侵入者
「今日もコカトリスたちは、こともなし、と……」
朝の餌やりを終え、ぐっと腰を伸ばす。
相も変らずの空模様だが、雲の色が濃い。
湿気をはらんだ空気が、微かに鼻孔をくすぐる。
裏庭から城内に戻ろうと、木扉を引き開ける。
「……は?」
目の前に、見知らぬ男が立っていた。
軽装で、荷物袋を背負い、徒手空拳で、何より明確な敵意を感じられ――。
「ぐえっ……!?」
先手を打たれた。
喉に手刀を叩き込まれ、オレはえずいて唾液を散らした。
痛い。
苦しい。
何より声が出せない。
――まずい。
オレはそれでも、後退しつつ腰から杖を引き抜いた。
しかし男の追撃が速い。
拳が、今度はオレの鼻っ柱を強打した。
「あ……っが!」
鼻血が溢れ、呼吸が制限される。
オレの口が、打ち上げられた魚のように開閉した。
ぼやける視界の向こうに、男が3撃目の拳打を構えている。
何だ、何なんだ。
こいつは手馴れている。
素手で人を、静かに殺すことに長けている。
このままではオレは、次撃で無力化され、その次で殴殺される――。
不意に男が、大きく飛び退った。
それを追うように、オレの視界をホウキが横切る。
「ジロー!」
ドレススカートの裾が、大きく弧を描く。
ミッケが割って入った。
オレを庇うようにして、男を睨みつける。
「ク――」
男が低い声で嘲笑した。
「魔物が他者を庇い立てとは、片腹痛い」
「盗掘屋風情に、言われたくないわ」
「……盗掘屋?」
オレはおうむ返しに疑問を口にする。
まだしゃがれていたが、ようやく声が戻った。
袖口で鼻血を乱暴に拭う。
「そうよ。分相応に、朽ちた遺跡や墓を相手にしていればいいのに、思い上がって魔王城に手を出す愚か者が、たまにいるのよ」
ミッケが吐き捨てながら、ホウキを槍のように繰り出した。
男は後退し、巧みにそれをやり過ごす。
なるほど、盗掘屋か。
それなら単独ってことは有り得ない。
こういった連中は、数人まとまって動くのが常だ。
急いだほうがいい。
「……おい、お前の荷物袋、燃えているぞ?」
「ククッ、気を逸らすなら、もう少し上手く――」
「ホノオ」
オレは杖を振るう。
男の背から炎が上がった。
麻の焦げる臭いと煙。
男が狼狽した。
機を逃さず、ミッケが風のように突進する。
金髪が滑らかに尾を引く。
ホウキが、男のみぞおちに深々とめり込んだ。
「げえ……!」
男が悶絶し、身を折る。
崩れ落ちるそのあごを、続けざまにホウキの先端がかち上げた。
鈍い音。
男が仰向けに倒れる。
完全に昏倒していた。
「ふうっ。あんた、そういう小賢しい真似、上手いわね。でもありがと」
「悪かったな。魔法使いに殴り合いを期待しないでくれ」
「してないけど、それにしてもやられすぎよ」
「……そうだな」
まだ痛みの残る喉をさする。
不意を打たれた魔法使いは弱い。
わかってはいるが情けない。
いや、それより。
「ミッケ、お前、強いのな」
「この魔王城に、戦えない魔物はいないわ。それより2階に行くから、着いてきて」
そう言うと、ミッケは答えも聞かずに走り出す。
オレも気を引き締めて後を追う。
城を半周回り込むと、金属音とくぐもった悲鳴が耳に届いた。
オレたちは1段飛ばしで、2階への大階段を駆け上った。
広間に通じる大扉の前で、2人の盗掘屋と4匹のゴブリンが――いや、1匹倒れたから残り3匹のゴブリンが、戦闘を繰り広げていた。
劣勢だ。
盗掘屋はそれぞれ、盗賊風と剣士風だった。
盗賊がダガーをフェイントに使い、剣士が決定打を放つ。
ゴブリンがもう1匹、もんどりうって倒れた。
そこにミッケが、横合いから割り込んだ。
ホウキを大きく薙いで、盗賊を後退させる。
「ちいっ、新手か!」
盗賊の舌打ちに呼応するように、剣士が躍り出て、長剣を振り下ろした。
ミッケはホウキを傾け、滑らせるように剣撃を受け流す。
その洗練された動きに、オレはしばし目を奪われた。
盗賊がゴブリンをあしらいつつ、側面からミッケに接近しようとする。
オレは気を取り直し、杖を突き出した。
「イカヅチ!」
周囲を巻き添えにしないよう、極小の雷撃を放つ。
盗賊がぎゃっと悲鳴を上げて麻痺した。
ミッケはと見ると、身を屈めて剣士に足払いを決めていた。
転がるその姿に2匹のゴブリンが群がり、棍棒を振り下ろして滅多打ちにした。
鈍い音が断続的に響き、剣士の頭蓋が歪む。
剣士は頭を抱え、血に塗れながら悲鳴を上げた。
人間が、魔物に撲殺されている。
人間としての嫌悪感が、突発的に湧き上がる。
反射的に目を逸らしたオレの視界に、人影が映り込んだ。
階下だ。
「下にまだいる。ミッケ、そこの盗賊は任せた!」
「いいけど、油断しないでよ!」
目の前の光景を直視するのは、気が進まなかった。
人影を追う必要もあった。
両方の理由から、オレは急ぎ足で階段を下った。
素早く左右に視線を走らせる。
いた!
