魔法のレッスン
3階にあるヌイの自室を初めて訪問したのは、ある昼下がりだった。
情けない話だが、コカトリスに追い回されずに上手く餌だけやる方法を、こっそりと聞きにきたのだ。
ヌイの部屋は広いが、さりとて豪奢ではなかった。
木のテーブルと椅子がしつらえてあり、窓際には柔らかそうなブランケットで覆ったベッド。
もう一方の壁には、ところ狭しと書物や小瓶を押し詰めた本棚と、申し訳程度の衣装棚が設けてあった。
「む、これは……」
そんな中で、壁に立てかけてある黒い杖が目に留まった。
「ヌイのワンドって、魔法使いらしく長い杖なんだな?」
ベッドの隅にちょこんと腰掛けているヌイに、何とはなしに聞いてみる。
「ワンド?」
……。
……。
「いや、えーと」
オレが言いあぐねていると、ヌイは傾げた首を反対側に傾けた。
「……ワンド?」
「まさかとは思うが、ワンドを知らない?」
「うん」
……。
「あら、何してるの?」
そこへミッケが、金髪を揺らしつつ部屋の掃除に現れた。
いつも通りホウキを持っている。
ちょうどいい。
「なあ、ミッケ。ワンドって知ってるよな?」
「何それ?」
「いやいやいや」
こいつら正気か。
だが顔を見れば、2人とも真顔だ。
これはおかしい。
「あー、参考までに聞きたいんだが、お前ら魔法をどうやって発動させてる?」
「えーっと……何を言ってるのかよくわからないけど、感覚で?」
「うん。感覚で」
……。
「ミッケ、そのへんに座れ」
「いきなり何? あたしは掃除の途中で」
「いいから」
オレが目を据わらせて迫ると、ミッケは不承不承、椅子に腰掛ける。
「よし。今から、ものすごく簡単に魔法の授業を始める」
「えっ? そんなの別にいらないわよ」
「面白そう」
なぜかヌイが乗り気だ。
表情は全く変わらないが。
「いいか。魔法使いのくせに、基礎中の基礎も知らないなど、オレの目が黒いうちは断じて許さん! 日没までに、オレがお前らを一人前にしてやる!」
ミッケがめんどくさそうに「えー」と漏らした。
オレは手持ちの杖で、壁をばしんと叩く。
手が痺れた。
「まずワンドってのは、魔法を使うための必須道具だ。例えばヌイの黒杖や、ミッケのホウキ」
それぞれを指差し、語気を強める。
「これを身に着けていないと、魔法使いは魔法を使えない」
「あたし使用人だけど」
「私は魔王」
ミッケはやる気なさそうに、ヌイはどこかわくわくした様子で答える。
「ええい! 魔王だって基本は魔法使いだ。ミッケだって魔法を使ってるんだから同じだ」
「あ。でも言われてみると、あたし、ホウキなしでお掃除魔法を使ったことないわね」
「私も。自分の杖がそばにあると、安心する」
「ていうか、何であたしのワンドがわかったの?」
「それなりの愛着があって、かつ日常的に身に着けているものじゃないと、ワンドにならないからな。条件に合うのは、ミッケの持ち物ではホウキくらいだろう?」
「へえ……」
ミッケが感心したように、自分のホウキを撫でる。
「よし、ヌイ。試しに杖を身に着けずに、魔法を使ってみろ」
「ん」
ヌイは、何も持たない両手をオレに向けた。
「バクハツ」
「今明らかに、オレを狙ったよな!?」
オレは顔を引きつらせた。
魔法は発動しなかったが、内心は恐々だ。
こんななりでも、こいつは紛れもなく魔王だ。
だがしかし、それとこれとは話が別だ。
知識を人に伝授する機会は逃さない。
オレの性分だ。
「ほんとに魔法、使えなかった。ジローの言った通り」
「まさか魔王たるヌイ様が……」
2人がそれぞれ別の観点から驚いている。
「魔法使いとしての力量は関係ない。ワンドを身に着けていないと、魔法は発動しない。魔法使いってのは、そういうもんだ」
「ん。ワンドは弓兵における弓みたいなもの?」
「そうだな、あながち間違ってはいない。どんなに優れた矢があったところで、弓がなければ発射できない」
ヌイのたとえに、オレは頷く。
ワンドという発射機がなければ、どれだけすごい魔法でも、現実世界に射出されないのだ。
「ヌイは賢いな」
オレが褒めると、ヌイは首を縮こませた。
もしかして照れたのだろうか。
「なっ、何よ! あたしだって大体はわかったわよ?」
「本当か? ならミッケ、魔法使いにとって一番大事なものは何だ?」
「えっ……。えーと、そ、そうね、頭のよさ?」
「……まあ少なくとも、ミッケの頭は、もう少しよくなるといいな」
本音を言ったら、ミッケがホウキを振り回した。
すんでで避けた。
こいつに必要なのは忍耐力だな。
「……イメージ?」
「うむ。ヌイ君、正解」
「何、そのノリ……」
ミッケが引き気味だが、気にしない。
出来のいい生徒に教えるとは、こういう感覚なのだろう。
「魔法を一言で表すなら、想像を形にするすべだ。言い換えれば、夢を現実に投射する、まさしく夢のような力だ」
「おー」
ヌイが感心した。
オレがロマンチックな言い回しをしたせいか、ミッケが胡散臭そうにしている。
「魔法を感覚で使っているなら、意識なんてしていないと思うが。本来、魔法を発動させる手順は、こうだ」
オレは自分の杖を軽く振る。
「まずイメージ。具体的にどういう現象を、どう引き起こすのか。例えば火を起こすなら、その火の形は? 大きさは? 熱さは? 色は? 匂いは?」
「な、何だか真剣ね……」
「ジロー、かっこいい」
「ヌイ様、ご乱心を!?」
こいつら聞いてるのか?
「ともかく、想像の火に、想像の中で手を近づけてみろ。実際に火傷したら成功だ。それくらい具体的にイメージを思い描け。それが魔法の本質であり、魔法使いになる第一歩だ」
「人間って、そんなふうに魔法を学ぶのね……」
「でも私たちもたぶん、無意識にやってる」
「実感沸かないですね」
ヌイもミッケも、何だかんだいって興味は持ってくれているようだ。
まあオレは逆に、感覚だけで魔法を使うってのがよくわからないが。
「あとは簡単だ。自分の魔力を、身に着けているワンドに流し込む」
オレはまた、自分の杖を振ってみせる。
2人はいちおう、大人しく聞いている。
「上手くいけばイメージ通りに、狙ったところが燃え上がる。それが魔法だ」
「おー……」
「おー」
ミッケはややなおざりに、ヌイは何度も拍手をしていた。
「ジロー、物知り。もっと教えて」
「いや、そもそも魔法使いとして、知らないほうがおかしいが……」
とはいえ、感心されて悪い気はしない。
それに――これは勘だが、こんなふうに話をする相手が、ヌイにはずっといなかったのだろう。
こうして瞳を輝かせているヌイを見ると、ただ純粋に、話し相手になってやりたいと思えた。
「いいだろう。こうなったら徹底的に教えてやる。次に、魔力の量と想像の具体性から成る、魔法の限界についてだが――」
「あたしまだ掃除中だってば……」
「ミッケ、もうちょっと」
「うう」
結局、ミッケも最後まで付き合った。
面倒見のいいヤツだ。
オレはというと、ヌイに次の講義の約束をさせられた。




