プロローグ 【大氾濫】 5
お待たせして申し訳ありませんでした!
誤字報告もありがとうございます。
最近擬人化した競走馬を育てるゲームを始めたのですが、もしかしてこれ、とても面白いですね?
「とまあ、そういうわけですます。あ、大丈夫だとは思うけど一応このことは内緒でお願いしますね。緊急クエストを受けてる《ベステラード・ファミリー》としては、結構ギリギリの行動だと思うんで」
「……恩を仇で返すような真似はしないさ。だがそうなると表立って礼を言うわけにもいかないな。逆にこちらが心苦しいよ」
セントラル前の広場から少し離れた大通りの片隅に、臨時に設置された救護スペース。
そこに置かれた椅子に深く腰を沈ませながら、エミールはベッドで横になっているホドスに慣れない敬語で事情を説明していた。
スキルの反動で一時的に動けなくなっているだけのエミールと違い、エルダーリッチの攻撃を至近距離で受けたホドスは重傷だ。
軽度とは言え全身に火傷を負っている上、魔力欠乏症にもかかっている。
手当てをした騎士団員は、この状況では全治までかなりの時間がかかるだろうと言っていた。
(ただでさえ回復系スキルの持ち主は数が少ないってのに、その上ポーションまで足りてないんじゃな……)
不幸中の幸いと言うべきか、エルダーリッチが周囲から見境なく魔力と生命力を吸い上げながら進んでいたおかげで、まともに動ける魔物は殆ど残っていない。
今もまだ戦いは続いているが、既に戦線はセントラル内部にまで押し上げられている。
それはいいのだが、ただでさえ数の少なくなっていたポーションが、最低限の数だけを残して前線に送られてしまっていた。
戦闘開始時に湯水の如く使われていたこともあって、ダモスの街全体で見てもその在庫量はかなり少なくなっている。
一冒険者に過ぎないエミールには「困ったことになりそうだ」という感想くらいしか出てこないが、医療関係者や為政者たちが頭を抱えているだろうことは容易に想像がつく。
「この騒動もじきに終わりそうですね。エルダーリッチは単体で行動する傾向にあると聞いたことがありますし。大体あんなやばい魔物が早々現れるもんじゃないだ……でしょう」
「ああ。だが被害者たちへの補償に負傷者の治療、瓦礫の撤去にその他諸々。むしろこの戦闘が終わってからこそが本当の戦いになるだろう」
そこまでいけば復興目的関連のクエストでも出ない限り、冒険者であるエミールには殆ど出番はない。
暢気に構えるエミールとは対照的に、この先のことを考えて頭痛を覚えるホドス。そしてそんな二人を見て苦笑を浮かべるスタッフ達。
和やかな雰囲気の流れる救護スペース内だったが、もしこの場に裕也達がいれば勢いよくこう叫んだだろう。
やめろ。フラグを立てるな、と。
そんなことは気にも留めず、今もまた遅れてやってきた冒険者たちがセントラルに向けて駆け抜けていくのを、エミールは救護スペースからじっと眺め続ける。
(もう少し休んだら多少は動けるようになりそうだな)
先程エミール自身が言っていたとおり、この騒動もじきに終わるだろう。
しかしその終結をここでのんびりと休んだまま迎えるつもりは毛頭なかった。
十全とまではいかなくとも、ある程度動けるようになれば再びダンジョンに向かえるように装備の点検もしておく。
一時は冷静さを欠き暴言すら吐きかけてしまったが、《ベステラード・ファミリー》はエミールが憧れていた通り、いやそれ以上に素晴らしい組織だった。
彼らならなんだかんだと言いながら、ダンジョン内に残っているオットーとギャッツの救助隊も既に編成しているに違いない。そこに疲れ切った状態のエミールが入る余地はないだろう。
(だからといって、このままここで最後まで休んでるなんてありえないよな)
それだけはありえない。そんなことはエミールの信条に反する。
決意を新たに、弛緩しかかっている気持ちを引き締める。
にも関わらず、直後起こった出来事に即応できず、周囲と同じように呆然としてしまうはめになった。
「……は?」
突如として人の流れが代わり、ついさっき意気揚々とセントラルに向かって行ったはずの冒険者の一人が逆方向に向かって駆けていく。
その表情は恐怖に彩られており、エミールだけでなく救護スペースにいた全員が呆気に取られているうちに、彼の姿は曲がり角の向こうに見えなくなってしまった。
「何だ……?」
まさかとは思いつつも、半ば確信めいた嫌な予感がエミールを襲う。思わず腰を上げると同時に、一人の兵士が救護スペースに飛び込んできた。
「全員すぐにここから離れろ! またエルダーリッチだ! 今度は二体出てきやがった!」
現れるなりそう叫んだ兵士の声に、その場にいた全員が数秒硬直し、その後堰を切ったように動き出す。
つい先ほど実際に目にしてしまった、Aランククラスの魔物の恐怖が蘇る。
直接対峙したものも、遠巻きに見ていたものも、誰もが同じことを思っていた。
次はない。今度こそ殺されてしまう、と。
動けない者に肩を貸し、広げていた医療道具を慌てて荷に詰める。
誰もかれもが一秒でも早くこの場を離れようと、悲鳴を上げながらも必死に動き始めた。
「おいエミール! 何をしている!」
そんな中、一人だけ流れに逆らって歩き始めた冒険者にホドスは声をかける。
