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第5話 異世界家族会議 2

 開いた口が塞がらない。


 田舎から出てきたっていうのは母さんが咄嗟についた嘘だったけれど、本当にお上りさんのように、落ち着きなく周りをキョロキョロと見回してしまう。


 周囲を行く人の何人かが挙動不審な俺たちを見て小さく笑っているが、そんなことは微塵も気にならなかった。


「本当に、地球じゃないんだ……」


「これは、驚いたのう……」


 親父が放心したかのように呟き、爺ちゃんまでもが驚愕の表情を浮かべている。


「裕也、見て見て! あの子猫耳よ! 本物よ!」


「ああ、凄えな……」


 姉貴の指差した先にいる少女。日本で言えば、小学生くらいの年齢だろうか。思わず保護欲をかき立てられるような可愛らしい外見をしているが、問題はそこじゃない。

 本来人間の耳がある位置には何もなく、姉貴の言うとおり、猫のような耳が頭上から生えている。さらにその猫耳は、少女の動きに合わせてピクピクと動いていた。


(本物だ)


 その子だけじゃない。他にも犬耳やよく分からない動物の耳を持つ人。更にはバール達のように全身を鎧に包み、堂々と武器をぶら下げた人が目の前を歩いている。


 誰もが自然体だ。その光景に何の疑問を持っていない。

 この世界ではこれが普通。日常の光景なんだ。


「とりあえず、ギルドを探しましょうか……」


 母さんの声に我に返り慌てて歩き出すが、それでも周囲を見ることは止められない。


 人々の格好だけじゃない。

 立ち並ぶ石造りの建物。道の端に出されている屋台。怪しげな道具。美味しそうに焼かれている肉。並べられた果物。

 目に映るもの全てが初めて見るものばかりで、ただ歩いているだけでも全然飽きそうにない。


「そこの格好いい兄ちゃんに美人な姉ちゃん。ピグーの串焼きはどうだい? 安くしとくよ」


 次から次へと興味深いものが現れるので、つい絶え間なくきょろきょろとしていると、屋台のおっちゃんから声をかけられた。


 ピグーという名前に聞き覚えはないが、美味しそうな匂いだ。ついさっきまで忘れていた空腹感を、いい感じに刺激してくる。


 しかしどんなに欲しくても金がない。俺がやんわりと断ろうとすると。


「無料ならもらう」


 同じように自分が空腹なのを思い出したのか、若干不機嫌そうな声で姉貴が答えた。


「え、いや無料はちょっと……」


 あまりの発言に、おっちゃんの笑顔が引きつる。当然だ。いきなりそんなことを言われたら、誰だって驚く。


「あー、すみません。今ちょっと手持ちが無くて。また次の機会に寄らせてもらいます。ところでピグーって何ですか?」


 姉貴のフォローをしつつ、情報を探る。こんな出来た弟が他にいるだろうか。姉貴はもう少し俺のことを有難がる必要があると思うね。


「ん? ピグーを知らねえのか? この町の周辺で一番多い魔物でな。兎みたいなやつだ」


(兎みたいなやつ?)


 俺の脳裏に一匹の獣の姿が浮かんだ。

 あいつ食用だったのか。いくつか持ってくればよかった。


 そしてもう一つ新たに聞いた【魔物】という単語。

 おっちゃんはピグーのことを兎みたいな魔物、と言った。つまりこの世界にも普通の兎がいるということだ。そして何らかの線引きで、普通の動物と魔物は区別されている。


「そうなんですか、この辺りは初めて来たので。ついでに冒険者ギルドの場所も教えてくれると助かるのですが」


「そうだったのか。しょうがねぇなあ」


 俺の言葉を疑いもせず、次は買ってくれよ、と笑いながらおっちゃんはギルドの場所を教えてくれた。とてもいい人だ。次に来た時は、是非ともその串焼きを買わせてもらおう。


 おっちゃんに礼を言って、早速皆にこの情報を伝えようと後ろを振り替えると、俺の愛すべき家族達は人ごみの向こうに紛れ、姿が見えなくなりかけていた。


「うぉい!? 姉貴のフォローをしてたんだから、ちょっとくらい待ってくれてもいいだろ!」


 一瞬呆気にとられたが、すぐに駈け出して何とか追いつく。


「いい? 裕也。あたしはお腹が空いてるの。でもお金が無いの。一刻も早くこの邪魔なトカゲを売り払って、ご飯が食べたいの。分かる?」


 俺は結構本気で焦ったのだが、どうやら姉貴に謝罪の意思はないようだ。


「そいつを売るギルドの場所だって分かってないだろ。でもまぁ感謝してくれよ? 俺がさっき――」


「そこの角を右に曲がって少しといったところかの」


「何で分かんの爺ちゃん!?」


 ならばこれでどうだ、とドヤ顔で説明しようとした俺の言葉を、爺ちゃんがぶった切る。

 しかも合ってるし。


「察するにそのギルドとやらは、昼間出会った武士達の総本山なのじゃろう? どの程度の規模なのかは知らぬが、それらしき風体の輩の流れを見ていれば、大体の方向と距離は分かる」


