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プロローグ 【大氾濫】 3

 ダモスダンジョン第十四層は、階層のほぼ半分のエリアが淡水によって冠水している巨大な湿地帯だ。

 出現する魔物の強さはギルドの評価基準でCランク。

 つまり第十四層の入り口から出てくる魔物は、『最低でも』Cランク相当の強さを持っているということになる。


「っ、Dランク以下の連中は後ろに下がれ! バフ(強化スキル)を使える奴はC以上の奴にかけろ!」


 常に危険と隣合わせな活動を続ける冒険者たちにとって、的確な状況判断能力は必須の技能だ。

 高ランク冒険者の指示に従い、その場に集まっていた冒険者たちの八割以上が慌てて大穴から離れだす。


「ああくそっ!」


 階段を駆け上がりながらその様子を見ていたエミールは、思わず舌打ちをしてしまった。

 分かってはいたことだ。


 冒険者のランクはFからAまでの、六つの階級に分類される。

 Fランクは駆け出し、一つ上のEランクが一番数が多く一般的な冒険者。Dランクは中堅以上の実力を持つと言われ、Cランクともなればベテランの域だ。

 むしろよく二割近くも残ったと言っていい。


「頼むぞ……!」


 最早自分が残ってもただの足手まといにしかならないことを理解したエミールは、階下の様子を気にしながらさらに上へと階段を駆け上がり続けた。




   ◇




「来るぞおっ!」


 初めて目にするはずのダンジョンの外の景色。

 しかし魔物たちに戸惑う様子は一切見られず、迷うことなく一直線に大穴を駆け上がり始めた。


「撃て撃て撃てぇ!」


 ──ホールに到着する前に少しでも数を減らす。


 その場にいた全員の思いのもと、遠距離系のスキルを使える冒険者が躊躇いなく穴の底に向けて攻撃を放つ。


「うおおおおおっ!?」

「ちょっと待てえ!」

「戻れ戻れ! 二階層ならここより安全だ!」


 頭上を越えて撃ち込まれる色とりどりのスキルを見て、まだ脱出の途中で階段を上っている最中の冒険者たちが身を低くし悲鳴を上げた。

 乱戦に巻き込まれるよりは低層に引きこもっていた方が安全だと考えたのだろう。そのうちの一部は慌てて二階層へと続く階段側へと飛び移ると、ダンジョンの中へと逃げ込んでいく。


