プロローグ 【大氾濫】 4
すみません、殺人鬼から逃げつつ発電機修理してました……。
「死守だ! 死守せよ! 民が避難するまでの時間を稼ぐのだ!」
今にも崩れそうな士気を何とか維持しようと、懸命に声を張り上げる。
ホシドが危惧していた通り、一度拮抗が崩れてからの展開は一方的なものだった。
魔物側の途切れない物量を前にポーションが尽き、魔力の枯渇した冒険者たちが後退を余儀なくされる。代わりに騎士団が前に出たが、ポーションを湯水の如く使用していた冒険者たちが抑えられなかったものを押し込めるわけもない。
すでに戦線はホールの出入り口付近にまで後退し、一部の魔物はセントラル内の階段を上り始めているという有様だ。
「団長! 飛行型の魔物が!」
「そちらは冒険者に任せろ! 目の前に集中するんだ!」
大盾を構えた前衛が魔物の突撃を抑え込み、その隙間から槍やスキルで攻撃を加える。
何の捻りもない基本的な戦術だが、がむしゃらに向かってくる相手には有効だ。
問題は他の騎士が指摘した通り、空を飛べる魔物に手を回す余裕がない事。
遠距離攻撃が可能な騎士もいるが、焼け石に水だと早々に止めさせた。ただでさえ少ない戦力を分散させるよりは、いっそのこと後ろで休憩している冒険者に全て任せてしまった方がいいと考えたのだ。
「増援が到着しました!」
「我らの後ろに陣を構えさせろ! 隙を見て後退、前列を入れ替える!」
あまりの歯がゆさに、舌打ちしをそうになる。最善を尽くしているはずなのに、ジリジリと戦線を後退させられていく。
(しかし、時間は稼げている!)
騎士をはじめ、街中の冒険者達もが続々とセントラル周辺に集結してきているとの報告は受けた。
《ベステラード・ファミリー》はセントラル内部の防衛を引き受けている為参戦出来ないという連絡は痛かったが、この街には他にも強力な冒険者が存在する。彼らと協力すれば巻き返しは十分に可能だ。
しかしそれも現状のままでは難しい。
同属の死体を踏み越え、狂ったように突撃を仕掛けてくる魔物たちを睨みつける。
(何か一手! 何か一手、状況を一変させられる切欠があれば!)
天にも祈る気持ちで指揮を続けるが、時間とともに状況は悪化していくだけだ。
「くそっ! 後列構え!」
やがて前衛の疲労が目に見え始めたので、無理を承知で強引にひと当てしてから下がらせようと口を開いた瞬間、凄まじい熱風がホシドの肺を焼いた。
(な──にが……?)
激痛で声が出せず、呼吸もままならない。
反射的に咳をしそうになるが、横隔膜が僅かに震えるだけだ。
気が付けばホシドはセントラルの外の地面の上で大の字に倒れ、さっきまで立っていたはずの場所には巨大なクレーターが出来ていた。
(爆発……? スキルか、それとも何らかの魔道具か? 誰の仕業だ?)
騎士団にここまで強力なスキルを使える人間も装備も存在しない。
後方の冒険者の誤射の可能性が頭をよぎったが、犯人はすぐに判明した。
それも最悪な形で。
「リッチだ! エルダーリッチだ!!」
遠くで誰かが叫んでいる。
霞む視界と朦朧とする意識の中で、ホシドは今日一番の驚愕を覚えた。
エルダーリッチ。
アンデッド系の魔物の中でも最上位の強さを持つ種の一つであり、冒険者ギルドが定めた討伐ランクはA。
見た目は宙に浮かんでいる上半身だけの骸骨で、豪華だが年季の入ったローブを纏い、手には複数の魔石が埋め込まれた杖を持っている。
ただそこに存在するだけで周囲の魔力と生命力を吸い取り続け、強力な魔法スキルを連発することが可能。と、言葉にすればそれだけなのだが、その強さは並の魔物と比較することすら烏滸がましい。
(ダンジョンの深層で見かけたという話を聞いたことはあるが、眉唾ものだと思っていた!)
