ジロー・アルマ
『……』
小さな男の子が佇んでいる。
子どもの頃のオレだ。
ああ、つまりオレは、昔の夢を見ているんだな。
田舎にある小さな村だった。
両親は、イモと麦を細々と育てる貧しい農民だったから、末っ子のオレを口減らししたいと考えても、誰も責めようとはしなかった。
だからまあ、偶然にも村を訪れた王都魔法研究所とやらの所員に、オレが安値で売られたのは、奇遇であり必然だったのだろう。
子どものオレにはついぞ理解できなかったが、オレはどうやら、魔法の素養を見込まれて買われたらしい。
王都の魔法研究所に併設されている魔法学校に放り込まれた。
同年代や年上の子どもが、何十人もいた。
大半が裕福そうで、貴族や商人のご子息が幅を利かせていた。
王城仕えの魔法使いの息子とやらもいたっけな。
文字の読み書きから始まり、魔法の学び方、魔法の歴史、薬草学なんてものまで教えられた。
ワンドの作り方はまだ習わなかったが、仮ワンドとして、短い木の杖が全員に与えられた。
効率的な育成のためとかで、運動の時間も多く取られた。
屋内にこもりがちだと、想像力の不足を招くらしかった。
『うわああん!』
ほどなくして、オレはいじめの対象となった。
運動の不出来が致命的だった。
子ども同士の小さな世界では、基本的に、身体がでかくて運動のできるヤツが偉い。
今思えば何のことはない、魔物と大差ないわけだ。
非力で体格にも恵まれず、更に貧しい生まれを気にして、遠慮がちな子どもだ。
格好の餌食だったことだろう。
攻撃対象を見つけた子どもの集団は、大人が想像する以上に残酷で、陰湿だ。
大人は勉強を教えてくれたが、子ども同士の交流には口を出さなかった。
いじめっ子たちはそれを理解していた。
殴られたり蹴られたりして、オレは泣いた。
追い回され、服の中に虫を入れられて泣いた。
雑草を無理やり食べさせられ、泣いた。
珍しい薬草を記録した羊皮紙を破かれ、泣いた。
オレが何をしたんだろう。
わからなかった。
いつまで続くんだろう。
それもわからなかった。
『うっ……ひっ、ひ、ぐ……っ』
オレはしばらくすると、泣き声を押し殺すことを覚えた。
喚いても、いじめっ子たちを喜ばせるだけだと気づいたからだ。
この頃になると、オレはもう理解していた。
いじめに明確な理由などないのだ。
むしゃくしゃしているときに、たまたま弱そうなオレがいたから殴った。
オレの泣く姿が、そいつらにとってはたまたま面白い反応だった。
オレからの反撃がないことも確認した。
じゃああとは、周りのみんなと一緒に、オレというおもちゃで遊ぼう――。
そんな折、1人だけ、オレに優しくしてくれる女の子がいた。
商人の娘だった。
ときどきパンを一緒に食べてくれたし、ありふれた世間話に付き合ってくれた。
麻靴が捨てられたとき、手分けして探してくれた。
オレへのいじめは止まなかったが、それでも勉強する意欲を維持できた。
羊皮紙を破られても、もう1枚、同じものを書き直した。
慣れもあったが、泣く回数が減ったのは、やはりその女の子のおかげだった。
恋心と呼べるものではなかったが、オレはその女の子を、心のどこかで支えにしていた。
そうして一つの季節が過ぎた。
オレは精一杯の感謝を込めて、採取した中で一番貴重な薬草を、その女の子に贈った。
『……』
罰ゲームと呼ばれるものだったらしい。
いじめられっ子に優しくして、その反応を見て陰で笑うのが、一部の女子たちの遊び方だった。
いじめっ子たちに隠された靴を、手分けして探してあげるフリをして、隠れてオレを見物していたときは楽しかったと言っていた。
女の子に薬草を贈るときの、必死な表情ときたら、可笑しくて息が詰まりそうだったらしい。
でも貴重は貴重だからと、せっかくあげた薬草は、女子の誰かが持ち去った。
『……』
オレは男女問わず、人間を嫌いになっていた。
ましてやいじめっ子たちには、憎悪すら抱いた。
オレは誰とも口を利かなくなり、勉強にのめり込んでいった。
その傍ら、歪んだ妄想の世界に浸るようになっていた。
あの身体のでかいいじめっ子を燃やしてやりたい。
家来のように付き従ういじめっ子を、気の済むまで殴りつけたい。
あっちの腹が出っ張ったいじめっ子を、押し潰して肉塊でもしてやりたい。
心底から望んだ。
それほど憎悪していた。
だからオレの妄想は、誰よりも執念に満ち、誰よりも具体的だった。
妄想の中で、いじめっ子の肌は爛れ、肉の焼ける臭いが鼻を突き、炎が空気まで焦がした。
いじめっ子は苦悶の形相で地面を転がり、両手が喉をかきむしり、やがて黒ずみ、動かなくなった。
歪んだ妄想は、もはやオレの思考の一部になっていた。
そして、妄想が具現化するまでに、そう時間はかからなかった。
半ば事故ではあった。
焼け焦げたいじめっ子の死体を前にして、オレは自分のしでかしたことに震えた。
それでも大人たちは、オレのことを天才だと褒めた。
オレは魔法使いになった。
『……』
思えば、見習い魔法使いの集団に杖まで持たせた時点で、大人たちはこういった事態を想定していたのだろう。
オレは人を殺したが、形式的な注意を受けただけで、実際はお咎めなしだった。
人を殺すのは倫理に反するが、例外もある。
オレの価値観に新たな認識が加わった。
教えられる内容は、魔法の学び方から、魔法の使い方に変わった。
周囲の反応も変わった。
いじめはなくなり、怯えと羨望がない交ぜになった視線を、遠巻きに感じるようになった。
稚拙な子どもの上下関係から脱出できた。
腕力に頼ることなく、他者より上位の存在になれた。
ズタズタだったオレの自尊心は、少しだけ形を取り戻した。
いじめっ子の1人が、媚びるような笑みでオレに謝ってきた。
許してやるからもう近づくなと告げると、いじめっ子は頭を垂れて従った。
オレの自尊心は、歪に成長した。
魔法使いになってからのオレは、大変に優秀だった。
この年齢で、これだけはっきり、かつ理路整然と魔法を具現化できる者は、極めて稀らしい。
やがてオレは、魔法学校から王都魔法研究所に編入した。
『……』
作物の育成を早める魔法の研究に、四苦八苦している所員がいた。
それを尻目に、オレは畑の元気を取り戻す魔法を提唱した。
畑は一定期間ごとに、作物の育成をせずに休ませないと、土が元気を失って作物が育たなくなってしまう。
そこで魔法によって元気を取り戻させれば、畑を休ませることなく、連続して使用できるわけだ。
いくつかの功績が認められ、オレはとんとん拍子に地位の階段を駆け上った。
周囲の羨望と嫉みに、心のどこかで怯えながらも、確かな愉悦を感じていた。
この頃からオレは、尊大で図太い外面を演じるようになっていた。
歪に成長した自尊心は、オレから素直さを奪った。
優越感を追い求め、感じ続けることで、胸のうちに根付いた臆病な心に蓋をした。
他者からは、知識と才能に裏打ちされた、確かな自信を持つ少年と映っていたことだろう。
間もなく魔法研究所の所長が、オレのために推薦状をしたためた。
そうしてオレは、史上最年少にして、宮廷魔法使いに抜擢された――。




