誰が守ってくれるの?
「こんな丘の中腹に、遺跡があるなんてな。朽ちてボロボロだが」
転送陣のあった廃墟から抜け出て、オレは周囲を見渡した。
なだらかな草原を一望できる丘陵地帯だ。
空には、灰色の雲が薄く広がっている。
おぼろげな形ながら、太陽を確認できた。
「盗掘されきった遺跡だから、誰も来ない。発見されにくい」
「なるほどな。ヌイはこうして、各地で魔物たちを助けてるのか?」
「人間の被害にあってる魔物だけ。魔物同士の争いには関わらない」
ヌイが「こっち」と先導する。
オレはヌイと並んで歩き出す。
草を踏みつける柔らかな音が、風の音にかき消されていく。
「急がなくていいのか?」
「しばらく歩くから」
急ぐと逆に、着く頃にはバテてしまうということか。
少しの間、オレたちは無言で歩を進めた。
オレは隣のヌイをちらりと窺う。
横顔はいつもの通り、白くて、無表情で、何を考えているのかわからない。
大きな黒い瞳が、ただ前方を見据えていた。
「本当は魔王ってもっと、居城でふんぞり返っているもんだと思ってた」
ふと、そんな言葉が口をついて出た。
「だから、あー、つまり」
二の句を迷う。
オレは何を言おうとしたんだ?
「人間は」
ヌイの唇から、つと小声が漏れた。
オレは顔を上げるが、ヌイの表情に変化はない。
「人間は、国が守ってくれる」
「え、ああ、そりゃあな……」
「犯罪があっても、法律が守ってくれる。魔物に襲われても、兵士や勇者が守ってくれる」
オレは口をつぐんだ。
ヌイが今言ったのは、当たり前のことだ。
人間ならば、アマニール王国の民ならば、ごく当然に享受できる権利。
「じゃあ、魔物たちは誰が守ってくれるの?」
「……」
ヌイの問いに、オレはとっさに答えられなかった。
人間と魔物、ただ立場を反対にしただけで、全く違う。
人間ならば当たり前に受けられる庇護が、魔物にはない。
「だが、それは魔物が人間を襲うから……」
オレは生まれも育ちも人間だ。
だから反射的に、人間を擁護する発言を口にした。
「何年も前。山脈の北部にあったコボルトの集落が、人間の軍隊に滅ぼされた」
ヌイは歩調を変えずに歩いている。
視線の先も、ただ前方に向けられている。
「金属の武器や装飾品、日用品のために、人間は鉱石をほしがる。鉱山を作るために、コボルトの集落が邪魔だったみたい」
「そのコボルトたちは……」
「ひっそりと、そこで暮らしてただけ」
「……だが」
言いかけたオレを、「わかってる」とヌイが制した。
「ゴブリンの盗賊が、人間の商隊を襲ったりしてる。偶然オーガーに目をつけられただけで、小さな村が跡形もなくなったりしてる」
「……お互い様って言いたいわけか」
「うん。でも人間は、魔物が一方的に悪いと思ってる。だから――」
ヌイがオレを見据えた。
吸い込まれそうな黒曜石の瞳。
「善いときも、悪いときも、魔王は魔物の味方。それが、魔王の血を授かってる私の役割」
ああ、そうか。
こいつの魔王としての意志は、その強い使命感から来ているんだ。
魔王として生まれたからには、その役割を全うしようと。
自分がどういう生を受けたとしても、目を逸らすことなく受け入れているヌイ。
自らの境遇をきちんと理解したうえで、慢心も悲観もすることなく、それをあるがままの人生として受け入れている――。
「どうしたの?」
気がつくと、ヌイが下から覗き込むように、オレの顔を窺っていた。
「いや、何でもない」
オレはかぶりを振って思考を追い出す。
心の中に、自分でも形容しがたい感情が生じ、オレはヌイの頭に手のひらを乗せた。
柔らかな黒髪の感触。
「ジロー?」
ヌイが目を瞬かせた。
「確かにオレは人間だ。だから基本的に、魔物は好きじゃない」
いつの間にか、オレもヌイも立ち止まっていた。
ヌイは、今は少しだけ、不思議そうな表情をしている。
「だが、魔物が無条件で人間の敵という先入観は、なくなりつつある」
ヌイが大きな瞳でオレを見つめている。
「それはあの城で過ごしている日々の蓄積であり……。きっと、お前のおかげでもある」
オレはヌイの視線を振り切るように、顔を背ける。
誰かの影響で、多少なりとも自分が変わったことを認めるのは、我ながら気恥ずかしい。
「……ん」
見下ろすと、ヌイがむず痒そうにしていた。
オレはヌイの頭を一度だけ撫で、手を離す。
「でも、だからって、魔物全部を好きになったわけじゃない。勘違いするなよ」
「……」
ヌイは何も言わなかったが、あるかないかの表情が、少しだけ和らいだように見えた。
「……ふん。行くぞ。足を止めたぶん、急がないとな」
そう促すと、ヌイは「ん」と頷いて歩みを再開した。
今話したいことはもうない。
オレも黙って、ヌイに並んだ。




