第11話 ダモス散策1 1
まだ全然ストーリーを読めていないのに2周年イベントのレイド戦が始まってしまって、ただ一心不乱にボスを殴り続ける日々です。
お前との因縁は知らぬ! だが報酬が美味しいのだ……!!
【勇者】
ユニークジョブと呼ばれる、極めて希少な職業の一つ。
世に魔王が現れた時、それに対抗するため神に選ばれた人間に与えられる。
あらゆるステータスに強大な補正がかかる上、勇者にしか取得できない数多くの強力無比なユニークスキルを使う事ができる。
また、この職業最大の特徴は、神の声を聞くことができるという点にある。
神は勇者に進むべきを指し示し、勇者は世界を平和に導くだろう。
「う……」
(胡散くせー!!)
あまりにぶっ飛んだ内容に、開いていた本を思わず勢いよく閉じてしまった。
くたびれた装丁の表紙には『職業大全』の文字が踊っている。
ギルドの資料室に来たのはいいけれど、蔵書の数が多すぎてどこから手をつけていいのか分からず、とりあえず興味の惹かれたタイトルの本を手にとってみたらこの結果だ。
(【勇者】って職業は気になってたけどさ)
神の声とか胡散臭すぎる。普通に考えたら幻聴か思い込みだ。
この本には【勇者】って職業はそういうものだって書かれているし、多分世間一般での認識もそうなんだろうけど、一番初めに【勇者】になった奴とその周りはどんな気分だったんだろう。
とんでもない力を持った奴がいきなり「私は神の声を聞いた!」って言い出したら怖すぎるだろ。
「でもなあ……」
胡散臭いのは間違いないんだが、ここは何でもありなファンタジー異世界だ。
絶対にないとは言い切れないし、神様そのものではなくてもそれに近い存在は本当にいるかもしれない。
もしそうだとしたら俺たちがこの世界に転移した原因、もしくは帰り方を知っている可能性は十分にある。
となるとやっぱり三聖教との接触が必要になってくるし、場合によっては職業が勇者の人間も探す必要もあるだろう。
「そういえばここに三聖教に関係する本とかは置いてないのか?」
元あった場所に本を戻しながら、ぐるりと周囲を見渡してみる。
《セントラル》内部にある冒険者ギルドの資料室。
昨日スフィと話をしたフロアから階段で一つ降りた先に広がるここは、今まで見てきたどの冒険者ギルドのそれよりも広大だ。
うろ覚えだけど、俺の通っていた高校の図書室よりも広いかもしれない。
日本に比べてかなり紙の価値の高い世界でのこの規模は、正直言ってかなり驚いた。
おかげで目当ての情報が載っていそうな本を探すのには、かなり苦労しそうだが。
「せめてジャンル分けしといてくれよな」
貴重な資料が多数置かれているからか、一応見張りらしき職員はいるんだけど、別に司書の役割も兼ねているという訳じゃない。
俺はちゃんと元あった場所に本を戻したけど、他の人は空いている場所に適当に戻していた。そりゃ無茶苦茶になるわ。
「ええと『食べられる野草まとめ』『人前で緊張しない方法』『知られざるスライムの生態』『文字の書き方、読み方の教え方』『没落貴族のお家取り潰し騒動』『こうして私はハーレムを作った』。……ここ冒険者ギルドの資料室だよな?」
冒険者に全く関係なさそうな本もかなり混ざってるんだけど。
いや、最後のはちょっと気になるな。ほんのちょっとだけ。
……一応キープしておこう。
「これは時間がかかりそうだな、うん」
◆
「おや爺さん、この手は何だい?」
ダモスの街は人通りが非常に多い。
表通りは言わずもがな。建物と建物の間にあるほんの僅かな隙間のような通路でさえ、人と出会わずに通り抜けるのは困難なほどだ。
そんな中斎蔵が足を運んだのは、許可を得た人間が思い思いの場所に茣蓙や屋台を広げ、様々な商品を売り捌く自由市のような様相を呈した空間だった。
冷やかし混じりの通りすがりや店主と客が繰り広げる絶え間ない喧騒は、まるで祭りもかくやと言わんばかりだ。
そして人の数が多ければ多いほど、それに比例して不心得者の数も多くなる。
「いやなに、今お主が固く握りしめておるその拳を開いて中を見せてほしいと思うてな。儂の見間違いでなければ、そこの少年から盗んだ小さな巾着袋が出てくるはずじゃ」
