第11話 盗賊 6
(っ!?)
唐突に湧いた聞き覚えのある単語に、話を盗み聞きしていた裕也たちの顔も驚きに染まる。
ドラゴン。
かつて裕也たちがバール達四人のBランク冒険者達と協力して倒した、Aランクに分類される強力な魔物の名だ。その時は相手が幼体であったにも関わらず、多くの犠牲者が出た。
この世界に来てから出会った中で、最大の脅威。
知らない単語ばかりの応酬でいまいち理解が及ばない会話だったが、その名前だけは聞き逃せない。
「それじゃあダモスは……」
裕也達と同じBランク冒険者であり、長年多くの実績を積んできたムグルにとっても、Aランククラスの魔物というのはかなりの脅威なのだろう。今日一日の中でも最も険しい顔をして、バンスに話の続きを促す。
いくら歴戦の冒険者と騎士団がいようとも、Aランククラスの魔物が街中に現れれば並大抵の被害では済まない。
よくて半壊。先程自分自身で否定した、都市機能の停止という最悪の可能性も十分に考えられる。
「いや、低層を探索していた冒険者が運良く直前に異常に気付いたお陰で、早期に戦力を集めることが出来てな。特に《ベステラード・ファミリー》が参戦してくれたのが大きかった」
通常二人以上の冒険者が協力して活動する場合、【チーム】という制度を利用することが多い。
ギルドにチームを申請すると、仲間に同ランクが二名以上いれば一つ上のランクのクエストを受けられる上に、達成したクエストの実績をメンバー全員で共有できるなどのメリットがある。
複数のチームに同時に所属することは出来ない、原則報酬の分配は均等化しなければならないなどの制約もあるが、気の合う仲間がいる冒険者はほぼ確実にこの制度を利用している。
今のところ家族以外の冒険者と組む予定のない裕也達も、《ファミリー》という名前でチームとして活動している。
チームの人数は二~六人前後が基本だが、稀にそれ以上の集団を組むことを希望する人もいる。その要望に応えてギルドが用意したのが、【ファミリー】という制度だ。
奇しくも裕也たちのチーム名と同じこの制度は、主に大人数で徒党を組んで活動することの多い冒険者が活用している。
基本的なルールはチームと変わらないが、ファミリーに所属する冒険者は自ファミリー内の冒険者としかチームを組めない、ファミリー単位で依頼を受注すると一人あたりの報酬が減るなどのデメリットもある。加えてその性質上、口さがない人間には派閥だと皮肉られてもいる。
しかしファミリーに所属する冒険者は普段はチーム単位やソロで活動しながらも、一度緊急クエストや大型の魔物の討伐依頼が舞い込めば、その組織力を活かして安全且つ迅速に事態に対処することが出来るのだ。
「《ベステラード・ファミリー》ってことは……」
「ああ。《獣王》が動いた」
《ベステラード・ファミリー》の盟主にして迷宮都市ダモス――否、ジダルア王国内でも指折りの冒険者の異名を聞き、ムグルがゴクリと喉を鳴らす。
「被害はゼロ、とまではいかなかったが【大氾濫】が起きたにしては奇跡的なまでに小さいものだ。溢れた魔物を討伐した冒険者たちは《ベステラード・ファミリー》を中心に直ちにダンジョン内に突入、低層から念入りに内部に残っている高ランクの魔物を探して回っている。お陰で騎士団は全面的に街の復興に当たれているが、それでも全く人手が足りていない状況だ」
倒壊した数多くの家屋に多数の死傷者。治安は悪化し、取り締まるべき騎士団も復興に掛り切りという状況において、Bランク冒険者であるムグル一人が増えるだけでもかなり助かるのだと語るバンス。
「人手不足にも関わらず、大旦那が俺達二人をお前の迎えに寄越したのは、それだけ積荷である【ハイポーション】とお前を必要としているということだ。盗賊の件は気がかりだが、時期が悪すぎる。奴らにはいずれ然るべき報いを受けさせてやればいい」
「いずれ、ね」
ダモスに自分の力が必要なのは分かった。しかしそれを理由に盗賊たちを野放しにするという選択肢はムグルにはない。
再び剣呑な雰囲気を漂わせ始め、バンスに向かって噛み付くようにして捲し立てる。
「今連中を放置したら攫われた人達はどんな扱いを受ける? この村だけじゃない、これから更にどれだけの犠牲者が出ると思っているんだ?」
