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第8話 冒険者ライフ 1

『ピギィィィ!』


 耳障りな断末魔と共に、目の前で緑色のスライムが爆散し。


「あっづぁぁああっ!?」


 高温に熱されたその飛沫を、至近距離からもろに被る。

 あまりの熱さにその場で転げまわること数秒、顔を上げると周囲には狼のような魔物たちの死体と、心配と呆れの混ざったような表情で俺を見下ろす姉貴の姿があった。


「怪我はない? 裕也」


「大丈夫。ありがとう」


 本当はまだ顔が少しヒリヒリとする。多分火傷してるな。姉貴のせいなんだけど、助けてもらっておいて、これ以上の醜態を晒したくはなかった。


 ジュクジュクと地面に溶けていくスライムの残骸から魔石を回収し、懐にしまう。その間も姉貴はじっと俺を見つめ続けていた。


「あんたね、何が『スライム一匹くらい任せろ』よ。思いっきりやられそうだったじゃないの」


「そこの狼が悪い。それよりそっちこそ大丈夫だったのかよ」


 格好つけて飛び出してこの様。

 流石に気恥ずかしかったので話題を変え、顔を見せないようにしながら皆のいる方へと足を向ける。


「あのくらい、どうってことないわ。まだ何匹か残ってたけど、お爺ちゃんもいるしね」




   ◇




 受付のお姉さんに教えて貰ったとおり、グリーンスライムを探すため町の南門から外に出て森を目指した俺たち。


 街道を逸れ森の端に向かって歩いていると、ぴょんぴょんと飛び跳ねる緑色のスライムの群れと、それを追いかけるダチョウのような巨大な鳥に出くわした。

 目的はスライムの方だし鳥に用はなかったのだが、何故か俺たちと目が合うなりこっちに向かって駆け出してきたので、慌てて剣を抜き対峙する。

 一直線に走り来る速度には恐るべきものがあったが、それだけと言えばそれだけだ。


 早々に動きを見切った姉貴と爺ちゃんによりあっさりと退治され、残りはスライムだけとなったのだが、俺たちが鳥と戦っている間に散り散りに逃げ出している。

 かくして俺は、そのうちの一匹を追って森に飛び込んだ、というのが事の顛末だ。




 元の場所に戻ると丁度こっちも戦闘が終わったところらしく、皆地面にしゃがみこんではスライムの魔石を回収していた。


「あらあら、お疲れ様。ちょっと顔が赤いですよ。火傷でもしたのかしら?」


 スライムの粘液が滴るメイスを片手に駆け寄ってくると、母さんは俺の頬に手を当てた。


「【ヒール】」


 そう呟くと同時に母さんの手から青い光が溢れる。

 同時にヒリヒリと痛んでいた頬に冷たいものを当てられたような心地よさが生まれ、光が収まる頃には痛みは全く無くなっていた。


「はい、おしまいですよ」


 離された手のあったところに触れてみるが、特に異常はない。今ので完全に治癒されたみたいだ。


「ゆ、裕也っ、ごめん!」


 火傷の原因に思い当たった姉貴が焦ったように謝罪してくるが、それを片手で遮る。今回姉貴は悪くない。それにこんなことで謝るくらいなら、普段の暴力を控えてほしい。姉貴の中ではどんな線引きがなされてるんだ?


「お陰で助かったんだからいいって。それより本当に魔法が使えるんだな。一体どんな感じなんだ? 姉貴もさっきのは【ファイア】の魔法なんだろ? やっぱり口に出して叫ぶのか?」


 話題の転換もかねて、さっきから気になっていたことを聞いてみる。

 魔法。一切スキルを持たない身としては、羨ましくてしょうがない。使用者の感覚が聞ければ、何か覚えるきっかけになるのではと、内心期待していたのだが。


「本当にごめんね。魔法については、別に叫ばなくても使えるわ。頭にあるスキルのリストから名前を選択すると、そのスキルのイメージが浮かぶの。次にそれを実行するイメージを浮かべたら発動するわ。そうね、どんな感じって言われると腕が増えた感じ?」


「何だそりゃ?」


「ほら、普段腕を動かす時に一々念じたり、考えたりしないでしょ。こう動かそうって意思があれば、既にそう動いてる。それの延長線上で、こんな感じに火を出したいって思ったらもう出てる、みたいな?」


 何となく言いたいことは分かるようで、よく分からん。

 しょうがない。受付のお姉さんも言っていたし、やっぱり経験とやらを積むしかないのかな。


「ところでこの鳥どうする? 解けちまったやつはグリーンスライムで間違いないだろうけど、こっちの鳥のクエストは受けてないしなぁ」


 話している間に魔石を拾い終えた爺ちゃんと親父も集まってきたので、最初に襲い掛かってきたダチョウのような鳥の死体に目を向ける。


「ちょっとでかいけど、町まで引き摺ってく? 一応鳥だからお肉は需要があるかもしれないし」


 姉貴らしい意見だけど、これを町まで?

