潜入
目覚めは自然だった。
変な角度で寝たせいか、首筋が若干固まっているが、身体は軽くなっている。
オレは立ち上がって肩を回した。
「おはよう。夜だけど。すぐに出る?」
ミッケが身を屈めて、窓の外を窺っていた。
すでに日没は過ぎ、夜の帳が下りている。
「ああ。ここからは時間との勝負だ。準備はいいか?」
「あんたの覚悟以外はね」
「……大丈夫だ。手はず通りに行くぞ」
「ええ」
オレたちは窓の木板を押し上げ、屋敷の裏庭に出た。
足音を立てないよう細心の注意を払い、屋敷を囲う鉄柵に近づく。
「まだ門番がいるわ」
「あいつらは交代制だから、一日中いる」
オレは腰紐から杖を引き抜き、小声で「キリ」と唱えた。
周囲に夜霧が発生し、闇をより色濃くする。
ミッケが一足飛びで、柵の上に飛び乗る。
何度見ても、魔物の身体能力には驚かされる。
「さ、早く」
「助かる」
差し出されたミッケの手を借り、オレも柵上によじ登った。
十数歩の距離を隔てて、門番が「霧が出てきたなあ」とぼやいた。
夜霧に姿を溶け込ませながら、オレたちは柵を乗り越えた。
身を低くし、2人して夜の王都を駆け抜ける。
「どうして裏路地じゃなくて、表通りを行くの?」
「表通りを歩くような、真っ当な人間は、夜は出歩かないのが普通だ。裏路地のほうが酔っ払いとかに出くわす」
「へえ……」
やがて、王城を囲む城壁が、そびえ立つように視界に入る。
おぼろげな月明かりのおかげで、路地脇の樽や木箱にぶつかる心配もない。
途中で物陰に身を潜め、見回りらしき兵士をやり過ごす。
城門と城下町を結ぶ跳ね橋は、当然ながら上がっていた。
「もう半周だ。城の側面から侵入する」
小声でやり取りをし、オレたちは歩調を緩めた。
より慎重に足音を殺しながら、水堀に沿って移動する。
「このあたり?」
「ああ」
目の前に堀が横たわっている。
暗くて視認は難しいが、水がゆるやかに流れている。
「飛び越えられない?」
「バッタかよ」
オレは杖を正眼に構え、呼吸を整える。
ここは万が一にも失敗できない。
普段より時間をかけて、頭の中にイメージを思い描く。
「ヒョウガ」
硬いものがひび割れるような音が、断続的に響く。
急に空気が冷え込んだ。
目の前の水が凍りつき、橋のようになった。
「しばらく保つ。頼んだ」
「任せて」
オレは滑りつつ危なげに、氷の橋を渡り切る。
城壁に両手をつき、両足を踏ん張る。
ミッケが軽快に、後に続いた。
「やっ!」
ミッケが気合とともに、オレの背中を踏み台にし、高々と飛び上がった。
そのまま静かに、城壁の上へと舞い降りる。
ドレススカートを華麗にはためかせる姿が、月光を背負って映えた。
「何をぼうっとしているの。ほら」
下ろされたホウキの柄にすがり、オレも城壁の上に引き上げてもらう。
と、一日の終わりを告げる鐘が、厳かに鳴り始めた。
夜の静寂に乗って、重厚な音色が王都中に響き渡る。
「いい時間だ。見ろ、城の上層の窓からロープが下りてきた。ウサウサのヤツ、上手くやってくれたな」
オレの指差す先を見上げ、ミッケは嘆息交じりに頷く。
「まあ、ここからあんたは、楽をするんだけど」
「ロープで壁のぼりなんて、常人の所業じゃない。ミッケだからこそ可能なんだ。頼りにしている」
「悪い気はしないけど、素直に喜べないわ」
ミッケはオレを無造作に抱えると、城壁から飛び降りた。
さすがに足音が響いたが、幸いにも見回り兵に聞き咎められた様子はない。
城の壁に素早く駆け寄り、改めて見上げる。
8階の窓だ。
高い。
「ホウキをお願い。落としたら死ぬまで殺すからね」
「ミッケがホウキを大事にしてるってことは、必要以上に伝わってきた」
オレはホウキを受け取ってから、ミッケの首に腕を回し、背中にぶら下がる。
ミッケに背負ってもらう形だ。
「ていうかあんたも落ちないでよ。助けてあげられないから」
「善処する」
「んっ……よしっ!」
ミッケは一度、深呼吸をすると、ロープを握って壁を上り始めた。
「ふっ、ふっ、ふっ……」
一呼吸ごとに、足で壁を蹴り、両手でロープを繰って登攀していく。
いいリズムだ。
背中の揺れが激しくて、喋ると舌を噛みそうだ。
これはオレの推論になるが、魔物は身体を動かす仕組みからして、人間とは若干違うのかもしれない。
人間は体力を消費して身体を動かす。
魔物は体力のほかに、生まれもっての魔力まで、身体の動作に流用できるのだろう。
そうであれば、平均的な魔物がおしなべて、平均的な人間よりも身体能力に優れている事実に説明がつく。
つまり身体に備わっている魔力という第三資源を、そのままでは活用できないあたり、人間という種族は効率が悪いわけだ。
「ついたわ」
ミッケの声で、オレは思考の世界から現実に引き戻される。
石壁を切り抜いたような窓が、眼前にぽっかりと口を開けていた。
ロープが垂れており、窓板はすでに開いた状態だ。
「……ジロー、早く。ロープに掴まったままって、結構きついから」
「わかった」
苦労してミッケの身体を這い登るが、支えがないためどうにも難しい。
断じて過失だが、手が何か柔らかいものに触れた。
「ひゃっ」
「すまんわざとじゃない本当だから押すな揺らすな死ぬ死ぬ!」
落ちたら正しく冗談では済まない。
ミッケが睨んでくるので、オレは自分の身体をそそくさと窓に押し込み、そのまま室内に転がり込んだ。
続いてミッケも侵入する。
「ふう……」
「はあっ……はあ、はあ……」
使われていない倉庫のような部屋だった。
埃っぽい戸棚やテーブル、木製の衣装掛けが乱雑に放り込まれている。
オレは緊張から、ミッケは疲労から、肩を大きく上下させた。
さしものミッケも無尽蔵の体力とはいかないようだ。
「ご主人様~。おつかれさまです~」
今回の、もう1人の功労者が、足元でどろどろしていた。
「うむ。重そうな本棚の足に、ロープを上手く結びつけているな。タイミングもよかった。ウサウサ、いい仕事をしたぞ」
オレが褒めてやると、ウサウサは「えへへ~」と水性の身体をのたくらせた。
撫でる頭がないのが残念だ。
「ミッケもよくがんばってくれた。ここからが本番だが、いけるか?」
ホウキを返す。
ミッケは金髪を無造作に後ろに流した。
「どっかの変態のせいで、ねぎらわれても嬉しくないけど、もう平気よ」
「だから悪かったって」
「……いいけど。で?」
「ああ。ウサウサ、大臣は今どこにいる?」
「あっちの~えぇと~、執務室ってところにいます~」
「1人で?」
「はい~」
「上出来だ」
オレとミッケは頷き合った。