(何この超人……)


 俺と親父は本当にこの人の血を引いているのだろうかと、時々疑いたくなる。


 おっちゃんに教わった通り、そのまま角を右に曲がって少し歩くと、正面の丁字路の突き当たりに三階建ての大きな建物が見えてきた。バール達のようにいかにもな格好をした人達が出入りしているし、恐らくあれが冒険者ギルドだろう。


 入り口の上には盾と松明を模したエンブレムが掲げられ、文字らしきものが書かれた看板が下げられている。

 あれがこの世界の文字なんだろうか。日本語とも英語とも似つかぬ、ただの記号の群れに見える。そう見えるのだが。


「『冒険者ギルド、アルラド支部』」


 読める。何て書いてあるのかが、すんなりと頭に入ってくる。


「まさか本当に読めるなんてね。ありがたいからいいけど」


 驚いて足を止めている俺の横を、そんなことよりお金にご飯、と口ずさみながら通り過ぎる姉貴。どうやら他の皆にも読めているらしい。

 姉貴以外も俺同様看板を見上げながら足を止めていたが、今考えても仕方がないと思ったのか、それについていく。


「ところで裕也。今更だけど冒険者って何だい?」


 俺も慌てて姉貴を追おうとすると、一番後ろにいた親父がそんな質問をしてきた。そう言えば説明していなかったな。


 冒険者。

 金や名誉を求め、戦いの中に身を置く者達。

 彼らの仕事はギルドから交付される依頼クエストを受け、それを遂行することだ。

 その中で最も多く、重要なのが魔物の討伐。彼らが魔物を狩ることでその増殖を抑え、それは結果として市民の安全へと繋がる。

 またクエストの種類はそれだけに留まらず、簡単な届け物から動植物の採取、果ては未開の地の探索までと様々だ。国や民間からの要請が、ギルドを通じて交付されることもある。


「と、まぁこんなとこかな」


 いつの間にか爺ちゃんも交えての説明会になってしまった。あまり上手く説明できた自信はないが、理解してくれただろうか。


「つまり、何でも屋みたいなものかな」


 何となくだが納得したような表情で親父が頷く。


「言っとくけどゲームや漫画なら、の話だからな。ここもそうだとは限らないぞ」


 そのゲームや漫画にしたって、作品が違えば設定も違う。出来るだけ分かりやすい仕組だといいんだけど。


 ギルドの入り口。大の大人が三、四人は並んで通れそうなウェスタンドアを押し開き、姉貴を先頭に足を踏み入れる。

 途端、近くにいた人達の目が一斉にこっちを向いた。


(こぇー。武器背負った筋肉ダルマの集団ですよ)


 全員がそうだとは言わないがやっぱり職業柄なのか、がたいのいい連中が多い。極力視線を気にしないようにして前に進む。


 外見とは異なり、木材を基調としたギルドの内部は、銀行みたいな構造をしていた。

 入り口の正面、いくつものテーブルと椅子が乱雑に並ぶホールを抜けた奥には、職員の待機する窓口が並んでいる。それぞれの窓口には冒険者たちが列を作って並び、ホールにいる冒険者たち同様騒がしく喋っている。


 ホールの右奥には上階へと続く階段が、左側の壁には小さな紙が無数に貼り付けられた掲示板が設置されている。恐らくあれにクエストが張り出されているんだろう。

 紙の一つに『グリーンスライムの討伐』と書かれているのがちらりと見えた。俺の冒険者に関する知識は、そこまで間違っていないみたいだ。


 とりあえず窓口に向かって歩き出したのだが、奥に行けば行くほど俺たちに向けられる視線の数が増えていく。初めは服装の奇妙さが目立っているのかと思ったが、どうも視線の大半は姉貴と母さんに向いているようだ。


