復讐の計画
ヌイの自室。
小さな木製のテーブルを囲んで、オレとヌイが対面していた。
「復讐したい。力を貸してくれ」
「うん」
頷くヌイ。
傍らに控えていたミッケが、試すように口を開いた。
「それは、ヌイ様のためになるの?」
「ああ。信じろ」
ミッケの射るような視線と見詰め合う。
オレは平静を装ったが、心臓は早鐘を打った。
と、ミッケが目尻を和らげた。
「ん。それならあたしも、手を貸すわ」
「助かる」
胸中で安堵の息を漏らし、オレは羊皮紙をテーブルに広げた。
「まずはこれを見てくれ。アマニール王国の組織体系を、ごく簡単にまとめた」
紙には上から下へと、要人の名前や役職が書き連ねてある。
「ミッケには以前、ちょっと話したことがあったな。変態マグライアと一緒のときだっけか」
「えーっと……。アマニール王の下に、政治部門のトップと軍事部門のトップがいるって話?」
「ああ。最終的な権限はもちろん、王様にあるんだがな。残念ながらほぼお飾りだ。実権はブゼラ大臣と、ライ・ノッサ将軍が握っている」
「その2人は、すごい?」
ヌイが首を傾げる。
オレは頷いた。
「どっちも優秀だ。だが、国ってのは、軍事じゃなくて政治が回すもんだから、ブゼラ大臣が最高権力者と言っていい」
「大臣の下は?」
「ヌイ、いい質問だ。大臣の下には、財政とか法律とか、いろんなものを運用する……まあ、文官たちがいる。言っちゃ悪いが、大臣と比べれば、有象無象どもだ。意見は出すし議論もするが、決定権はあくまで大臣にある」
「将軍の下も?」
「構造は多少違う。将軍の下には、大陸の各領地を治める貴族たちがいる。で、その貴族の下に、領地ごとの軍隊を束ねる隊長がいるわけだ。しかしまあ、貴族たちも平凡揃いだ。将軍に比べれば」
「わかったわ。王国の組織体系を説明してくれたってことは、魔物を率いて王国に侵攻するのね?」
「バカミッケ」
「……よく聞こえなかったからもう一回?」
いかん、本心をうっかり失言した。
ミッケを逆撫でしないように言葉を選んで、先を続ける。
「ヌイは強い。魔王だしな。個人で敵う人間は、この大陸には恐らく存在しないだろう」
「うんうん、当然よね」
「だが歴史を遡れば、先代の魔王は王国に侵攻し、敗北した」
「う……。そ、それは、人間が数に任せて」
「そうだ。ヌイが魔物をかき集めて軍を編成しようが、数が違いすぎる。個の力を上回る、圧倒的な数の差で、オレたちは負けるだろう」
「ううん……」
「だがな」
オレは唇を笑みの形にした。
「思い返してみろ。ヌイが魔王として目指しているのは、そもそも何だ?」
「それは、魔物が人間に脅かされない大陸……ですよね?」
ミッケの確認に、ヌイがこくんと頷く。
「ああ。別に大陸全土を、魔物が支配する必要はない。他にもっと現実的な案がある」
ヌイは黙って聞き入ってくれている。
ミッケが「案?」と首を捻った。
「人間との休戦だ。不可侵協定と言い換えてもいい」
「休戦!」
「休戦」
「別に復唱せんでいい」
オレはもう1枚、羊皮紙を取り出し、テーブルに広げる。
「これ……アマニール大陸の地図?」
「大雑把だがな。大陸北部に魔王城、南部に王都アマニールがある」
オレは順番に、指で示していく。
「そして北東から南東にかけて、大陸東を縦に貫いている山脈。ここに、人間の鉱山がいくつも点在している」
「ええ……。でも不可侵協定って」
「今現在、大陸北部が魔物の領域、中部および南部が人間の領域と、それなりに住み分けができているだろう?」
「まあね。魔物の領域のほうが狭いのが、納得いかないけど」
「人間の数を考えれば、仕方がない。魔物は全体数が少ないから、北部だけでも別に不自由しないしな」
