第2話 落とし穴!? 2
大量の5周年記念ケーキのおかげで、とうとうプレステージできました。
血塗れ衣装、いい……。
(あ、危なかった~……!)
飛び出してきた刃物の質があんまりいい物じゃない上に、殆どスピードも乗っていなかったのが幸いした。
前歯を使っての真剣白刃取り! とでも言えばいいんだろうか。
舌どころか唇にさえ傷一つ付けることなく、刃先を口だけで受け止めることが出来た。
冷静に考えたら手を離して壁から飛び降りてしまった方が安全だったんだろうけど、成功したんだから問題はなし!
(それにしてもこの穴、やっぱり罠だったんだな)
口に咥えたままの刃の大部分は、まだ壁の中に埋まったままだ。
この状態で更に動き出されたらと思うと怖いので、口から離してゆっくりと顔を逸らす。
先端恐怖症というわけじゃないけれど、目の前にこっちを向いたままの刃先があるというのは精神衛生上よろしくない。
「裕也! 大丈夫!?」
「大丈夫! ちょっと驚いただけだ! 下にも罠があるかもしれないし、気をつけろ!」
下から聞こえてきた姉貴の声に返しながら、壁登りを再開しようと上を向く。
(さて、どうしようか)
このまま真っ直ぐ同じルートを登り続けるのも危ない気がするけど、一度罠が発動した周囲は逆に安全という考え方もできる。
(これがデスゲーム系の漫画だったら推理戦が始まるんだろうけど、そういうのは苦手だしなあ。面倒くさいし、このまま真っ直ぐ行くか。……っと!?)
くだらないことを考えていたら、さっきの刃物の周囲の土が更にバラバラと崩れ始めた。
また新たなトラップが飛び出してくるのかと警戒したが、どうやらそういうわけでもなさそうだ。
土壁が崩れるにつれて刃物の全容が明らかになり、それが一本の剣の先端部分だったのだと判明する。
と同時に、上半身を突き出すような姿勢でその柄を握りしめている、一体のゴブリンが壁の中から現れた。
「……何だこいつ?」
いきなり目の前に現れた、武器を持った魔物。
普通なら何も考えず即座に倒すべきだし、俺も最初はそうしようと思った。
けれども俺はそのゴブリンの状態が、どうやら『普通』じゃなさそうなことが気になった。
壁の中に埋まっていたというのは別にいい。この落とし穴自体がゴブリンの作った罠で、獲物を待ち構えて壁の中に潜んでいたと考えれば自然なことだ。
(……なんだけど。どうなってるんだ、これ?)
けれどもその下半身が、壁と同化しているというのはどういうわけだろう。
単純にまだ土の奥に埋まっているだけ、というようには見えない。
本来ゴブリンの肌は緑色をしているが、このゴブリンは下半身に近づくにつれて茶色がかっていき、腰の辺りからは質感も色も土そのものだ。
まるで土がゴブリンに変化している最中のように見える。
(もしかしてゴブリンって土から生まれてくるのか?)
