第10話 盗賊 5
影は瞬く間にムグルの背後に回り込むと、その左手を素早く掴み上げる。そして握られていた撃竜煙を奪い取ると、困ったような声をあげた。
「……落ち着けムグル。こんな近くで撃竜煙を使われたら、俺の鼻がもたん」
初めから影の正体に気が付いていたのか終始落ち着いた様子だったムグルは、未だに衝撃の残る体を無理やり動かすと、ヒュウと軽く口笛を吹いてそれに答える。
「ナイスタイミングだ、バンス。ただ、俺まで【咆哮】に巻き込んだのはマイナスポイントかな」
「村の中にまだ賊がいるかもしれないと思ったんでな。まさかお前がいるとは思わなかったぞ。相当飛ばしてきたな?」
憎まれ口を叩きつつも嬉しそうなムグルに対し、バンスと呼ばれた男はフンと鼻を鳴らす。
俊敏性を活かすためか、急所にあたる部分のみを金属で補強した革製の鎧。見る者全てに引き絞られた弓のようなしなやかさを感じさせる、無駄なく引き締まった体躯。その二メートル前後の長身の背には、身長に見合った長さの細身の長剣が組むようにして背負われている。
だが初めて彼を見た人間が最初に注目するのはそんな部分ではないだろう。
彼の最大の特徴――それは全身を覆う黒く短い体毛と、その頭部にあった。
「……獣人?」
漸く身体の自由が戻ってきた裕也が、驚くような声を上げる。
獣人。それは人と獣の特徴を合わせ待つ、亜人とも呼ばれる種族の一つだ。
一口に獣人と言っても獣がそのまま直立二足歩行しているような容姿のものと、見た目は限りなく人間に近いが耳や尻尾など随所にその特性が現れているものの二パターンが存在する。バンスは前者だ。
裕也達も何度か会ったことはあるが、今までに通った町で生活している獣人は数が少ないらしく、どうしても珍しく感じてしまう。
「いかにも。俺は猫の獣人だ。そう言うお前たちは誰だ? 族というわけでもなさそうだが、冒険者か? だとすると、撃竜煙の匂いに気付いて来たのか」
驚きながらも自分を見る目に嫌悪感がないのを見て取ると、バンスは不思議そうな顔で髭と鼻をピクピクと震わせる。
「俺が雇った冒険者だ。バンス、お前が来てるってことはレフリの奴も近くにいるんだろ? まとめて説明したほうが手間が省けていい」
「もういるよ」
「レフリ!」
話しながらバンスの手から撃竜煙を取り返したムグルが顔を向けると、そこには家屋の壁にもたれ掛かるようにして一人の青年が立っていた。
厚手の生地で作られた黄緑色の帽子に、同じ素材で出来た足元まで覆い隠しそうなほど長いロングコート。流れるような金髪を肩口で切り揃え、手には長さ一メートル程の金属製のスタッフを携えている。
「ひどい有様だ。なんでこう、悪いことってのは続くのかな?」
青年が悼ましげに周囲を見渡すのを見て、ムグルは今度こそ顔を綻ばせた。
「よく来てくれた! お前らこそかなり急いだんじゃないか? まあ、遅くてもディサイの町への道中で合流するとは思ってたんだが」
コダール村と迷宮都市ダモス、その中間にある町の名前を上げながらムグルがレフリの肩を何度も叩く。
「こっちにも色々とあったのさ」
「そうかそうか。おっと紹介が遅れて悪いな《ファミリー》の諸君。この二人が俺の所属しているチーム《風来》の残りのメンバーだ」
ムグルが裕也達に向かって両手を広げると、まだ事情を把握しきれていないバンスとレフリが困ったような表情で頭を下げる。
「まあまあそんな表情しなさんな。さて、とりあえずは情報交換といこうかね」
ムグルが仲間の二人と話をしている間、裕也たちは御者と手分けしてバンス達の乗ってきた馬車を村の中に招き入れ、村の中の片付けを始めた。
晒し者のようになっていた遺体を降ろし、バラバラにされた身体もなるべく元の形になるように並べ、普段は倉庫代わりに使われていたであろう大きな建物に運び込んでいく。
(やっぱり、何も感じないな)
手も服も血と泥に汚れ、ひどい匂いが鼻を突く。けれどもそのことに関して、裕也は全く忌避感も嫌悪感も感じていなかった。
ただ、こうなることを防げなかった後悔とこれを為した盗賊への怒り。この二つの感情が未だに胸の奥で燻り続けている。
(……確かに、爺ちゃんの言うことは正しいかもしれないけどさ)
いくら言葉を重ねても、それだけでは納得しきれない。
村人の仇討ちという気持ちもあるが、確かに斎蔵の言う通り動機の大部分は自分の行き場のない感情をぶつけたいという我欲からだ。トポスの時とは違う。
