脱出
大臣の部屋で、時間をかけすぎた。
通路で巡回の兵士に発見された。
オレたちは慌しく、侵入時に使った最初の部屋に飛び込む。
錠を下ろすや否や、激しい衝撃が扉を殴打した。
「であえっ、であえっ! 侵入者は倉庫に立て篭もった! 2人いる!」
「窓から逃げるかもしれんっ! 外にも回りこませろっ!」
思わず舌打ちをする。
ここは8階だ。
にも関わらず、窓から脱出する可能性を即座に考慮できるような、機転の利く兵士がいたことに苛立つ。
相手も馬鹿じゃない。
「ご主人様~」
ウサウサが不安そうな声を漏らす。
「大丈夫だ。すぐに窓から降りよう」
「でもジロー、降りてる最中に扉を破られたら、ロープが」
「ぐ……」
そうだ。
地面近くで切断されるならいい。
降り始めに切られたら最悪だ。
もしくは降りている最中に、ロープを引き上げられたら、袋のネズミというしかない。
「ご主人様~」
ウサウサが呼んでいるが、構ってやれる余裕がない。
ミッケの武力なら?
いや、いかなミッケといえど、王城内で単身、大立ち回りは自殺行為だ。
くそっ、どうすればいい。
「ご主人様~」
ウサウサが水性の身体を触手のように伸ばし、オレのローブを引っ張った。
「今忙しいんだ。悪いが後に――」
「私~、足止めします~」
「……何?」
オレは耳を疑った。
「私~、足が遅いので~、ご一緒できないと思います~」
「それは……いや、しかし」
「剣や槍で突かれても~、痛くありません~」
「その通りだが、だからといって」
「ご主人様の目的は~、何ですか~?」
「……!」
オレが凝視すると、ウサウサは「えへへ~」と身体を揺らした。
「ジロー」
振り返ると、ミッケがオレに背を向けていた。
「早く乗って。ヌイ様を助けに行く。一番重要なことはそれでしょう?」
「……」
「残るなら好きにして。責めないわ」
「……。ミッケ、これを手に巻け。そして一気にロープを滑り降りろ」
布切れを2枚、ミッケに放る。
「ウサウサ、お前は火に弱い。気をつけろ」
「はい~」
「足止めを頼む。だが死ぬな。絶対にだ」
「はいぃ~」
扉を叩く衝撃は、いよいよ激しくなっていた。
鉄の錠が軋んで悲鳴のような音を立て、嫌がおうにも焦燥感を駆り立てる。
オレはひったくるようにホウキを預かると、ミッケの首に、背中からしがみついた。
「ご主人様~どうかご無事で~」
ミッケがロープを掴み、窓から飛び出る。
オレが肩越しに振り返ると、ウサウサが扉の隙間から、通路に這い出ていくところだった。
かぶりを振り、ウサウサのことを頭から追い出す。
どのみち足の速さからいって、一緒には逃げられない。
それに、あいつは命令に忠実だ。
だから問題はない。
数瞬の浮遊感。
心臓が冷えるような心地。
気がつくとオレとミッケは、地上に降り立っていた。
ミッケはボロボロになった布切れを投げ捨て、オレからホウキを奪い取った。
「急ぎましょう」
「ああ」
侵入時に超えた城壁はすぐそこだ。
「いたぞっ! 侵入者だ!」
見つかった。
さすがに王城の兵士は優秀だ。
オレは城壁に両手をついた。
ミッケがオレの背を蹴り、軽やかに飛び上がった。
城壁の上に着地する。
「ジロー」
ミッケがすかさずホウキを差し出してくる。
オレはすがるようにホウキを掴み、そのまま城壁の上端に手をかけた。
ミッケが引っ張ってくれた。
しかし。
「くっ……!?」
「あっ、ジロー!」
強い力で足が引っ張られた。
兵士の1人が、オレの足に取り付いたのだ。
「ぐ、あ……」
オレの腕が、耐えかねて早くも震え出す。
ミッケも手を引いてくれるが、兵士がまた1人やってきて、オレの足を引っ張り始めた。
ミッケの顔が焦りに歪む。
くそ、こんなところで時間を食っている場合じゃないのに。
なけなしの力を振り絞ってみるが、非力な腕はオレ自身を持ち上げてくれない。
視界の端に、3人目の兵士の姿が映った。
まずい。
「……ジロー」
静かな声。
オレが顔を上げると、ミッケの勝ち気な瞳が、目の前にあった。
普段は眩しいほどに輝いている金の双眸は、今は冷淡な色を湛えている。
悟った。
こいつはオレを、この場で見捨てる気だ。
ミッケだって、オレ以上にヌイを案じている。
ヌイを助けたいと思っている。
痛いほどに伝わってくる、その感情。
結構じゃないか。
なら、オレが返す言葉は決まっている。
「ふざけるな。オレを助けて、先に逃がせ!」
ミッケの瞳が、愕然と見開かれた。
当然の反応だ。
そりゃあ自分を犠牲にして、女の子を逃がせば、さぞ格好がつくことだろう。
オレだって、端くれとはいえ男だ。
そんな物語のような英雄像に憧れないわけじゃない。
だが、違う。
今優先すべきは、いっときの感傷でも、実益にならない英雄願望でもなく、合理性だ。
勇者ユウは魔物殺しの聖剣を握っている。
魔物であるミッケでは、返り討ちにあう公算が高い。
今回に限って言えば、オレしかいないのだ。
時間にすればほんの僅かだった。
ミッケの顔に、複数の感情が入り混じった。
怒り、諦め、嫉妬、切望――理解。
次の瞬間、ミッケはホウキを携え、高らかに宙を舞った。
「ぐべ!」
ミッケは兵士の顔面に着地していた。
すかさずホウキを繰り出し、もう1人の兵士も突き倒す。
足が軽くなった。
オレは慌てて城壁の上までよじ登った。
「ミッケ」
見下ろす。
ミッケは振り返らない。
ホウキを槍のように構え、次々とやってくる兵士と対峙した。
「ジロー。ヌイ様を助けて」
震えを堪えた声。
「任せろ」
オレは城壁を飛び降りた。
ミッケはオレに託した。
溢れんばかりの悔しさを押し殺し、理性を総動員し、より可能性の高い選択をした。
ならば、それにこそ応えなければ。
オレは氷の溶けかけた水堀を渡り、深夜の大通りをひた走った。
転送陣へ。
魔王城へ。
一刻も早く。
間に合ってくれ――。




