03
ラコットは王都から延びる街道をひた走り、やっとの事で人気の無さそうな森に辿り着いた。
「それにしても、腹が減ったなぁ・・・。 でも、ドラゴンって何食うんだろう
まさか人間なんか食べたくないし・・・」
そう独り言を言うラコットとガゼットが目が有う。
ガゼットとは森に住む草食動物である。
ラコットは一昨日食べたガゼットの香草焼きの味を思い出す。
最後の晩餐になるかもしれないと、弟が捕ってきてくれたものだ。
「やっぱり、ドラゴンって肉とか食べるよな・・・。よしよし、いい子だから
そこを動くなよ!」
ガゼットはラコットの意思を読み取り、俊敏に森の奥に逃げていく。
ラコットもドタドタと追いかけるが、彼の体は巨大で森の木々に邪魔されて、思うように距離を詰められず、とうとうガゼットを見失ってしまう。
「やっぱり駄目かぁ・・・。 何とかならないかなぁ・・・」
暫く思案するが、空腹の頭では良い手は浮かばなかった。
やはり、何とか獲物を狩らなければ。
ガゼット狩りには忍耐が必要だったが。その甲斐あって獲物を狩ることが出来た。
得られたのは獲物だけではなかった。
狩りの動作を繰り返している過程で、ドラゴンの体の動かし方に慣れていったのだ。
何より、翼の使い方・・・飛び方をマスターできたのは良い収穫だった。
ラコットは翼を巧みに使い、空から獲物を狙うと言う方法でガゼットを捕獲する事に成功したのだった。
しかし、それには一昼夜ほどの時間を要した。空腹はとっくに限界を超えていた。
「やっと、捕まえた・・・。悪いけどボクの糧になってもらうよ。この体じゃ火が起こせないのが残念だが、焼けるのを待ってはいられない・・・早速、頂きます!」
口の中に放り込む。数回ほど咀嚼したのち、飲み込む。
・・・しかし、飲み込むことが出来ずに吐き出してしまう。
「・・・がっ!がはっ!げほっ!なんだこれ!味も何もしないし、飲み込めない!どうなってんだ?もしかして、ドラゴンは肉なんか食べれないって言うのか?」
肉食だというのはただの先入観に過ぎなかったようだ。
「そんな・・・。もう限界だ。せっかく死を逃れたというのに、餓死する運命だなんて、あんまりだ」
途方に暮れて横たわる。暫くして、先ほどのガゼットの亡骸に肉食獣が群がっているのに気付く。
「旨そうだな。キミたちが羨ましい・・・。あぁ・・・。気が遠くなってきた」
不意にラコットを影が覆う。影の主を見上げると、それは飛来するドラゴンだった。
「ドラゴンだ。逃げなきゃ・・・。ああ、ボクもドラゴンだった。じゃぁ、逃げる必要は無いか・・・」
その言葉を最後に、ラコットの意識は薄れて行った。
ラコットが目を覚ますと、そこは見知らぬ場所だった。
貴族の屋敷の様な場所だ。
明かりは薄暗く、豪華で上品だが石造りの内装は重苦しさを感じた。
良く目を凝らすと、誰かが立っている。
これまた、貴族の屋敷に居そうなメイドの様な姿の女だ。
「あぁ、ようやく目を覚まされましたか。扉の向こうで我がご主人様と餓死寸前の貴方様を救い、ここに連れて来られた、お仲間のドラゴンがお待ちですよ」
餓死寸前という言葉にラコットは空腹を思い出す。
もはや空腹は頭の中でけたたましく鳴る警報となっていた。
「・・・ここは?」
ラコットが問うと、メイドが扉を開きながら応える。
「寝ぼけてらっしゃるようですね。ここはドラゴンたちの唯一の食事場、我が主人、アリュメット様の館で御座いますよ?」
扉の向こうは高級なレストランの様な空間だった。
赤い絨毯に煌びやかなシャンデリア。
そして、中央に小さな食卓が一つ。
ラコットが子供の頃に窓から覗いた、貴族御用足しのレストランに良く似ていた。
そこに座る淑女が、多分、アリュメット様とやらだろう。
視線を右にやってラコットはギョッとした。
