プロローグ 【大氾濫】 1
新章開始です。
駆ける。駆ける。
速度を落とさぬままに八百屋の壁を駆け上がり、酔っ払い共が寝転がっている路地裏へ。
人とゴミとの間を器用に跳ね回り、教会裏手の塀を飛び越える。
古びた銅像の土台部分に足をかけ、急激な方向転換とともに敷地内を突っ切れば、あとは大通りを一直線に。
初めの頃こそおっかなびっくり周囲の目を気にしながら通ったものだが、今ではすっかり使い慣れた近道だ。
「おおエミール! 今日もダンジョンか?」
「聞いたよ、でっかいファミリーに入ったんだってね!」
「この前貸した金、そろそろ返しに来いよ!」
街の中心へ向かって道なき道を駆けるその青年に人々は笑顔を向け、青年もまたその声に快活に応えた。
「はっはー! 不肖エミール、本日もバリバリ稼いでくるであります! 応援ありがとう! あと最後の人はすまん! よく聞こえなかった!」
年のころは二十前後。身長は百七十と平均的だが、背中まで伸ばされた赤い三つ編みの髪が特徴的な優男だ。
中古で買ったライトアーマーに、手入れだけは欠かしていないが年季が見て取れる短剣。一見すればどこにでもいる金欠な冒険者そのものの装備だが、この街の住人で彼のことを知らぬものはいない。
エミール=ライター。
過去の功績から《アンラッキー》、《トラブルメーカー》、《ジャイアントキリング》等、多くの異名を持つ冒険者だ。
国内外を問わず腕に覚えのある数多の冒険者が集うこのダモスにおいても、複数の異名を付けられた存在はそういない。
しかも彼は一年前にこの街で神託を受けて冒険者登録をして以来、ここのダンジョン以外での活動を一切行っていないにも関わらず、だ。その事実のみで彼の冒険者人生がどれだけ波乱万丈に満ちたものかが分かるというものだろう。
そして今日もまた、彼の大いなる冒険譚に新たな一ページが刻まれようとしていた。
「んっんー! 寝坊しちまったが、ぎりぎり間に合うか?」
──今日はとても大事な日だ。一秒だって遅れるわけにはいかない。
そう意気込んでいたにも関わらず昨晩は興奮して寝付けず、結局目が覚めたのは普段と変わらない時刻だった。
待ち合わせの時間まであとどれくらいあるのか。
現在の時刻を確認しようにも持ち運びできる小型の時計なんて高価なものは持っていないので、ただひたすらに走り続けるしかない。
神託で上昇した身体能力をフルに使って、殆ど速度を落とさないままに道行く人々の隙間を縫う。
悲鳴と歓声を背景に見えてきたのは迷宮都市ダモスの名を冠したこの国最大のダンジョン、ダモスダンジョンの真上に建てられた規格外の大きさの建築物だ。
「相変わらずでかいなあ、ここは。崩れてきたらどうなるんだ?」
都市の中央部に大きく開いている、直径五十メートルほどのすり鉢状の大穴。それがダモスダンジョンへの入り口だ。
遡ること百数十余年前。
当時のダモスは魔物を防ぐための防壁すら存在しない小さな集落に過ぎなかったが、ダンションの出現を境目にその様相は大きく変わった。
ただちに入り口を監視するための人員が派遣され、彼らが待機、宿泊するための施設が必要とされた。
ダンジョン内に出現する魔物やそこから手に入る貴重な資源を狙う冒険者たちが殺到し、彼らを管理するための冒険者ギルドが拠点を構えようとした。
産出された資源を買い付けるためだけならず、莫大な金の匂いに釣られた商人ギルドが声を上げ、富裕層もまたその近くに居を構えたがった。
ならばその全てを纏めてしまおうとダンジョンの直上に建てられたのがこの巨大建築物、通称だ。
高さ約七十メートル、地上二十階建ての大建築物。
各階には領主の許可を得た様々な施設や組織が居を構え、時折その顔触れを入れ替えながらも現在まで運営され続けている。
「でもやっぱこれ考えたやつ、馬鹿だろ」
維持費だけでも莫大な金額が必要なことが、素人目にも見て取れる。
今でこそそういう建物なのだと殆どの人間が受け入れているが、当時の人々は誰一人疑問に思わなかったのだろうか。
そんなことを考えながら、エミールは《セントラル》の中へと続く巨大なアーチを潜り抜けた。
「おお、やってるやってる」
ダンジョンの入り口である巨大な穴の周囲には、出発前に装備の最終点検を行っているチームや、依頼人らしき人物と何かをやり取りしている冒険者。ボロボロになりながらも笑顔で戦利品を抱えている冒険者に、あまり成果が芳しくなかったのか背中を丸めて帰ろうとしている冒険者など、様々な人間の姿が見えた。
朝早くにも関わらず大勢の人で賑わうその光景には、いつ来ても心躍らされるものがあるとエミールは顔を綻ばせる。
だがそんな光景にもいつまでも見とれているわけにはいかない。
普段は自由気ままなソロで活動していたエミールだったが、今日は待ち合わせをしている相手がいるのだ。
ダンジョンの入り口を覆うような巨大なホールとなっている一階部分。
そこに設えられている時計で定刻までまだ少し余裕があることを確認すると、エミールはほっと胸を撫で下ろした。
(今日は粗相のないようにしないとな。さてと、場所はこの辺りのはずなんだが)
この街で自分が少々有名になっていることは自覚しているが、今から会う相手の知名度はエミールの比ではない。
近くにいるのならば、周囲の反応を見ているだけでも見つけられるはず。
そう考えたエミールが周りを見渡していると。
「赤毛の三つ編みに年季の入ったライトアーマー、お前さんだな? 定刻十分前に来るとは感心感心」
「近頃の若者はなっていないのが多いしのう」
(上!?)