「よし、いいぞ! もう穴の中には誰もいねえ!」


 【気配察知】のスキルを持った冒険者が階段上に人がいなくなったことを確認した途端、攻撃が更に苛烈さを増す。

 まるで絨毯爆撃のように、様々なスキルが大穴に向かって降り注いだ。


 閃光。爆音。衝撃。

 高ランク冒険者たちの攻撃は階段ごと魔物の群れを削り取り、再び穴の底へと叩き返す。


「ギルドと商会からポーションが届いたぞ! 金は気にするなだとよ!」

「ようし、手を緩めるな! 手の空いている奴はポーションを配ってやれ!」


 普段ならば躊躇してしまうような高価なマジックポーションをガブガブと飲みながら、主に魔法職の冒険者がひっきりなしにスキルを放ち続ける。


 血煙と粉塵で穴の中などとうに見えなくなっている。しかし誰も手を緩めようなどとは考えていない。

 この猛攻を耐え、少しずつホールへと近づいてきている敵の存在を感じ取っていたからだ。


『ギュアアアアアッ!』


 やがて彼らの予想通り、一体の魔物が土煙を引き裂きながらホールの中へと飛び出してきた。


「リザードマンかっ!」


 蜥蜴の頭部と尾を持った魔物が、手に持っている三叉槍を滅茶苦茶に振り回す。


「囲めっ!」


 しかし、今ここに残っているのは最低でもCランククラスの実力者たちだ。

 同じくCランククラスの脅威と認定されているリザードマンだったが、複数対一では相手にもならず、抵抗らしい抵抗を見せる間もなく叩き殺される。

 しかしそれを皮切りに、煙の奥から次々と魔物たちが飛び出してきた。


「行くぞおっ!」

「気合入れろやっ!」


 ダンジョンの入り口であった大穴の周囲は瞬く間に戦場となり、悲鳴と怒号が響き渡る。


「怪我した奴はすぐに下がれぇ! 飲み込まれるぞ!」

「馬鹿野郎! 大技を撃つなら合図しろ! 味方ごと殺す気か!」


 大人数での連携の経験不足。これはダモスに限った話ではなく、冒険者という括り全体においての問題ともいえる。

 しかしそれを補って余りある個の強さによって、彼らは戦況を優勢に保っていた。

 穴から飛び出してきた魔物が近くにいた前衛職によって、先を競うようにして倒されていく。彼らは人並外れた体力で強引に前線を維持し、それに守られている後衛は穴の底に攻撃を撃ち込み続ける。


 その場にいた殆どの人間が、「これならばいける」と考えた。

 だが彼らのさらに後方、万が一冒険者たちが抜かれた場合に備え隊列を組み始めていた騎士団は違った。


(これは、まずいぞ……)


 ダモス周辺の領地を預かるカリス家が擁する最高戦力、カリス騎士団。その現騎士団長であるホシドは、目の前の光景を前に危機感を覚えていた。


 前衛が接敵してから既に十分以上が経過している。

 確かに、一見すれば善戦しているように見える。

 しかし後衛のスキルの乱発は急遽用意されたポーション頼りの行動であり、傷ついた前衛を癒しているのもまた同様だ。

 今はまだ余裕があるように見えるが、あれが尽きた途端形勢は一気にひっくり返るだろう。

 それに何より恐ろしいのは、溢れ出てくる魔物の勢いが全く衰えていないということだ。


 ──もしこのまま魔物が登り続けてきたらどうする?


 ──もしより深い階層の魔物が溢れ出てきたらどうする?


 言いようのない不安が胸中で鎌首をもたげるが、ここを動くわけには行かないし、対策も打ちようがない。


「ホシド様! 兵士たちによる街の避難誘導は順調に進んでいるようです」

「領主様より全騎士団員をセントラルに集結させるよう命令がありました! 領主館の警備をしていた者、及び周辺地域を巡回していた人員もこちらに向かわせております!」

「承知した」


 騎士は街の治安維持に就いている一般的な兵士と異なり、冒険者たち同様神託を受けた人間のみで構成されている。

 彼らもまた、冒険者同様その実力をFからAの六段階に序列分けされており、個の強さこそ平均して冒険者に劣ると言われているが、このカモス騎士団においては話が別だ。

 全団員が冒険者におけるCランク相当の実力を擁し、ホシドに至っては平均的なBランク冒険者を超える力を持っている。

 だがそれでも。


(数が足りない!)


 この戦いの行く末は、Bランク相当の実力者の数が左右するとホシドは感じていた。


 冒険者であろうと騎士団員であろうとランクの差は絶対的なものだ。

 十人のCランクと一人のBランク。戦場を左右するのはどちらかと問われれば、誰もが後者だと断言するだろう。


(《ベステラード・ファミリー》は何をやっている?)


 Bランク以上の実力者を多数擁す、ダモス最強の戦闘集団。

 とうに連絡は行っているはずだ。

 にも関わらず未だにそのメンバーの誰一人として姿を現さないことに苛立ちを感じながら、ホシドはいつ戦況が動いても対応できるよう戦場に視線を向け続けた。




   ◇




「何を……やっているんだ!!」


 セントラルはその巨大さ故に、五階以上の階層にはエレベーターと呼ばれる昇降機型の魔道具が三基設置されている。

 それ以外にも上下階を行き来するための階段が五か所あるが、少なくとも五階までは自らの足で階段を上るしか方法がない。


 そしてそのうちの四階と五階を繋ぐ階段の一つの前で、エミールは目の前に立つ獣人に食って掛かっていた。


「この音と声が聞こえないのか!? 今下で何が起こっているのかは分かっているんだろう!? 何でこんな所でじっとしている!」


 ハーフプレートを身に着けた犬耳の獣人の胸には、《ベステラード・ファミリー》のエンブレム。その後ろで気だるげに佇む数人の冒険者も、装備のどこかに同様のエンブレムが刻まれている。