けれどももし今すぐ自分達が行動に移せば、捕らえられている人達を助け出せるかもしれない。村はこうなってしまったが、これ以上の犠牲者を減らせるかもしれないのだ。
(初めて砂鳥を解体した時、爺ちゃんが精神に変化が起きているかもしれないって言っていた。確かにそうだ。日本にいた頃なら、絶対にこんなこと思わない)
しかしここは日本、否。地球ですらない異世界だ。
異なる道理と法則が存在し、それに基づいて回る世界だ。
日本であれば非難されるかもしれない裕也のこの気持ちも、この世界においては決して間違ったものではない。
(染まるつもりはない。けれども、拒絶する必要もない)
「爺ちゃん。俺、やっぱり――」
「はあ!? 騎士団が動けない?」
胸の内に浮かんでは消える様々な気持ち。それを言葉にしようと裕也が顔を上げた時、ムグルの困惑したような声が響き渡った。
思わず全員が作業の手を止め、声の発生源の方に視線を向ける。
「正確にはダモスの騎士団が、だ。噂では王都の騎士団が動いているらしいが、到着がいつになるかも分からん。だがこの件に関しては早急な解決が望ましいのは確かだ。賊の危険度も含めて、すぐにでもギルドに報告を上げるとしよう。だが適切な人員が揃うまでどれ程かかるか……」
「王都の……? いや、そんなことよりさっきも言ったんだが、村人が攫われてるんだぜ? そんな悠長な話をしてる場合じゃないってのは分かるよな?」
穏やかに話すバンスとは対照的に、正面に立つムグルからは明らかな苛立ちが見て取れる。騎士団が動けないという情報に、裕也達も困惑顔だ。
「何でダモスの騎士団が動けない? 【逆流】が起こってからそれなりに時間も経っている。あそこの領主様は下らない権力争いとも無縁だろ?」
迷宮都市ダモス。このジダルア王国において王都に次ぐ規模を誇る都市であり、そこに勤める騎士団も精鋭揃いだ。
彼の地を治める領主の力は非常に大きく、ダモスから遠く離れたこのコダール村すら領地の一部に含まれている。そしてムグルの知る限りその領主は良識的な考えの持ち主であり、決してこの緊急事態に己の都合で民を蔑ろにするような人物ではない。
バンスの話から推察するに王都から何かしらの横槍が入った可能性もあるが、迷宮都市を擁する立場の人物がそんなものに屈するとも考えにくい。
「いずれにせよ、騎士団が動けないっていうのならこっちにも考えがある。二人が早めに合流してくれたのは不幸中の幸いだ。バンスは連中の逃げた方角だけ調べてくれればいい。後は俺がやる」
「え?」
裕也達を窘めていた先程までとは一転、盗賊退治を仄めかせる発言をしたムグルに裕也は思わず声を上げる。
だがムグルのこの態度を予期していたのか、バンスは困ったように頬を掻くだけだ。
「ムグル、落ち着け」
「ああ、俺はいたって冷静さ。この惨状を見ても別に動揺なんざしていないし、きちんと自分の仕事をこなすつもりだった。でもそれは騎士団が動くって前提があったからだ!」
「ムグル……」
「恐らくこの近隣にいるレベルの冒険者じゃ連中には勝てない。かと言ってダモスにいる冒険者達が態々自主的にこんな所にまで盗賊退治に来ることなんてないってことは、十分分かってるんだろう? 悪いが俺はここで別れさせてくれ。積荷を持って帰るだけなら、バンスとレフリの二人で十分のはずだ」
相手は村一つを一夜にして壊滅させられるほどの戦力を有している。普通に考えれば先程ムグルが裕也達に言ったように、ここで二手に別れるのは愚策だ。
しかしバンスとレフリの二人ならば万が一敵に遭遇しても、積荷も御者も確実に守りきれるとムグルは確信していた。この二人が揃っているのならば、例えAランクの敵が相手でも逃げ切ることが可能だろう、と。
しかし――。
「……駄目だ。お前もダモスまで連れて帰る」
「っ!」
どこまでも冷静に、そして冷徹に告げられた言葉に、ムグルの全身から怒りが圧力となって吹き出す。
「……なあ、バンス。お前さんとも長い付き合いだ。俺がどうして冒険者になったのか、何度も何度も話したはずだよな?」
首を傾げ、肩をすくめ、あくまで飄々とした態度を崩さないようにするムグル。しかしその口元はわずかに震え、今にも爆発しそうな雰囲気を放っていた。
己が冒険者となった理由も、安全を第一に考えて行動する理由も、長年チームを組んできた二人には何度も話したことがある。忘れたとは言わせない。
それを知って尚止めると言うのか。反対すると言うのか。
「やめなよムグル。バンスも別に意地悪で言っているわけじゃない」