通路の角に、杖を持った魔法使いの男。
何やらガーゴイル像にしがみついている。
おいおい、その重量を1人で持ち運ぶ気か?
オレは早足で距離を詰めにかかる。
魔法使いの男が、はっと顔を上げてオレに気づいた。
逃がすものか。
「イカヅチ!」
魔法使いの男は、軽い身のこなしで転進した。
オレの稲妻が虚しく石床で弾ける。
魔法使いの男は、足音を響かせて通路を走っていく。
あっちは裏庭方面だ。
オレも追いすがるが、ああくそ、相手のほうが健脚だ。
距離が開く。
「フブキ!」
「シップウ!」
視界が一瞬、白く覆われる。
オレは突風を発生させて氷雪を押し流したが、裏庭に続く木扉が揺れていた。
外に脱出されたようだ。
オレが裏庭に到着したときには、魔法使いの男はとっくに姿を眩ましていた。
コカトリスがぎゃあぎゃあと騒ぐ声が、耳障りだった。
「――くっ」
毒づくが、どうしようもない。
非力なうえに足も遅いとは。
自分の不甲斐なさに腹が立つ。
オレが城内に戻ると、通路の端に、徒手空拳の男が転がっていた。
そうだった。
昏倒させてから放置していたのを、すっかり忘れていた。
そこにミッケが、静かな足取りでやってきた。
服の端々に、赤いものが付着している。
返り血だろう。
「すまん。魔法使いだったが、取り逃がした」
ミッケは呆れたように嘆息するが、何も言わなかった。
オレはいらっとした感情を抑えた。
どう考えてもオレの落ち度だ。
言い訳をしても見苦しいだけだ。
代わりに、ぞんざいに言葉を重ねる。
「そっちは? ゴブリンが2匹やられたが」
「間に合わなかったのが悔やまれるわね。盗賊と剣士は両方とも死んだわ」
ミッケは肩を竦めると、床に倒れている男に近づいた。
「どうするんだ?」
「どうって、首を捻るわ。あたし、刃物を持っていないもの」
「いや……。そうか、殺すのか」
考え方に根本的な差異があることを、今更ながらに再認識し、オレは背筋が冷えた。
殺すか否かを考慮したオレとは違い、ミッケはすでに、殺すことを前提に話をしていた。
「ねえ、ジロー」
腰に手を当て、ミッケはオレを見据えた。
裏表を感じさせない真っ直ぐな瞳に、オレは圧倒される。
「あたしたちは魔物だからね。人間は嫌いだし、まして敵なら殺すわ」
「……なぜ、そうまでして人間を嫌うんだ? 人間が魔物を脅かすからか?」
「そうよ。身勝手な理由で、魔物の領域を蹂躙するんだもの。それに、魔王たるヌイ様の望みもあるから」
「ヌイの望み?」
「ええ。魔物が人間に脅かされない大陸。ヌイ様はそれを目指してる」
だから、とミッケはよく通る声で付け加えた。
「ヌイ様のために、人間を減らすことを、あたしは躊躇しない」
「ああ――」
そうか。
ミッケの射抜くような視線を受けて、理解した。
こいつは魔王城の使用人にして、魔王最大の忠臣だ。
力にかしずき、庇護を享受するために魔王に付き従う、多くの魔物たちとは違う。
ミッケにとっては、魔王のために力を尽くすこと自体が、生きる目的なんだ。
「……お前は、すごいな」
オレは素直な気持ちを吐き出した。
目を伏せて、踵を返す。
「ジロー?」
「悪いが、そいつは任せた。目を覚まさないうちに、殺してやってくれ」
胸のうちに、もやのかかった想いを抱えながら、オレはその場を立ち去った。
オレだって魔物は好きじゃない。
ミッケも例外ではない。
だが同時に、ミッケの心の在り方に、敬意の念を抱く。
こいつは裏表がなく、それゆえに意志が強い。
オレには決して持ち得ないものだ。
……。
少し、眠りたかった。




