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第16話 白い杖 4

「……加奈子さん、絶対に声を出したら駄目だよ」


 進士の言葉に目線で応えると、加奈子は再び目の前に広がる光景へと視線を戻した。


 森の奥にそびえ立つ岩壁。草の一本すら生えていない岩肌に、亀裂のような大穴が空いている。

 人工的に空けられたものなのか、周囲には削られた岩の破片が散らばり、少し離れた場所には掘り出されたと思われる土が固められていた。


(あらあら、前に見たゴブリンさんの巣に似てますね。あの人達が掘ったのかしら?)


 加奈子が思い出したのは《ファミリー》が初めて受けたCランクのクエスト。目の前に広がる光景は、その際に発見した作りかけのゴブリンの巣と酷似している。

 違うのは周囲に広がる血の匂いと明らかな血痕。そして穴の前に大勢の人間が並んでいるということだろうか。


(半分は盗賊さんで間違いないと思うんですけれども……)


 並んでいる人間のうちの約半数。岩壁を背にした男たちは共通点のないバラバラな装備に、手入れどころか洗濯すらしていないのではと思える程粗野な服装をしている。加えて全員が全員、見事なまでに悪人面だ。

 性格は顔に出るという話があるが、もし街中で出会っていたならばあまりの『らしさ』に思わず笑ってしまっていたかもしれない。


(いえいえ、そんなことをしてはいけませんね。さて、残りの人達はどなたかしら……?)


 思わず緩みそうになった口元を両手で抑えながら見据えるのは、盗賊と思われる集団に相対するように並び立つ鎧を着込んだ男たち。


 白銀に輝く金属で構成されたその鎧と兜は全員が同じ意匠で統一され、遠目ではよく分からないが、その胸元には何かの紋様が彫り込まれている。

 腰には二本の剣、背には薄っすらと輝く青いマント。幾人かは外套を着込んでいるが、その下に付けているのは間違いなく周りと同じ装備だろう。


(何処かの騎士団みたいですけれど)


 だとすると妙な話だ。

 バンスの話によれば、この周辺を治める領主の騎士団は迷宮都市で起きた災害の対応にかかりきりらしい。余りに人手が足りず、王都からも救援の騎士団が向かっているとも聞いた。

 こんな所で盗賊の討伐をしている余力はないはずなのだ。


 にも関わらず、と自然と加奈子の視線が厳しくなる。

 全ての騎士団が『そう』なのだとは思わない。あんな連中は全体の内のごくごく一部だということは加奈子も理解している。

 しかし魔人の一件で生まれた騎士団という組織に対する不信感は、完全には拭えないでいた。それは隣で息を潜める進士も同じだ。


 だから二人は彼らの前に出ることが出来ない。

 その目的が、思惑が明らかにならない限りは。


「これでここにいる賊はほぼ全員、でしょうか。現在他の出入口、並びに隠し部屋を探索中です。ゴブリン共の巣を奪った直後のようなので、そこまで手の混んだ物があるとは思えませんが……」

「念には念を入れておけ。攫われた女たちというのは?」

「見当たりませんでした。どうやら先程聞き出した通り、後続の部隊が全員を連れて向かってきているというのは本当のようです」


 膝を付き、両手を頭の後ろで組みながらも何とかこの場から逃げ出せないかと様子を伺う盗賊たち。それに対する鎧の集団は、最低限の警戒だけを向けながら会話を続ける。


「頭目のドルンがいないというのは面倒だな。奴を逃がすわけにはいかんのだが」

「直ちに斥候を放ちます。……よろしいですか? ガイウス様」


 面頬を上げて会話を続けていた騎士たちの内の一人が、それまでずっと沈黙していた人物に声をかけた。


 歳は三十後半から四十前後。ボサボサのくすんだ灰色の髪に、覇気のない顔。

 ガイウスと呼ばれたその男は集団の中で唯一人だけ兜を外し、目の前の盗賊どころか仲間たちの会話にすら興味が無いかのように、明後日の方向に視線を向けている。


 声をかけられたことにすら気付いていない様子に他の騎士が再び「ガイウス様」と呼びかけると、彼は漸くその声の方に向き直った。


「あぁ斥候ね、斥候……。いや、別にいらないですよ」


 体も顔もきちんとこちらを向いている。にも関わらず相変わらず視線だけは明後日の方向に向け気怠げに話すガイウスの態度に、返事を返された男は特に気にすることもなく頷く。


