ミッケ
オレは深夜の城内をうろついていた。
ウサウサを持ち運ぶための適当な入れ物が、いまいち見つからない。
麻袋では目が粗く、液体を入れるには不向きだ。
かといって大きな皮袋など、都合よく置いていないものだ。
「……む?」
薄暗い階段を上り、2階に差し掛かると、ある一室から明かりが漏れ出ていた。
光量と揺らめき具合から、ロウソクの灯火だろう。
あそこは確か、例の変態吸血鬼の部屋だったはずだ。
オレは何となく足音を忍ばせて、扉に近づいた。
案の定、あるかないかの隙間から話し声が聞こえる。
「……で、マグライア。あんたが人間の狩人に追われてるところを、ヌイ様に助けてもらったのよね。それで、そのままこの城に居付いちゃった。懐かしいわ」
「やめてくれたまえよ、ミッケ。誰かに助けてもらうなど、誇り高い吸血鬼にとっては、屈辱以外の何物でもないんだからね。魔王様だから許すけどさ」
ミッケが小さく笑う気配が伝わってくる。
どうやら昔話に花を咲かせているようだ。
聞き耳を立てるのも趣味が悪いな。
「さて、ミッケ。珍しく回りくどいね。あのジローとかいう人間のことだろう?」
立ち去りかけたオレの足が、その言葉で止まる。
オレがどうした?
「ん……まあね。ここしばらくヌイ様、ジローにべったりで」
「魔王様は、あの人間のことをいたくお気に召しているようだね。ボクは嫌いだけどね」
「ジローは博識よ。そこは認めざるを得ないわ。気が小さいくせに態度が大きいのは、気に入らないけど」
「人間なんてそんなものだろう?」
「そうね……」
立ち聞きをしておいて何だが、どうにも居心地が悪い。
とはいえ、今すぐこの場を離れる気にもなれない。
「あたしね。まだヌイ様が小さかった頃のこと、初めてこの城にやってきたときのことを、昨日のことのように思い出せる」
「へえ」
「魔王の力には不釣合いなほど、危なっかしい子だった。ずっと魔王城に住み着いてたあたしは、すぐにヌイ様を主として認めたわ。この人に仕えようって」
「何となく想像はできるね」
「ヌイ様に初めて、桃の砂糖漬けを買ってあげたときのことも、よく覚えてる。年相応にすごく喜んでくれて……。あたしはずっと、そんなヌイ様を守りたいと思って」
「きみは努力家だからね。普通のブラウニーとは比較にならないほど強いさ。毎日欠かさず、武の鍛錬を積んでいるのも、ひとえに魔王様のためだろう?」
「ええ。でも、ヌイ様は……」
「知識欲が旺盛な方だし、何よりその手の会話に飢えている。きみよりも、あの人間のような者に、惹かれるのかもしれないね」
「ん……」
ミッケの声が沈んだ。
「あたしじゃ、知的な話なんてできないし」
ミッケの声が掠れた。
「このままヌイ様を、取られちゃうのかな……」
ミッケの声が、僅かに潤んだ。
「あたし、もういらないのかなぁ……」
……。
ヌイに頼りにされている。
それがミッケの誇りなのだろう。
ヌイに頼りにされたい。
その切望が、ミッケの力の源なのだろう。
「ま、ボクじゃ話を聞くことくらいしかできないね。これはきみの問題さ」
「ええ……」
ミッケの声は、もう聞き取れないほど小さくなっていた。
オレは静かに、その場を離れた。
マグライアの言う通り、これはミッケとヌイの問題だ。
オレは何も聞かなかったことにするほうが無難だろう。
しかしヌイは、こういった心の機微に疎い。
どれだけ強い意志と使命感を秘めていても、心はまだ子どもだ。
とはいえ、オレがわざとらしく気を遣ったところで、ミッケの機嫌を損ねるだけだ。
さて……。
「あー、困ったなあ」
オレが井戸の前で右往左往していると、コカトリスと戯れていたヌイが、案の定やってきた。
「ジロー?」
「おお、ヌイか。いや、ついさっき、空で2羽の鳥が争っていてな」
「うん」
オレの視線に釣られるように、ヌイも曇り空を仰いだ。
「見ていると、負けたほうの1羽が墜落して、井戸の中に落ちた」
「井戸の蓋は?」
「なぜか外れていた。どうせゴブリンあたりが、井戸を使った後、蓋をし忘れたんだろう」
「困る」
「全くだ。井戸ってのは城の生命線だが、そのくせ掃除をするとなると、馬鹿みたいに手間がかかる」
「したことない」
「だろうな。井戸をいったん完全に干上がらせてから、人を投入して内側を綺麗にするんだ。もちろん、途中でゴミが入り込んだら、最初からやり直しだぞ。1日かそこいらで終わる作業じゃない」
「めんどくさい」
「めんどくさいんだ」
「どうしよう、ジロー」
「オレも困る。鳥の死骸を取り除くだけならまだしもな。どうすればいいだろう?」
ヌイは考え込むように、小さく首を傾げた。
「ミッケなら」
「おー、それは名案だ。あいつのお掃除魔法なら、ホウキの一振りで何だって綺麗になるからな」
「ミッケにしかできなさそう」
「同感だ。オレはちょっと忙しいから、悪いがミッケに頼んでくれないか?」
「うん」
「ああ、ヌイ」
すぐに歩き出そうとするヌイを、オレは呼び止めた。
「ん」とヌイが振り返る。
「水はオレたち全員の生命線だし、ミッケだけが頼りだからな。ちゃんとそう伝えてくれ」
「? うん」
ヌイは素直に頷くと、水場から姿を消した。
……まあ、こんなものだろう。
ミッケがいなければ、この城は成り立たない。
ヌイも充分、ミッケを頼りにしている。
それをほんの少し、思い出すだけでいい。
「今日は珍しく、陽が射すかもしれないな」
ローブを翻して、オレも裏庭を後にした。