予想だにしていなかった方向からの声に思わず狼狽えてしまったエミールの前に、二つの人影が着地する。
「うっはっは。驚いてる驚いてる。まさか上から降ってくるとは思わんかっただろう?」
「すまんの。無意味なことはやめえ、と言うたんじゃが」
エミール達のいる巨大なホールの内周部には、ダンジョンの入り口が見下ろせるように中央部が吹き抜けとなった《セントラル》の二階、三階に該当する通路が存在する。
彼らはおそらくそのどちらかで、エミールが来るのをじっと待っていたのだろう。
「おはようございます! 本日より《ベステラード・ファミリー》の末席に加えていただくことになったエミールです! 若輩者ではありますが、何卒ご指導ご鞭撻の程よろしくお願いします!」
(び、びびったー!)
これ以上内心の動揺を悟られないようにと、冷静さを装いながら頭をさげる。
(もしかしてこれも『試験』か? もう始まってるのか?)
「あーあー、そういう堅っ苦しいのは別にいい。ま、自己紹介されたからには返さにゃならんか。《ベステラード・ファミリー》所属、Bランクのオットーだ。聞いているとは思うが、お前さんはまだ正確にはうちの一員じゃない。今日一日俺とこいつでお前さんがうちに相応しいかどうかを見極めさせてもらう」
つまり入団試験ってやつだ、とエミールの内心を他所に、髭面をした大男が呵々と笑う。
年齢は四十前後。顔には年相応のしわが刻まれているが、その全身からは生気が溢れ、どこか人懐っこい印象を受ける。
身長二メートル弱という長身に重厚な金属鎧を纏い、背中には巨大な戦鎚を担いでいる。何らかの前衛職なのは明らかだ。
「同じく《ベステラード・ファミリー》所属、Cランクのギャッツじゃ。難しく考えんでもよい。普段通りの動きを見せてくれればそれでええ。まあ今日はオットーも来ておるし、多少無茶してもフォローはできるじゃろ」
そう言ってクツクツと笑うのは、灰色の毛で覆われた犬顔の獣人だ。
身長は百五十程度とかなり小柄。老人のような喋り方をしているが獣人の年齢はこの世界で生まれ育った人間にも分かりづらく、エミールも判断に迷っていた。
こちらはオットーとは正反対に防具らしい防具を着込んでおらず、防御力よりも動きやすさを追求した格好をしている。袖口から先のない黒色の衣服に、足元に至っては靴すら履いていない。
少々奇異に見えるかもしれないが、獣人系の斥候職が好む極めて一般的なスタイルだ。
「さて、自己紹介はこの辺にして早速ダンジョンに入るとしようかの? エミール、お前さんのソロでの自己最高深度は何層じゃ?」
「はい! ソロでは六、安定性をとるなら五層です!」
エミールの返答が期待していた水準に達していなかったのか、オットーの表情が僅かに曇る。
「浅くないか?」
「Dランクでソロじゃぞ? 十分じゃろ」
「……そう言われればそうだな。まだDランクだった」
本人を前にしてかなり失礼な物言いだったが、エミールは微塵も気にしていなかった。
正確に言うならば、興奮のあまり二人の会話などほとんど耳に入っていなかった。
(本物だ! 黒と白の稲妻のエンブレム! ようやくここまで来れたんだ!)