見た目からして哺乳類だと思っていたけれど、よく考えたらゴブリンの生態に詳しいわけじゃない。
そもそも魔物なんていう存在がファンタジーなんだし、もしかしたらゴブリンは初めから成体の状態で土から生まれてくる種族なのかもしれない。
(あれ? でも前に子供のゴブリンを見たような……)
目は虚ろで、口は半開き。
まるで夢現というか、半覚醒状態のような表情のゴブリンは、俺が考え事をしている間も微動だにしていない。
「何やってんの! 前にそれで痛い目見たのもう忘れたの!?」
「っ!?」
もっとじっくり観察しようとしていたら、突然横から伸びてきた姉貴の右手がその頭部を殴り潰し、周囲に赤黒い飛沫を撒き散らした。
目の前で展開されたグロい光景から目を逸らす為。と言うより飛び散る液体やら何やらを避けるために慌てて顔を背けると、かなりご立腹の様子でこっちを睨んでいる姉貴と目が合う。
姉貴が言っているのは、以前俺がゴブリンに腹を刺された時のことだろう。
確かに傍から見ればあの時の状況と似ているし、文句を言いたくなるのも分かる。
けれども血の滴っている右手で人を指差すの、止めてくんないかな。なんかよく分かんないブヨブヨしたものも付いてるし……。
「分かったって、悪かっ──」
いつの間にここまで登ってきたんだ? とか、左手壁に突き刺して身体支えてるけどそんな音してなくない? とか言いたいことは他にもあったけど、ここは素直に謝っておこうと思って──その光景に息を呑んだ。
「ちょっと聞いてんの!?」
ゴブリンの頭を殴り潰した姉貴の右手。
その手についている赤い血が、まるで風化するかのように消えていっている。慌てて視線を前に戻すと、死体側にも同じことが起こっていた。
だらりと腕を下げた上半身に、周囲に飛び散った頭部の残骸。そのどれもが小さな光の粒子になって、徐々に空気に溶けていく。
こんな現象は見たことがない。
「二人共! 今すぐ登り切るか、そこから降りて!」
「っ! 降りるわよ!」
俺が呆気に取られている間にも、状況は目まぐるしく変化していく。
滅多に聞かない親父の焦り声を背に、強引に俺を抱きかかえた姉貴が穴の底に向かって飛び降りる。
腕と身体に挟まれた背骨と肋骨がミシミシと音を立てるが、今はそんなことよりも気になることがある。
(さっきのは何なんだ? あのゴブリンは見かけだけの偽物? それとも何かのスキルの効果で死体が消えたのか?)
いくつも疑問が浮かぶが、俺たちが穴の底に着地するまでのほんの僅かな時間の間に、周囲は予断を許さない状況になってしまっていたみたいだ。
見上げた壁の至る所から罅が生じ、その中から何かが頭を覗かせている。
地面には隙間がないほど亀裂が入り、その隙間からは小型の魔物がワラワラと出てこようとしてきていた。
「痛てっ!」
穴の底に飛び降りた姉貴に、比較的罅割れの少ない場所に放り出される。慌てて身を起こした時には、周囲一帯を魔物の群れに囲まれていた。
その殆どがゴブリンだが、中にはスライムやピグーといった別の種類も混じっている。はっきり言ってそれだけならそこまで脅威じゃないんだが。
「不気味な奴らね」
姉貴の言う通り、どいつもこいつもかなり異様な姿だ。
ボロボロの体表には無数の罅が走り、動く度に身体の一部が崩れていっている。
その動きも緩慢で、力尽きたように倒れ込むやつも何体か見えた。そして力尽きたやつは最初のゴブリンと同じように空気に溶けるようにして消えていき、後にはその欠片一つ残っていない。
──いや、違う。よく見ると何か光る石のようなものが残って……。
「魔石か……?」
「来るわよ!」
魔物の死体が消えた後に残っているそれを確認する間もなく、周囲の魔物が俺たちに向かって殺到する。
一体一体の強さは怖くも何ともないレベルだ。腕力任せに素手で殴りつけただけで、その部分から粉々になって吹き飛んでいく。
けれども。
「数が多い!」
次から次へと壁や地面から生えてくる。特に真下から飛び出してくるのが厄介だ。
現在俺と姉貴はほぼ隣り合わせで、他の三人とは少し距離が離れている。一旦全員で合流したいところだけれど、この乱戦下で下手に密集するとかえって動きづらくなりそうだ。
「これはこれで面倒じゃのう!」
「あらあら、ちょっと困りましたね」
「どうせどこかにこの状況を作り出しているやつが隠れてるって話でしょ! 全員跳んで!」
