第9話 盗賊 4
「――そんな、俺が……? でも……気付いていれば……」
話を聞いた裕也の顔から血の気が引いていく。
村に入ってから悪化していた顔色が益々悪くなり、力を失った足ががくがくと震えだす。
ついには立っていることすらままならなくなったのか、その場に勢い良く崩れ落ちた。
「裕也!」
「俺が……俺が……?」
その膝が地面に付く前に、即座に立ち上がった晃奈が駆け寄り体を支えるが、裕也はそれすらにも気付いていない様子だった。
――昨晩自分は一体何をしていた? コダール村の人達が盗賊に襲われ虐殺されている間、目と鼻の先にいたはずの自分は一体何をしていた?
少し強いだけの雨を前に視界が悪いからと言い訳をしながら、ただ惰性で野営地を眺めていただけではなかったか?
何故あの時村の方角を確認しなかった?
ほんの少しでいい。ほんの少しだけでも進行方向にあるこの村に注意を向けていれば、こんな結果にはならなかったかもしれない。
後悔。
言葉にすればたった一言で済むその感情が、裕也の頭の中を蝕むように駆け巡る。
「裕也、気にしないで! アンタが悪いわけじゃない。全部ドルンとかいう盗賊のやったことじゃない! 悪いのはそいつらだけよ!」
昨晩早々に寝床についた晃奈は知らない。裕也がどれほど昨晩のことを悔いているのかを。何故ここまで自分を責めているのかを。
だがそれでも、他ならぬ裕也のことだ。その表情からある程度を察することは出来る。
ならば裕也を救うのは自分の役目だ。
他の誰でもない。裕也の姉である自分がやらねばならないのだと、必死に声を張り上げる。
自分を責めるな。全ては盗賊が悪いのだ。言葉をいくら重ねても感情が整理できないと言うのなら行動すればいい。アルラドの町で、トポスの仇をとった時のように。
「この村が昨日の夜に襲われたってんなら、奴らはまだ近くにいるわ! 今からでも追いかけて全員――」
晃奈が全てを言い切るよりも早くドンッ、という大きな音が響き渡った。
それは斎蔵が地面を踏み抜いた音。
ぬかるんだ地面が円形に陥没し、周囲に泥が撒き散らされる。
息を呑む晃奈の前で、自身にかかったそれを意にも介さず斎蔵は口を開いた。
「晃奈。全員……何じゃ? 何を言おうとした? 何をしようとした?」
「っ! 決まってるでしょ! 全員ぶっ殺してやるのよ!」
静かな、しかし明らかに怒気を含んだ斎蔵の声。
普段ならば一家の最年長である彼の本気の言葉には、興奮状態の晃奈すら即座に冷静にさせられるほどの力がある。
しかし晃奈は何を疑問に思うのだ、意味が分からないと怒鳴り返した。
最早晃奈にとって村の惨状は二の次の問題となりかけていた。
奴ら盗賊は裕也にとって害悪な存在、生かしておいてはいけない。奴らの存在が裕也の精神に悪影響があるというのであれば――否、奴らの死によって裕也の心を少しでも救えるというのなら、一秒でも早く皆殺しにしなければならない。
「自分達のしたことを後悔させて、攫われた人達も助けて――」
「そいつは困るぜ、お嬢ちゃん」
ただ怒りに任せて言葉を続ける晃奈を止めたのは徐々に顔を歪ませていく斎蔵ではなく、その横に立つムグルだった。
村に突入する前までに見せていた険しい表情は消え、今はいつもの飄々とした表情に戻っている。
裕也を抱えたままの体勢で睨みつけてくる晃奈に対して肩をすくめると、手に持っている撃竜煙をいじり始めた。
「盗賊退治実に結構。自らの危険を顧みず己の信じた道を行く、まさに冒険者の鑑だ。ただ、ちょいと大事なことを忘れちゃいないかい? 『俺が残りのパーティメンバーと合流するまでの間の護衛』。それが嬢ちゃん達と俺が結んだ契約だったはずだ」
「それは……!」
まるでムグルこそがこの状況を生み出した敵であるかのように睨みつけていた晃奈だったが、その言葉を前に僅かに怯む。
ムグルが《ファミリー》に仕事を依頼したのは、まさにこのような事態が自分と荷物に降りかかるかもしれないという危惧からだ。
晃奈達もその理由と契約内容に同意し、ギルドを通してこのクエストを受けることを了承した。それを感情に任せて放り出すような真似が許されないということは、いくら頭に血の昇った状態でも分かる。
だが理性がいくら納得しようと、感情は納得しない。
――ここで素直に引いたら裕也はどうなる? ぶつける相手を見つけられず、行き場を失った感情は確実に裕也自身を傷つける。それは決して許されないことだ。
(駄目だ。そんなことは絶対に駄目だ! その盗賊共には確実に、ここで死んでもらう!)