 明らかにドラドラコよりも重そうだ。俺は嫌だぞ。


「討伐クエストが出ていたとしても、倒すだけで十分なんでしょう? もうお昼ご飯の時間ですし、魔石だけ剥ぎ取って一旦町まで戻りましょう」


 自分のお昼ご飯という言葉に反応したのか、母さんのお腹がクーっと音を出す。


「じゃあそうしようか。でも僕、こんなでかい鳥捌いたことないしなぁ」


 苦笑しながらナイフを片手に鳥の前に立った親父だが、いざとなると困ったように首を捻った。そりゃ日本でこんなでかい鳥になんて、動物園でしか目にする機会はない。


「ふむ。やり方が分からん者は、後学のために横で見ておれ。わしが見本を見せよう」


 親父からナイフを受け取ると、爺ちゃんは何の躊躇いもなく鳥のお腹に突き立て、手際よく捌き始めた。その手つきは熟練のそれで、全く淀みがない。

 経験も知識もない俺は、親父と一緒になってその手元を覗き込む。皮膚を裂き、骨をどけると、その奥から赤黒い内蔵がこぼれ出てくる。


(うわ、グロい。確かにグロいけど……)


「変な感じだ。あんまり嫌悪感を感じない。よく考えたら俺、魔物といっても生き物を殺してるんだよな。上手く言えないけど、ショックがないのがショックな感じだ」


 さっきの狼にしてもそうだ。姉貴に倒された死体はかなり無惨な姿だったはずだが、それについて特に何も感じなかった。俺って実は冷酷な人間だったんだろうか。

 そう呟いた俺の顔を、手の動きを止めることなく爺ちゃんが見つめてくる。


「この世界に来た際に、肉体だけでなく精神にも変化があったのやもしれんな。ショックがないのなら好都合じゃと思うことじゃ。特にこのような環境ならの」


 爺ちゃんの両手は真っ赤に染まり、不要な内臓を次々と取り出している。


「町から少し離れただけでこの有り様じゃ。外は無法地帯と考えてもいいじゃろう。そのうち人を殺さねばならん事態に陥るかもしれん。その時に躊躇ったりすれば、やられるのは自分じゃぞ」


 精神にも変化が起きている?

 その事実に一瞬背中に寒気が走ったが、爺ちゃんの言葉を聞いてすぐに思い直す。


(そうだ。むしろ喜ぶべきだ。本当に緊急の事態に陥った時に血を見ただけで混乱していたら、命がいくつあっても足りやしない)


 けれども今次々と内臓を取り出されている鳥を見ているように、さっき狼を切りつけたときのように、人を殺したときにも何も感じなかったら? 命を奪うことに何の感慨も抱かなくなってしまったとしたら?

 それは異常なんじゃないだろうか。

 少なくとも、普通じゃない。


「裕也、僕はね」


 俺がそんなことを考えていると、今度は親父が話しかけてきた。


「僕は加奈子さんと結婚して家庭を持ったときに、心に決めたんだ。例えどんなことをしようとも、この手を汚すことになろうとも、家族を守るためなら何でもするってね」


 流石にこんな事態は想像していなかったけどね、と軽く笑う親父。


「そして今は皆で日本に帰るためなら、どんなことでもするつもりだ。加奈子さんも同じ気持ちじゃないかな。裕也と晃奈を守るためなら、加奈子さんは何だってすると思うよ。……不安があっても、悩みがあっても、まずは帰ろう。全部それから考えたらいいさ」


「親父……」


 そうだ。今考えなきゃいけないのは、無事皆で日本に帰る方法だ。

 爺ちゃんの言うとおり、何も感じないのなら好都合。利用させてもらうくらいの気持ちでいよう。


 俺が決意を新たにしていると、爺ちゃんが「むう?」と声をあげた。どうやらいつの間にか解体は終わっていたようだ。


「魔石というのは確か、心臓部近くにあるはずなんじゃよな」


「ええ、そう聞いていますが」


 訝しげな顔をする爺ちゃんにつられて、親父が鳥の中を覗きこむ。


「どこにも無いぞ。少なくとも内臓部にはないのう」


「確かに、見当たりませんね」


 その後念のためにと母さんも検分してみたのだが、どこにも魔石は見つからなかった。

 そういえばと思い出し、森の中で俺を襲ってきた狼を捌いてみると、こっちには確かに魔石がある。


「おっかしいわね。全部の魔物に魔石がついてるわけじゃないのかしら?」


「小さすぎて見つからない、というわけでもなさそうですしねえ」


 狼から採取した小指の先ほどのサイズの魔石を弄りながら姉貴が首を傾げるが、このままここで悩んでいても仕方がない。


 鳥についてはギルドの人に聞くとして、俺たちは魔物の死体を森のなかに放り込んでから町に戻ることにした。本来は街道から外れていればそのまま放置でいいそうなのだが、流石に見晴らしのいい平原で野ざらしにしておくのは不味い気がしたからだ。