 見てくれはいいからな、見てくれは。男女比十対一みたいなこの環境じゃ仕方ないのかもしれない。


「すみません。これ買い取ってもらいたいんですけど」


 そんな視線を全て無視し、唯一空いていた窓口のカウンターに前ぶりも無く頭部の無い死体を放り出す姉貴。


「ギルドカードをお持ちですか? 一般の方の持込ですと査定額が下がってしまいますが。よろしければ冒険者としての査定額から、ギルドへの登録料を差し引いての登録も可能ですよ」


 いきなりこんなことをされたら普通驚きそうなものだが、慣れているのか受付のお姉さんは動じた様子も無く、冷静に対応してくれた。


「え、値段変わるわけ? じゃあ――」


「アキちゃん!」


 サクサク話を進めようとする姉貴を母さんが止めた。珍しく本気の声音だ。親父も真剣な表情で姉貴の肩に手を置く。


「え……?」


 いつになく怖い雰囲気を漂わせている二人の様子に、珍しく姉貴が動揺する。

 恐らく今止められていなければ、姉貴はこの場でギルドに登録していただろう。何も考えず、ただその場の流れで。


「少し冷静になる必要があるようじゃの。お嬢さんや、すまんが一般の方の査定で頼む」


「畏まりました」


 爺ちゃんが受付のお姉さんに頼むと、奥から男性の職員が二人出てきてカウンターの奥にドラドラコを抱えて行った。


「少々お時間をいただきますので、こちらの番号札を持ってギルド内でお待ちください」


 木製の板に丸印が刻み込まれた番号札を受け取る。


(五、か)


 さっきの看板と同じだ。ただの円形の記号のはずのそれが、五という数字を示していることが分かる。


 そのまま窓口を離れ、空いていたテーブルを一つ占拠する。

 全員が席につくと、それまで黙っていた姉貴が口を開いた。


「母さん、あたし……」


「冒険者になりたいの? アキちゃん、あなたは確かに強いと思うわ。もともと強かったのが、この世界にきてもっと強くなった。今日会ったバールさんや門番さん達の反応を見ても、この世界でもきっと強い方なんだと思う。でもね」


 そう言って母さんが視線を向けた先に俺も視線を向ける。

 そこには楽しそうに仲間と談笑する冒険者達の姿があった。だがその中の一人の片腕が無い。眼帯をしている人もいる。


 改めてギルドの中を見渡すと、見えている部分だけで取り返しのつかない怪我をしている人が何人も目に入った。


「それでもこの中で一番という程じゃないと思う。きっとこの場にはいないけど冒険者さんはまだまだたくさんいて、アキちゃんより強い人もたくさんいるわ。それでも何かを失って、亡くなってしまって。あの時アキちゃんはそこまできちんと考えたの? ここはまるで物語の世界のようだけど、決して物語の中じゃない」


「あたし……」


 姉貴にも浮かれていたという自覚があったのだろう。何も言い返さず俯いてしまう。


 俺もそうだ。急に見知らぬ地に放り出されたという不安感は横に家族がいるという安心感で塗りつぶされ、物珍しさに対する好奇心が勝ってしまっていた。あの時姉貴が冒険者になっていれば、俺も何も考えずに続いていただろう。


「番号札五番でお待ちの方。査定が終了致しました!」


 さっきのお姉さんの声が聞こえる。五番、俺達のことだ。


「行こうか晃奈。きっとお腹が空いて冷静じゃなかったんだ。お腹いっぱいご飯を食べて、それからもう一度皆でよく考えよう」


 ポンと、俯いた姉貴の頭に親父が手を置いた。普段そんなことをしたら床か壁に叩きつけられた上で追加コンボが待っているのだが、姉貴は神妙な表情でされるがままだった。


「お待たせしました。今回は一般の買取ということで冒険者価格より三割引かせていただいています。まず魔石が百四十ドルク、鉤爪が一本で三十五ドルク、鱗は擦ったような跡が大きいため六十ドルク。合わせて二百三十五ドルクとなります」


(あー、鱗はなぁ。ずっと引き摺ってたしなぁ)


 ちらりと運搬者の方を見ると、あによと睨まれた。どうやら調子は戻ってきているみたいだ。


 それにしても魔石か。一番価格が高いけど、魔物の核みたいなものなんだろうか? それと気になる点がもう一つ。


「肉はどうなんですか? 買取してないんですか?」


 露天で売っていたピグーの串焼きのことを思い出して聞いてみる。


「ドラドラコの肉は食用に向いておらず、使い道もありませんので買取は行っておりません。ほとんどの方が倒した際に捨ててしまうか、もしくはギルドにて処分させていただいております。必要ならば返却させていただきますが、如何いたしましょうか」