「我儘を言うな、ムグル。今お前がダモスに戻ることで救われる命もあるのだぞ。それに今の俺達はダモスにいる大旦那に雇われている身。どちらを優先すべきなのかはお前にも分かっているはずだ」
冷静に道理を説明するバンスに対し、あくまで自分の主張を貫こうとするムグル。しかしいつの間にかバンスの横に立っていたレフリの視線も受けて、ムグルは己の不利を悟った。
バンスの言う通り今この場で我儘を言っているのは自分の方であり、バンスの言い分の方が圧倒的に正しいのだ。
盗賊を討伐したいというのはムグルの私情に他ならない。
もしここにいるのが自分ひとりならば、ムグルはそのまま積荷と一緒にダモスに向かっていただろう。
しかし今この場にはバンスとレフリという、信頼のおける仲間が二人もいる。そして盗賊は少し手を伸ばせば届く距離にいるかもしれない。その事実がムグルに選択という可能性を与えてしまっていた。
(おいおい、何をやってるんだ俺は。ついさっき同じようなことを言った《ファミリー》の嬢ちゃんを窘めたのは俺自身だってのに。……ん? 《ファミリー》?)
と、そこでようやく彼らの存在を思い出す。先程から声を潜め、事の成り行きを見守っているチームの存在を。
「《ファミリー》……そうだ、《ファミリー》がいた! 奴さん達との契約は『俺が残りのパーティメンバーと合流するまでの間の護衛』だ。ここで一先ず契約は満了、次は盗賊退治をお願いできないか? なあ、嬢ちゃんもいいだろう?」
先程の遣り取りを見る限り、《ファミリー》の中で盗賊退治に反対の姿勢を見せていたのは斎蔵のみだ。それも徹底的に心の底から反対、というわけでもないとムグルは睨んでいた。
あの過剰なまでの怒りの表現は、自分の家族が間違った方向に進まぬようにという思いが為したものだ。確かな理由があれば決して反対しないだろう。
誰かに言われたわけでも請われたわけでもないと言うのならば、自分が請おう。そして願おう。
盗賊の討伐を。奴らを根絶やしに、と。
「ムグル殿。仰りたいことは分かるが、儂等は……」
突如振り返り破顔したムグルに困惑する一家の中で、斎蔵だけが一歩前に出る。
ムグルの要求は明らかだ。そしてそれを拒否する確固たる理由が帯刀家にはない。否、むしろ全員が大義を得たと喜んでその依頼を受けるだろう。一貫して反対の姿勢を取っていた斎蔵ですら、心の内に響くムグルの依頼を受けろという誘惑を振り払えないでいる。
ムグルの睨んだ通り、斎蔵も盗賊の討伐という行為自体を否定するつもりはない。
晃奈と裕也にはああ言ったが、あの惨状を見て何も感じない人間など人間ではないと斎蔵は思っている。本音を言えば、村の様子を見た二人が悲しむと同時に怒りの感情を持ったことを嬉しくさえ思っていた。
だがそれでも保護者として、一家の最年長者としてあそこは反対しなければならなかった。
この世界で冒険者になってからの様子から見ても、自分の家族が間違った道を進みはしないだろうという信頼はある。
だが僅か。ほんの僅かにだけ、晃奈の言葉に不安が首をもたげたのだ。
この異質な世界での冒険や経験が、自分自身ですら気付かぬ内に家族全員の考え方を少しずつ変えていってしまうのではないかという不安が。
だかろこそ今は、今回だけはムグルの依頼を受けるわけにはいかなかった。
――一度頭を冷やす時間が必要だ。
そう考えた斎蔵がムグルが全てを言い終わる前に断りを入れようとした瞬間、突如バンスが怒声を張り上げた。
「そこいるのは誰だ!? ゆっくりと出てこい!」
叫ぶと同時に背から双剣を抜き放ち、一軒の家屋に向かって構えを取る。僅かに遅れてレフリとムグルが、そして事態を把握した斎蔵達が一斉にその視線の先を追う。
「おいおい、バンス。お前さんらしくもない。本当にまだ誰か居るのか?」
「すまん。撃竜煙の残り香のせいで鼻が鈍っていたようだ。間違いない。あの中に誰か生きている人間がいるぞ」
ムグルに応えながら全身を覆う毛と同じ黒色の鼻をひくつかせるバンス。その瞳には最大級の警戒の色が浮かんでいる。
取っ手が壊れ崩れ落ちかけた扉に、穴の空いた壁。元々頑丈とは言い難い造りの小さな家屋だが、中にいるのが村人の生き残りならば今の今まで隠れ続けているのは不自然だ。
(まさか盗賊の連中か? でも何でまだここに? 間違って仲間に置いて行かれたとか? そんなことありえるのか?)
