第8話 盗賊 3
「……慎重に進んでくれ。【撃竜煙】の臭いがする」
御者台に座るムグルはそう言ったきり黙り込んでしまった。
前方を見据える目つきは厳しく、さっきまでの飄々とした雰囲気は全く感じられない。
【撃竜煙】っていうのが何なのかは分からないけれど、その様子からして碌でもない代物なのは間違いない。
手のひらに汗が滲むのを感じながら、幌の上で進行方向を睨みつける。
やがて馬車はそれまでの鬱蒼とした森を抜け、高さ五メートルくらいの木々が並んでいるエリアに差し掛かった。
「ム、ムグルさん……。コダール村です」
視界がその木々に覆われると同時に告げられた御者の言葉に、全員が周囲を見渡す。
整然とした並びに、長く伸びすぎた枝を断ち切った痕。明らかに人の手が加えられている。
ここが既にコダール村の圏内ということは、この木々は村の人達が育てている作物ということか。よく見ればそこかしこに黄色い果実が実っている。
建物らしきものが影も形も見えないのは単純にこの木々に隠れているのか、それともどこか一箇所に集まるようにして建てられているからかのどちらかだろう。
そのまま走り続けていくうちに少しずつ道幅が細くなっていく。それと同時に僅かな違和感が頭をよぎった。
(何で誰もいないんだ?)
例の盗賊の影響か、エンブラを出てからこっち、道中であまり人に出くわさなかったのは確かだ。それでも町や村の近くにまで来れば、何人かの住民の姿は見えた。全員が全員、いつまでも壁の中に閉じこもって生活できるわけじゃない。
特にこのコダール村は、主に農業を生業としているらしい。ムグルの話によれば、住民の数は二百近く。畑の面積も結構なものになりそうだけど、ここまで全く人影を見ないなんてことがあるんだろうか。
それとさっきから気になっていることがもう一つ。
「……爺ちゃん、何か臭くないか?」
今までに嗅いだことのない不快な臭いが鼻を突く。鼻を摘みたくなるほどじゃないけれど、思わず顔をしかめてしまう程度のその臭いに爺ちゃんも黙って頷いた。
周囲に広がるのは一面の畑だ。堆肥や腐葉土、もしくはそれに類する肥料みたいなものがどこかに集められていてもおかしくない。その臭いが風に乗って届いてきているんだろうと、初めのうちはそう思っていた。
けれども馬車が進むにつれ徐々に強くなっていく臭いにこれは違う、と気づいた。
これはそんな生易しいものじゃない。上手く言えないけれど、まるで意図的に鼻を駄目にしようとしているかのような攻撃的な臭いだ。
「これがさっきムグルが言っていたやつか?」
そうなると思い当たるのはただ一つ。さっきムグルが呟いた【撃竜煙】という単語だけだ。
人一人見当たらない畑に、強烈な異臭。そして険しい表情を崩さないムグル。
(間違いない。何か良くないことが起こっている)
自然と手が剣の柄に伸びる。揺れる足場の上で姿勢を整え、いつでも飛び出せるように構える。
隣で立ち上がった爺ちゃんも、幌から顔を覗かせている姉貴達も、皆が周囲を警戒するように睨みつけている。
やがて馬車が樹高の高い木々が植えられているエリアを抜けると、一気に視界が広がった。
道の両端に広がるのは、麦のような作物が植えられた畑。一メートルくらいの高さのその作物が延々と続き、その奥には明らかな人工物が見える。
他にはそれらしきものも見えないし、きっとあそこがコダール村の中心部だ。
(あれは柵か? あ、そうか。大きな壁を作る余裕が無いから、ああやって一箇所にまとまってるんだな)
コダール村の中心部。二百人近い住民が暮らす家屋が集まっているはずなんだけれども、この距離からだと十分に視界に収まる程度の広さしかない。そしてその周囲を壁と言うにはちょっと心許ない、正に柵と言ったほうがいいような代物が囲んでいる。
村の中心部に家屋を集め、そこだけを重点的に守る。この世界じゃ特に珍しい話じゃないんだろう。現に今までに通ってきた村の中にも似たような構造をとっている所はあった。
けれどもこのコダール村は、それらと比べても更に経済的に余裕がなさそうな印象を受ける。