 毒がなければ食えないこともないんだろうけど、食用でもない生肉貰ってもなぁ。


「いや、結構じゃ。ありがとう。それとこの近くにわしら全員が泊まれて、手頃な価格の宿屋はないかのう」


「それでしたら《銀の稲穂亭》がおすすめです。ここからですと――」



 支払われたお金をサービスで巾着袋ごと貰い、ギルドを出る。


 日はもうほとんど落ちていて、辺りは薄暗くなっていた。ついさっきまで賑わっていたはずの通りが、太陽につられるように活気を失っている。


 この町の治安が日本ほどいいとは考えられなかったので、一家の全財産が入った巾着袋は腕力の一番強い姉貴が持つことになった。


 受付のお姉さんが教えてくれた通りに道を進んで、今夜の宿である《銀の稲穂亭》に辿り着く。

 名前の通りに稲穂を模った看板が掲げられた、二階建ての建物だ。


「いらっしゃい。銀の稲穂亭にようこそ。五人かい? 一人一泊三十ドルクだ。うちは夕食と朝食もついてるが、お代わりは追加料金だ。見たところ家族連れみたいだし、一部屋でいいか? ペットはいないな。もしいるならそれも追加料金だ。そうそう、料金は前払いで頼むぜ」


 扉を潜るなり店主らしき男が話しかけてきた。がっしりとした体格にスキンヘッドという出で立ちのおっさんは、そのままこちらが口を挟む間もなく、話を纏めてしまう。


「ええと、じゃあそれで一泊お願いします」


 勢いに押されるように親父が承諾すると、おっさんがニカッと笑う。

 弱いぞ親父。言われるがままじゃないか。


 情けない、と言いたげなジト目で親父を見つめている姉貴から金を受け取ると、おっさんはは懐から鍵を取り出した。


「よし、部屋は二階でこれが鍵だ。セリー! お客さんだ! 案内してさしあげろ!」


「はいはーい!」


 廊下の奥に向かっておっさんが声を張り上げると、それに負けじとこちらも大声で返事をしながら、女の子が小走りで近づいてくる。


 年は俺と同じか、ちょっと下くらいだろうか。

 背中に垂らしたボリュームのある三つ編み。髪と同じ茶色の大きな瞳。全身から活発さが滲み出ていて、見ているだけでこっちも元気になりそうな子だ。


 俺達の前で急ブレーキをかけると、急いで来たせいか若干頬を上気させながらペコリと一礼し、今度は手招きしながら階段を駆け上がる。


「いらっしゃい! ご家族ですか? 私はセリーっていいます。よろしくお願いしますね。部屋に案内するのでついてきてください。今私が出てきたほうに食堂があるんで夜は十九時から二十一時までに、朝は六時から八時までに食べに来てくださいね。それ以外の時間ですと別料金ですから。それでは部屋はこちらです。ごゆっくりー」


 間違いない。おっさんの娘だ。


 セリーと名乗った女の子は俺たちを部屋の前まで案内すると、こっちが口を挟む間もなく喋るだけ喋って、ドタドタと階段を駆け下りていった。

 親娘揃って凄い勢いだと感心していると、姉貴がガチャリと鍵を開く。


 用意された部屋はベッドが五つにテーブルと椅子、それと簡単な棚があるだけの寂しい空間だった。当然トイレや風呂もついていない。多分どこかに共用のがあるんだろう。


 枕元にあるランプだけが光源みたいで、夜はとても不便そうだ。けれどそんなことより俺の目をひいたのは、壁にかけられている時計だった。

 円状に並ぶ文字列、中央から伸びる長針と短針。書かれている数字がこの世界のものだということを除けば、地球のアナログ時計と何も変わらない。


(どうやって動いてるんだ?)


 今日一日だけでも、電池なんてものが存在するような世界じゃないことは察しがつく。ファンタジー的な考え方をするなら、やっぱり魔力とかか?