「ここで待っていれば帰ってくるんでしょう? 態々探しに行く必要はないですよ」


 それより小腹が空いたんだけど何か持ってない? とやる気のない口調で続けるガイウスに周囲の騎士たちが苦笑していると、亀裂の奥から声が響いてきた。


「痛え、痛えよ!」


 跪く盗賊たちも含め、ガイウスを除く一同がさっとそちらに視線を向ける。


 どうやら洞窟の中にまだ盗賊の仲間が残っていたらしく、三人の騎士に囲まれて一人の男が連行されてくる。


「遅くなりました! 他に出入り口は見当たらず、隠し部屋の類もありません。中にいた人間は最深部の岩陰に隠れていたこの男で最後です」

「いい加減に離しやがれ! てめえ等、お頭に全員ぶっ殺されたくなけりゃ――」

「五月蝿いぞ。少し静かにしていろ」


 腕を捻り上げられ悪態を吐きながら引き摺られていた盗賊は、他の仲間の横に放り出されると周囲を見渡して状況を確認し、ニヤリと笑みを浮かべた。


 周囲にいる騎士の数は十人程度。

 成る程、どうやら自分達を捕らえにとうとう騎士団も動き出したらしい。この近くならば迷宮都市所属の連中だろうが、彼らの本分はその本拠地の防衛にあるはずだ。ならばここに派遣された連中はそこまで驚異になる強さではない。

 無論神託を受けていない自分達では相手にならないが、頭のドルンであれば話は別だ。

 あのアーティファクトとかいう武器があれば、こんな連中など簡単に始末できる。


(とにかくお頭が帰ってくるまでは生き延びねえと……)


 ドルンが帰ってきさえすれば勝てるとは言え、その時に自分が死んでいては何の意味もない。


 ――とにかく何かを話して時間を稼ぐか、それとも必死に命乞いをするべきか。


 他の仲間も同じ気持ちなのか、互いに目配せしながら周囲の様子を探っているのを横目で見ていると、ふと一人の騎士の姿が目に入った。


 ただ一人だけ脱いだ兜を脇に抱え、全くやる気のない表情であらぬ方向に視線を彷徨わせている灰色の髪の騎士。

 その表情からは全くと言っていい程やる気が感じられず、仕事だから仕方なく嫌々ながらもここにやって来ているのだという思いを全身から発している。


(何だこいつは? やっぱり騎士団の中でも手の空いている奴らを適当に派遣しやがったな? 俺らにとっちゃありがたいが――って、あ、れ……?)


 他の騎士たちが盗賊たちをどうするかとこちらに睨みを効かせる中、こちらに何の関心も見せないその騎士を観察していた男はふと気付いた。

 その騎士が着込んだ鎧。その左胸に刻まれた紋様に。


「聖剣に……星の輝きのエンブレム……!」


 思わず声に出して呟いた内容に、周囲の盗賊たちもがハッとそれに気付く。自分達を囲む騎士たちが持つ紋様と、その意味に。


「嘘だろ?」

「ありえねえ……」

「何でこんな所に……?」


 ジダルア王国において騎士団の名を冠する組織は数多く存在する。そのほとんどがその地方の領主が抱える私兵団であり、時として公的な軍隊にもなりうる。

 彼らは胸やマントなど、装備の何処かにその所属を示す紋様を掲げているが、その種類は千差万別だ。それはその地方の特産物や特色を示すものであったり創設時の領主の趣味であったりと、どれ一つとして同じものがなく、詳しい人間が見れば一目で何処の騎士団か分かるようになっている。


 だがその多種多様な紋様の中で唯一、ジダルア王国内においてたった一つの騎士団にしか使用することが許されていない絵柄が一つだけ存在する。

 それが剣のエンブレム。ジダルア王国初代国王が持っていたとされる、聖剣を模った紋様だ。


 そして紋様の中心に描かれた聖剣の下部に添えられた三つの星の輝き、その内の左側が一際大きく輝いているという意匠。それが指し示す騎士団は唯一つ――。


「――ジダルア王国直下、王国第二騎士団……!!」


 みるみる顔を青褪めさせ、絶望の表情を浮かべながら喘ぐようにしてその名を絞り出す。


 王国騎士団。それは王国内で最も強く、最も気高く、そして悪人にとっては最も恐ろしい騎士団の名だ。

 在籍する騎士の一人一人が地方の騎士団長を上回る力量を持つと言われ、それを束ねる三人の団長の力は人外のものとまで謳われている。


 ジダルア王国において身分の詐称は重罪であり、ましてや王国騎士団を騙るなど即死罪だ。

 自分達を捕まえに来るような人間がそんなことをするはずはなく、とすれば目の前の騎士団は紛れもなく本物の王国騎士団。一介の盗賊が逃げおおせることなど、万が一にも不可能な相手だ。