長さも太さも不揃いな丸太が乱雑に地面に打ち立てられているだけで、遠目に見てもあれは柵だと断言出来る代物が集落を囲んでいるだけだ。近くまで寄れば丸太と丸太の隙間から簡単に内側が覗けるだろう。
門らしきものもなく、柵の一部に大きく間隔の開いた場所があるだけ。あんなんじゃあ簡単に魔物に突破されてしまいそうな気がする。
それでもずっとあの柵のままで生活してきたということは、この辺りを巡回している騎士団が優秀なのか単純に運がいいのか。もしくは今まで近くに魔物が現れたことがなかったのかもしれない。
(おまけに柵に変な飾り物が付いてるし。テレビで見たどっかの部族みたいだな)
流石にトーテムポールみたいな立派な彫り物がしているわけじゃないけれど、何かしらの意匠が施されているらしいのが遠目にも見て取れる。
この世界では三聖教という宗教が最も広く支持されているが、ここの村の人達はまた違った宗教観を持っているのかもしれない。
(んで、何なんだあれ? 少なくとも三聖教の教会にはあんな変な形をしたオブジェクトは――)
――瞬間、隣にいた爺ちゃんの手が俺の頭を掴んで幌の上に押し付けた。
強制的にうつ伏せにされたせいで視界が足元の布で塞がれ、勢い良く押しつけられた顔がヒリヒリと痛む。
けれどもその直前。
俺は見てしまった。
村の中心部を囲う柵。
そこに吊るされるように、突き立てるように打ち付けられた飾り物のような『モノ』の数々。
あれは、あれは――。
「裕也! 晃奈! 見るな! 馬車に入っておれ!」
――人間だった。
◆
コダール村の中心部を囲う簡素な柵。
大小様々な丸太を打ち立てただけの造りのそれは、村の創設と同時に設置された年代物だ。
時の経過とともにかなり老朽化が進行しているが、手の空いた村人が補修を繰り返すことにより、決して低くはない強度を保っている。幸い今までに一度たりとも魔物の侵入を許したこともなく、その不揃いな柵はいつしか村人の心の支えとなっていた。
だが現在、そこにはまるで飾り付けるかのように人間の死体が打ち付けられていた。柵の上部には切り離された頭部が突き刺され、その下には臓物のこぼれ落ちかけた胴体が打ち付けられている。
その明らかな異常事態に、斎蔵は直ちに馬車を停めるようムグルへ訴えた。
しかしムグルは斎蔵の言葉を聞き入れるどころか逆に馬車を加速させると一気に柵の隙間を通り抜け、村の中央部へと突入する。
村の中にはまだこれを為した連中が残っているかもしれない。こちらの接近も気付かれているかもしれない。
――ならば奇襲を持ってこれを殲滅する。それがムグルの判断だ。
常日頃から安全第一を信条とするムグルだったが、この事態を前に退くという選択肢は一瞬たりとも浮かばなかった。
幸いこちらにはBランクとCランクの冒険者が三人ずつもいる。例え噂の盗賊団が残っていようと、問題なく殲滅できるだろうという計算もあった。
加速した馬車が家屋の間を抜け中央広間へと躍り出ると、ムグルは勢い良く御者台から飛び出し、御者が慌てて馬を急停止させる。
平時であれば馬に負担をかけるだけの愚行に見えるが、この場でそれに文句を唱える人物はいなかった。皆目の前に広がる惨状に、それどころではなかったのだ。
普段は活気に溢れているのだろう。催事を執り行う際にも利用されていたのかもしれない。
畑に囲まれた平和な村の中央広間――だが今全員の目に映るのはおびただしい数の死体の山と、泥と混ざった血の海だ。
(……人は、人とはここまで邪悪になれるものなのか)
斎蔵は、その悪意を具現化したかのような様相に身震いした。
その一つ一つが致命傷であるのは明白であるのに、必要以上に切り刻まれた老人。子供を庇うようにその上に覆いかぶさりながらも、諸共貫かれた母娘。見せしめか催し物のように横一列に並べられ、首を切り落とされた頭部のない複数の男女。
視界に入る全ての生なき表情が絶望と悲しみ、そして恐怖に染まっている。
この世に地獄を顕現させる術があるとしたら、まさしくこここそがそうなのだと斎蔵は思った。
「爺……ちゃ……!」
「裕也!」
