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プロローグ 【大氾濫】 2

「この辺りには久しぶりに来たが……。奴さん、今のところ余裕そうだな」

「そうじゃの。中々安定しておる。あれならば、もう少し深い階層でも通用するじゃろ」


 ダモスダンジョン──第六層。

 そこは床も壁も天井も、全てが切り出された石材のような物質で構成されている。


 石材自身が仄暗く発光しているため視界に困ることはないが、問題は迷路のように複雑に入り組んだその構造だ。

 前述の素材からなる横幅五メートル程度の道が延々と続き、どこまで行っても変わり映えのしない景色。加えて曲がり角や交叉点も多いため、自分の現在位置を見失いやすい。

 曲がり角を曲がると目の前に敵がいたという状況も珍しくなく、この階層に出現する魔物の傾向も合わさってお化け屋敷のような様相を呈している。


 まるで巨大な地下墳墓の中のような環境から、《墳墓迷宮》とも呼ばれている。

 一部の女性や肝の小さい冒険者に、蛇蝎のごとく嫌われている階層だ。


「よっ、とぉ!」


 オットーとギャッツが見守る中、顔面目掛けて迫る白刃を身体ごと半歩左にずらして躱すエミール。

 目の前スレスレを通った一閃に全く怯むこともなく、がら空きとなった相手の顔面にお返しとばかりにショートソードを叩き込むと、スケルトンと呼ばれる人骨型の魔物は音もなく崩れ去った。

 後に残ったのは、その体を構成していた小さな骨の一部だけだ。


(んー、またハズレか。仕方ないっちゃあ、仕方ないか)


 ダンジョン内に出現する魔物を討伐すると、何かしらのアイテムを残して死体は即座に消滅する。

 一般的にドロップと呼ばれるその戦利品の内容は当たりはずれの差が非常に大きく、魔石が落ちれば御の字で、大抵は魔物の体の一部が残るだけだ。

 しかし稀にその魔物とは全く関係のない希少なアイテムや装備品などが手に入る場合もある。

 ダンジョンに潜る冒険者たちの大半の目的は後者の方なので、今回のドロップは誰の目から見てもハズレのカテゴリーだ。


「終わりました。よく分かりませんが、いつもより調子がいいみたいですます、はい」


 試験官である二人の値踏みするような視線にやり辛そうにしながら、エミールは戦利品を懐に入れた。

 これでこの階層に到着してから討伐した魔物はスカルドッグが一体に、スケルトンが三体。

 Dランク冒険者としてはかなり早いペースだが、オットーとギャッツが言うようにエミールの表情からは余裕が伺える。


 実際エミール自身もこの結果には驚いていた。

 最後にここに来たときはスケルトン一体を相手にしても、もう少し時間がかかっていたはずだ。

 繰り出される攻撃も以前より遅く感じた上に、たった一撃で倒せるとも思っていなかった。


「ふむ。例の事件の際に【ステータス】が上昇したのじゃろう。そういえばランクは上がっておらんかったのか?」

「いえ、実はあれからカードの更新もしていなくて……」


 ギルドカードにはその所有者の名前の他に【職業】や【ステータス】、【称号】など、冒険者としての能力が記されている。

 それらの内容は各地に点在する冒険者ギルドに持っていくことで更新してもらえるのだが、そこまで頻繁に更新してもらおうとする人間はあまりいない。

 というのも実際のところ特に更新せずともあまり問題はないからだ。【ステータス】の上昇もギルドカードが更新されてから身体能力に変化があるのではなく、単に鍛えられた結果がギルドカードに反映されるだけ。

 冒険者ランクについても目覚ましい活躍や実績を積んだ時にギルド側が昇級の話を持ち掛けてくるのであって、自分から申請することはできない。


 結果、初心者の頃はともかく大多数の冒険者がギルドカードを更新するのは二、三か月に一度程度というのが普通の頻度になっている。

 例外として活動場所を変える前に自分の実力を再確認する時であったり、仲間内で【ステータス】の比べあいをする時などにしつこく更新をする場合もあるが、今のエミールには関係のないことだった。


「《ジャイアントキリング》事件。カードの更新をするには十分な功績じゃと思うがの」

「あはは、そういえばそうですね。すっかり忘れてました」

「おいおいおい! お前さん、面白いな!」


 まさか忘れていた原因が《ベステラード・ファミリー》に誘われた興奮からだとも言えず、曖昧な笑みで誤魔化すエミール。

 何故か嬉しそうな笑みを浮かべたオットーが、その背を何度もたたいてくる。


「あんなことしておいてカードの更新を忘れてるってところが気に入った! お前さんにとってあの程度は何でもないってことなんだな!」


 エミールがDという低ランクながら《ベステラード・ファミリー》に誘われる原因となった一件についてはこの二人も熟知しているらしく、ギャッツもその犬顔で器用に感心したような表情を作って見せた。


「俺も長く冒険者をやってるが、あんな話は聞いたことがねえ! 何か【称号】も貰えてるかもしれんし、これが終わったら一緒に更新に行──」


 おお? これはかなりいいぞ。ここ数日特に活動もせず単にギルドに行くのを忘れていただけで何故か好感触だ、とエミールが喜んでいると、腰に手を当てて大笑いしていたオットーが急に真剣な顔つきになった。


(──何だ?)