今斎蔵が右手首を握りしめている相手も、そんな手合のうちの一人だった。
道の脇に立ち並ぶ屋台を覗き込みながら店主と談笑。時に使い道すら分からない奇っ怪な品を売りつけられそうになりながら道を歩く斎蔵の前で、この人物が盗みを働いたのだ。
どこか落ち着きのない様子で歩いていた少年に自然体で近づき、瞬きする間もないほどの時間のうちにその懐の内から袋を抜き取る。
斎蔵を除く周囲の人間に誰一人気付かれることなく行われたその早業は、非常に高度な技術の結晶とも言えるだろう。
事実斎蔵も、その瞬間を目撃した直後は驚きや称賛の感情のほうが勝っていた。
スリを働かれた少年は少しの間全く気付いた様子はなかったが、懐にあるべき重量が消失したことに違和感を覚えたのだろう。
慌てて己の身体と周囲を確認し、自分が袋を失くしたことを理解したのか「そんな……殺されちゃう」と、青褪めた顔で呟いた。
そしてそれを聞いた斎蔵は、今まさに群衆の中に紛れ込もうとしていた件の人物の腕を反射的に掴んでいたのだ。
「はあ~……。あんたには関係のないことだろうに」
問題の袋が手中にある上に、周囲の人間の視線も集まり始めている。被害者の少年も事態を理解したのか、斎蔵の後ろに寄り添っていた。
「あ~あ、失敗したなあ。爺さん、余計なことに首を突っ込んでくるなよ」
言い逃れは不可能と判断したのか、窃盗犯は降参だと手を広げて袋を差し出してくる。
(確かに儂には関係がない。全く、これでは裕也と晃奈にとやかく言えんのう)
この世界において自分たち一家は異物である。無闇矢鱈に関わるべきではないと、かつて斎蔵は二人にそう言った。
多少軟化はしたが、その考えは今でも変わってはいない。
とは言え体が動いてしまったのは仕方がないし、時を戻す術などあるはずもない。
(儂もまだまだよの)
己の行動に内心で苦笑しながら斎蔵は掴んでいた手を離し、窃盗犯から巾着袋を受け取る。
「ふむ、確かに」
中身は小銭が数枚程度だろうか?
窃盗犯がこの中からさらに何かを抜き取る素振りは見えなかったので、これで本当に全部なのだろう。
まさか金貨のような高額な貨幣が入っているとも思えず、これを失くしただけで命の危険を訴える少年の境遇も気にはなるが。
「お主、それだけの技量があるならこんな小さなことをせんでも十分に稼げるじゃろう──に!?」
少年に袋を返すため振り返ろうとした瞬間、窃盗犯が繰り出してきた拳を咄嗟に避ける。
この世界に来る前の身体なら避けきれなかったであろうそれを前に、再び内心で苦笑する。
(本当に、儂もまだまだじゃのう)
常日頃から子や孫に油断するなと言っておきながらこの体たらく。
手を掴んだ時点から敵意や悪意を全く感じていなかったのだが、それも己の未熟ゆえだろうと戒める。
「おいおい、これを避けるのか。爺さん、あんた只者じゃないな?」
自分の正体を隠すかように、頭の上から膝上までを覆うように着込んでいる薄汚れたローブ。
本気で動くには邪魔になるであろうそれを脱ぎ捨て、窃盗犯が両手で構えを取る。
引き締まった体躯に軽鎧を着込み、短く纏められた赤褐色の髪の上からは丸みを帯びた耳が飛び出している。
正体は分からないが何らかの獣人だろう。
そして冒険者となり身体能力のあがった斎蔵でなければ避けられぬほどの先の一撃。
「同業者じゃったか」
「あんたこの街に来て日が浅いだろ? その歳でこれだけ動けるやつがいたら、アタシの耳に入ってるはずだ」
窃盗犯改め、女性の獣人冒険者が不敵に笑う。と、同時に再び拳を放ってきた。
「余計に分からんのう! 冒険者が何故こんなことを!?」
「なに、ちょいと飲むための小金が欲しくてね! けど爺さんのせいで台無しだ!」
次々と繰り出される手を避け、弾き、逸しながら斎蔵はさてどうしたものかと首をひねる。
女性冒険者は腰に提げている短剣を抜くつもりはないようだ。先程から繰り出されている攻撃からも、強くこちらを害しようという意思を感じられない。
有り体に言って、全く本気ではないのだ。
(白昼堂々の窃盗未遂に加えて暴力行為。ぎるどに通報がいけば間違いなく処罰されるじゃろうに、このやる気のなさは何じゃ?)