 太陽が真上から少し傾いてきた頃、俺たちは町の南門の前にまで戻ってきていた。

 初めて来たときと違い、門番にギルドカードを見せると拍子抜けするほどあっさりと中へ入ることができた。


 そのままギルドに向かい、扉を潜る。

 休憩中なのか、いつものお姉さんの姿は見当たらず、少し並んで別の職員さんに対応してもらった。


 グリーンスライムの討伐は五匹につき二十ドルク。魔石は一つあたり十ドルクということで、十数匹を討伐していた俺たちはそれだけで二百ドルク近いお金を手に入れることができた。

 ちなみに狼の方だが、正式名称はフォレストウルフという名前の魔物で、今は討伐クエストが出されていないらしく、魔石の買取だけで終わってしまった。それでも一個三十ドルクということでかなりおいしかったが。


「妙ですね。本来フォレストウルフは、この辺りに生息していないはずなんですが。縄張り争いに負けて、住処を追われてしまったのでしょうか」


 奥から運ばれてきたお金を数え直しながら、男の職員さんが不思議そうな顔をする。そんなことを言われても、魔物の生態なんて何も知らないので答えようがない。

姉貴も興味のなさそうな顔だ。


「まあ別にいいんじゃない? 魔物だって中には変わり者もいるわよ。そんなことよりあんなスライムを何匹か倒しただけでこんなに貰えるなんて、冒険者っておいしいわね」


「とんでもないですよ!」


 姉貴がお金を数えている手元を注視しながらそう言うと、職員さんはバッと顔を上げた。


「そのスライムに殺された人も大勢いるんです。油断していると危険ですよ」


 そこまで危険な魔物には見えなかったけどな。


 真剣な顔で語る職員さんによれば、一見最弱に見えるスライムだが、力の弱いものでは打撃も斬撃も通すことができず、一般人は言うに及ばず駆け出しの冒険者でも質のいい装備か何らかのスキルがない限りかなりの強敵だそうだ。

 それで時々死人も出ている、と。職員さんが知っている中で一番ひどいのだと、顔に飛びかかられ気道を塞がれた上で振り払うことも出来ず、徐々に肉を溶かされ捕食された例もあるらしい。


「それは、あんまり想像したくないな」


「はい。ですので十分に注意してください」


 流石に顔をしかめた俺達を見て、ギルド職員さんはコクリと頷く。


 勘定が終わりお金も受け取ったのでそろそろ昼飯を食いに行きたかったが、最後に魔石のなかったあの鳥のことだけ聞いておこう。


「それは砂鳥ですね。魔物ではなく、普通の動物です。もしかして殺してしまったのですか?」


 その時の状況と鳥の外見を説明すると、職員さんはすぐに正体を言い当てた。

 魔物じゃなかったのか。道理で魔石がないわけだ。


 これではっきりした。この世界の動物全てが魔物というわけじゃないということだ。

 それにしても、殺してしまったのはまずかったのだろうか。


「正当防衛よ。あいつが先に襲ってきたから返り討ちにしただけよ」


「彼らは基本的に人を襲いません。恐らく食事の邪魔をされたと勘違いしたのでしょう。こちらから手を出さない限りは無害ですし、スライムを主食とするくらいの実力はありますので、ギルドとしては放置することを推奨しています。教会や騎士団との軋轢も生みかねませんので」


 その話が本当なら、確かに不用意に近づいた俺たちにも問題はある。これで一つ疑問は解消したんだが、また新しい疑問が生まれてしまった。

 ここまできたら、とことん聞いて見よう。


「それは俺達も悪かったですね。でもなんで教会や騎士団が?」


 俺の質問に職員さんは少し驚いたような表情を浮かべた。

 何だ? もしかして見当違いな質問だったのか?


「教会は全魔物の根絶を謳っています。中には魔物どころか魔石すら敵視して、それを使用した魔道具を一切使用しない方や、魔物以外の動物を神聖視するような方までいるくらいです。彼らは魔物以外を狩る人に決していい顔はしないでしょう。騎士団の方は主に安全面からですね。せっかく危険な魔物を減らしてくれている存在を狩るだなんて、褒められた行為ではないですから」


「なるほど、勉強になります。ありがとうございました」


 その騎士団とやらについても詳しく聞きたかったが、さっきから姉貴が脇腹を小突いてきている。どうやらお腹が限界のようだ。他の皆も似たような状態だし、今はこれで引き上げよう。


「よろしければ、ギルド二階にあります資料室をご利用されては如何でしょうか。他にも色々なことが分かりますよ」


 もしかして世間知らずな連中だと思われたのだろうか。

 後ろを向きかけた俺たちに職員さんがアドバイスをしてくれた。


(資料室か。お金もある程度手に入ったし、午後は情報収集をしたほうがいいかもな)

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