歪な円形を切り裂くようにして、右上から左下へと斜めに走る五筋の稲妻。
そのうちの三本が白、二本が黒で彩られたそれは、ジダルア国内でも五本の指に入る最大手ファミリーの一つ、《ベステラード・ファミリー》を顕すエンブレムである。
オットーの鎧の左胸部分と、ギャッツの胸元からギルドカードと共に提げられた金属板。
そこには確かにこのエンブレムが刻まれていた。
(《ベステラード・ファミリー》! 《獣王》が所属する『最強』の一角!)
迷宮都市ダモスにはジダルア王国内外を問わず、腕に自信のある冒険者が数多く訪れる。
しかしその中においても《ベステラード・ファミリー》の名は別格だ。
通常冒険者が二人から五人程度で組む【チーム】のさらに上。複数の【チーム】や個人を纏め上げる【ファミリー】は、その運用の難易度や特異性からそれ程多くの数が存在せず、結成されても短期間で解散してしまうこともざらにある。
しかしその中で《ベステラード・ファミリー》は、結成から数十年以上の歴史を誇る大ファミリーなのだ。
知名度だけではなく、Bランク以上の冒険者を複数擁し実力も確か。ギルドからの信頼も厚く、《セントラル》内部に拠点を構えることを許されている。
この街で彼らを知らぬ者はおらず、彼らに憧れない冒険者はいない。
特に新人の冒険者は誰もが、いつかその末席に名を連ねたいと夢見るのだ。
その例に漏れずエミールもまた彼らに憧れる一冒険者であったが、先日新たな通り名である《ジャイアントキリング》と呼ばれるようになった一件で、彼らのうちの一人に目を付けられた。
その後誘われるままに喜び勇んで入団しようとしたところ、形式上試験を受けるように言われたのが三日前。そして今日がその試験当日というわけだ。
「どうした? 早く来んか」
「っ!? すみません!」
興奮のあまりよく聞いていなかったエミールだったが、どうやら早速ダンジョンに潜るという方向で話はまとまったらしい。
我に返るとすでにダンジョンの入り口に向かって歩き出している二人を見て、慌てて追いすがる。
「とりあえず六層まで行くか。手前と奥、どっちから行く?」
「六ならば手前からの方がええじゃろ。一応道中の動きも見ておきたいしの」
ダンジョンの入り口は一見するとただの巨大な縦穴に見えるが、その内部には外周部に沿った螺旋状の階段が二つ存在している。
一つはそのまま地下二層へと続いているが、もう一つは十四層まで続いている所謂『ショートカット』用の階段だ。
そのため十層前後に用がある人間はあえて十四層側へ先へ向かい、ダンジョン内部を地上に向かって上るという手段もとれる。
しかしダンジョン内部は深く潜れば潜るほど強力な魔物が出現するため、実力のない人間がこの方法を取ることは忌避されているし、エミールも利用したことはない。
「冒険者ですね? ギルドカードを」
《ベステラード・ファミリー》の二人にとっては十四層程度の魔物など取るに足らない相手だが、今回の主役はDランク冒険者であるエミールだ。
竪穴の外縁部にいる衛兵にギルドカードを見せると、三人は縦一列となって正規のルートへと続く階段を降り始めた。
「毎回思うんだけどよお。ダンジョンは中にいる魔物より、この階段の方がおっかないよな」
「そりゃ、オットーが高所恐怖症なだけじゃろう」
「うるせえな。実際問題、落ちたらどうなるんだ?」
「途中で引っかかるだけじゃろ。冒険者なら余程打ちどころが悪くない限り、死にゃあせん」
エミールを先頭に階段を降りながら、後ろの二人が穴の底を覗き込む。
階段には手すりなどという気の利いたものはついていないため、一歩足を踏み外せば階下へと真っ逆さまだ。そのため階段を上り下りする際には、緊急時以外縦に一列になって進むのが暗黙の了解となっていた。
ちなみにダモスダンジョンの入り口であるこの竪穴はすり鉢状になっており、地下へ進めば進むほど穴の直径は小さくなる。
エミール達の進んでいる階段は途中で二層部分へ入る横穴に続いているが、もう一つの方はそのさらに先へと続いている。
そして終着点である十四層部分には十メートル四方程度の空間と、ダンジョン内部へ続く横穴が存在するのだ。
今回かなり長めのプロローグになってしまいましたので、分割して投稿します。
『エミール=ライター』
冒険者となった後、まるで物語の主人公のように彼を中心に様々な事件が発生。
特に《ジャイアントキリング》と呼ばれるようになった一件は、それまでの冒険者たちの常識を覆すような大事件だったため、街の実力者たちも目を付けた。




