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第15話 白い杖 3

 鋭く振るわれた一閃により宙を舞う袋の口が両断され、中から飛び出してきたのは剣の束。

 十数本に及ぶその全てが紐で数珠繋ぎに括り付けられており、まるで不出来な縄梯子のようにも見える。

 刀身は鞘に収められてはいるが、強引に袋に詰め込んでいただけという保管方法といい、見る人が見れば激怒しそうなほど無造作な扱いだ。


 そのうちの先端に括り付けられた一本を掴んだ晃奈は、目の前に迫るゴーレムに注意を払いながらも、慌てることなくその剣帯を身に纏う。


「―――――ッッッ!」


 発声器官を有さないはずのゴーレムが、まるで雄叫びを上げるかの如く全身の可動部を軋ませながら右腕を突き出した。


 神託を受けていない人間ならば、原型すら留めないであろう。並の冒険者ですらまともに当たれば必死の一撃。

 先程放った【火炎剣】すら容易く弾き返す程の強度を持つ拳が、晃奈の眼前に迫りくる。


 だがそれしきのこと、何の問題ない。今の晃奈にとっては、さしたる脅威にはなりえない。

 一度刃を合わせたことで、確信していた。


(ま、同じくらいね)


 前に戦ったあいつ。大きさも強さもレッドベアと同程度だ、と。


「――【炎熱剣】」


 初めから握られていた一振りと、新たに抜かれたもう一振り。両の手にそれぞれ握られていた二本の剣が、呟きとともに赤熱する。

 刀身に込められた膨大な熱が溢れ出し、陽炎のように周囲の景色を揺らめかせる。


「ッッッ!!」

「だあああああっ!」


 無骨な一撃を迎え撃つ、二条の赤い輝き。

 結果、突き出された拳は何の抵抗もなく切り裂かれ、右肘から先を失ったゴーレムは殴りかかった勢いのまま、晃奈の横を通り過ぎた。


「……はあ?」


 バランスを崩し、地響きを上げて倒れ込むゴーレムの様子に、一部始終を眺めていたドルンが間抜けな声を漏らす。


(おいおいおい、嘘だろう!?)


 その一撃を放つ代償なのか、赤い輝きはとうに失せ、崩れた刀身がボロボロと地に落ちる。

 しかし一切の油断なく新たな剣を抜き放った晃奈を前に、残った片腕で懸命に起き上がろうとしているゴーレムの姿は余りにも頼りなく見えた。


 まだ片腕を失っただけ。そう考えるのは楽観的に過ぎる。

 あの赤い一撃は放つ度に剣を消耗するのかもしれないが、未だ晃奈の体には十本近くの剣が括り付けられている。もしその数だけ先程の技が繰り出せるのだとすれば、ゴーレムの体など細切れにされてしまうだろう。


(そもそも何であんなに簡単に斬られてるんだよ!?)


 【アーティファクト】。

 それは人の手では創り出せぬ、神々の創造物。まるで現代日本における都市伝説のように、まことしやかに囁かれる存在。


 だがドルンは、それが『本物』だと確信していた。

 ドルンにこれを与えた老人の言葉を真に受けたわけではない。ただそれを手にした瞬間、その身を駆け巡った何かに、尋常ならざる気配を感じたのだ。


 故に吼える。ありえない状況を前にして、ありえないと叫び散らす。


「お前それが何なのか分かってるのか? アーティファクトだぞ!? 【アーティファクト=吸血鬼ヴァンパイア】! 神々が創ったとすら言われている、神代の魔道具だ! そんな簡単に斬れる訳がねえ! そんな簡単に……!」


 だがそこまで口に出した時点で気付いてしまった。

 己の口にした内容。その矛盾に。


(そうだ。こいつが本物の【アーティファクト】なら、そんなに簡単に壊れるはずがねえ。なのに何であの爺は何度もこいつの整備をしにやってきた? 何でちょいと長い時間動かしたくらいで調子が悪くなった?)


「……畜生! あの爺、騙しやがったな!!」

「はあ?」


 半狂乱になったドルンの言葉に、今度は晃奈が心底呆れたような声を出した。

 そしてくだらないと溜息を吐くと、漸く立ち上がりかけたゴーレムの顔面に赤く輝く刀身を突き立てる。


「あんた何言ってんの? 【アーティファクト】だか何だか知んないけど、硬さだけならこの剣とほとんど変わらないわよ?」


 頭部を貫いた刀身が、その胸元まで抉るように引き下ろされる。


「……でもまあ。さっきのは、ちょっと面白そうな話ね」


 完全に動きを止めたゴーレムと再び砕け散った剣を見下ろしながら、晃奈は予想外のお宝を見つけたと言わんばかりに、愉快そうに口元を歪ませた。


「神々、ねえ。この世界には本当に神様がいるわけ? あと今吸血鬼って言ったわね。そんな奴らもいるの?」

「ひいい!?」


 神、もしくはそれに近い力を持つ存在がいるというのなら、地球に帰る方法を知っているかもしれない。それどころか、この一家揃っての異世界転移という異常な事態に何か関わっているのかもしれないのだ。