Aランククラスの魔物など名前と特徴を知ってはいても、実際に対峙した人間は殆どいない。
仮にそのような機会があったとしても、その大半が命を落としているからだ。
ホシドが苦痛にあえぎながら懐にあるポーションを探っているうちに、誰も何も出来ないまま再び爆発が巻き起こる。
(殆ど溜めもなしに連発か! 化け物め!)
後方で隊列を組んだいた仲間たちが、声を上げる間もなく吹き飛ばされていく。
爆発によって生じた戦線の穴。そこから更に奥に狙いを定め、最後列の冒険者たち目掛けて攻撃を繰り返すエルダーリッチ。
怪しく魔石が輝く杖が振るわれる度に人が、建物が四散していく。
「うわああああああ!?」
「逃げろおお!!」
「足が! 俺の足がっ!」
「目が見えない! 誰か助けてくれえ!」
爆発に直撃した者は即死。運よく生き残れても余波で重傷を負う。
その間にも他の魔物が続々とダンジョンの底から現れ続け、遠距離から攻撃を繰り返すエルダーリッチに近づくことすら出来そうにない。
「ああっ、クソッ! このクソ野郎っ!」
それならばこちらもと魔法を撃った冒険者もいたが、その全てがエルダーリッチの張った透明な膜に阻まれ、逆に反撃を食らう始末だ。
──もう無理だ。
その場にいた誰もがそう思い、絶望した。
自発的に集まっていただけの冒険者は逃走を始め、騎士団員たちの顔にも諦めの感情が浮かんでいる。
そんな中を悠々と進み、ついにセントラルの外へと歩み出たエルダーリッチは天を仰ぎ、口を大きく開いた。
『オオオオオオオオッッ!!』
それは歓喜か、それとも威嚇の咆哮か。
ひとしきり声を上げ終わるとエルダーリッチは両腕で杖を構えなおし、周囲に佇む騎士団員たちを睥睨する。
魔石が再び輝きはじめ、それと同時に周囲の魔物がバタバタと倒れていく。
「嘘だろ……」
わずかに残っていた冒険者たちも、その光景を見て心を折られていた。
周囲の魔力の強制接収。この後に放たれる攻撃の規模は今までの比ではないと、誰もが直感した。
今ならばと届くのではないかと、僅かな望みと共に放たれた攻撃も変わらず膜に阻まれる。
「そんな……」
今更逃げだしても遅い。この攻撃は自分たち諸共この周囲一帯を吹き飛ばすだろう。
誰もが諦める中、漸くポーションを飲み終えたホドスは勢いよくエルダーリッチに斬りかかった。
「死守だ……。死守せよ……。ここを通せば、次に殺されるのは後ろにいる民達だぞ……」
振り下ろされた剣先は当然のごとく膜に阻まれ、エルダーリッチも意に介した様子はない。
杖に埋め込まれた魔石がますます激しく輝くのを、邪悪な笑みで見つめているだけだ。
「死守せよ……。死守、せよ……!」
例えポーションを飲んだからとはいえ、全ての傷が回復するわけではない。
焼けた肺は十全に機能を発揮しておらず、口を開くたびに血が吐き出される。
こうしている間にも目の前のエルダーリッチに体内の魔力を吸い出され、急性魔力欠乏症の症状も現れ始めている。
それでもホドスは攻撃をやめなかった。
(一度で駄目ならば二度。二度で駄目ならば三度。それでも駄目だというならば、この命が尽きるまで攻撃を続けるのみ!)
絶望で折れそうになっている心を、それ以上の使命感で抑え込む。
騎士としての意地と誇りを支えに、手を動かし続ける。
(いまここで奴を止められるのは、我々だけなのだ!)
「団長……」
「ホドスさん……」
エルダーリッチは、ただそこにいるだけで周囲の生命力をも吸い取り続ける。
しかし、徐々に動きが緩慢になっていきながらも決して攻撃をやめない騎士団長の姿を見て、膝を折っていた者たちも立ち上がり始めた。
今ここで動かなくてどうする。
今ここで動かねば死ぬまで──否、死んでも後悔する!
