魔王城に住む吸血鬼
そこを訪れたのは偶然だった。
見知らぬ部屋の扉を開けると――。
「あ……?」
青年が佇んでいた。
オレの間抜けな声を聞き留めたか、ゆっくりと振り向いた。
窓から差し込む月明かりを照り返し、青年の銀髪が輝きを帯びる。
整った目鼻立ちに白い肌。
金の刺繍が施された衣服は、どこか高貴な雰囲気すら感じさせる。
「……」
青年が何事かを呟く。
真紅の唇が薄明かりに映え、ある種の妖艶さを醸し出している。
「血……」
「は?」
オレはまた間抜けな声で聞き返した。
青年は、そんなオレを緋色の瞳で見つめて――。
「血いいいい!」
「うおおおお!?」
飛びかかってきた!?
何だこいつは!?
オレは慌てて逃げ出そうとしたが、背中から組み付かれた。
華奢な身体つきのくせに、やけに力強い。
オレはもう混乱の極みだ。
「おいやめろ! オレにそんな趣味はない! 待て、話せばわかる背中を撫でるな腰に抱きつくなケツに噛み付くなぎゃああああ!」
短い人生だった。
ろくな最期を迎えないとは思っていたが、まさか変態に襲われて、幸薄い生涯を終えるとは。
生まれ変わったら何になるだろうか。
でもどうせ天国には行けないだろうよ……。
「痛い!」
「うおっ」
唐突に解放された。
オレが引きつった顔で振り返ると、ミッケが立っていた。
持っているホウキで、この変態をぶっ叩いたようだ。
「……何してるの、あんたたち」
ミッケが思いきり呆れている。
ついでにホウキで突っついて、変態を部屋の隅に追いやっている。
こいつすげえ。
「ひどいじゃないか、ミッケ。魔王城広しといえど、ボクにこんな仕打ちをするのは、きみくらいのものだよ」
「はいはい。まず寝起きの悪さを直してから言いなさいね、変態吸血鬼」
「吸血鬼……?」
オレはぽかんとした。
「そうよ。まさかジロー、吸血鬼を知らないの?」
「いや、知ってはいる。いるが……」
部屋の隅で、無駄に銀髪をなびかせている変態を、オレはジト目で見る。
ミッケもため息をついた。
「ええ、まあね。寝ぼけてるときは誰かれ構わず飛びついて、血を吸おうとするのが、こいつの悪い癖よ。いつも変態だけど」
「そうだ、オレもケツに噛み付かれて!」
自分の尻に手をやる。
痛みはないが、牙が食い込んだ跡がある。
ズボンも破れている。
あとで繕わないと。
「安心して。この前こいつ、ヌイ様にも噛み付いてたから」
「それ別に安心できないよな」
「いやあ、さすがは魔王様だったね。嫌がりもせずに血を吸わせてくれたよ。やはり王たるもの、あれくらいの器を――」
「次やったら、その高い鼻を後頭部までへこませるからね」
「ゴメンナサイ」
さしもの変態も、ミッケには弱いようだ。
オレは天井を仰いだ。
「というわけで、マグライアだ。よろしくしてくれたまえ」
「何が、というわけで、なのか知らんが……」
変態、もといマグライアと、ミッケ、オレの3人で、お茶会を開くことになった。
「しかしこの城に、紅茶があるなんてな。ティーカップも青銅製だ。質素なのか豪奢なのかわからないな」
ミッケがわざわざ準備をし、厨房から運んできてくれたのだ。
「ああ、皿やカップの素材は、ボクのリクエストさ。高貴な身分ともなると、木製の杯は受け付けなくてね」
「……高貴はともかく。勇者一向を倒すたびに、質のいい武具が手に入るんだもの。あとはゴブリンたちが、人間の商隊を襲ったりする戦利品ね。結構お金持ちよ、この城」
ミッケが慣れた手つきで順番に、ティーポットから紅茶を注ぐ。
湯気と香りが立ち上り、マグライアが心地良さそうに鼻を鳴らした。
「で。今一番の関心事は、オレが吸血鬼になりはしないかってことだ」
オレが半眼で見遣ると、マグライアは銀髪をかき上げた。
「ならないよ。ボクたちが血を吸うのは、単なる食事さ。眷属を増やすには、逆のことをしないと」
「逆のこと? お、こっちの入れ物は砂糖か。このへんに、砂糖の木なんてあるのか?」
「ケンタウロスの集落の近くにね。彼らは、香辛料の生産に余念がないから助かるわ」
ミッケがわざわざ説明してくれた。
オレはカップを適当にかき混ぜつつ、「で?」とマグライアを促す。
「ふん。人間には理解しにくいだろうけど、吸血鬼にとって、血というのは生命そのものさ。吸った血は、何十年と体内を循環し、命を繋ぎ続けてくれるのさ。人間の乙女の血が、最も長持ちするね」
「人間のオレとしては、聞いていてあんまり気持ちのいい話じゃないな……。つまり、相手を吸血鬼化させるには、自分の体内を巡っている血を、逆に分け与えるってことか?」
「そうさ。生命を分け与えることで、仲間を増やす。道理だろう? 吸血鬼は相手に噛みつくことで、血を吸うほかに、血を与えることもできるのさ」
横目で見ると、ミッケは興味なさそうにティーカップを傾けていた。