剣の柄に手を添え、皆と同じように警戒の体勢を取っていた裕也の脳裏に疑問が浮かぶ。咄嗟の思考だったが、奇しくもその場にいた全員が同じ思いを抱いていた。
痛いほどの静寂の中、壊れかけた扉が軋音を響かせながら開かれる。
やがてゆっくりと外に出てきた人物は、裕也の予想よりも遥かに低い身長の持ち主だった。
(……子供?)
背丈は裕也の胸よりやや低い程度。ボサボサの髪と赤く充血した瞳。服は土汚れと埃にまみれ、怯えたように歪められた顔には涙の跡が残っている。
(村の生き残りか!)
悲惨とも言える少年の姿を前にして、裕也の顔に喜色が浮かんだ。
一人もいないと思っていた。もうこの村にいた人達は、連れ去られたらしい人を残して誰一人残っていないと。
だがこの少年は生き延びたのだ。村の中で振るわれた暴力の中で、奇跡的に生き延びることが出来たのだ。今はただ、それが無性に嬉しかった。
「村の生き残りか。少年、ここで一体何があったのだ?」
少年の様子から害はないと判断したのだろう。こちらに敵意がないことを示すため両手を広げたバンスが問いかけると、その少年はビクリと体を震わせた。
「あ、う……あ……」
ゆっくりと近づこうとするバンスを見つめ、出てきた家屋の方へと後ずさる。しかし何かに躓いたのか、それとも足に力が入らなくなったのか、少年はその場に座り込んでしまった。
「む、大丈夫か」
動揺してはいるが、外傷は見当たらない。しかし迅速に保護すべきだと判断したバンスは慌てて少年に駆け寄ろうとし――その前に加奈子が立ち塞がった。
「何を――しているんですか!」
小さく呟かれた声には、明らかにバンスに対する怒りが滲んでいる。
突然の加奈子の行動にバンスが狼狽した瞬間、その手から武器がはたき落とされたのを感じた。と、同時に己の失態を悟る。
恐らくこの少年は村が襲われてから今まで、ずっとこの家屋に隠れ潜んでいたのだろう。その間何を見、何を聞いていたのかなど想像に難くない。
そんな子供に武器を提げた男が近づけばどう感じるかなど、少し考えれば分かることだ。
(ましてや俺は獣人。この子からすれば、ただそれだけで畏怖の対象ともなりえるというのに)
バンスは悔恨の表情で少年と、そして加奈子に頭を下げるとそのまま後方へと下がった。
予期していなかった出来事に自分も動転していたのかもしれない。そう反省しながら項垂れるバンスの背を、気にするなとレフリが軽く叩く。
バンスとの距離が離れるにつれ、少年の表情にやや安堵の色が浮かんだのを確認すると今度は加奈子が少年に近づいていった。
「大丈夫、もう大丈夫ですよ。もう貴方を傷つける人はここにはいませんからね」
そのまま正面からやさしく抱きしめると右手で背中を擦り、左手でゆっくりと頭を撫でる。
「あ……」
まるで年端もいかぬ幼子をあやすような行為に、少年が呆然としたような表情を浮かべる。しかしその表情は驚きから安堵へと変わり、やがてぼろぼろと大粒の涙を流し始めた。
「あ、あ、うあああああああ……っ!」
「大丈夫、もう大丈夫ですよ」
大声を上げて泣きじゃくる少年に加奈子は何も聞こうとはせず、ただずっとその体を抱きしめ続けた。
この世界において石鹸や香料は非常に希少なため、最近は金銭的な余裕がある裕也達も体を清める際にはお湯を使うだけという場合がほとんどだ。ましてやここ数日は野営が続き、お世辞にもいい匂いとは言い難い。
だがそれでも、その少年にとって加奈子の抱擁とそこから伝わる温もりは、何にも代えがたい安心感を与えてくれるものだった。
