前が暗転し、倒れそうになった。

 額からこぼれた汗が、頬を伝う。

「お前……」

「きみも同じと思いたまえよ。人間の分際でこれ以上、ボクに意見する気なら、ただでは済まない」

「あ……」


 声が出ない。

 焦点が定まらない。

 絶望の気配が、思考を黒く塗り潰していく。


 マグライアは、魔物にとっての常識を述べているに過ぎない。

 それは正論だ。

 人間がどう反論したところで、決して覆らない類のものだ。


 なら情に訴えれば。

 論外だ。

 そんなものが通じる間柄ではない。


 もうダメなのか?

 奇跡など一片も願っていない。

 道理に沿った行動に対して、正当な結果がほしいだけなのに。

 人を手にかけた悪人には、それすら許されないのか。


 もう――ダメか。


「ぁ……」

 オレは膝をついた。

 虚空に伸ばした手が、力なく床に落ちる。

 マグライアは、そんなオレを鼻で笑った。


「用は済んだかい? 魔王様がいなくなった以上、ボクもこの城にいる理由はない。さようならだ」


 ああ。

 終わった。


 オレは生きている。

 だが、もう終わった。

 オレは負けたんだ――。


『ジロー』

 そういえばミッケが、別れ際に何かを言っていたな。

『ヌイ様を――』


 言っていた。


『――助けて』


 ……。

 ……。


「おい。ニワトリ以下の変態吸血鬼」

 霧になりかけていたマグライアが振り返る。

 緋の双眸が剣呑な色に輝いた。


「まだ何かあるのかい。警告はしたよ、人間」

「いや、何。お前がニワトリ以下ってことを、証明する必要がありそうだと思ってな」

「ないね。この場できみが干からびて終わりだ」


 マグライアが真紅の唇を開く。

 鋭い牙が覗いた。

「あるだろう。ニワトリは恩を忘れるが、餌場は覚えている。お前は両方忘れる」


「……何を言いたいんだい、人間」

「お前は確か、人間の狩人に追われていたところを、ヌイに救われたんだろう?」

 オレへと詰め寄るマグライアの足が止まった。


「そしてヌイの庇護下に入り、この城に住み着いた。なるほど――」

 蔑みの笑みを貼り付け、オレはマグライアを嘲った。


「高貴なる吸血鬼様は、借りを借りっぱなしで満足なさるほど、卑しい心根の持ち主だったと」

「人間……」

「借りは返す。それでこそ高貴なる者。借りたものをこそこそ盗み取るのは、卑劣な下種のやることだ」


 マグライアの両拳が、小刻みに震えた。

 怒りの形相が浮き上がっている。

「で、念のために聞くが」

 下腹に力を込め、オレは低い声を絞り出した。


「お前は、高貴なる吸血鬼様ってことでいいんだよなあ……?」

「貴様――!」


 オレの肩を、マグライアの手が、握り潰さんばかりに掴んだ。

 凄まじい握力だ。

 オレは唇を噛み、苦悶の声を押し殺す。


 どれほどの時間が経ったのか。

 肩にかかる力が離れ、オレは顔を上げた。

 美麗の吸血鬼は眉間にしわを寄せていた。


「……マグライア」

「これきりだ、人間。寛大なボクに感謝することだね」

 冷たい声で告げると、マグライアはテーブルに寄り、ヌイの首元に唇を添える。

 鋭いものが肉を抉る、小さな音がした。


 ややあって、マグライアがヌイから離れる。

 真紅の唇を己の舌で舐め上げ、不愉快そうに鼻を鳴らした。

「魔王様の血は全部返した。これで借りはなしさ。足りなくても知ったことじゃないけどね」


 ああ、その心配はいらない。

 見ろ、ヌイの肌が血色を帯びてきた。

 ヌイの小さな唇が、柔らかな桃のように色づいてきた。

 ヌイの胸が、ゆっくりと上下を始めた。


「は……」

 自分が笑ったかどうかも定かではなかった。


 オレは疲労と安堵で、意識を失った――。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