 急な様子の変化にエミールが戸惑っていると、いつの間にか一行の先頭に立っていたギャッツがダンジョンの壁に耳を当てている。


「あの、一体……?」


 狼狽えるエミールの言葉に反応することなく目をつぶり何かを探っているギャッツと、背中の戦鎚に手を添えるオットー。

 先ほど目の前にスケルトンが現れたのに暢気に鼻くそをほじっていた時とは大違いだ。


(ここはまだ六層だぞ? 何が飛び出してきても、俺ですら一対一ならそこまで苦戦しないのに)


 ソロで活動しているエミールが七層より深く降りないのは、複数体の敵に囲まれた場合を危惧しているからだ。もし魔物が行儀よく一体ずつ現れてくれるというのならば、例え八層でも通用する実力はあると思っている。

 そんなエミールよりも高ランクである二人が、こんな階層で警戒をする必要があるわけがないのだ。

 疑問はあるが先達の行動には従うべきだと考えたエミールは、ギャッツに倣って耳を澄ませる。


「数は三、恐らく水棲系の魔物」


 エミールの耳には何も聞こえなかったが、獣人であるギャッツの耳と鼻には感じ取れたらしい。

 その斥候としての能力の高さにエミールが感心していると、オットーが困惑したように「水棲系?」と呟いた。


「お前さんを疑うわけじゃないが……」

「間違いない。すぐそこにまで近づいてきておる」

「分かった。二人とも、下がってろ」


 今までになく緊張した面持ちで、ギャッツに代わり前に出るオットー。

 曲がり角の手前で背負った鎚を右手に持つと、上段に振り上げた姿勢のままでピタリと動きを止める。


(おいおい、本当かよ)


 オットーの持つ戦鎚は巨大な金槌のような見た目をしており片側で打撃、反対側で刺突が繰り出せるような形になっている。

 柄まで含めると彼自身の身長と同程度の長さを持ち、その打撃部分は人間の頭部よりも遥かに大きい。全身を覆う鎧と同様、鉄を主とした金属で構成されているため、その重量は推して知るべしだ。


 しかしオットーはその金属塊を片手で振り上げたまま、微動だにせずに動きを止めている。

 しかも握りしめているのは柄の先端。ただただ振りぬいた際に最も威力が高くなるようにと、重心も何も考慮してはいない。

 いくら冒険者の身体能力が優れているといっても、尋常ならざる筋力だ。


(凄いな……! これが《ベステラード・ファミリー》の前衛職か!)


 十秒、二十秒……。

 やがてヒタヒタという足音と共に、『ゲフッ、ギフッ』という独特な唸り声がエミールの耳にも聞こえてきた。


(来た……!)


 向こう側はこちらに気が付いていないのか、歩調に全く乱れは感じない。そのままのペースで歩き続け、そのうちの一体が曲がり角の先から頭部を現した瞬間。


「ずぇあっ!」


 上に構えていた鎚の先端が弧を描き、掬い上げるようにして下方から降り抜かれる。

 その一撃はエミールが正確に敵の姿形を確認するよりも早くその頭部を軽々と打ち砕き、ダンジョンの壁と天井に肉片と血が撒き散らされた。


『ギャギャー!?』


 先頭を歩いていた仲間を襲った惨事に動揺したのか、曲がり角の向こうから他の魔物の叫び声が響く。

 そしてその隙を見逃すようなオットーではない。

 戦鎚を振り抜いた勢いを利用し、自身の武器に引っ張られるようにして曲がり角の先へとその身を躍らせる。


『ゲギュ!』

『ギ──』


 続いて響いた轟音と共に魔物の声が途切れ、「終わったぞ」という声がエミールとギャッツに投げかけられた。


「凄ぇ……」


 一振りで同時に倒されたのか、曲がり角の先には胴体部を引きちぎるようにして両断された二体の魔物の死体が転がっている。

 改めて《ベステラード・ファミリー》に対する畏敬の念を深めたエミールだったが、そこでふと疑問を覚えた。


(……ふむ。そういえばこいつは何なんだ?)