ドラゴンが一匹、良く躾けられた犬の様に背筋を伸ばして座っている。
薄紫色の鱗がシャンデリアの光が艶めかしく反射しており
ラコットは何故だか、そのドラゴンが美しい雌ドラゴンだという印象を受けた。
そうやって見惚れていると、それをメイドが諌める様にラコットに声を掛けた。
「あまり我が主人を待たせないで頂きたいですね。さぁ、主人の前へ」
それに従い、アリュメットの前まで進むラコット。
少し蒼ざめていて儚く美しいという印象を受ける。
そのアリュメットがラコットに手をかざすと、ラコットの胸の辺りから竜玉が浮き出てきて、テーブルの直上で静止した。
いつの間にか用意されたスープ皿に竜玉から染み出た黒いドロッとした液体が注がれる。
スープ皿いっぱいに注がれると、アリュメットは再び竜玉に手をかざす。
すると、それまで消える寸前の蝋燭の様だった竜玉が激しく光りだし、そのままラコットの胸の辺りに吸い込まれるように収まった。
「ご用件は済みましたね。では、お引き取り下さい」
「あ、でも、聞きたいことが・・・」
と、ラコットが言いかけるが「ご主人様は食事の時間を最も尊ばれます。お引き取り下さい」と取りつく島も無く追い出されてしまった。
そこでやっと、ラコットは空腹が癒えていることに気付くのだった。
館の外に出ると、例の薄紫のドラゴンと2人きりになった。
沈黙に耐えきれずラコットが声を掛ける。
「あ、あの、キミが助けてくれたんだってね。ありがとう」
薄紫色のドラゴンは信じられないモノを見るかのように目を見張る。
「ラ、ラバレウ?貴方が私に礼を言うなんて・・・それに、わ、私の事、忘れちゃったの??」
シマッタ!どうやら顔見知りのようだ。
「済まないが、頭を打ったようで記憶が無いんだ。ボクの名前、ラバレウって言うのかい?」
と、咄嗟に嘘を付いてしまった。
「・・・わ、私の事からかっているの?」
「ち、違うよ!」
「・・・私はケラーネ。リュナシィの妹。リュナシィというのは、貴方の妻のドラゴン」「ボクに妻が・・・?」
「でも、リュナシィは人間たちに連れ去られてしまったの。貴方は、取り戻そうと人間たちの街を探し回ったわ。勿論、私も。その最中に倒れている貴方を見つけたの」
「そうだったのか・・・」
「連れ去られてから随分と経つから、もう・・・」
人間に連れ去られたドラゴンというのは、恐らく緑竜の事だろう。
黒竜と緑竜は夫婦だったのだ。
人間にとってドラゴンは排除すべき天敵に違いないが、心の片隅でチクリと不愉快な痛みを感じた。
「なんだかゴメン。キミのお姉さんを守れなくって」
そんな心を軽くしようと目の前のケラーネに見当違いの謝罪する。
「そ、そんな!記憶を無くす前の貴方なら、弱い奴が悪い。って言ってたわ。ところで、これからどうするの?記憶が無いままじゃ、困るわよね・・・」
本当なら元の体に戻りたい。しかし、その方法が見当もつかない以上、暫くは、この体で居るしかないだろう。
そうだとすると、解決しなくてはならない疑問が有る。
「ねぇ、この館は何なの?中に居た女の人は?」
「それも忘れてしまったのね・・・。この館はアリュメット様の館よ。アリュメット様は私たちをお創りになった神様なの」
「か、神様・・・。それで、さっきの竜玉を取り出して何かしたのは?」
「あれは”供物”アリュメット様の力の源。私たちはあれを集めるのが役目。それを捧げることで私たちはアリュメット様から力を分けてもらうのよ?そうしなければ動けなくなってしまうの」
「”供物”?」
「そう。人間を脅かしたり、殺したりすると竜玉に集まるの。私もよく解らないけど」
「ほ、他に空腹を紛らわせる方法は無いの?人を襲う以外に」
「無いわ」ケラーネは当然と言わんばかりにキッパリと応える。