魔石は益々輝きを増し、最早眩しくて直視出来ないほどだ。
しかし誰もが剣を構え、エルダーリッチへと向かって一歩前に踏み出した。
その光景を見たエルダーリッチの眼窩に宿る輝きが不快気に揺らめき、掲げていた杖が前に突き出され──。
「姉さんの言葉を借りるなら『嫌いじゃないわ』、ってとこかな」
セントラルの四階の窓から飛び出してきた赤い閃光に、勢いよく叩き壊された。
込められていた魔力が暴発するがその威力はほぼ地面に向けられ、轟音と共に大量の土砂が巻き上げられる。
『ッ!?』
驚愕に目を見開いたエルダーリッチは次の瞬間、自らの体までもが上空に打ち上げられたのを感じた。
『ア、アアアアアアアアッ!?』
遠ざかる地面を見下ろすと、爆発で抉れた地面の中央に立つ一人の人間が自分を睨みつけている。
それが下手人であると判断すると同時に指先に魔力を集中させるが、直後に感じた膨大な魔力の奔流に反射的に背後を振り返った。
「おやおや、こんな高さにまで飛び上がってきたよ。こりゃあ仕方ないね。あいつはきっとこのまま窓から階段を通ってセントラル上層を攻める気だ、間違いない。そうだよね? お前たち」
「その通りです、姉さん!」
「間違いないでさぁっ!」
「《ベステラード・ファミリー》が受けたクエストは『五階へ続く階段を守れ』だったね。じゃあしっかりと勤めを果たすとしようか。……撃ち抜きな!」
迷宮都市ダモス最強の戦闘集団、《ベステラード・ファミリー》。
セントラル内の階段を守るために分散していた彼らのうち、遠距離攻撃を行える全員が一方向の窓の傍に集まっていた。
各自が構えを取る中、その目前の高さにまで舞い上がったエルダーリッチに向かって号令一下、様々なスキルが放たれる。
騎士団、冒険者、避難中の住民たち。その全員が固唾をのんで見守る中、色とりどりの光線はエルダーリッチの防御膜を容易く貫き、その全身を打ち砕いた。
「一体何が……?」
「《ベステラード・ファミリー》だよ、騎士団長さん」
あれだけ苦戦したエルダーリッチが瞬殺されたことに呆然としているホドスに肩を貸したのは、先ほど杖を叩き壊した赤い閃光──エミールだった。
「お前、もしかしてエミールか?」
「あれ? 俺のことをご存じで? その通り、大正解ですよ」
「しかしその姿は……」
先日の『ジャイアントキリング事件』を含め、数々の事件に関わってきたエミールの名は騎士団の中でもよく話題に上っていた。
しかし先ほど赤い閃光と見間違えてしまったほどに、その容姿は聞いていたものとはかけ離れている。
燃えるように赤い頭髪はそれ自身が意思を持っているかのようにユラユラと逆立ち、まるで亀裂のような赤黒い紋様が肌の上を走っている。
その肌も浅黒く、瞳はオレンジ色に発光し、口の中からは蒸気のように白い煙が漂っていた。
明らかに普通ではない。こんな人間がいれば、その見た目だけで話題になっているはずだ。
「ああ、この見た目には色々と事情がありまして……」
◇
「嫌いじゃないわ」
そう言いながらエミールの肩に手を置くと、猫顔の獣人は耳元にまで顔を近づける。
「いいこと坊や? 緊急クエストを受けた私たち《ベステラード・ファミリー》はこの場を動けない。けれども坊やは違う。《ベステラード・ファミリー》に向けて発行されたこの緊急クエストに、坊やは従う必要はない」
囁くように語りかけてくる獣人に、当たり前だとエミールは叫び返した。
今まで憧れだったのに。いつかはここに入ってやるんだと息巻いていたのに。はっきり言って幻滅だ。
既にエミールに《ベステラード・ファミリー》に入団する気はなくなっていた。
「慌てない慌てない。私たちだってこんなクエストは不本意極まりない。けれども拒否することも出来ない。そんな時に坊やが来てくれたのよ」
何だ? 何を言っているんだ? と話の流れが分からずエミールが混乱していると、肩に置かれた手から魔力が流れ込んでくるのが感じられた。