「えっと……つまり大陸北部と中部の間に、線を引いて、ここからお互いに入らないでね、っていう協定?」
「その通りだ。ミッケ、偉いぞ。賢いぞ。天才だ」
褒めたのに、なぜかミッケは不満顔だ。
わがままなヤツだ。
「難しいかも」
ヌイがぽつりと呟いた。
オレとミッケは、揃って視線を向ける。
「戦えば人間が勝つ。ジローはそう言った」
「ああ」
「それなら不可侵協定を結んでも、人間に利益、ない。戦えば勝てるから」
「……そうだな」
「さすがはヌイ様、目の付け所が違います」
ミッケが1人で感動している。
「魔物軍と戦えば、人間にも被害が出る。それに昔からだが、山脈北に住むドラゴンを刺激したくないから、人間は北部侵攻に積極的じゃない」
「でも」
「ああ、ヌイ。それだけではまだ弱い。人間有利は変わらない。そこでだ」
オレは1枚目の羊皮紙を、指で叩く。
「ブゼラ大臣と、ライ・ノッサ将軍を、暗殺する」
ヌイの大きな瞳が、丸くなった。
ミッケが唖然としている。
「あんた、正気?」
「いたって正気だ。考えてもみろ。この2人がいなくなったら、王国はどうなる?」
「困るわね」
「……そりゃ大層困るだろうが、その先だ」
「えーっと……」
「王国の政治機能と、軍事機能が、混乱する」
詰まるミッケを尻目に、ヌイが答える。
オレは力強く頷いた。
「さすがに、王国の機能が停止するまではいかない。だが致命的に乱れるだろう。大臣も将軍も、突出して優秀だから、代わりなんていないしな」
つまり、とオレは結論に入る。
「組織の建て直しには時間が必要だ。魔物との交戦がどうとか、やってる場合じゃなくなる」
「そんなに時間かかる?」
「かかる。さっきも言ったように、大臣や将軍の下には、平凡な有象無象がひしめいている。その中から、新大臣と新将軍を選ぶことになる」
オレは口角を釣り上げた。
「どいつもこいつも、空席になった権力の椅子を欲するわけだ。わかるか?」
ヌイの瞳が、理解の色に染まる。
「権力争いが始まる」
「その通りだ。ちょっと手を伸ばすだけで、大臣や将軍の座を掴めるかもしれないんだぞ? 文官や貴族たちの、醜い争いは不可避だ。下手をすれば、何年もな」
「ううん……何となく、理解できたわ。そんな状況で、魔物側から休戦の提案があれば、王国としてはむしろ願ったりってことね?」
「ああ。説明は以上だ。何か質問はあるか?」
ミッケが手を挙げる。
「よし、ミッケ君」
「……いいけど。そこまでいくなら、いっそアマニール王も一緒に倒したら?」
「それをした場合、オレたちはいったい誰に、休戦を提案するんだ?」
「あ」
「そういうことだ。他に何もなければ、これで――ん?」
ヌイが瞳を輝かせながら、両手でオレの手を取った。
まるで師匠を崇拝する弟子のような目つきだ。
「ジロー。すごい」
相変わらず表情は薄いが、心なしか声色が興奮している。
ああ、いつもながらこいつの手、小さいな。
いやいや、いかん。
この場のオレは賢くも冷静な軍師だ。
悪い気分じゃないが、ここはやんわりと手を引いて、ヌイの尊敬の眼差しから逃れるのが吉だ。
見ると、ミッケが唇を尖らせながら腕組みをしていた。不満そうだ。
「まだ質問があるなら、受け付けるぞ?」
「……ないわ。あんたを褒めるのが悔しいだけ」
ミッケはじろりとオレを見た。
「あんたが若くして宮廷魔法使いになれたこと、今なら理解できる。ブゼラ大臣が、あんたを排除しようとした理由もね」
オレは顔を顰める。
未だにいい記憶ではない。
「いい意味で、ずる賢い。知恵の回る卑怯者ほど、厄介なものはないわ」
「それ褒めてるのか?」
「精一杯ね」
「まあ、オレの武器は考えることだからな?」
オレが言い返すと、ミッケは表情を一変させ、軽快に笑った。