 思いもよらなかった所から新たな手がかりを見つけ、歓喜の笑みを浮かべる晃奈。

 だがその問いに、ドルンは一切を答えることなく身を翻した。


 ――逃げなくてはならない。あれは自分の手に負える相手ではない。


(畜生! 少し考えりゃ分かることじゃねえか!)


 先日アジトに襲撃してきた冒険者は全員がCランクだった。それを返り討ちにした相手にギルドがそれ以下の実力者を差し向けるはずがないのだ。

 晃奈達がドルンを追っていた理由はギルドからの指令でもクエストでもないのだが、そんなことはドルンの知るよしではない


(この女冒険者達は最低でもBランク。いや、もしかしたら噂に聞くAランクの化物かもしれねえ!)


 この世で一番大切なのは自分の命だ。こうなったら残りの商品も子分も諦めるしかない。とにかく今は逃げて――。


「――おい、どこに行く気だ?」

「!?」


 全力で駆け出そうとしたドルンのすぐ背後で、鮮血と断末魔が舞う。

 盾も剣も、そして鎧さえも。諸共両断し、中に収められている命を奪う死神の一撃。


 その凶悪な威力とは裏腹に神聖ささえ感じられる白く輝く剣を提げた裕也が、足止めをしていた最後の盗賊を踏み越えて、ドルンの後ろに立っていた。


「あんな事をして、このまま逃げられると思っているのか?」


 その目に宿るのは、怒り。ドルンという非道の輩に対する、激情の炎だ。


(……この世界に来て、人の死は何度も目にしてきた)


 ギルドに届く訃報、亡骸。そこには神託を受けていない、戦う意志のない人達が含まれていたこともある。

 ドラゴンとの戦いでは数日を共に過ごした仲間を実際に目の前で失った。

 そして魔人コットンの襲撃で、自分を慕ってくれていたトポスという少年を殺された。


 だがあれは……コダール村での出来事はそのどれとも違う。

 ただ自分の欲望を満たすためだけに力のない人を襲い、殺して回る。命を弄び、その事を悔いることもなく、面白半分に暴れまわってきた。そしてこれからもきっと同じことを続ける。

 そんな人間が今目の前にいる。


(……いや、もうこいつは違う)


 そんな存在が自分と同じ人間などとは思えない。思いたくない。

 このドルンという男は魔物よりももっとおぞましく、邪悪な存在だ。

 ここで見逃せばまだまだ犠牲者は増え続ける。その数はコットンの比ではない。


「ひっ」


 裕也の視線を正面から受け、絞り出すような声を上げるドルン。

 まるでその場に根を張ったかのように動かなくなった足を内心で叱咤しながら、どうにかこの場を切り抜けられないかと頭を働かせる。


(どうする? 今俺に残っている札はなんだ? このアーティファクトもどきじゃ無理だ。時間稼ぎにもなりゃしねえ。アジトを掃除している子分共もここに来るわけがねえ)


 ドルンを睨みつける裕也の背後から「まだ殺しちゃ駄目よ!」という声が響くが、それを聞いたところで何の救いにもなりはしない。

 どの道捕らえられて騎士団に引き渡されれば死罪に決まっている。


「う、うおおおお!」


 必死に考え抜いた末の結論は、当初の予定通り人質を取ること。

 先頭馬車の荷台に乗せられた『商品』十数人。そのうちの一人の首元にでもナイフを突きつけられれば、活路は見いだせるかもしれない。


 伸ばした左腕で荷台を覆っていた布を掴み取り、一気に捲りあげようとした所で――急に左手が言うことを聞かなくなった。


「は? あ? えあああ!?」


 遅れてやって来る激痛。それと同時に、手首から先を失った左手から真っ赤な血が溢れ出す。


「もう貴様は何も奪えんし、どこにも逃げられんよ」


 裕也と盗賊たちの乱戦を迂回し、ドルンの背後に回り込んでいた斎蔵が告げる。


「さて、どうするかの。晃奈、何か聞きたいことがあるんじゃろ?」


 穂先に付着した血を振り払い、ドルンの胸元に突きつける斎蔵。それを見たドルンは杖を取り落とし、ガクリと膝をついた。


 ――観念した。


 裕也も晃奈も、そして斎蔵もドルンのその様子を見てそう判断した。


「っ、あああああああああああっ!」


 膝に続き、残った右腕をも地面につく。

 しかしその姿勢で顔を振り上げると、ドルンは地面の上の白い杖に向かって頭突きを繰り出した。


「何をやっておる!」


 額が割れ、勢いよく血を撒き散らしながらもドルンは頭突きをやめようとはしない。慌てて斎蔵がその異常な行動を止めようとするが、それよりも早く杖は半ばから砕け散ってしまった。