「これは……」
「オットーとギャッツが認めたのかい。さっきのやり取りで人となりも分かった。勿論私も歓迎するさね。けれども坊やはまだ正式にファミリーの団員じゃあない、まだギルドに正式に申請を出したわけじゃあないからね」
だからクエストに参加する義務はないと。これはただ、通りすがりの冒険者を手助けしているだけなのだと。
その言葉を聞き、自身に起こっている変化に気づいたエミールは軽く頭を下げた。
「姉さん、でしたか? ──ありがとうございます」
「本名はマリーだ。お礼を言うのはこっちの方さね」
流れ込んできた魔力がエミールのものと混ざり合い、異常な速度で体内を循環する。
髪は逆立ち、目は発光し、変色した肌には紋様が浮き上がってきた。
「凄いな……」
変化したのは見た目だけではない。
全身の細胞の一片にいたるまで、溢れるほどの力が漲っているのが感じられる。
これならどんな魔物が相手だろうと勝てる、とすらエミールは思えた。
「【リミットオーバー】。一定時間、坊やの力は数倍に跳ね上がる。一応切り札なんでね、ファミリー以外の人目に触れさせないようにしてるスキルだけど、今回は特別さ。これで下にいる仲間を助けに行ってきな」
マリーが微笑みながら手を離した瞬間、エミール達の足元から振動が伝わってくる。
誰かが強力なスキルでも使ったのかと思っていると、立て続けに同規模の振動が起こり、窓の外を見張っていた人員が声を上げた。
「おい! もう魔物が外にまで出てきてるぞ!」
「あれは……エルダーリッチだ! エミール! いくら姉さんの【リミットオーバー】を受けていてもお前じゃ無理だ! ランクが違いすぎる!」
エルダーリッチの名はエミールも知っている。
Aランクの魔物とDランクの冒険者。
絶望的、どころではない。検討する価値もないほどの戦力差だ。
「いけるね? 《ジャイアントキリング》」
しかしマリーは微笑みを絶やさぬままにエミールを見つめ、エミールもそれに胸を叩いて応えた。
「坊やは何とかして奴を周囲と引き離しな、とどめは私たちが刺す」
話している間にも爆発は続く。
窓に駆け寄ったエミールが階下を覗くと、ちょうどエルダーリッチが魔力をためている最中だった。
「おやおや、動きを止めているだなんて好都合じゃないかい。行ってきな、エミール!」
「ああ!」
窓枠に手をかけ、足に力を籠める。
そのまま足元を蹴り砕くような勢いで飛び出したエミールは、空中で更にスキルを発動した。
「【ブレイブチャージ】……!」
それがエミールの切り札だ。
他に使用可能な者は確認されておらず、前例もないレアスキル。
効果は『次に発動するスキルが複数同時に重複して発動される』というひどく単純なものだが。
「【フィジカルアップ】!」
本来ならば重ね掛けしても意味のない強化スキルが、マリーの【リミットオーバー】と合わせてエミールの身体能力を爆発的に底上げする。
「こいつはまた、とんでもないな」
凄まじい勢いで目の前に迫るエルダーリッチの後姿。
そこから放たれる重圧と杖の先に集まる魔力のどちらもが、エミールが今までに出会ったことのある魔物とは『格』が違うのだと訴えかけてくる。
だがそれでも。
「負ける気しないけどなぁっ」
飛び出した勢いのまま、危険な杖を叩き壊す。
「あ、やば」
そこまではよかったのだが、込められていた魔力のことまでは考えていなかった。
エルダーリッチの制御下から離れた膨大な魔力が暴発する、その前にエミールは慌てて杖の先端部を掴むと地面に向かって叩きつける。
『ッ!?』
ここまでの一連の流れは、エルダーリッチにすら知覚できないほどの速度で行われた。
驚愕するエルダーリッチが感じたのは土砂を巻き上げながら爆発した魔力と、腹部にめり込む何者かの拳。
そして次の瞬間、自分が宙に打ち上げられたのだという事実だけだった。