「落ち着けよ新人。何でって。依頼だよ、依頼。冒険者ギルドから《ベステラード・ファミリー》への緊急クエストだ」


 不本意だけどな、と言いながら欠伸をする獣人を見て、エミールは愕然とした表情を浮かべた。


「このセントラルにはギルドのお偉方だけじゃない。為政者たちに商業ギルド、果てはそいつらを支援している金持ち連中がうようよいる。その全員を守るために『五階へ続く階段を守れ』ってのが俺ら《ベステラード・ファミリー》に下されたクエストだ」

「そんな……!」

「お前も知ってるだろ。冒険者は緊急クエストへの強制参加義務が存在する。特に《ベステラード・ファミリー》は色々な面で優遇されてるからな。これを断ったら大問題だぜ」

「とにかく下からどんな魔物が登って来ようと、ここから上には通さない。そのためにファミリーのメンバーを五分して、それぞろの階段へ付けてるんだ。ホールの方に応援を出す余裕はない」


 ギルドが発行した緊急クエストは絶対だ。

 冒険者である以上、エミールもそれに従う義務が発生する。


「……っ、下にはまだ、オットーさんとギャッツさんがいるんです。《ベステラード・ファミリー》は、仲間を助けに行こうともしないんですか!」

「そうだ。緊急クエストが優先される。あいつらも納得するだろう」


 エミールの中で《ベステラード・ファミリー》に対する憧れが、理想の冒険者というイメージが音を立てて崩れていく。

 気が付けば、エミールはオットーから預かっていたエンブレムを床に叩きつけていた。


「おい! お前……!」


 ファミリーに対する明らかな侮辱行為。目の前でそんなことをされては黙っていられず、獣人が声を荒げる。

 しかし明らかに自分より格上の相手を前に、エミールは一歩も退かずに怒鳴り返した。


「黙れ! 何が《ベステラード・ファミリー》だ! 強いやつらが大人数集まって、結局全員ギルドの犬かよ!」

「……っ」


 その剣幕を前に僅かに怯んだ獣人に背を向け、もうここには用はないとエミールは歩き出す。

 まずはホールに戻る。戦闘では役に立たなくても、何か手伝えることはあるはずだ。

 そしてまだダンジョン内にいるはずのオットーとギャッツも助け出す。


 《ベステラード・ファミリー》は関係ない。彼らはエミールを信じて送り出してくれた、尊敬すべき人たちなのだから。


「──まあ待ちなさいよ、坊や」

あねさん!?」


 不意に背後から投げかけられた声に、足は止めないまま睨みつけるようにして振り返る。

 しかしその声の主の顔を視認した瞬間、まるで金縛りにあったかのようにエミールは身体を指一つ動かせなくなってしまった。


「な……んだ?」


 呼吸は出来る。思考も明瞭だ。

 ただ、身体だけが動かない。


「やれやれ、言ってくれるじゃないのさ。けれど──」


 その場にいた全員の視線の先、間違いなくこの異常の原因である一人の獣人が、腰かけていた階段からゆっくりと立ち上がった。


(でかい! それに、強い……!)


 身長は二メートル以上。平均的な身長であるエミールと比べても、頭一つ分は差がある。

 ゆったりとしたローブの上からでも分かるほどの痩身で、その高身長と相まって酷くアンバランスに見えるが、放たれる威圧感はこの場にいる誰よりも強い。


「──嫌いじゃないわ」


 ほぼ猫に近い顔にニヤリとした笑みを浮かべ、その姉さんと呼ばれた獣人はじっとエミールを見つめていた。

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