 そこまで思い至った所で漸く気付く。

 灰色の髪の騎士。この超人たちの集まりの中で、唯一やる気のなさそうな人物の胸に描かれた紋様の色に。

 他の全員が鎧に彫り込まれた紋様に青の塗料で色を付けているのに対し、ただ一人彼の紋様だけが黄金の輝きを放っていることに。


「第二騎士団団長――『不動』のガイウス……?」


「おや、私のことをご存知で? そうです、そのガイウスです」


 己の名を呼んだ盗賊の方を一顧だにせず、しかし少し驚いた様子のガイウスに盗賊は「当たり前だ!」と心の中で叫んだ。

 このジダルア王国に生まれ育った身で、彼の名を知らぬ者などいはしない。


 ガイウス=バージョイ。

 その名と共に、彼の逸話は物語にすらなっているほどだ。


 ――曰く、複数のAランクの魔物を単騎で討伐した。

 ――曰く、国境を超えてきた他国の騎士団を単騎で殲滅した。

 ――曰く、Aランク冒険者同士の諍いを武力でもって鎮圧した。

 ――そしてそれら全ての戦いにおいて、彼は一歩たりとも後退したことがない。


 故に、誰が呼んだかその二つ名は『不動』。


 例えドルンがこの場にいようと、同時に起動させたアーティファクトを二体がかりでけしかけようと、決して敵わない相手。

 相対してしまった時点で、自分の生を諦めねばならない相手だ。


「あ……あ、うああああああっ!」


 その名を聞き、自分達の前に立つ男の正体に気付いた盗賊たちが今度こそ力なく項垂れる中、恐慌をきたした一人の男が突如立ち上がって走り始めた。


 向かう先は先程まで自分達が隠れ潜んでいた洞窟の方角。

 彼はそのまま岩壁にへばりつくと、必死にその岩肌をよじ登り始める。そのスピードは神託を受けていない人間にしては驚くほど早く、あと十秒もあれば頂上にまで登りきれるのではないかと言うほどだ。


 逃げられる訳がない。見た所騎士たちは飛び道具の類を持っていないが、王国にその名を轟かせる騎士団が何の対処法も持っていないはずがないのだ。

 残りの盗賊たちはそんな思いでその後姿を見つめていたが、何故か周りの騎士たちは一歩もその場を動こうとはしない。どころかまるで傍観を決め込んだかのようにそれを眺めるばかりだ。


(これは――?)

(もしかしたら――?)

(いけるかもしれない!)


 もしかしたらこの騎士団の目的は、頭領であるドルン一人だけなのかもしれない。思い返せば洞窟前に引き摺り出された時も、ドルンの行方をやたらと気にしていた。

 そうだ。そもそも向こうがその気なら、とうの昔に全員殺されているはずだ。


 ――下っ端である自分達なら見逃してもらえるかもしれない!


 逃げ出した盗賊が岩壁を登り始めてから僅か一秒足らず。その間に残りの盗賊たちは全員が似たような結論に至っていた。

 そうでなくとも今この瞬間、全ての騎士が逃げた仲間の方に意識を向けているこの瞬間にしかチャンスはないのだ。


「っ! うわあああああああ!」

「ごめんなさい! ごめんなさい!」


 幾人かは叫びながら、残りの殆どは無言で。

 全員がバラバラの方向に一斉に走り出す。


 ――死にたくない。生き延びたい。今なら逃げられる。


 世の中の全てを自分の都合の言いように考え、振る舞ってきた。そしてそのことに何の疑問も抱かず、これからも続くのだと信じ、必死に走り続ける。


 だがしかし。


「――がっ……ばっ? ばぇ?」


 ゴボゴボと自分の口から溢れ出る血に溺れそうになりながら、その盗賊は突如自分の喉から生えた刀身を不思議そうに見つめた。


 一体何が起きた? いつ追いつかれた? 自分が走り出した時には、まだどの騎士も初動すら見せていなかったはずなのに?


