164:ギャルが信じてくれていた
ざまあジャンボを終えて、帰宅。まだ16時くらいだったので、星架さんともう少し一緒に居られる。
家の中はシンと静まり返っていた。父さんも母さんもお盆前の最後の出勤ということで、ギリギリまで働いてるんだ。いつもありがとう。こないだの失踪事件で心配かけた件も合わせて、今度なにか家族にもお返ししたいな。
「紅茶で良かったですか?」
「うん。ありがと」
先に部屋に上がってもらっておいて、僕は1階で飲み物の用意をして後から部屋に入った。星架さんが既にエアコンと扇風機をつけてくれてたみたいで、少しだけ涼しい。勝手知ったるってヤツだね。
キンキンに冷えた死後ティーをグッと呷って、星架さんは「はあ~」と大きな息をついた。生き返るってヤツかなと思ったけど、どうもそれだけではないようで。
「安心したら、どっと気が抜けたわ」
「安心?」
「うん。康生の復讐劇が上手くいったからさ」
「あ、ああ、そういう」
「正直、時期尚早だったのかなとも思わなくもなかったからさ。慣れない浮田セットまで持ち出してたし」
「そう、ですね。家を出る前は、彼らに見つかってトラブルになる想定、不安もありましたね」
もっとハッキリ言うと、ビビってた。未だ彼らを大きくしていたから。
「……勧めた手前、失敗に終わったらって、どうしても考えちゃったし」
「星架さん……」
そうだよね。星架さんだって、成功の確証があるワケではなかったんだ。
「アンタが更に傷ついたらどうしようって」
そう言いながら、僕の肩にコテンと頭を乗せてくる星架さん。アッシュグレーの髪先がシャツの胸元を撫でてくすぐったい。嗅ぎなれたヘアフレグランスの匂いに鼻腔が満たされる。
「それでも信じて賭けてくれたんですね」
「うん。アンタだってメイク教室の時、信じて賭けてくれたじゃん?」
「あ」
そっか。確かに、状況は似てたかも知れない。
相手の為になると信じてはいるけど、もしかすると独りよがりなんじゃないか。或いは失敗して、余計に傷を負わせてしまうんじゃないか。そんな二律背反な気持ちに、僕も覚えがある。
星架さんはそこで、パッと頭を上げて、僕の方に手を伸ばしてくる。
「あの時は甘えさせてくれたから、今度はアタシが甘えさせてあげなきゃね」
そう言いながら、伸ばした両手を僕の首の後ろに組んで、グッと引き寄せる。されるがまま、首を曲げると、そのまま星架さんの胸の中に顔が埋まった。いい匂い。柔らかいお胸の感触。少しだけ濡れてるのは、さっきまでの汗が乾ききってないからか。
「甘えん坊しようね」
「……うん」
素直に返事して、少しだけ目を閉じる。星架さんの手が僕の頭を優しく撫でる感触。
「やって良かったね」
「うん」
「軽く考えられるようになった?」
「うん、もう電車も乗れると思う」
恐らく劇的にトラウマは改善されてると思う。
また。また星架さんに救われた。もうこんなに好きなのに、秒を追うごとに更に好きになっていってる。
「星架さん、ありがとう」
「うん」
「大好き」
「ふふ」
おでこにキスされた。
でもそれだけじゃ物足りなくて、僕は顔を上げて、星架さんを見る。以心伝心。半開きにした唇が近付いてきた。僕も同じように、唇を少し開けて迎える。
ちゅちゅ、とリップ音が鳴るたび、脳が溶けていくようだ。
やがて息継ぎ。唇同士の結合が離れても、おでこ同士はくっつけたまま。至近距離で見つめ合ってる。
「キスも……上手くなったよね、アタシたち」
「うん。すごく」
最初は鼻がぶつかって、ビックリして離れちゃったけど、今なんて、むしろ鼻同士も擦り合わせるレベルだ。
あの時も別にあのまま、互いに軽く唇を伸ばせば、キスになったハズなんだけどね。まあ、そんな風に冷静に振り返れるほど、上達して慣れたってことか。
「お互いに支え合うことも上手になっていけたら良いですね。今は僕が甘やかしてもらってばっかりだけど」
「前はアタシが甘やかしてもらったんだから、気にしないの。感謝は忘れずにだけど、自分が相手のためにしたことも忘れちゃダメだよ? 支え合いも上手にって言うなら」
「うん、そうかも。恩着せがましくしちゃダメだけど、忘れちゃったら寂しいですもんね」
子供の頃に贈ったフィギュア。僕は忘れてしまってたけど、星架さんは8年、覚えていてくれた。そのギャップは、寂しいよね。逆の立場で考えると。僕が救われたと思ってる、あの公園での一幕を、星架さんは大したことしてないからって謙遜して、そのうち本心からそう思うようになって、いつの間にか忘れてしまう。そんなことになったら、僕はたぶん泣いてしまう。
受けた恩は石に刻め、かけた情は水に流せ。そういう考え方も美徳ではあるけど、やっぱり親しい間柄では、かけた情も覚えておかないとダメだ。それも立派な思い出なんだから。
難しい顔をしてる僕の頬を、解きほぐすように星架さんが撫でていく。そのまま再び唇を重ねてくるので、僕も受け止める。今までにない深さで交わり合う。結局、姉さんが帰ってくる時のドアの開閉音を聞くまで、ずっとそうしていた。




