第19話 【アーティファクト=吸血鬼(ヴァンパイア)】 1
『ギィィィィィィィィィッ!』
まるでガラス同士を擦り合わせたような、不快な音が響き渡る。
それは産声。数多の人間の血を吸い上げ己の血肉と変えてこの世に生まれ落ちた怪物が、生誕の喜びを表さんと初めて発した声だ。
その音にほとんどの人間が思わず耳を抑え、身をすくめる。
しかしその中で晃奈と斎蔵だけは即座に行動を開始し、一同が気がついた時には既に吸血鬼の懐にまで飛び込んでいた。
「っらぁ!」
「疾っ!」
身長二メートル近くの赤黒い骸骨。その両足を晃奈の一太刀が両断し、倒れ込んできた上半身めがけて斎蔵の突きが繰り出される。
流れるような連携に吸血鬼はまるで反応出来ておらず、狙い過たず繰り出された斎蔵の突きはその頭部を勢いよく吹き飛ばす。
「やった!」
まさに電光石火。
呆気ないと言えば呆気ない決着だったが、捕らえられていた女性達にとっては喜ばしい結果だ。
これで全て片付いた、助かったと思わず歓声を上げるが、晃奈と斎蔵は険しい顔付きを崩そうとしていない。
「……まだだ」
そしてそれは女性達と一緒に一部始終を眺めていた裕也も同じだった。
普通の生物なら確実に死んでいる状態だが、ドルンの言葉によれば相手はアーティファクトという得体の知れない代物。特に目の前で骸骨の形態に変化する様を見ていた身としては、これで終わるとは到底思えない。
(それに……)
吸血鬼が現れてから感じ始めた、肌を刺すような異質な気配。それが微塵も弱まってはいない。
自分たちを助けてくれた冒険者の全員が警戒を解こうとしないのを見て、女性達も不安気に声を潜める。
直後、脚部を断たれ頭部を失い、後は地面に倒れ込むだけの吸血鬼の両腕が勢いよく晃奈と斎蔵に向けて振るわれた。
「やっぱりねっ!」
鋭い爪を剣で弾き返しながら追撃を加えようと更に踏み込む晃奈と、距離を取りながらいなす斎蔵。
晃奈の剣の刀身が炎を纏い、地面に向かって倒れていく上半身に向かって振り下ろされる。
しかし吸血鬼は即座にその体を紐状へと変化させるとその脇をすり抜け、成り行きを見守っていた女性たちへ矛先を向けた。
同時に、地面に残されていた脚部と吹き飛ばされた頭部が液状へと変化し胴体部に吸収される。再び一塊となるとその先端を鋭く尖らせ、まるで一本の槍のような姿へと変化する。
そしてそのまま勢いよく宙を飛び、女性達目掛けて襲いかかるが、
「させるかよ!」
間に割って入った裕也によって、その進行を止められた。
大上段から振り下ろされた剣が槍の穂先を叩き落とす。完全に勢いを殺された槍が再び姿を変えようとするが、それよりも早く追いついてきた晃奈がその柄の部分を両断する。しかし、
「もう! 何なのよこいつ!」
裕也の横に並び立ちながら、晃奈は苛立ちも顕に毒づいた。
燃える剣によって二つに断たれた槍は即座に合体、変形すると、再び異形の骸骨の姿を形作る。
眼孔に浮かぶ赤く仄暗い光がぼんやりと周囲を見渡すその様子からは、まるで痛痒を感じている気配がない。体を両断されるほどの攻撃を受けたにも関わらず、意にも介していないようだ。
「まともにやってたらキリがないぞ。姉貴の炎でパーっとやっちまおうぜ」
姿を自在に变化させ、どんなに斬ってもすぐに元へと戻ってしまう。
戦闘が始まってほんの僅かな時間しか経っていないが、物理的な攻撃が通用しないのだということは容易に想像がつく。しかし裕也には活路が見えていた。
【火炎剣】のスキルによって、炎をまとった晃奈の剣。それが槍状の吸血鬼を両断した際に小さいながらもジュッ、という音が確かに聞こえた。
あれは吸血鬼の体を構成している血液が、熱によってほんの僅かだが気化した音だ。
