準備しよう
「ここよ、図書室。ヌイ様の許可をもらってるとはいえ、汚さないようにね」
オレは適当に相槌を打ちながら、ミッケの先導で室内に足を踏み入れる。
「ほぉ……」
オレは思わず感嘆のため息を漏らした。
薄暗い一室。
中央に小さな木のデスク。
室内はそれなりの広さがあったが、両側の壁にしつらえられた本棚が、部屋全体を狭く見せていた。
何より、本棚にびっしりと並ぶ書物の量ときたら――。
「これはすごいな。全部、買ってきたのか?」
「人間の町から仕入れてきたり、あとヌイ様が自分で書いたりね」
「自分で? いや、聞いてはいたが本当に書物が好きだな……。羊皮紙もまとめ買いだろう? この城に、羊皮紙の製造設備はないしな」
オレは「アカリ」と呟いて、魔法の光球を天井付近に灯す。
ミッケが目を瞬いた。
「この前、ヌイ様に、自分で羊皮紙を作りたいってせがまれて困ったわ。ね、それより気になったんだけど」
「あん?」
「魔法を使うときに発する言葉。ヌイ様もそうだけど、どうしてそのまんまなの?」
「……?」
並ぶ背表紙に指を這わせていたオレは、首だけミッケへと巡らせた。
オレの怪訝そうな視線を受け、ミッケが質問を継ぎ足す。
「ほら、今のアカリとか。あとバクハツとか。わかりやすいけど、別に他の言葉でもいいんじゃないかなって」
「あー。めんどくさいから、また今度ぐえ」
ミッケがホウキで、オレの襟首を突いた。
ケチケチするなということらしい。
こいつも好奇心は人並みにあるんだよな。
いいことではある。
「仕方ないな。せめて代わりに、目的の書物を一緒に探してくれ。魔法生物の作り方が載っていれば、何でもいい」
「……まあいいけど。あんたってそういうとこ、しっかりしてるわよね」
「あいにく、お人好しとは程遠い人柄だからな」
「全面的に同意するわ」
手に取った書物のページが、貼り付いている。
何年も開いていないらしい。
腰の鞘から愛用のナイフを抜いて、ページの間に差し込み、べりべりと剥がす。
こうして見ると、タイトルだけでは中身が不明なものから、そもそもタイトルがないものまで様々だ。
「とはいえ魔法の言葉は、単純な話なんだ。例えばオレは今、頭の中で魔法をイメージしているとしよう。どんな魔法かわかるか?」
「え。わかるわけないじゃない」
「うむ。じゃあ……そうだな。『悠久なるせせらぎの調べ』って言葉を口にしたら?」
「は? って思う」
「じゃあ、『ネムリ』って言葉を口にしたら?」
「眠りの魔法を使われるんだって思う」
オレはゆっくりと頷く。
「そういうことだ。わかりやすい言葉のほうが、自分が思い描いた魔法のイメージが、相手に伝わりやすい。で、自分のイメージが相手に伝われば伝わるほど、魔法はより強固に具現する」
「へえ……。この前教えてもらった魔法の本質って、そういう意味まで含んでいたのね」
「ああ。ついでに言うと、相手に直接影響を与える魔法は、相手との距離が近いほど効果を上げやすい。眠りとか麻痺とかな」
「何でもいいから、わかりやすい言葉のほうが有利ってことね」
「その通りだ」
つと視線を感じて振り返ると、ミッケがオレをまじまじと見つめていた。
「どうした?」
「ううん、あんたって、その。教え方、上手だなって」
「……そりゃどうも」
オレは目を逸らす。
調子が狂った。
ありていにいえば照れ臭い。
「それより魔法生物の作り方、見つかったのか?」
ぶっきらぼうに問うオレに、ミッケは1冊の書物を差し出した。
「端っこにあったけど、これなんてどう? 不定形魔法生物の創造から育成まで」
