65:ギャルが柔らかかった
そこからは更に一時間余り勉強をして、解散の運び。母さんが店閉めて戻ってくる前に帰してあげた方が良いかなっていつも気を遣うんだけど、実際、星架さんなら母さんや姉さんと会っても普通に世間話するコミュ力はあるんだから、僕基準で気を揉み過ぎてるのかなとも思う。
「でさ。雛乃ん家のそのバカ犬がね、おばさんのパンツをさ……」
喋りながら階段を下りてくる星架さん。手摺はもってるけど、先に降りた僕の顔ばかり見てる。予感があったワケでもないんだけど……
「キャッ!?」
一番最後の段が終わった後ももう一度足を上げて、踏もうとしてそれがなくて、星架さんがつんのめる。段を数え間違えてたんだ。僕は慌てて飛び込んで、星架さんの体を支える。頭の片隅で一瞬、あの再会の時、自転車を支えた記憶がよぎった。
ただ……あの時は硬い自転車のカゴの触感だったけど、今は。
モニュッと柔らかい、掌が沈み込んでしまうような感触が。あ、これ。やらかした、とは思いながらも、星架さんが自分で立てるように、ぐっと押し込むように支点にして、もう片方の手で肩の辺りを押して、体勢を戻してあげた。
星架さんは俯いてしまって、徐々に耳が赤くなってきてる。明らかに僕が触ってしまったのを気付いてる、よね。
「ごめんなさい」
「ありがとう」
ほとんど同時に言葉を発して、また少し沈黙。ややあって、星架さんがパッと顔を上げて、殊更に明るい口調で、
「いやあ、階段数え間違えてたわ。あははは。サンキューね、助けてくれて」
と改めてお礼を言ってくれた。たぶん星架さんとしては、これでこの件は終わりにするつもりだったんだろうけど、僕はテンパってて、
「えっと、本当にごめんなさい。そんなつもりじゃなくて」
罪悪感から蒸し返して謝ってしまった。星架さんは少しだけ自分の胸に視線を落とした。
「大丈夫、分かってるから。ホント、大丈夫だよ? まあ康生以外だったら殺してたけど」
ひっ。
「……帰るよ。今日は、ちょっと一人で帰りたい気分だから。ごめんね」
「え?」
「大丈夫、ホントに怒ってるとかじゃないから。大丈夫だから。明日の朝には普通になってるから! それじゃ!」
早口でまくし立てるように言って、星架さんは殆ど逃げるように玄関を出て行った。
僕は……少しだけ呆然としてしまって、その後すぐ我に返って、玄関ドアを開けて彼女を探す。すごい速さで走ってる後ろ姿を見つけた。どんどん小さくなっていって、大通りに出る曲がり角を左に曲がって見えなくなってしまった。
うん。あの速さだし、まだ明るいし、大通りにも出たし、大丈夫だよね。こんな時でも星架さんの万が一を心配してしまう僕。いや、心配もあるけど、何より冷静さを取り戻したくて、別のことを考えようとしてるんだろうな。
僕はドアを閉めて、台所へ。一瞬で喉がカラカラになっていた。冷蔵庫から買い置きしてる「死後の紅茶」のペットボトルを取り出した。一口飲んで一息ついて。
「うわぁぁぁ」
触ってしまった。お、女の子の、お、おっぱい。しかもあの星架さんの。まだ膨らみもない頃に出会って、束の間の交流をして、高校に入って再会した、あの女の子の胸。いや、やめようよ。8年前のことまで考えてしまうのは。こんなだからロリコン疑惑を掛けられるんだ。てか純粋にキモイ。
「柔らかかったなあ」
ブラと制服越しであれなんだから、直接触ったら……いやだから気持ち悪いって。ていうかこんなキャラじゃなかったでしょ、僕。ちょっと女の子の胸を触ったくらいで。生れて初めておっぱいを揉んでしまったくらいで。それくらいで。
…………大事件なんだよなあ。キャラも変わるよ、そりゃ。僕だって男なんだって、星架さんと仲良くなるにつれ、そう思い知らされることがどんどん増えてる。
星架さんは。星架さんは本当に怒ってないんだろうか。僕と違ってハッキリ物事を言う人だし、そんな彼女が大丈夫と言い切ってたし、明日には元に戻るとも言ってた。ならきっとそうなんだと思う。けど、僕以外だったら殺してたって、そんな恐ろしい事も口走ってたし。
ん? 待って。僕以外ってことは、僕なら良いってこと!? いや、そういう話じゃないハズ。僕なら許せるってだけで、オッケーではないから。危うく論理の飛躍をするところだった。これだから女の子に免疫のないヤツは。
自分で考えてて虚しくなってきた。とにかく明日は、もうこの話題は蒸し返さない方が良いよね。いつも通りに振舞おう。いつも通りに……出来るかなあ。




