いつかとは違う決戦
広間に駆け込むと、戦いは終わっていた。
白煙。
熱気。
肉の焦げる臭い。
凍て付く空気。
霜。
人間の兵士の死体、死体、死体。
数百もの死体。
半分は焼け焦げ、半分は凍っていた。
佇む人影は2つ。
勇者と戦士。
その向こうに――。
「ヌイ……!」
小さな身体が倒れていた。
その胸が裂かれ、真っ赤に染まっていた。
「よお、少し遅かったぜ」
センが振り返る。
大きな肩を上下させているが、軽傷だ。
「ジローか。ここで会うと思っていた」
ユウが振り返る。
その手に純白の聖剣を下げていた。
「……」
2人の声が耳に入らない。
オレはヌイを凝視していた。
倒れたまま動かない。
聖剣に斬られたのなら、魔物は死ぬしかない。
魔王とて例外ではない。
だから動かないのは当然だ。
「あ、あ……」
オレの声は震えていた。
身体の芯が底冷えしていた。
これが結末なのか?
自業自得というわけか?
どう上辺を言い繕っても、復讐に身を委ねた者の末路はこうなるのか。
「! それ以上、近づくな……」
オレは我に返ると、とっさに杖を前に向けた。
呆然としている間に、2人が距離を詰めてきたのだ。
「ジロー、もう諦めようぜ。な?」
2人の態度は余裕そのものだ。
実際、負ける気がしないのだろう。
オレは、ユウとセンを睨みつける。
ぎりと歯を噛み、自分に言い聞かせる。
まだだ。
萎えるな。
諦めるな。
膝をつくな。
まだ終わっていない。
「……オレも、人のことを言えるような人間じゃないが。お前らにとって、そこまで大切なものか? ハーレムや金という、くだらないものが」
オレは杖を突きつけたまま、問いかける。
「フン? 大切だね。ハーレムは断固として男の夢だ。しかも王国最大のだ! それを実現できる力もある。なら、目指さなきゃ嘘だろ?」
ユウが語調を高め、笑みを浮かべて熱っぽく語る。
「俺もユウと同じだぜ。誰だって他人より、自分の夢のほうが大事だぜ」
2人の答えに苛立つ。
それでも少しの間、会話を繋ぐ。
思考する時間を稼ぐ。
「見ろ、ジロー。魔王の血は浄化された。これでこの大陸も平和になる」
心を揺らすな。
浄化された血はもう取り戻せない。
都合のいい願望ではなく、事実を受け入れろ。
「笑わせるなよ、ユウ。平和なんぞに興味はないくせに。いろんなものを裏切って、夢という名の欲望を叶えて、さぞ満足だろうな」
劣勢だ。
対策を講じろ。
この状況を根底から覆すには、どうすればいい。
「ハッ! 自分の栄光のために、必要とあらば他人を使い捨てにして、何が悪い?」
「おうともよ。一生遊んで暮らせる金だぜ? よだれが止まらねえぜ」
不快感が胸を突き上げる。
落ち着け。
今こそ考えるときだ。
一発逆転を、ただの願望から可能性にまで昇華させるんだ。
オレは、2人に悟られないように皮袋を取り出し、左手に潜ませた。
「で、だ。ジロー。おれが大臣や関係者に口を利いてやる」
その言葉に、オレは思考に沈んでいた顔を上げる。
細めた双眸を、ユウに向けた。
「こっち側に戻ってくる気はないか? 今ならぎりぎり間に合う」
そうか。
ユウたちは、大臣が死んだことを知らないんだったな。
とはいえ、オレの心は少しも揺さぶられなかった。
もし大臣が生きていたとしても、同じことだったろう。
「そうだぜ、ジロー。俺たちだって、好き好んでお前と戦いたいわけじゃねえぜ」
センが大仰に頷く。
芝居がかって見えた。
ユウが聖剣を握る手に力を込める。
オレは唇を歪めた。
「何を今更だとか、白々しい提案だとか、言いたいことはいくつかあるが――」
手酷く裏切られたとはいえ、いっときは仲間だった勇者と戦士への、決別の言葉。
そして、この魔王城での暮らしで培った、オレの偽りない本心を告げる。
「オレは、この居場所が好きだ」
瞬間、センが斧を振りかざして突進してきた。
一拍遅れ、ユウもそれに続く。
範囲魔法を警戒して、タイミングをずらしてくるのが巧い。
センのでかい図体が、オレに接近する。
豪腕が斧を振り上げた。
オレは距離を測りながら、素早く横へ跳ぶ。
同時に左手を振るい、皮袋からコショウをぶちまけた。
以前、ケンタウロス族を助けた礼にもらったものだ。
ぶちまけた先は、もちろんセンの顔面だ。
「ぶへっ……!」
センが、咳ともくしゃみともつかない悲鳴を上げる。
だが斧は止まらない。
オレのすぐ側に振り下ろされ、重低音が石床を穿った。
オレの背筋を冷や汗が伝う。
しかし視界を奪った。
センは目に涙を浮かべ、くしゃみをこらえている。
オレはセンの筋肉質な腕に、杖の先端を押し付けた。
「ネムリ」
接触しただけあって、魔法は確実に発動し、期待通りの効果を発揮した。
センの巨体が、糸の切れた人形のように崩れ落ちる。
直後、突きの構えを取ったユウが、センを乗り越えて飛び出してきた。
息をつく暇もない。
心臓を狙われている。
オレは左腕を持ち上げ、胸を防御した。
さあ、狙い通りに来い!