 一体目の頭部は粉々になってしまっているため確認できないが、背格好から残りの二体と同種の魔物だというのは推測できる。

 問題はその種類だ。


(こんなやつ、見たことがないぞ?)


 胴体部はほぼ人間と同じような外見だが爪は鋭く、指と指の間には水かきのような膜がある。

 肌は青白く、一糸まとわぬ姿にも関わらず生殖器の類は見当たらない。

 そして極めつけはその頭部だ。


「魚?」


 思わず口に出してしまったが、そうとしか言いようのない物体が頭部にあたる部分に乗っかっている。

 長らく五階層と六階層を中心に活動しているエミールだったが、こんな種類の魔物は見たことがない。ギャッツが水棲系と言っていたが、そもそもこんな魔物が六階層に出現するはずがないのだ。


 ダンジョン内部は階層ごとに環境が異なり、それぞれその環境に合った種類の魔物が出現する。

 現在エミール達のいる第六層は、《墳墓迷宮》と呼ばれる所以になったアンデット系の魔物しか出現しないというのが常識だ。


「間違いない。サハギンじゃ」

「こいつの出現階層は確か七階層だったな。こいつらが『ハグレ』という可能性は?」


 漸く事態の異常性に気が付いたエミールとは異なり、この魔物の接近に気付いた時点から深刻な表情を崩していないギャッツとオットーが顔を寄せる。


「分からん。いずれにせよ、調査が必要じゃ」

「だよな。仕方ねえか」


 エミールにはよく分からないやり取りを交わすと、オットーが胸元から《ベステラード・ファミリー》のエンブレムが刻まれた金属板を取り出した。


「エミール、こいつをお前さんに預ける。今すぐに地上に戻って、そいつを使ってギルドと俺たちのファミリーに召集をかけろ」

「え?」


 エミールが突然の事態を呑み込めず唖然としていると、オットーはその手に強引に金属板を握りしめさせる。


「いいか、よく聞け。お前さんもダンジョンで長いこと活動しているんだ、名前くらいは聞いたことがあるだろう。【逆流】が起きた可能性がある」

「……!」


 【逆流】。

 ダンジョンにおいて、魔物が普段活動している階層よりも上層へと昇ってくる現象をさす言葉である。

 ダンジョン内は層を潜るほど強力な魔物が出現する仕組みになっているため、突如下層から強力な魔物が現れるこの現象は命の危険に直結する。

 エミール自身はこの現象について名前を聞いたことはある、という程度の認識だったが、過去にはそれが原因で命を落とした人間も大勢いるのだ。


「これがこの三匹だけだってんなら話は早いが、少なくともこの階層は全部見て回らなくちゃならねえ。今この場でそれを安全に行えるのは俺とギャッツだけだ。お前さんには万が一に備えて応援を呼んできてほしい」

「でもこれは……!」


 降って沸いた責務の重要性に身震いする。

 それと同時に自分の手の中にあるエンブレムが、とても重く感じられた。


「これがあれば説得力が違うのは分かりますけど、俺なんかが……」


 例え緊急事態だとはいえ、ただの連絡役を務めるだけの自分が使っていい名前ではない。

 そう思ってしまうほど冒険者、とりわけこの街に住む者においては《ベステラード・ファミリー》の名は大きい。

 しかしエミールの不安をオットーは「何馬鹿なことを言ってるんだ?」と鼻で笑った。


「お前さん、何か勘違いしてないか? これは依頼でも、お願いでもねえ。『ファミリーの先輩から新人に対する命令』だ。拒否権はねえんだよ。新人が雑用係ってのは世の中の常識だ。そうだよな? ギャッツ」

「その通りじゃ。まだまだ粗削りな部分はあるが、試験は合格。わしとオットーの連名で太鼓判を押してやるわい。ほれ急げ急げ、終わったら歓迎パーティをしてやるからの」

「っ、……はい!」


 手では邪険に追い払うような仕草をしながら、優しい目でエミールに「行け」と命令する二人。

 エミールは振り返ることなく即座にその場を走り出した。


 二人の実力から考えて、七階層や八階層程度の敵が現れても全く問題はないだろう。しかし【逆流】というイレギュラーを前に希望的観測は命取りだ。

 より深い階層の魔物たちが出現する可能性もあるし、普段この階層で活動している冒険者にとってはサハギンが相手であろうと死の危険がある。


(……そうだ! 忘れるところだった!)