今尚沸騰し続けている頭を必死に回転させながら、晃奈は必死に言葉を探す。
「でもここでそいつらを倒せれば、この先の道程だって安全になる。あんただって必要以上に周囲を気にしながら進むのは面倒でしょ?」
「規模も、正確な戦力も、どの方角に去ったかも分からない。そんな連中を追いかけて倒すってのかい? ここで別れた嬢ちゃん達が連中を探している間に、一人になった俺の方が遭遇しちまう可能性もあるのにか?」
「……っ! あんたはこの村を見てなんとも思わないわけ!? 何にも悪いことをしてない人達が皆、皆殺されたのよ! こんなことをする連中を野放しにしてていいわけが――」
その腕に抱かれたままの裕也も、遠巻きに推移を見守る進士も加奈子も、心情的には晃奈に同意したいのだろう。躊躇いがちに、しかし確かに避難するような目つきをムグルに送っている。
だが晃奈の叫びを再び遮ったのは困ったように溜息をつくムグルではなく、その一歩前に踏み出した斎蔵だった。
「――お前は! 何様になったつもりじゃ!!」
その怒号は空気を震わせ、後ろに立つムグルの足をも僅かに下がらせる。
「この村を襲った悲劇を悲しむ気持ちも、悪を憎む気持ちも確かに尊いものじゃ。大切なものじゃ。じゃがしかし! それを言い訳に使い、大義と掲げ、自ら討ちに行くような真似は決して許さん!」
斎蔵の本気の怒りに、進士と加奈子は即座に問題の本質を悟った。しかし晃奈と裕也には分からない。
この人はさっきから一体何を言っているのだろう、と。
命の遣り取り。まさかとは思うが、今更そんなものを問題視しているのか、と。
「以前にも言ったやもしれんが自身や家族、親しき物を守るための正当防衛は認めよう。むしろ躊躇するな。仇討ちも否定はせん」
ならば何も問題ないではないか。今自分達が行おうとしていることはこの村に住んでいた人々の仇討ちとなるのだから、と晃奈は思った。
理不尽に奪われ、破壊された人々の恨みを晴らすのだ。誰からも文句を言われる覚えはない。
「……裕也」
二人の表情から己の考えが伝わっていないと感じた斎蔵は、更に言葉を続ける。
「昨晩見張りに立っていたお主が自責の念に駆られるのは分かる。じゃがそれを言えばその場におった儂ら全員にも責任があると言えよう。……その上で言わねばならぬ。今お前たちが為そうとしていることは、仇討ちなどではない。ただの八つ当たりじゃ。誰に言われたわけでも、請われたわけでもない。ただ行き場のない後悔の念を、自責の念を分かりやすい相手にぶつけ、暴れようとしているだけじゃ」
「っ……!」
裕也も、そして晃奈も。その言葉に何も言い返せない。
斎蔵の言ったことは真実その通りだからだ。
後悔しても、しきれない。償いきれない。そんな自責の念を村の人々の仇である盗賊にぶつけ、自分が楽になりたいだけだからだ。
アルラドの事件のときとは違い、この件に関しては騎士団も即座に動き出すだろう。本来ならば、偶々通りかかっただけの自分達が動く必要など全く無いのだ。
「……まああれだ、嬢ちゃんに坊主も。後悔する気持ちは分かるが、村の連中は運が悪かった、俺達はタイミングが悪かった。究極的にはそういうことだ」
俯き、二人揃ってしゃがみこんでしまった裕也と晃奈を励ますようにムグルが笑顔を浮かべる。
「不幸中の幸いなのは、発見が早かったってことだ。最近じゃこの辺りの街道を通る連中も少ない。……まあそれも例の盗賊共のせいなんだがね」
もし裕也達がこの道を通っていなければ、コダール村に立ち寄っていなければ。
この惨状が外部の人間に伝わるのにもっと時間がかかっていたかもしれない。そうなればここは血の匂いにつられた魔物によって、よりひどく荒らされていたかもしれないのだ。
「他の村や町に親戚のいる連中もいるだろうしな。こんな状態でも遺体はなるべく綺麗な方がいいだろ。ほれ、嬢ちゃんも坊主もいつまで座り込んでるんだ。おっさんもお姉さんも落ち込むのは後にして、少しでも皆を綺麗にしてやろうや。いつまでもこんな晒し者みたいな状態で放置してたら可哀想だろ」
「そう……だよな」
過去にも似たような事態に遭遇したことがあるのだろうか。
ムグルは手を打ち鳴らすと、全員に向かって声を張り上げる。その陽気な声に後押しされるように、裕也もゆっくりと腰をあげた。
その顔色は先程までよりは幾分軽く、ムグルもそれを見て笑みを深める。
「そうそう。生きてる俺達がそんな顔をしてたらいけないぜ。さて、俺もこの撃竜煙を起動させるかね。近くにいる他の冒険者、運が良ければ騎士団が駆けつけてくれるかもしれんしね」
とんでもなく臭いから気をつけろよ~? と笑うムグルに裕也達もつられて笑顔を浮かべかけ――。
『ウオオオオオオオオオオオオオオォォォォォォォン!!』
身の毛もよだつ大音量の咆哮が響き渡った。
同時に全身を駆け巡る凄まじい衝撃。
「むう!!」「え?」「うるさ!」「あらあら?」「何だ!?」
そしてその衝撃に一同が指先一つ動かせないでいるうちに、広間に黒い影が舞い降りた。