「何って……、セントラルに行くんですよ」
何を当然のことを、と言いたげに肩を竦めると、エミールは一度止めた足を再び動かし始めた。
スキルによって強引に身体能力を強化した反動で、全身の筋肉が悲鳴をあげている。
それでなくとも、本来エルダーリッチは彼一人の力で太刀打ちできる相手ではない。頼みの綱である《ベステラード・ファミリー》の下に行こうにも、その途中にエルダーリッチがいればほぼ不可能な道程だ。
それでもエミールは歩き続けた。
何故かは自分でもわからない。
格好をつけたいだけなのかもしれないし、ただ意地になっているだけなのかもしれない。
「まあ、でも……」
無意識のうちに握りしめていた、一枚の金属板に刻まれたエンブレム。
「少なくとも、これに恥じないようにはしないとな」
エルダーリッチと対峙することになっても、今の自分では倒すどころか一矢報いることすら出来ない。だがそれでも、きっと何か役には立てるはずだ。
そう思うと、じっとしてなんていられはしなかった。
ホドスの制止の声を背中に浴びながら、救護スペースの外に出る。痛む身体を内心で罵倒しながら一歩踏み出そうとした矢先──。
「──見慣れん顔だが、新入りか? いい心意気だ」
「!?」
突如として、エミールの前に大きな影が立ちふさがった。
「全身の筋肉、特に腓腹筋の疲労が強い。これはマリーの仕業か? 何れにせよ、お前はもう十分に為すべきことを為したと見える。後は我ら先達に任せるといい」
身長約二メートルの獣人。
完全に露出された上半身のうち肩口のみが黒色の毛で彩られているが、それ以外の部位は黄金色の体毛で覆われており、まるで太陽のような輝きを放っている。
体格だけでいえばオットーと殆ど変わらないが、発せられている威圧感は桁が違う。
自分が責められているわけでもなく、ましてや敵意を向けられているわけでもない。それなのに、ほんの数秒の間にエミールの口の中は緊張で乾ききっていた。
「ん? すまんすまん、脅すつもりはなかったのだが……。ここに来るまでの間に喧しいギルドの職員に捕まりかけてな。緊急依頼がどうのこうのとか、戯けたことを抜かしていたので少々苛立っていたようだ」
俺もまだ精進が足りんな、と被りを振る男の顔と一緒に金色に輝くたてがみが揺れる。
自嘲するように歪められた口の中には、鋭い犬歯が見えた。
「あなたは……」
目にした瞬間こそ面食らってしまったが、エミールにはその男の正体について心当たりがあった。
否。この街に住みながら、彼のことを知らない人物など存在しない。
その名も。所属も。そしてどのような存在なのかも。
「そこの兵士、彼を頼む」
問答をするつもりはないようで、その獣人はエミールの頭に軽く手を置く。と、ぐらりとエミールの意識が暗転した。
「は……ははっ! 了解しました! アルク殿!」
意識を失ったエミールが倒れるより早く、声をかけられた兵士が慌てて駆け寄って来る。
言うまでもないことだが、街の治安を守るために編成されている兵士に命令できるのはその上司、もしくは領主直属の騎士団のみだ。市民からの簡単な相談事に対応することはあっても、関係のない人物からの指示や命令を聞き入れる必要はない。
にも関わらず、救護スペースに情報を届けに来ていたその兵士はアルクと呼んだ獣人に対して最上級の敬意を表しながら、エミールの体を受け取った。
「さて、それでは行くとするか」
それを満足気に見やるとアルクは体を翻し、セントラルへと向かって小走りを始める。
進む先に待ち構えているのはAランククラスの魔物、エルダーリッチが二体。
だというのに、アルクには一切気負った様子も怯える気配もない。
「ふむ、思ったより大事になっているな」
セントラル正面へと続く大通りへ入り目的地に近づいてくるにつれ、内部から怒声に混じり爆発音が響いているのが聞こえてくる。一階部分の入り口からは煙が吹き出しているのも見て取れた。
戦闘で負ったのだろう。傷口を押さえながらセントラルから離れようとする冒険者や兵士も大勢いる。
一刻も早く安全な場所に行きたいと、そう物語る表情を浮かべる彼らだったが、アルクの姿を見た途端にその動きを止めた。
次いで先程の兵士同様、強い敬意と期待の感情をアルクに向けながらその邪魔にならぬようにと慌てて道の端に寄る。
「大仰なことだ」
平時ならば遠慮したくなるような光景だが、緊急時にはありがたい。
自然と開いたセントラルまでへの一本道を、アルクは苦笑しながら走り抜けた。
そうして辿り着いたセントラル正面入口。
そこで初めて一度だけ後方へと振り返ると、大きく息を吸い──咆哮。
雄々しく猛々しいそれが響くと同時に、セントラルの内部の怒号がピタリと止まる。
「【獣王】が来たぞぉっ!」
爆発的な歓声と共に、全身の毛を逆立たせたアルクはセントラルへと突入。
その後わずか十数分足らずにして、迷宮都市ダモスにおける【大氾濫】事件は幕をおろした。
所用で街の外にいたアルクは「緊急依頼? 聞いてないから関係ないし」という考え。
明らかにおかしい街の状況と、待ち構えていたギルド職員の様子からある程度を察して突っ込んでいきました。
ようやくプロローグも終わり、次話からは裕也たちの物語に戻ります。
迷宮都市でのファミリーの活躍にご期待ください。