村の人々が殺されていく中、たった一人で隠れ続けたことに対する罪悪感。そしてその間に感じ続けていた圧倒的な恐怖。その全てがゆっくりと癒されていく。
「みん、な……皆、ころ、された……!」
慟哭はいつしか嗚咽へと変わり、少年はぽつぽつと言葉を紡ぎ始めた。
自分が一体何を見たのかを。この村に何が起こったのかを。
「お父、さんが、出ていって。お母さんが、隠れろ、って……!」
少年の話によれば、その襲撃はあまりも突然のことだったらしい。
明かりを灯すような魔道具もほとんどないコダール村の就寝時間は非常に早く、暗闇の中を出歩くような物好きもいない。深夜、住民のほぼ全員が寝静まった村の中で、突如悲鳴と怒号が響き渡った。
村の周囲には柵の他にも鳴子などの警戒装置が設置されていたが、それらも事前に無力化されていたのだろう。少年の家族が事態に気が付いたときには、賊は既に村の奥深くへと入り込んでいた。
家屋のほとんどが村の中心部に集まっているという構造も災いし、村は瞬く間に賊の手中に落ちてしまった。
そして繰り広げられた惨劇。
家屋は破壊され、中に隠れていた者は無理矢理に外に引きずり出された。ある者は陵辱され、ある者は面白半分に切り刻まれた。助けを求めて逃げ出そうとした者は、より激しい責め苦を受けた挙句、殺された。
悲鳴と断末魔、そして賊達の笑い声が響く中、少年の両親は子供達に何が起ころうと隠れているように言い含めると、自ら家の外へと出ていった。
「……貴方の他にもまだ誰か中にいるの?」
少年の口ぶりから隠れていたのが彼一人ではないと気付いた加奈子が、崩れかけた家にそっと目を向ける。
兄弟、あるいは姉妹か。どちらにせよ身寄りのなくなってしまったはずのこの少年に、一人でも家族が残っているというのならば不幸中の幸いだ。
まだ外に出てこないのは精神的なショックから立ち直れていないのか、それとも気を失っているからなのか。
加奈子が少年を抱えたまま立ち上がろうとすると少年はその胸に顔を埋め、背に回した手をきつく握りしめながら違う違うと頭を振った。
「お、お姉ちゃ……! お姉ちゃんも、連れて、いかれた……!」
村の中を粗方調べ尽くし住民を弄び尽くした賊の一部が、少年の家の中をまだ調べていないことに気が付いたのだ。
場の勢いに酔った数人の賊が扉と壁を破壊し家の中に侵入する直前、少年と一緒に隠れていたその姉は弟だけをありったけの布の下に押し込むと、自らはあえて見つかりやすい位置へと身を隠した。
そしてその目論見通り、賊は姉を見つけたことに満足すると、その手を掴み外に引きずり出していった。下卑た笑い声と「こいつも連れていく」という会話と共に。
「お、お姉……お姉ちゃ……! お姉ちゃ……!」
話しているうちにその時のことを鮮明に思い出してしまったのか、少年は大きくしゃくり上げ、全身を震わし始める。
もうこれ以上、少年から何かを聞き出すというのは余りにも酷だろう。今彼に必要なのは励ましや慰めの言葉でもなく、時間だ。
そう考えた加奈子はただ無言で少年のことを抱きしめ続ける。
だが最後に、ただひたすらに嗚咽の声を漏らしていた少年は最後に、こう呟いた。
「たす……、助け……。助けて、ください……!」
その言葉が誰のことを指すのか、その少年が何を願っているのかは明白だ。
裕也も、晃奈も、加奈子も、進士も――そして斎蔵も。
全員が無言で拳を握りしめ、小さく頷く。
――帯刀家の、《ファミリー》の意思が一つになった。
あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。