 通り慣れた道を今までにない速度で駆け抜ける。

 見かけた魔物をすべて無視して、最短距離を突き進む。

 しかしその途中でふと思いなおしたエミールは走る速度はそのままに、地上へと向かう足を別の方向へと向けた。


「《ベステラード・ファミリー》だ! 【逆流】が起きている可能性がある! 他の連中にも伝えながら、急いで地上へ戻ってくれ!」


 進路を変えたエミールが向かったのは、ダンジョン内に点在する『冒険者たちが集まりやすい場所』だ。

 十分に視界が取れ、連携も容易な開けた空間。

 何故か新鮮な水が湧き出ている休息スポット。

 いくつか存在する上下階層へと続く階段のうち、特に人気のあるルート。

 その場にいた誰もが怪訝な表情を浮かべたが《ベステラード・ファミリー》の名前と掲げられたエンブレムの効果は覿面で、全員が一も二もなく協力してくれた。


「お前エミールか? マジで《ベステラード・ファミリー》に……。いや、今はそれより【逆流】だな。この周辺の連中には手分けして伝える。お前はそのまま地上へ向かえ」


 中にはエミール個人のことを見知っており、進んで協力してくれる冒険者のチームもいた。


(急げ! ……急げ!)


 彼らへの感謝の言葉もそこそこに、エミールは地上へと向けてひた走る。

 二階層へと到着し、今まさにダンジョン内部へ入ろうとしている冒険者たちに戻れと叫びながら《セントラル》のホールの中央に開いた、巨大な縦穴の階段を駆け上がる。

 そのただ事ではない様子に気付いた一部の人間が、一体何事かと穴の中を覗き込んだ。


「何事ですか? この階段は見ての通り危険ですので、ゆっくり通行していただかないと……」


 周囲の人間が見守る中息を荒げながら階段を登り切ったエミールに、衛兵が苦言を呈する。

 しかしエミールの報告を聞いた途端、その表情は驚愕に染まった。


「……第六階層でサハギンを確認した! 【逆流】が起きている可能性がある! 現在ベステラード・ファミリーのオットーとギャッツが探索中だ! ギルドは至急救援を!」


 掲げられたエンブレムを目にし、ホール中が騒然となった。

 《セントラル》の上層階にある冒険者ギルドに連絡しようと即座に何人かが駆け出し、街にいる騎士団を呼ぶために衛兵が飛び出していく。

 非戦闘員が建物の外へと誘導され、それ以外は慌てて武器の確認をしながら穴の周囲に集結し始めた。

 事態を理解していない新人達に周りの人間が説明しているのを見ながら、エミールは衛兵がくれた水を口に含んで息を整える。


「そうだ……。ファミリーの仲間にも連絡しないと……」


 緊急事態につき大幅に甘い査定だった感は否めないが、それでも自分はもう《ベステラード・ファミリー》の一員なのだ。

 ダンジョン内に先輩たちを残したまま休んでなどいられない。


(まずは軽く自己紹介をしないとな。それから何か手伝えることはないか探そう)


 ダモスの街にサイレンが鳴り響き、拡声魔道具を使った緊急放送が行われている。

 冒険者たちが続々と集結し、騎士団が隊列を組んでいく。

 ホールの中の人口密度が急激に上がっていくのを横目に、エミールは《セントラル》の階段を上り始めた。


(《ベステラード・ファミリー》の占有してるフロアは何階だ? 行ったことなどないし、全く分からんぞ!)


 そこら辺にいる適当な冒険者に聞き出すか? 出来ればギルド職員が見つかれば確実なんだが、とエミールが考えていると、眼下のホールに先ほどまでとは違うざわめきが広がった。


(……何だ?)


 ホールに集った人間が皆、ダンジョンの入り口である大穴の中へと視線を向けている。

 ダンジョン内で事態を知った冒険者たちが次々と地上へ出てきているが、彼らが見ているのはそれではないみたいだ。


「……まさか」


 その瞬間、エミールの背中に冷たい汗が流れた。

 ダンジョン内部を魔物が昇ってきている以上、その可能性は考慮していた。


「──【大氾濫】」


 階層を登り切ってしまえば、魔物は次に地上へと溢れ出す。

 当然の帰結だ。


 しかしそれでもこれだけの人数がいれば十分対処できるはずだった。

 今ここに集っているのは迷宮都市で活動する冒険者たちに、そこの治安を守っている騎士団員たちだ。他所の地方都市などにいる十把一絡げの連中とは練度が違う。


 心のどこかで楽観視していた。

 一国の軍隊にも比肩しうる戦力がこの街には存在している。ジダルア国内最大のダンジョンといえども、少々魔物が溢れた程度で揺らぎなどはしない、と。


「嘘だろう……?」




『『『オオオオオオオォォォォォ──』』』




 口元を引くつかせるエミールの視線の先。


 ホール内に設置された魔道具の光すら殆ど届かない大穴の最深部──第十四層へと続く横穴。


 その内部から、より深い階層の魔物たちが溢れ出してきていた。

 第4章プロローグ、もうちょっとだけ続きます。


 楽しみにしていたクラフトでピアなゲームが発売延期……。

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