晃奈は【火炎剣】の他にも【ファイア】や【ファイアアロー】といった炎系のスキルをいくつも所持している。高火力で一気に体を構成している血液を吹き飛ばされれば、いくらアーティファクトといえども倒せるだろう。
「実はさっきのゴーレムで結構魔力使っちゃってて、大技は無理っぽいのよね。それに中途半端に削っちゃったら、的が小さくなってやり難いわよ」
晃奈も裕也と同じことに気付いてはいた。
しかし少ない魔力では意味がないとスキルを解除すると、裕也が何かを言う前に剣に纏っていた炎を消す。
「……マジで?」
「マジよ。うちに他に攻撃系のスキル使える人はいないし、母さん達が戻ってきてもどうしようもないわね」
「全員物理で殴るだけだしな。前から思ってたんだけどさ、うちのチーム脳筋すぎないか?」
「あんたそれ、あたしのこともディスってるんじゃないでしょうね?」
つまり打つ手がない。裕也と晃奈の会話からはそうとしか読み取れず、その後ろにいた女性達が不安気に肩を寄せ合う。
しかしそんな背後の様子には気づく様子もなく、二人には全く焦った様子がない。どころか、裕也に至っては目の前の吸血鬼よりも晃奈の方を恐れているような素振りだった。
「いや違……、あーっと! それよりどうする?」
「あれしかないわね。っていうか、分かってて言ってるでしょ」
露骨に話題を逸らす裕也に後で殴ると心に誓いつつ、晃奈は裕也の口を指差す。
「やっぱ俺か……。嫌だなあ、どうせまたぶっ倒れるんだろうなあ」
「今回は馬車があるから後のことは気にする必要ないわよ。ほら、時間稼いであげるからさっさと準備する!」
悠長に会話を続ける二人だが、そうしていられるのも吸血鬼の方も動こうとしていないからだ。
生まれて間もないこの吸血鬼にまともな知性は存在しない。ただ本能に従い、より多くの新鮮な血を求めているだけだ。
だが、そんな怪物にも現状があまり芳しくないことは理解できた。
目の前の人間たちの攻撃は自分には通用しない。しかしその動きは素早く、力は容易く自分の体を破壊する。こちらからの攻撃もあっさりと対処されてしまった。
『ギ、ギ……』
──すぐそこに美味しそうな血があるのに。吸えない、殺せない。
そして両者が動きを止める中、その均衡を崩したのは、
「え? 何? 妖怪!?」
突如響いた狼狽した声と、同時に飛来した拳大の石ころだった。
「親父?」
風を切って飛んできた石は吸血鬼の側頭部へと吸い込まれ、再びその頭部を吹き飛ばす。
ぐらりと傾く吸血鬼を尻目に裕也が視線を向けると、森の中に口を半開きにして自分の伴侶を見つめる進士と、投球直後のピッチャーのような姿勢をした加奈子がいた。
「か、加奈子さん。いきなりすぎるんじゃあ……?」
「あらあら、どう見ても敵さんじゃないですか。それならすぐに攻撃しないと」
どうやら裕也達との合流を目指して森の中を進んでいるうちに現状に遭遇。進士が吸血鬼の異様に驚く一方で、加奈子は即座に攻撃へと移行。手頃な石を思いっきり投げつけたらしい。
何はともあれこれで全員が揃った、と裕也が正面へと視線を戻すと砕け散り飛散した頭部が再び収束、元の姿へと再生される。
「物理攻撃は効かない! 時間を稼いで!」
ガサガサと草木をかき分けながら近づいてくる二人に向かって叫ぶと、晃奈が吸血鬼へ向かって駆け出した。一方で少し後ろに下がり、わずかに腰を落とす裕也。
子供達の言葉とその行動で全てを察した加奈子が更に足を早め、進士の姿が掻き消えた。
吸血鬼にとっては打開策も見つからないままに、状況が益々悪くなっている状態だ。
新たに増えた敵も相当に厄介そうな印象を受ける。目の前に広がるご馳走に手を出せないのは口惜しいが、今ここで倒されるわけにはいかない。それだけは許されない。
それは本能よりも強く己に囁きかける声。遠い記憶の彼方、己の作り出された存在理由。
──より多くの血を、より多くの力を! そして世界に混沌を……!