 時計を見ながら考え込んでいると、姉貴が手と顎を俺の肩にのせ、もたれ掛かかってきた。


「うわ、あれ時計? 時間の考え方もほぼ同じならありがたいわね。同じ一時間でも地球と同じ長さなのかまでは分からないけど」


(そこまでは考え付かなかったな)


 相変わらず妙なところで考えがまわる。できればその調子で常識というものにも気を回してほしいものだ。


「あらあら。この時計が地球と同じ読み方でいいのなら、もう少しで十九時ね。考え事の前にまずは食事にしましょうか」


 他に見るべきものはなさそうだし、片付ける荷物もない。

 俺たちは母さんに同意すると、ぞろぞろと連れ立って部屋を出た。


 辺りは大分暗くなってきていたが、壁にかけられたランプが足元を照らし出してくれているおかげで、階段にも躓くようなことはない。ふと気になって中を覗きこんでみると、光源は火ではなく光を放つガラス玉のような物だった。時計同様、これも仕組みが分からない。


 食堂に入ると、近くで他の客に配膳をしていたセリーに席まで案内された。

 メニュー表はなく、全員に同じ品が運ばれてくる。野菜の浮いたスープに焼いた肉、そしてパンというシンプルな内容だ。ただし野菜には見たことのない形の葉が混じっているし、肉の種類も不明。おまけにパンもかなり固そうだ。


 そんな見た目でも、この空腹感の前ではほとんど気にならない。俺たちはいただきますの挨拶もそこそこに、一斉に手を伸ばした。


(丸一日ぶりの食事だ!)


 心のなかで叫びつつ、しばらくの間そのまま無言で手と口を動かし続ける。


 あっという間に全員が自分の分の食事を食べ終えると、まだ余裕のあるお腹を擦りながら、のんびりと水を飲み始めた。


 俺も時折水を口に運びながらぼうっとしていたのだが、客の数も減り、さっきまで走り回っていたセリーが近くで暇そうにしていたので、いい機会だと時計やランプについて聞いてみた。


「動力、ですか? 両方とも魔石に貯めた魔力で動いてるに決まってるじゃないですか。うちのは安物なんで、ランプを消したかったら中の魔石に直接触れてくださいね。勿論壊したら弁償ですよ」


 何を当然のことを、と言いたげな表情で応えるセリー。どうやらこれは一般常識のようだ。他にも色々と聞きたいことがあったけど、セリーは他の客に呼ばれるとすぐに離れてしまった。

 仕方ない。これ以上は自分で調べよう。


 魔石と魔力。実物を見てはないけれど、魔石っていうのはドラドラコで一番高く売れた部位だ。それに魔力を貯めているってことは、ギルドもそれが目的で買い取りをしているんだろう。ゲームや漫画で得た知識が、この世界でも意外にに役に立ちそうで安心する。


 さて、実際に食べてみた結果、飯の味は可もなく不可もなくといったところだった。のだが、空腹は最高のスパイスとはよく言ったもので、家族全員がそれぞれ追加注文をしていたらさらに三十ドルクも使ってしまった。


 ドラドラコの買取代が全部で二百三十五ドルク。ここの宿泊料が五人で百五十ドルク。そして今、おかわりで三十ドルク。つまり、残金五十五ドルク。


(明日からどうすんだ……)



   ◇



「ではでは、第一回異世界家族会議を行いたいと思います。議長は日本の頃に引き続き私、加奈子が務めさせてもらいますね」


 パチパチパチ、と拍手が部屋に鳴り響く。


 家族会議。

 我が家で家族全体に関わる問題が発生した時、誰かが相談したいことがある時などに家族全員が集い、意見を交し合う場だ。日本にいた頃から不定期に行われていたのだが、今回から異世界での開催ということで名称を少し変えている。


 出来ればこの回数がなるべく少ないうちに日本に帰りたい。


 ベッドを三台繋げた上に全員で車座になって座りながらそんなことを考えていると、最初の議題があげられた。


「まず私たちのこの世界における行動の大原則は地球、つまりここにとっての異世界からきたということを悟られないようにしつつ、元の世界に帰る方法を探すということです。何か異議や質問のある人はいますか?」