睨み合うムグルとバングの間で、険悪な空気が漂い始める。
それを打ち破ったのは、村に現れてからずっと家屋の壁にもたれ掛かったままのレフリの声だった。
「バンスも説明が足りなさすぎ。折角急いで来たっていうのにさ」
手にしたスタッフをいじりながら大きくため息を吐くレフリの言葉に、バンスが申し訳なさそうに頬をかく。
これまでにもこうした衝突を何度も諌めてきたのだろう。レフリの視線には非難というよりは、呆れの感情が色濃く現れていた。
「む。悪かった」
「いや、俺もちょっと熱くなりすぎたかな」
三人の中で最年少の青年の仲裁に、二人は揃って頭を下げる。
今更ながら周囲の視線を集めていることにも気が付いたのか、その顔は若干赤らんでいた。
「で、何があったんだ?」
やがて気を取り直したようにムグルが尋ねると、バンスはまるで思い出すのも忌々しいとばかりに顔を歪めた。
「……【大氾濫】だ。お前に至急積荷を届けるようにと連絡を送った後、ダモスダンジョンの入り口から魔物たちが溢れ出した」
「なんだって!?」
バンスの口から飛び出した言葉に、ムグルは取り繕うことなく驚きを露わにする。
裕也たちにはあずかり知らないことだが、この世界のダンジョンの内部は基本的に階層構造の迷宮になっている。内部にはダンジョン内で生まれた魔物が生息し、その強さは出入り口にあたる地表部分から地下へと階層を潜っていくほど強力になっていく。
故にダンジョン内に入る人間は己の強さと魔物の強さを見極め、活動する階層を見極めるのが通例だ。
しかし稀に強力な魔物が普段活動している階層よりも上の層へと現れることがある。これが先程ムグルの口にした【逆流】と呼ばれる現象だ。ダンジョン内で活動する人間にとって命に関わるこの現象は、大抵の場合高ランクの冒険者が丹念に階層毎に探索を行い、上層へと昇ってきた魔物を駆逐することで解決される。
今回ムグルが荷物を至急届けるように告げられたのは、その内容物がポーションなどの薬物であり、この【逆流】によって多数の怪我人が発生したためだ。
しかしバンスの口から告げられた【大氾濫】――ダンジョンの中で生まれた魔物が、まるで川の氾濫のように外に溢れ出す様からそう名付けられたその現象は、【逆流】とは被害の規模がまるで違う。
ダンジョンに纏わる様々な現象の中でも二番目に恐れられているこの災害がダモスダンジョンで発生したことに、ムグルは驚愕と恐怖の念を隠しきれずにいた。
迷宮都市ダモスの名を冠したダモスダンジョンは、街の中心部にその入口があることからも【大氾濫】が起きた場合の脅威は計り知れない。
「……そうか、それなら騎士団が動けないのも納得がいくな。王都の騎士団というのは復興の為の増援か。バンス、街の被害はどれほどだったんだ?」
この場にバンスとレフリの二人がいるということは、【大氾濫】自体は何とか収拾がついたと考えていい。
両名共にBという高ランクを誇る冒険者だ。【大氾濫】が収まらぬままに都市外へ出ることなど雇い主はおろか、冒険者ギルドも許さないだろう。そして何より、二人の性格上そんなことは決してしないという信頼もある。
となれば残る気がかりは街の被害だけだが、ダモスには領主の擁する騎士団はもとより、日々ダンジョンに挑みながら生計を立てている優秀な冒険者が数多くいる。いかに【大氾濫】が起きたといえども、都市機能に影響が出るほどの被害は出ていないはずだ。
そこまで考えた上で、やはり自分が呼び戻される理由が見つからない、とムグルは内心で首を傾げた。
いくら街に被害が出ていようとも、復興作業など門外漢である。瓦礫の撤去ぐらいなら手伝えるであろうが、それこそ他の冒険者でも十分なはずだ。単純に人手不足であるというのなら、こちらの迎えに二人も寄越す必要はない。
「……今回の【大氾濫】にはAランクの魔物も数体紛れていた。死傷者も多数出ている」
「そんな馬鹿な!!」
予期していたものとは方向性の異なる返答に、しかしムグルの疑問はあっさりと氷解した。
「Aランクだって? ドラゴンクラスの魔物がダンジョンから現れたって言うのか!?」
更新に間が空いてしまい、申し訳ありません。
無人島に放り出されて100人のうちの最後の1人になるまで戦い抜く、というゲームにハマってしまっていました。最近壁とかをよじ登ったり出来るようになって、余計に面白くなってます。
次話は年明けの早いうちに投稿できると思います。
よいお年を。