過去、人間たちの歴史はドラゴンの襲撃の歴史でもあった。
その為、人は群れ、軍隊を作り、身を守ってきた。
次第に人は力を備える。強固な城壁、進歩する武具、そして竜騎兵。
近年では緑竜リュナシィや黒竜ラバレウのように人間を凌駕するドラゴンは稀な存在である。
人間たちは、むしろ、竜玉欲しさにドラゴンを狩り出すほどであったが、それでも、ドラゴン達は恐れて人から遠ざかることは無かった。
その理由が”生きる為”だったとは。
またも胸に痛みを感じるラコット。人とドラゴン。なんとも理不尽な関係だろう。
「ありがとう。解ったよケラーネ」
「そう、良かった。記憶、戻るといいね」
不意に風が舞い上がる。2匹のドラゴンが舞い降りたのだ。
「おうおう。ラバレウではないか。久しいのぅ」
2匹のうち、最も大きな体躯をしたドラゴンがラコットに声を掛ける。
キョトンとしているラコットにケラーネが耳打ちする。
「あのドラゴンはオルメドだわ。隣に居るのは彼の子供かな・・・」
「今日はただの付き添いだ。ほれ、息子よ。アリュメット様に集めた”供物”を献上してこい」
そう言われた小さいドラゴンは先ほどラコット達が出てきた扉を開けて中に入っていく。
「それにしても、今日は違う雌を連れておるな。それに、中々に美しい」
ラコットの陰に隠れようとするケラーネをオルメドの視線が追う。
「ふん。ふふん。美しいな。気に入った。ラバレウ!この雌ドラゴンをワシは気に入ったぞ」
「・・・何を言って」
「この娘はワシが頂く。丁度、息子の嫁を代わりを探しておったところだ。ラバレウの雌となれば申し分ない。勿論、作法は守るぞ。お前さんにワシが勝ったらという事で良いな?」
「そんな勝手な事・・・」
とラコットが言うや否やオルメドはケラーネの首根っこを掴み飛び立ってしまった。
「ここで遣り合えばアリュメット様の不興を買う。場所を変えるぞ。付いてこい!」
直ぐに後を追うラコット。飛び立ってすぐ、今まで居た場所が空に浮く浮き島だという事を知る。なるほど、神の館と言うだけのことはある。
そんな事を考えていると直ぐにオルメドに追いつき、ケラーネを取り戻そうと組み付く。
「おい!ケラーネを離せ!苦しそうじゃないか!」
「お!おお!気の早い奴め!ワシは飛ぶのはそんなに得意ではないんだ!おっ・・・落ちる!」
揉み合いながら落下する3匹。ラコットは、まずケラーネを掴む腕に噛みつき、ケラーネを解放する。次に体勢を変え、オルメドを地面に叩きつけた。
これで、思い知っただろう。と考えているとオルメドは何事も無かったように立ち上がってくる。
「おう。痛てて。せっかちな奴だのう」
「ち。頑丈な奴め」
「ふふん・・・。それにしても、オヌシには負け続けだのう、ラバレウよ」
灰色の肌が盛り上がり、岩のように変質する。
「だが、今回は負けんぞ?竜玉の力で更に頑丈になったワシは誰にも倒せん!」
頭から突進してくるオルメドを正面から受け止めるラコット。
確かに頑丈そうだが、力は大したこと無さそうだ。いや、この黒竜の力が尋常じゃないのかもしれない。そのままオルメドの首を捻り、横倒しにする。
「いきなり現れて訳の分からない理屈を押しつけやがって!」
「訳が分からんだと?戦って勝った方が雌を自由にできるというのは昔からの決まりであろうが」
「くっ!それが、訳解んないんだっての!」
オルメドに馬乗りになったまま横っ面に拳を叩きこむ。
「!!」
さすがに頑丈だ。ラコットの拳は酷く痛むが、オルメドには効いていないようだ。
自分の頑丈さに満足そうに笑みを浮かべている。
「オヌシこそ、何を言ってるか訳解らんが・・・。いつまでワシの上に居座るつもりだ!」
ラコットを跳ね飛ばし、再び突進するオルメド。
「馬鹿の一つ覚えみたいにっ!」