「「「「いませーん」」」」


 全員が賛同する。


 これは当然だ。異世界人だなんてばれた場合、どう考えてもデメリットしかない。

 ここが異世界人という存在がありふれた世界だというのなら話は違ったかもしれないけれど、そんなことはないだろう。


「はい。では次に帰る方法ですが、何か意見のある人いますか?」


「と、言われてもなぁ」「大体どうしてこんなことになったのかも不明だし」「流石にすぐ、っていうのは無理そうな感じですよね」「地道に情報を集めるしかないのう」


 全員が思い思いに口を開くが、考えていることは皆同じのようだ。


 情報が少なすぎる。

 帰る方法もだが、まずはここがどういう世界なのかということや、この世界での常識を調べる必要がありそうだ。


 母さんもこれについては今話し合っても仕方がないと思ったのだろう。手をあげて会話を中断させる。


「ではそれに関しては情報を集めながら追々考えていくことにしましょうか。では本日最大の議題です。残金が五十五ドルクしかありません。明日からどうしましょう……」


「「「「……」」」」


 沈黙が部屋を包む。


 これは本当にまずい。何とかしないと明日から全員野宿どころか、飯にもありつけない。

 皆が気まずげに互いの顔を見合う中、姉貴の手が挙がった。


「あたし……あたしやっぱり冒険者やりたい」


「アキちゃん」


 俺は姉貴ならそう言うだろうなと思っていたのだが、やっぱり母さんは簡単に許すつもりはないようだ。ギルドの時と同じように、真剣な表情で姉貴を見つめている。


「勿論っ! ……勿論明日ギルドで詳しい話を聞いてもう一度よく考える! でもやっぱりやりたい。確かにさっきは舞い上がってたよ。目が覚めたら物語の中の世界で、凄く強くなってて。不安もあったけど、それよりもワクワクした気持ちの方が大きかった」


 俺も同じ気持ちだった。バールという冒険者たちと出会い、この町についてからも、その気持ちはますます大きくなっている。

 剣を、魔法を駆使して魔物を駆逐する冒険者という職業。まるで自分が物語の主人公にでもなったかのような興奮があった。


「この世界にきちゃったのが事故なのか、神様の悪戯なのかは分からない。けれどきっとこの力は日本に帰るまで皆を、家族を守れって誰かがくれた力だと思う。だからあたしはこの力を使って皆を守りたい。冒険者になってこの力でお金を稼いで、もっと強くなって……!」


「アキちゃん……本気なのね? ちゃんとよく考えてのことなのね? 綺麗ごとだけじゃすまないわよ。悪い怪物をやっつけてお金を貰える、絶対にそんな単純なお仕事じゃないわ。さっき話したとおり、大怪我をしたり、死んじゃうかもしれないのよ?」


 堰を切ったように話す姉貴の顔を、その両肩に手を置いた母さんが覗きこむ。その意思が、決意が、覚悟が、本物なのかを見極めるために。


「そして場合によっては人を、同じ人間を殺めなくてはならんかもしれん」


 それまで黙っていた爺ちゃんが口を開いた。


 ――人を殺す。


 日本で普通に暮らしていれば、考える機会も必要もないことだ。


 言われて俺も初めて気がついた。町の外で敵となるのは魔物だけとは限らない。この世界で、冒険者として争いの中で生きていくのなら、その覚悟がいる。生きるために。


 けれども。


「……うん。それでもやる」


 姉貴は何故か一度俺の方へ視線を向けると、はっきりと言い切った。


 視線を揺るがすことなく、爺ちゃんを見つめる。視線を交わす二人を、母さんと親父も黙って見ていた。


「……そうか」


 数秒後、爺ちゃんはそれだけ言うと目を閉じ、母さんがそっと姉貴を抱きしめる。


 しんみりとした雰囲気の中、親父が空気を変えるように明るい声をあげた。


「まあ、冒険者に関してはまた明日ギルドで詳しく説明してもらおう。今日は色々ありすぎた。皆疲れているだろうし会議はここまでにして、そろそろ寝よう」


「そうだな。そうしようぜ」


 同意の返事と共に飛び降り、繋げていたベッドを引き離す。


「おやすみ」「おやすみ」


 就寝の挨拶を交わし母さんがランプの明かりを消すと、部屋は完全な暗闇に包まれた。何だかんだ言って皆疲れていたみたいだ。すぐに寝息が聞こえてくる。


 けれども、俺の目は冴えたままだった。


(人を殺す、か)


 さっきの爺ちゃんの言葉が脳裏に張り付いて離れない。


 こんな世界だ。例え冒険者にならなくても、町と町との移動の間に盗賊なんかに襲われることがあるかもしれない。そんな時、正当防衛とは言え俺は相手に剣を向けることが出来るだろうか。


(いや、やらなきゃ駄目なんだ)


 自分を、家族を守るためにその必要があるのなら、躊躇っては駄目だ。いざその時になって戸惑っていたら、手遅れになるかもしれない。


(大丈夫。出来るはずだ)


 俺は無理やりそう思い込むと、強引に目を閉じた。

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