不意に、ユウの剣閃が白い軌跡を描き、薙ぎ払いに変化した。
「っが、あああああ!」
オレの右手が、杖ごと、切り飛ばされた。
しっかりと杖を握り締めた右手が、オレの右手が、赤いものを撒き散らしながら、ごろごろと床に転がった――。
「あああああ! がっ、あっ、が……!」
痛い痛い切り口から出血が痛い、だが止まるな出ろ前に出ろ……!
ユウの剣が頭上から、追撃とばかりに降ってくる。
オレは必死に足を踏み出し、残った左腕でユウにしがみついた。
「ぐが……!」
剣がオレの肩に食い込んだ。
刃の根元で受けたため、威力は低い。
しかし鎖骨が削れる衝撃と激痛で、オレは苦悶の声を上げた。
「詰みだな、ジロー。ワンドを失った魔法使いなんざ、ただのゴミだ」
ユウが囁くように笑った。
愉悦に満ちた憎らしい顔。
「ああ……」
だからオレも、痛みに引きつった笑みを返してやる。
「全くもって予想通りだ」
オレはワンドに、ありったけの魔力を流し込んだ。
ユウの顔が凍りついたが、もう遅い。
「ネムレ、エセ勇者」
ユウの身体が、力を失った。
オレも膝が折れそうになるが、気力で持ち直す。
石床で寝息を立てているユウを、冷然と見下ろした。
「必ずしも、わかりやすい杖がワンドとは限らない。オレがいつも身に着けているのは、別に、杖だけじゃなかっただろう?」
そうしてオレは、腰から愛用のワンド――ナイフを引き抜くと、右腕の袖を引き裂いた。
残った左手と口を使い、右腕の切断面をきつく縛って止血する。
傷口が焼け付くように傷むが、気力で無理やり押さえ込む。
「――でもな。ある意味、お前らほど人間らしい人間はいなかった」
オレはユウの首筋にナイフの刃先を押し込み、止めを刺した。
続いてセンにも、同じことをした。
「……ワンドを直接、殺傷の道具にするなんて、魔法使いの風上にも置けないな」
ささやかな達成感はあった。
しかし、感動も高揚も沸き上がってはこなかった。
手に残る刺殺の感触に、胸が締め付けられて微かに吐き気がした。
ナイフの血を拭い、丁寧に腰の鞘に戻す。
首を振って不快な気分を払うと、オレは動かないヌイの元に足を運んだ。
意識が朦朧とするが、歯を食いしばって気力を繋ぎ止める。
繰り返すが、まだ終わっていない。
「都合のいい奇跡なんて起こらない」
オレはヌイの黒衣を開き、胸をはだけさせた。
赤い血が凝固してこびりつき、その奥からまだ溢れようとしている。
これは人間の血だ。
魔王の命の源は、この小さな身体に、もう残っていない。
「だから、つまらないことを願う時間があるなら、考えて行動すればいい」
オレは布をヌイの胸に押し当てる。
白い布はすぐさま赤く染まるが、出血は抑えられる。
幸い傷そのものは、そこまで深手ではないようだ。
苦労しながら左手と口を使い、ヌイの胸に包帯を巻いて、血止めの布を固定した。
たったこれだけの作業で、眩暈がする。
「結果は必ずついてくる」
オレはヌイをそっと抱え上げた。
予想以上に軽い。
それに、肌からぬくもりが消えかけている。
足がふらつく。
焦燥感がオレの背を押す。
急ごう――。