「まさしくだな。詳細な作り方が載っているといいが」
オレは受け取った書物を、デスクに広げた。
ミッケが横から覗き込んでくる。
「何々、魔法生物の特性……。前半は飛ばそう。作り方がわかればいい」
「ていうか不定形でいいの?」
「特定の形がないほうが、都合がいい。オレたち定型生物にできない仕事を、やってもらえるし」
「ふぅん……」
目的の書物は見つかったが、ミッケはまだ付き合うつもりのようだ。
まあいい。
知的好奇心と勉学心は、いつだって尊重されるべきだ。
「まずは風の魔法生物あたりから見ていくか。どこにでも入り込めるし、移動も速いし、武器で殴られても効かないだろうしな」
文字を読むのは得意なほうだ。
素材や作り方のページに、目を走らせていく。
「……なあミッケ。吹き止まない風の鼓動、って何だ?」
「何それ」
「いや、素材らしいんだが、生まれてこのかた聞いたこともない」
「えーっと……。もう少し、初心者向けのにしたら?」
「そ、そうだな。オレならどうにかできそうだが、何せ、魔法生物の作成は初めてだからな」
「むしろあたしは、その意味不明な自信がどこから来るのか気になるんだけど」
更にページを繰っていく。
「どうでもいいが、これ、間違いなくヌイの著作だよな。王都の魔法研究所にさえ、こんな内容の書物はなかった」
「そうね、ヌイ様の字だし。丁寧に書いてあるわね」
インク文字が羅列してある羊皮紙の表面を、オレはゆっくりと撫でる。
元が羊の皮だけあって、滑らかな中にも、ごく細かなざらつきを感じる。
魔法学校にいた頃から、知識の集大成である書物を、オレはこよなく好いていた。
「あっ、ジロー。これなんてどう? 水性魔法生物だって」
「いわゆるスライムか。何々、お湯にノリ液を入れ、水にホウシャ粉を入れ、両者をよく混ぜる。また、作成者の血を一滴加え、水性の魔力を……」
「ノリ液って、ノリの木の樹液のこと? それなら1階の倉庫にあるわ」
「あるのか、品揃えがいいな」
「でも、ホウシャ粉って?」
「ホウシャ草を干して砕いたものだ。魔法薬に使うものだったと思うが、オレも詳しくない」
「それはさすがに、魔王城にあるかしら」
「ううむ」
ミッケも知らないとなると……いや、話は簡単だ。
「著者に聞けば早いじゃないか。ヌイの部屋に行こう」
「……あんた最近、ヌイ様に馴れ馴れしくない?」
何やら恨みがましい目をするミッケ。
「そうでもないと思うが。協力を仰ぐにせよ、きちんとヌイの同意を得ればいいんだろう?」
「まあね……。でもヌイ様、絶対、一も二もなく頷くと思う」
「だといいがな」
なぜか唇を尖らせるミッケを、半ば引っ張るようにして、オレは図書室を後にした。
「これ」
ヌイが棚から、青銅の小瓶を取り出した。
大変に協力的だ。
ミッケが、ほらやっぱりと天井を仰いでいる。
「まさかヌイが、ホウシャ粉そのものを持ってるとは」
しかしよく考えれば、スライムを作った経験があるからこそ、ヌイはああいった書物を著したのだ。
その本人が材料を持っていないほうが不自然だ。
「このホウシャ粉、借りていいのか?」
「あげる」
「助かる」
「私も見学していい?」
「面白いもんじゃないと思うが……。なら、早速行くか」
「うん」
ヌイと連れ立って退出しようとしたところで、ミッケが押し黙っていることに気づいた。
「どうした。一緒に来るか?」
「……ううん、あたしはいいわ」
薄暗い視線をオレに向けてから、ミッケは目を伏せた。
「ジロー、早く」
「お、おう」
ヌイに袖を引かれて、オレは部屋を出た。
最後に一瞥したとき、ミッケは俯いていた。