姉貴の合図に従って、反射的に体が動く。
家族全員の足が地面を離れた瞬間、炎を纏った姉貴の拳が地面に向かって叩き込まれた。
『ギャアアアアアアアッ』
拳が地面にめり込み、壁の中程にまで届く無数の亀裂が走る。その中を炎が吹き荒れ、今まさに誕生しようとしていた魔物たちを纏めて焼き尽くした。
「どうよ、もう一発っ!」
「ちょっと待てって! やり過ぎ──」
ドヤ顔をした姉貴が同じように反対側の拳を叩き込むのを止めようとしたが、時既に遅し。
二度目の衝撃と炎に耐えきれなかったのか、俺の足元の地面が大きく陥没した。
「うおあっ!?」
本日二度目の浮遊感。
けれども今度はそこまで長い時間じゃなく、深さも二メートルに満たない程度の窪みに落っこちる。
「あれ?」
「やりすぎだバカ姉貴! 少しは加減してくれ!」
仰向けの姿勢で受け身を取りながら、上から覗き込んできた姉貴に抗議の声を上げる。
やっぱり姉貴は魔物より危ない。次からはもっと離れて戦うことにしよう
「でも今のでかなり数が減ったわ。さっさと上がってきなさい。ここから出るわよ」
素直に納得したくはないが、姉貴の行動は正解だったみたいだ。
二発目の攻撃で殆どの魔物を倒せたのか、こっちを覗き込んでニヤニヤしている。
「分かったよ」
俺だってこんな所に長居なんてしたくない。レギーが待っているんだし、さっさと地上に戻らないと。
そう思って上体を起こすと、妙なものが目に入った。
「何だこれ?」
今日は短い時間の間に変なものをたくさん見たが、『こいつ』はその中でもとびっきりだ。
陥没した地面の底からまるで台座のように土が突き出し、その上に一個の魔石が鎮座している。
手のひらで包める程度の小さなサイズだが、ゴブリン達のものに比べれば遥かに大きい。
魔石の中からは弱々しいながらも輝きが漏れ、それの中にまだ魔力が残っていることが分かった。
「……怪しすぎるだろ」
不自然な落とし穴に、土から湧いて出る魔物。
倒しても死体は残らず、詳しくは確認していないが魔石だけが残る。
そんな奇妙な空間に設置されている魔石なんて、『私が原因です』と言っているようなもんだ。
「……」
無言で魔石を掴むと、特に抵抗もなく台座部分から捻り取れた。
「むぅ?」
「あらあら、皆さん急に崩れてしまいましたね」
「見てよ加奈子さん、魔石だけ残ってる」
俺の予想は寸分違わず当たっていたみたいだ。
上の方から聞こえてきた会話のおかげで、何が起こったのか見なくても分かる。
「いや、あっけなさ過ぎるでしょ」
「俺に言われても……」
俺の行動を一部始終見ていた姉貴も呆れ顔だ。
とにかくこれで解決なんだし、早くここを出たい。
(手に入ったのは上に散らばってる結構な数の魔石と、このまあまあなサイズの一個か。馬車が壊れたことを考えると、ちょっとマイナスなんじゃないか?)
馬車の相場は知らないけれど、ゴブリン程度から取れる魔石じゃ相当な数を集めないと釣り合わない気がする。
誰も怪我をしていないのは幸いかもしれないが、これじゃ骨折り損だな。
とりあえず一番の収穫であるこの魔石だけはとマジックバッグに放り込んだ瞬間、再び地面が蠢いた。
「うおおおっ!?」
さっきとは真逆の感覚。
今度は上へ上へと身体が押し上げられていく感じがする。
「って、気のせいじゃないぞ!」
急速に地面が盛り上がり、見る見る地上が近づいてくる。
さっきまで立っていた地面が、ほんの数秒の内に地上の大地と同じ高さまで上昇。そこで止まってくれたのはいいんだが、俺たち全員はその勢いのまま空中に放り出された。
「うわわわわわわあわわわわ!?」
「あらあらあらあら?」
「あはははははっ」
無言の爺ちゃんに絶叫する父さん。母さんはもちょっと動揺しているみたいだけど、姉貴は爆笑している。
撃ち出された俺達は、今日何度目になるかも分からない驚きに包まれながら、今度は重力に従って地面に叩き落とされた。
一緒に飛んでいた結構な数の魔石が、遅れて雨のように降り注いでくる。
その下にある地面はどう見ても普通の状態で、さっきまで大穴が開いていたなんて信じられないくらい自然な見た目だ。
フオオオオン、と鳴きながらレギーが近づいてくるが、今は構ってあげられる余裕がない。
「いや、本当に何だったんだ? 今の」
頭を擦りつけてくるレギーの背中を撫でながら、俺は呆然と呟いた。