突進してくるオルメドより低い体制をとり、片手で顎を跳ね上げ、もう一方の手でボディーブローを打つ。しかし、またもラコットの拳に痛みが走る。
「っ!腹も固い!」
狼狽えるラコットをオルメドの棍棒のような尻尾がラコットを吹き飛ばす。
「ふふん。痛くも痒くもないぞ!ラバレウ!」
「そうかよ!」
再三、突進してくるオルメドを、今度は飛び越え、背に回るラコット。
「な?!何をするつもりだ?ワシは背中だって固いんだぞ!?」
「叩くだけが戦いじゃないって事をさ!教えてやる!」
そう言って、背後からオルメドの首を絞める。
「ぐ、ぐぐぐぐぐぅ!さっきから、妙な戦い方をしおって!」
「第5兵団仕込みの格闘術だ!お前みたいに単純な奴に負けたら先輩たちにどやされちゃうんでね!」
本能のみのドラゴン同士の戦いしか知らないオルメドには到底、理解できない戦い方だった。元々、考えるのが得意ではないオルメドだったが、首を絞められているせいで血流が滞り何も考えられなくなっている。
ジタバタと暴れていたオルメドが、意識を失うのには大して時間は掛からなかった。
「もう大丈夫だよケラーネ」
岩陰に隠れているケラーネに声を掛ける。おずおずと出てくるケラーネ。
「・・・死んだの?」
「いや、気を失ってるだけだ」
「ラバレウの戦い方・・・見た事ない戦い方だった。どこで覚えたの?」
第5兵団に居た頃の訓練でとは言えず、口籠っているとオルメドが目を覚ました。
「ッガ!ガフッ!ガフゥ・・・。はっ!?ワシは負けたのか・・・?」
「そうだ。ボクの勝ちだオルメド」
「むぅぅ。頑丈なだけでは勝てんという事か・・・。口惜しい。ワシには頑丈さしか取り得が無いというのに・・・」
そこにオルメドの息子がやってきた。地に伏せている父親を見て事情を察したようだ。
「どこに行ったかと思ったら・・・。オヤジ。また負けたのか?」
「おう!また負けてしもうた!ふふん」
「その岩肌・・・。竜玉の力を使っても勝てなかったのか?」
「そうだ!」
「まじかよ。・・・諦めなよオヤジ。ラバレウには勝てないって」
「馬鹿者!そうやって戦う前から諦める奴が有るか!」
「オヤジは戦った後だろ?もう帰ろうよ」
「ふふん。そうだな。今日の所は帰るとしよう。しかし、ワシは諦めんからな!」
ふらふらと飛び去るオルメドと、その息子を見送る。
「なんだか勝手な奴だったなぁ。いきなりケラーネを寄越せだなんて」
「そういうのも忘れちゃったの?ドラゴンの間では普通の事よ?強い方が何でも決めることが出来る。でも、安心して?この辺りに貴方より強いドラゴンは居ないと思う・・・から」
「そうなのか・・・。そんな決まりは忘れたままでいいや」
「ラバレウ・・・変わったね。別人みたい。というか、ドラゴンじゃないみたい
とにかく・・・ありがとう。守ってくれて」
ギクリとしながらラコットは誤魔化す。
「さて、これからどうしようか?」
「姉さんの事も探さなければいけないけど、まずは巣穴に戻って、これからの事を考えたらどうかな?」
そうだ。ケラーネは知らない。
今頃、彼女の姉は解体されて武器や防具に姿を変えていることを。
仕方ないとはいえ、心が痛む。しかし、その痛みを無視する事も痛みから解放される事も、きっと、有りはしないのだ。
「ラバレウ?」
「・・・これからは、ボクの事をラコットって呼んでくれないかな?」
「え?」
「頼むよ。そういう気分なんだ」
「いいけど・・・。急に名前を変えたいなんて、どうしたの?」
「心機一転ってやつさ。ボクは生まれ変わったってことでね」
「ラコット・・・ラコットね。解ったわ。それじゃあ、巣穴まで案内するわね。」
「宜しくね。ケラーネ」
ラコットは別の名を語る必要が無くなったことで、少しでも心が軽くなった気がしていた。