「はははははっ。何だよ、やっぱりじゃねえか。俺でも壊せるような代物だったんじゃねえか!」


 蹴り飛ばされたドルンが大の字で仰向けになったまま、笑い声をあげる。

 その笑いは全てを失い、自棄になった人間のもの。自分も他人も何もかも、全てを巻き込んで破滅へ向かおうとする狂人の上げる声だった。


「これで制御装置は壊れちまった! もう何がどうなろうと知ったことか! 全部全部、ぶっ壊しちまえ!」

「こいつ、まだ動くっての!?」


 ドルンの言葉に、慌てて背後で倒れ伏しているゴーレムを振り返る晃奈。裕也と斎蔵も万が一に備え、それぞれ先頭と二台目の馬車の荷台の側につく。


「「「……?」」」


 そして、何も起こらないまま数秒が過ぎた。

 不審に思った晃奈がゴーレムに近づき剣で突いてみるも、微動だにする気配を見せない。


「いや、やっぱこれで動くのは無理でしょ」


 斬り飛ばされた右腕。頭部には大きな穴が空き、その穴は胴体の中央部にまで続いている。

 これがどういう原理で動いていたのか一切分からないが、晃奈はこれがもう動くことは出来ないように思えた。


「ま、動いたとしても今度こそ止め刺すだけだけどね」


 念の為にとその残骸を更に破壊し、未だに笑い声を上げるドルンに向かって溜息を吐くと、今度こそ色々と聞き出そうと歩き出す。

 そしてそれを見た裕也と斎蔵が構えていた武器を降ろした瞬間、二台目の馬車の荷台の檻と布を突き破った何かが、裕也の胴体に突き刺さった。


「がばっ!?」


 突然のことに受け身も何も取れないまま吹き飛ばされていく裕也。

 地面の上を跳ねながら砂埃を撒き散らし、周囲に生い茂る木々のうちの一本にぶち当たり、漸くその動きを止める。


「裕也!」

「……痛いけど、大丈夫」


 思わず声を上げた斎蔵に、地面に倒れ込んだ裕也は片腕を上げて応える。

 ダメージはあるようだが、命に別状ははいようだ。

 そのことに安堵しながら、裕也を襲った物体に目を向ける。


 それは巨大な拳。そして晃奈の足元に散らばっているゴーレムの残骸と同型のものだ。


「つまり、あの一体だけではなかったということか」


 言葉と同時に荷台の上部が弾け跳び、バラバラと降り注ぐ木片の中からその巨体が姿を表す。


「ッッッッッ!」


 全身の駆動部を軋ませながら、勢いよく斎蔵に向かって駆け出す二台目のゴーレム。だがその拳が再び振り上げられるよりも早く、暗く澱んだ瞳をした晃奈がその上空に跳び上がっていた。


「――死ね」


 抑揚のない口調で告げられた言葉と共に振り上げられた剣は一本。

 しかしその刀身には今まで以上の熱が込められ、晃奈自身の周囲の空気すら歪ませている。


(いかん!)

「晃奈! 止まれぇっ!!」


 このまま縦に両断すれば、それで決着はつく。

 しかし斎蔵は『それ』を目にして、必死に声を張り上げた。


「っ!?」


 斎蔵の何時になく焦ったような声に、晃奈の怒りに染まった視界が少しだけ晴れる。

 それと同時に気付いたその事実に晃奈は慌ててスキルをキャンセルすると、ボロボロになった刀身をゴーレムの頭部に叩きつけ、それを支点とするように背後へと飛び跳ねた。


「こ……の……っ!」

「ここまでやるのか……貴様らはっ!」


 思わず口から漏れた憎悪の声。

 視線はゴーレムから離さないまま、しかし間違いなく自分へ向けられた言葉だと理解したドルンはますます大きな笑い声をあげた。


(おいおい、もしかしたら大当たりか? これならもしかしたら逃げられるかもしれねえ!)


 上体を起こし、先程までとは種類の違う笑みを浮かべたドルンは、愉快げにゴーレムへ視線を向けた。


 単なる思いつき、お遊びでやったこと。それがまさかこんな所で役に立つとは。

 斎蔵に向かって拳を振り下ろすゴーレム。


 その『胴と両足に括り付けられた女性たち』を目にして、ドルンは希望に満ち溢れた笑顔を浮かべた。

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