違和感が警戒度を跳ね上げる。
(時間稼ぎ? 何のために? 警邏が来て困るのは向こうじゃ。それでも儂の注意を引く理由──仲間か!)
瞬間、斎蔵は直感に従ってその場に低く身を伏せた。
同時に、背後から現れた新手が直前まで己の首があった空間を横薙ぎに殴りつける。
「うおっ、まじかよ。今のをこんなにあっさり避けられるんなら、俺じゃ多分無理だぜ。降参降参!」
先程まで女冒険者が身に纏っていたのと同じような長尺のローブ。
そこからフードを外して顔を晒した大柄な男が、おどけたように両手をあげた。
「ちっ、情けねえこと言うなよオットー。まあ構わねえか……、一応目的は達成できるだろうしな。悪かったな爺さん。妙な話に聞こえるが、これもれっきとした依頼でね」
これ以上争う気はないのだろう。
女性の方も構えを解き、ポリポリと頭を掻いている。
「……訳は当然話して貰えるんじゃろうな」
「あ~……、どうなんだろ? これって話してしまっていいのかい?」
「俺に聞くなよ。でも結局この爺さんも関係者になっちまってるわけだし、いいんじゃないか? 現場の判断ってことで。それより急ごうぜ。見失っちまう」
二人は完全に斎蔵に対する敵意を失っているようで、今度は斎蔵の背後に向けてチラチラと忙しなく視線を送っている。
「つまり、どういうわけじゃ?」
「悪いね爺さん。説明の前にあの小僧を追いかけよう。あんたが人がいいのは分かったけど、それで餌にされてちゃ世話ないよ?」
そう言って笑う女性冒険者の横で、オットーと呼ばれた大柄な男が自分の財布を取り出して振って見せる。
「ああ何じゃ、そのことか」
つい先程まで自身の足に縋っていた少年。
彼が自分の財布を返してもらう前にゆっくりと離れていっていたのには気がついていた。
その際に、拙い手つきで斎蔵から財布を盗んでいったことにも。
「分かっているなら何をゆっくりしてんだい? オットーの言う通り、見失っちまうよ?」
揉め事は収まったのだと判断したのだろう。事態の推移を見守っていた周囲の人間も、興味を失って散り散りになっていく。
そして再び訪れる喧騒。
この状況で完全に人混みに紛れてしまえば、いくら冒険者といえども探し出すのは困難だ。
しかし。
「見つけ出すだけなら問題ないからのう」
年端も行かぬ子供が「殺されちゃう」と顔を青褪め、自分を守ってくれているはずの存在から盗みを働くその理由。
気にならないはずがない。
そしてここまできて今更部外者ぶるつもりは斎蔵にはなかった。
だから見逃した。その理由を解き明かすために。
「「?」」
首を傾げる二人の前で、右手の人差し指を掲げて見せる。
「安心せい。『せきゅりてぃ』は万全じゃ」
ニヤリと笑う斎蔵の指先で、銀色の塊が踊った。