『ッ!! ギィィィィィィィィィッ!』
悩んだ末に選んだのは撤退という選択肢。
吸血鬼は大きく鳴くと、背中から翼を生やし上空を見上げる。
ただ飛翔するだけなら必要のない器官だが、『自身の中に眠る誰か』が知っていた。より速く飛びたいのなら、それは必要なものなのだと。
羽ばたくと同時にふわりと体が浮き上がり──その両翼をそれぞれ晃奈と進士が根本から断ち切った。
『ギィ!?』
大きくバランスを崩すが、翼のない状態でも浮遊することは可能だ。
吸血鬼は勢いよく地面を蹴ると後方へと跳び下がる。
「逃がすか!」
叫んだ晃奈は一切臆することなく駆け寄り、進士が目で追い切れぬほどの速度でその背後に回り込む。
切られた翼が本体に合流しようと動き始めるが、それは斎蔵と加奈子によって阻まれる。
「お義父さん、何だか苦しそうですけど大丈夫ですか?」
「正直ちょいとしんどいのう。これが終わったら、休ませてもらうわい」
槍と拳による鋭い突き。その衝撃と風圧が赤い塊を飛散させる。
宙に散った飛沫は吸収できる。実際にダメージは存在しない。しかし吸血鬼の内心には焦りが生まれていた。
──逃げられない……。逃げられない!!
自分に攻撃が通用しないことは分かっているはずだ。なのにこいつらの余裕の態度は何だ?
そうしている間にも攻撃は続いている。
斬られ、穿たれ、自身を構成する血液が再結集する側から散らされていく。
『ギァァァァァァァァッ!』
大声で吼えるも一切怯む様子もない。何か手はないかと再び『自身』に問いかける。
──翼は駄目だった。他に何かないのか? 寄越せ。『お前ら』の知っている全てを寄越せ……!
「っ!?」
直後、晃奈の放った一閃が避けられた。
傍から見れば苦し紛れに体を無理やりひねった結果、偶々攻撃を躱せただけのようにも見える。
しかしそれは晃奈にとっては看過できない出来事だった。
(偶然じゃない!)
今のは今までの吸血鬼の運動性と反応速度から見て絶対に躱せない一撃だった。それを今、この吸血鬼は明らかに意図的に躱してのけたのだ。
「晃奈!」
刹那の思考。その間に突如飛んだ斎蔵の一声に、慌ててその場を飛び退く晃奈。
直後、先程まで立っていた地面から勢いよく赤い刃が生えてくる。
それは吸血鬼が初めて見せるパターンの攻撃。足元から染み出すようにして地面を伝っていた血液の一部が、晃奈の足元にまで忍び寄っていたのだ。
『ギィィ……』
「こいつ……!」
感情の色を伺わせない赤い瞳を忌々しげに睨みつける晃奈。
奇襲に近い攻撃を躱された吸血鬼は、地面を這っていた血液を足元から吸収し直し深く腰を落とす。
「はっ!」
そして吸血鬼の注意が晃奈に向いていると判断した加奈子が、その側面から拳を繰り出した。
当たった部分を構成する血液を、問答無用で吹き飛ばす一撃。この僅かな攻防の間でもその威力は遺憾無く発揮されていた。
しかし吸血鬼はその迫りくる拳を首を巡らせて見やると、伸びてくる腕の側面を叩いて明後日の方向へと逸らさせる。
「「「!?」」」
見間違いでも偶然でもない。
明らかに狙った行動に、攻撃を外した加奈子は全身から冷や汗が吹き出るような感覚を覚えた。
(強くなっている……!? この短時間で!?)
「加奈子さん!!」
進士の叫び声と長年の経験から来る直感。それに従い加奈子は後方に跳び下がるが、吸血鬼の肋骨が無数の鋭い槍となり、その全身に突き刺さった。




