魔王の正体
丈の低い草が、どこまでもなだらかに広がっていた。
魔王城の北部は、見晴らしのいい草原だった。
踏み固められた部分もろくになく、道と呼べそうな場所は見当たらない。
「ウサウサ、弾め」
「えい~」
水性の身体が凝縮したかと思うと、弾力を帯び、草地を跳ねて転がる。
速くはない。
「ウサウサ、粘性になれ」
「やあ~」
溶けるようにどろどろの水溜りに戻り、のたくる。
遅い。
「最後に、耐性の実験だ」
腰からナイフを抜いて、ウサウサの水性体に突き立てる。
刃が抵抗なく沈み込んだ。
「痛くないです~」
さすがはスライム。
武器に対しては強い。
まあ火に弱いんだが。
「充分に動けるようだな。どっちかというと、弾んで移動したほうが速そうだ」
「あれ疲れるんです~」
「そうなのか?」
「ずっと力んでないといけないので~」
「水のくせに、何をどう力むっていうんだ……」
「あ~、ご主人様ひどいですぅ~」
身体の一部を触手のように伸ばして、抗議らしきものをするウサウサ。
うーむ、スライムにはスライムなりの苦労があるようだ。
「ウサウサ、懐いてる。いい子」
オレの後ろをついてきているヌイが、ぽつりと感想を述べた。
「はい~。いい子です~」
「自分で言うな」
「うぅ~」
「だがまあ、オレが作った以上、役に立たないはずがない。期待しているぞ」
「はい~!」
ウサウサは身体全体を、ぷるぷる震わせている。
喜んでいるのだろう。
多分。
「しかし……。ウサウサはどうやって、オレを主として認めたんだ?」
「はい~?」
「いや。オレが主として相応しいかどうかなんて、わからないだろう?」
「んん~? ご主人様は~、ご主人様ですよ~?」
「ふむ……?」
「ジロー」
オレが首を捻っていると、ヌイが後ろから話しかけてきた。
「魔法生物は、自分を作った人を、ただ主として認識する。それだけ」
「なるほど。認める認めないに関係なく、始めから主って事実だけがあるわけだ」
「うん」
「とすると、ろくでもない主に作られたヤツは不幸だな」
「魔法生物は、主に従ってる限り、不幸を感じない。例外は一つだけ」
「例外?」
「捨てられたとき」
「ああ……」
オレは改めて、足元のウサウサを見遣る。
ヌイと会話していることに配慮してか、静かにしている。
従順なうえに賢いな。
「ウサウサ」
「はい~?」
「オレはお前を、捨てないからな」
「うぅ~!」
「うおっ、どうした」
ウサウサが、オレの足にずるずると絡み付いてきた。
「嬉しいお言葉です~。一生ついていきますぅ~」
「そ、そうか。とりあえず離れてくれ」
「いやです~。くっつきたいんです~」
よっぽど嬉しかったらしい。
まあいいか……。
「命を作り出すってのは、こういうもんか。妙な感じだな」
「ジローは上手にできた」
「そりゃあ僥倖だ」
オレは一つ咳払いをする。
いい機会だ。
ずっと気になっていたことを聞いてみよう。
「なあ、ヌイ」
「ん」
「魔王はどうやって生まれるんだ? まさか作られたわけでもないよな」
「私は人間」
「……何だって?」
オレは目を剥いた。
いったいどういうことだ?
「普通に人間の町で、人間として生まれた。魔王の血が混じってただけ」
「ということは」
「うん。魔王の血が混じった人間。それが魔王」
驚いた。
しかし、頭のどこかで予想していたことでもある。
この魔王は、人間の少女でもあるのだ。
「小さい頃、魔王の血が目を覚ました。すごい力を得た。魔王になった。先代魔王が建てた魔王城に来た」
いつの間にか、ヌイが隣を歩いていた。
草と衣が擦れる音がする。
「魔物を助けるようになった。勇者が来るようになった。もっと魔物の味方をするようになった。もっと勇者が来るようになった。そういう生活」
ヌイの横顔は冷淡で、感情を読み取れない。
「しかし、そうなると疑問が出てくる。なぜ人間として生まれたのに、魔物の味方を?」
「……。小さい頃から、人間より魔物に興味があった。魔物に襲われたこともない。魔物とばかり遊んでた。魔王の血のせいかも」
「なるほどな」
ヌイが一瞬だけ言葉を濁したことに、オレは気づいた。
今、語った以上の想いを、ヌイは心のうちに秘めているのだろう。
大体、人間が魔物をどう扱うかなど、今更言及するまでもない。
ヌイ自身も、そしてヌイの友達だった魔物たちも、幸せな結末など迎えなかったに違いない。
そこでオレは、はたと思い当たる。
「よく考えたら、聖剣シバで斬られても、ヌイは死にはしないんじゃないか? 魔王の血が浄化されたとして、人間の血は残る」
「魔王の血は、力の源だけじゃなくて、命の源でもあるから、ダメだと思う」
「そうか……」
都合よくはいかないものだ。
そうして、いつしか小さな影が、隣から消えていることに気づいた。
ヌイは、ぼんやりと立ち止まっていた。
オレは半身を傾げ、ヌイを見下ろした。
「ジロー。魔物が理不尽に襲われない大陸にしたい。魔法でできる?」
「……」
しばらくヌイを見つめてから、オレは口元を緩めた。
「全く、ヌイはオレといると、質問ばかりだな」
「ダメ?」
「いいや。出来のいい妹と話しているようで、悪い気はしない」
「私、兄弟いない」
「いなくてもいい。魔法はオレたちの夢を叶えてくれるが、限界がある。だから別の方法を、今度一緒に考えてやる。ほら」
オレは左手を差し出した。
黒い瞳を何度も瞬かせてから、ヌイは小さな右手を、オレの手のひらに重ねた。
「お兄ちゃん」
ヌイがぽつりと呼ぶ。
「……むず痒い」
「お兄ちゃんが自分で言った」
「やめてくれ……」
オレは顔を背けると、ヌイの手を引いて歩き出す。
ああくそ、オレの頬は今、絶対に紅潮している。
ヌイの無表情は、魔王として振舞うための分厚い仮面だったわけだ。
だが仮面で感情までは覆えない。
人間としての素顔が見え隠れするのは、今のようなときだ。
「ウサウサ。ヌイの肩に乗ってやれ」
「はいぃ~」
ウサウサがヌイの背中を這い登り、ケープのように肩に巻き付いた。
どろどろしているが、まあ気にならないだろう。
「オレの命令でいいから、ウサウサ、ヌイの友達になってやってくれ」
「はい~。ヌイ様~、よろしくです~」
「ん」
ヌイはどこかくすぐったそうにした。
それから一瞬の躊躇を見せた後、きゅっと手を握ってきた。
「そろそろ戻るか。いつかこうして、人間の町を歩けるといいな」
「うん」
オレもヌイの手を握り返す。
ほんのりとした体温が伝わってきた。
オレたちはゆっくりとした足取りで、魔王城への帰路に着いた。