 首の神経が両断されたのか、全身の感覚がない。

 ただこれまでに経験のしたことのない激痛と、何で? どうして? という思いがぐるぐると頭の中を駆け巡る。


 そして勢いよく地に横になる視界。首を貫かれた自分が投げ出されたのだと理解する前に、彼の意識は急速に遠退いていった。


 目の前に横たわる岩肌をよじ登っていたはずの仲間。一番騎士たちから遠く離れていたはずのその仲間の変わり果てた姿に、一体いつの間に? という疑問を抱えたまま。





「――何で逃げますかね? 面倒臭い」

「捕まってしまえば死罪なのは確定ですからな。僅かな可能性に賭けたのでしょう。おい、こいつらを洞窟の中に放り込むぞ。手伝え」


 相変わらず視線は明後日の方向を向いたまま、足元に転がる『盗賊全員』の死体を踏み越えながらガイウスは「それもそうか」と頷いた。


 最初の盗賊を皮切りに全員が逃げ出し始めた時点でガイウスは漸く剣を抜き、『その場を一歩も動かぬまま』全員を斬り殺した。


 その仕業に誰もが驚くこともなく、副官の指揮のもと淡々と死体の片付けを始めていく。

 その様子を眺めながらガイウスはふと背後に広がる森林の一点に視点を定めた。


「……」


 今はもう感じないが、自分が盗賊たちを斬り殺している最中に覚えた僅かな違和感。

 ガイウス以外には誰もそのことに気が付いた様子がない。しかしガイウスは誰か、もしくは何かに見られていたという確信があった。


 もし部下の誰かにでも伝えれば、追いかけるべきだと進言されるだろう。しかし。


(まぁ、ドルン一味ではなさそうですし。これだけなら見られて困るものでもないですしね)


 視線を再び明後日の方向に向けながら。ガイウスは小さく溜息を零した。


「しかしこれでまたしばらく待ちぼうけですか。ええと【アーティファクト=吸血鬼ヴァンパイア】、でしたっけ? ゔぁんぱいあって一体何なんでしょう?」


 面倒臭いものでなければいいのですが、と呟きながらガイウスは座れそうな場所を探して歩き始めた。






「加奈子さん!」

「大丈夫、ちゃんと後ろにいますよ」


 ガイウスが盗賊たちを皆殺しにしている光景。それを目の当たりにして、進士の【気配遮断】のスキルに思わず乱れが生じた。


 冒険者ランクとステータスの上昇と共に効果が強くなり、自身を含む三名程度までの気配を遮断できるようになったスキルだが、そのほんの僅かな乱れがあの男に対しては致命的だと進士は直感した。


(あれは……ヤバい!)


 目の前で一体何が起きているのか理解できなかった。


 ガイウスと呼ばれた男が剣を振るうと、まず初めに岩壁をよじ登っていたはずの盗賊がその足元に死体となって転がった。

 その後は同じことの繰り返しだ。彼が剣を振るう度、その足元に盗賊の死体が積み上がっていく。


 彼は一歩もその場を動いてはいない。それどころか、逃げ出した盗賊に注意を向けることすらしていなかった。

 盗賊たちはまるで彼の斬撃に吸い込まれるようにして、命を散らしていったのだ。


 その光景に底知れぬ恐ろしさを感じた瞬間、進士は即座に加奈子を連れてその場を離れることを選択した。そして今も【気配遮断】のスキルを発動させながら、全力で裕也たちの方に向かって走っている。


(攫われた人達があそこにはいないと分かったのは助かったけど)


 幸いなことにあのガイウスという男と騎士団はあの場を動くつもりはなさそうだ。彼らの気が変わる前に裕也達に合流、攫われた人達を助け出して次のディサイの町に向かわなければならない。


「進士さん、あの騎士団さんは……」

「分かってる。攫われた人達のことも気にしていたし、ただ盗賊を退治しに来ただけかもしれない。別に何か悪いことをしていたわけでもない。でも万が一っていうこともあるからね。なるべく関わらないようにした方がいいと思う」


 進士の言葉に同意するように頷く加奈子。

 その脳裏には進士と同じく先程の光景が映し出されているのだろう。


(とにかく急ごう。……あんな化け物には関わり合いになりたくない)


 現時点で敵対しているわけでもない。今後その予定があるわけでもない。

 だが二人は言い知れぬ不安を抱えながら、更に足を早めた。

GWの霊圧が……消えた……?


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