魔物にとっては別段、新しい知識でもないのだろう。
「ということはだ。例えばドラゴンに噛み付けば、晴れてドラゴン吸血鬼の誕生か……。想像するだに恐ろしいな」
「やれやれ、これだから人間は。無知も過ぎると罪だよ、きみ」
ため息混じりにかぶりを振るマグライア。
オレがいらっとすると、ミッケが口を挟んできた。
「マグライアは、力関係の話をしてるのよ。あと吸血鬼族は、自分より下位の生き物には、こういう喋り方しかできないから、いちいち気にしないの」
「……力関係?」
オレはマグライアへの反論を、紅茶と一緒に飲み込む。
流れ込む芳香に喉元がすっとする。
「そ。魔物は人間みたいに複雑じゃないの。基本的に、強いほうが偉いし、特殊な力も効きにくい。それだけ」
「うーむ……?」
簡潔明瞭な説明だが、いまいち理解に苦しむ。
オレの表情を汲み取って、ミッケが補足を入れる。
「同じ種族内であれ、違う種族同士であれ、強いほうが偉いの。だから吸血鬼族は、ドラゴンに攻撃したり、逆らったりはしないのよ。正当防衛以外では」
「……強さにもいろいろあるぞ? 心の強さとか、智謀策謀とか」
「そんな考え方をするのは、人間くらいよ。魔物の強さっていうのはほとんどが、腕力とか、特技とか、身体の大きさとか――要するに、戦ってどっちが強いかってことよ」
「なら、特殊な力が効きにくいってのは?」
「そのままよ。吸血鬼の相手を眷属化させる力とか、コカトリスの相手を石に変える力とか。自分より下位の種族には効きやすくて、上位の種族には効きにくいわ」
「なるほど、合点がいった。だからヌイには、どの魔物も逆らえないんだな。魔王が一番上位だから」
「きみ、逆に人間は、弱いほうが偉いのかい?」
「まさか」
マグライアの疑問に、オレは肩を竦めてみせた。
「人間の力関係は、ほぼ立場で決まる。偉い立場に就いたヤツが、偉いんだ。腕力がものを言うのは、子どもの頃だけだな」
「おや? その偉い立場には、どうやって就くんだい?」
「偉いヤツの血縁に生まれたり、偉いヤツと仲が良かったり、優秀さを発揮して偉いヤツに認められたり。いろいろだな」
「へえ。やはり人間も、王が一番偉いんだろうね?」
「ああ。王様が一番上。そのすぐ下に、大臣と将軍がいる」
「何だい、それは?」
「政治部門のトップが大臣。軍事部門のトップが、将軍だ」
「何だかめんどくさいね。これだから人間ってやつは……」
「人間は数が多いから、仕方ないんだ。ちなみに将軍の下には、貴族がたくさんいる」
「ふぅん」
「この大陸は、たくさんの領地に分けられている。で、それぞれの領地を治めている連中が貴族だ。数が多いだけに、大陸全体を王様が一括統治なんて、できっこないからな」
「そもそも大陸の北は、魔物の領域だよ。人間の統治なんて願い下げだね」
そう言ってマグライアは、空になったカップを置いて立ち上がる。
「また寝るの、マグライア?」
「下等な人間は好きじゃないからね。ご馳走様、ミッケ。美味だったよ」
マグライアは優雅な仕草で、衣服の裾を翻す。
金の刺繍が煌き、その姿が空中に溶け込むように消えた。
「……吸血鬼は霧になれるっていう、あれか?」
「ええ。いつもどこで寝てるのか知らないわ」
マグライアのいた空間を凝視するオレに、ミッケは平然と答える。
ついでに質問も向けてきた。
「ねえ。アマニール王ってどんな人?」
「む? そうだな。平凡で、少々気が弱い。わりと大臣に逆らえない」
「大臣は?」
「ブゼラ大臣は、政治能力は優秀だが権力欲が強い。王様に影響力のある宮廷魔法使いを、王城から追い出したこともある。とにかく自分の権力が大事だ」
「……将軍は?」
「そんなに人間の王国が気になるのか? まあライ・ノッサ将軍は、逆に人望がある。質実剛健で、気さくな人物だ。奥方に先立たれてから独身。あと珍しい動物に目がない」
「……あんた、詳しすぎない?」
気がつくと、ミッケが探るような視線でオレを見つめていた。
「魔法使いは博識でないと、格好がつかないだろう?」
「それにしても、王国の仕組みとか偉い人の情報とか……。普通に魔法使いやってるぶんには、知らなくてもよさそうじゃない?」
……どうやら、調子に乗って喋りすぎたようだ。
「無駄な知識なんて、実のところ何一つないんだ。何かを知っているというのは、人間の世界では、それだけで強みだからな」
本題をはぐらかすと、オレは話を切り上げて立ち上がった。
「ご馳走様。ミッケの紅茶、美味かったぞ。よければまた入れてくれ」
「あっ、こら。話はまだ……」
「雑用が残ってるからな」
オレはさっさと退出する。
ミッケの不満げな声も、扉を閉めると聞こえなくなった。
小さくため息を零す。
オレは陰鬱な気分を置き去りにするように、足早に歩き出した。




