108:沓澤康生の事情(前編)
男子校の文化祭となると、女子に良いカッコウ見せるとかもないもんで、純粋に苦役に近い。ノリの良いクラスならまた違うんだろうけど、それも一、二年の気楽な年度だけだろう。
三年だと、高校進学時のクラス分けが決まる大きなテストがある。少数だけど外部を受験する生徒もいる。
つまり、忙しいんだ。文化祭なんかにかかずらってる暇はない。
そこで彼らが考えたのが、時間のかかる作業を誰かに押し付けるという方法。ただこれだけだと、教師に言い訳が立たないので、自分達は劇の中堅くらいの役どころにシレッと収まったようだ。これなら、自分達もちゃんと参加して己の役割で手一杯ですよ、と誤魔化せるライン。
実際、僕の仕事量を100とすると、彼らは50~55といったところだろう。上手くやられた。
もちろん僕の仕事を手伝ってくれようとした人も何人かいた。持田クンなんかは特に。ただ彼もルックスの良さから、劇の主役を任されていて、それこそ僕と同じくらい大変だったと思うから、気持ちだけ貰って、断った。
すると今度は僕が手伝いを断ったという話だけが独り歩きして、「なんだ、自分だけで十分だって言うなら、もう任せるわ」って雰囲気に一部でなっちゃって。
嫌われたとまでは言えないけど、工作関連では気難しい、というような誤解は生まれたと思う。そして実際、他の人が作るより遥かにクオリティの高い物を仕上げてしまったのも、それに拍車をかけた。
そんな折だった。ふとしたキッカケで学校の匿名掲示板なるものがあることを知った。
……よせば良かったのに、僕はそのサイトを探し、そして見つけてしまった。
もちろん、匿名掲示板の怖さは知識としてはあったけど、仮にも僕の通う場所は進学校。ある程度の節度があると信じていた。そして何より、孤立まではいかないけど、ごく薄い透明なベールを隔てたような、微かな疎外感を感じるようになった教室。その裏に表面以上の悪意がないことを確認したかったんだ。僅かな希望に縋って。
だけど……そこで僕は見てしまった。
『うちのクラスは便利な大工がいるから』
『マジで助かるよな。手伝おうとしたら断られるらしいぜ? よっ! 職人さま!』
『マジで!? そんなヤツいんの? ウケる。文化祭の出し物ごときでプロ意識たけえ』
『草』
そんな一連のやり取り。鼓動が速くなって、息が浅くなる。
そこでやめておけば良いのに、僕はなおも画面をスクロールした。この流れに「そんなこと言うもんじゃない」と善意の制止をかけるコメントを探して。
だけど、そこにあったのは、更に僕に追い討ちをかけるような残酷なコメントの数々だった。
『それ、武将とか作ってる人?』
『そうそう。もらったことあんだけど、メヌカリで売ったら、結構良い額で売れたんだよね』
『マジ? 俺も貰おうかな。普通に言って、くれる系?』
『そいつの従兄弟の口利きだと貰えるとか聞いた覚えが……』
僕はようやく、そこでスクロールを止めた。いや、止めたと言うより、それ以上進むことが出来なかった。
ポタ、ポタとマウスパッドの上に涙の粒が落ちて、手が震え、視界が滲んで画面が見えなくなった。
僕の原初の熱、プレゼントした人が笑顔になってくれる、その喜び。丸ごと否定された気がした。
僕だってフリマサイトは使う。素材を安く買う時なんか重宝してるくらいだ。だから厳密には彼らを責める資格はないのかも知れない。
「だけど……誰かが心をこめて作ったものかどうかは……分かるでしょ」
声が震えて、涙の雫が更にマウスパッドを濡らす。
それでも真実を知っておかなければいけない。僕はメヌカリに飛んで、それらしい物を探す。3件見つかった。うち2件はほぼ確実に僕の作だった。台座に小さく小さく彫った「K・K」(僕のイニシャル)を確認した。
そこからの数時間は、あまり覚えてない。ただ生まれて初めて、自分が作りかけている物を故意に壊したことだけは覚えてる。拳よりも遥かに胸が痛かった。
翌日、僕は重い足を引き摺って、何とか登校した。教室に近づくにつれ、吐き気がした。それでも父さんが汗だくになって働いて行かせてもらってる学校だからと、歯を食いしばって行った。
恐る恐る戸を開け、中に入ったが、数人が挨拶してくるだけで、特に変わりはなかった。考えてみれば当たり前のこと。僕が掲示板を見たなんて誰も知る由はないんだから。けど裏を返せば、僕が知らないのを良いことに、あんな悪意に満ちた書き込みをしたヤツが居るということなんだ。
クラスの内情を深く知っているだろう書き込みも幾つかあった。恐らく、この中に犯人がいる。
「……うっ」
吐き気が強くなった。表面上は笑顔で挨拶してくるヤツが殆どだ。だけどその笑顔の仮面の下には、侮蔑の笑みが隠れているんだろうか。そう考えると、もう、クラスメイトたちの顔を見るのも怖かった。