斎蔵が知らず歯を食いしばっているうちに、いつの間にかその手を振り払った裕也が顔を上げている。慌ててその目を閉じさせようとしたがもう遅い。裕也の目にはしっかりとその光景が焼き付いていた。
「何だ……これ。何なんだよ……」
ウプッ、と吐き気を催したように口元を抑える裕也に手を伸ばすが予想以上の力で鋭くはね退けられ、斎蔵は嫌な予感を覚えた。
帯刀家がこの世界で目覚め冒険者となってから、彼らはいくつもの命をその手で直接奪っている。
命を奪うこと。それ自体をとやかく言うつもりはない。どれだけ綺麗事を並べても、人は皆生きる上で大なり小なり他者の命を奪うものだからだ。それは現代日本においても決して変わらない事実である。
しかしこの世界に来てからの殺生はそれとは意味合いが異なる。生活のため、自衛のためにと魔物を殺し、時には人を殺めることもした。裕也に至っては復讐のためにとその手を汚している。
日本であれば決して許されないであろう行為。だがそれすらも斎蔵は否定する気はない。
下手な倫理観が邪魔をしたせいで家族が傷つけられる姿など見たくはないし、それを為す存在など死んで当然だと思っている。
復讐についてもそうだ。親しい人を殺されたのだとして、その気持ちの整理の付け方を決められるのはその当事者だけだ。裕也が仇を討つことを選んだのだとしたら、それに反対する理由など何もない。
(じゃがそれでも。じゃがそれでもじゃ……)
今更何を、と人は思うだろう。だがそれでも決して越えてはならない、超えてほしくない一線がある。
やや青褪めた顔色で口元を抑えながらも、周囲の光景を目に焼き付けようとする裕也。そして馬車を降り、嫌悪感と怒りの混ざった表情を浮かべる晃奈。
二人が今何を思い、そして決意しようとしているのかが手に取るようにして分かる。そしてそれを止めることが非常に困難なことも。
(進士と加奈子さんでは無理じゃ。二人の考えは裕也達に近い)
晃奈に続いて荷台から降りてきた二人。その表情を見て斎蔵は瞬時に悟る。
「裕也……晃奈も。馬車に入っておれ」
優しく腫れ物を扱うかのように慎重に、そして努めて穏やかに。しかし断固たる意志を持って斎蔵は二人に命令した。
「これ、魔物の仕業じゃないわよね? 人間のしたことよね?」
しかし晃奈は斎蔵の言葉に一顧だにせず、ふらふらと一人の遺体の前に歩み寄る。
それは年端もいかぬ少年の遺体。
胸の中心部を背中から槍で貫かれ、うつ伏せに倒れこんだ姿勢で事切れている。
必死に抗おうとしたのだろう、生き延びようとしたのだろう。投げ出された両腕は地面を掴み、僅かに体を引きずった跡がある。
その遺体の前にかがみ込むと晃奈は迷わずその槍を引き抜き、少年の体を仰向けに横たえた。涙と泥で汚れた苦悶の表情を優しく拭い、その手に握られた土を落として胸の上に重ねて組ませる。
斎蔵がそのまま微動だにしない晃奈を見つめていると、一通り周囲を確認し終えたのか深刻な顔をしたムグルが戻ってきた。
「屋内もかなり荒らされてるな。もともとそんなになかったろうが、食糧も金目の物も見当たらない。加えて若い女性の遺体もほとんどないときたもんだ。……こうまで徹底的とはね。少しでも逃げ延びてくれていればいいんだが」
――村内に生き残りはおらず、女性は攫われた。
言外にそう告げるムグルに、斎蔵の表情はますます強張る。
「これ、例のドルンって盗賊共がやったの?」
「……確証はないがね。まあ、こんなことが出来そうな連中がこの辺りに二つも三つもいるとは考えにくい」
晃奈の質問に答えながら、広間の端の方へと歩いていくムグル。
「盗賊って、騎士団が討伐するもんだったっけ?」
「んなことはない。奴らを『駆除』するのに所属も肩書も必要ないさ。生かしといたって何の得にもなりゃしないんだしな。何なら報奨金も出るぜ? とは言えこんな規模の盗賊団だなんてことが分かれば、即座に大規模な討伐隊が編成されるだろうけどな」
ここの領主様の騎士団は優秀だしな、と呟きながら土にまみれた円筒状の何かを拾い上げるムグルに向かって、斎蔵は「よせ」と声を上げかけた。
このまま問答を続ければ晃奈は、己の家族は決意を固めてしまう。
「見ろよ、撃竜煙だ。ご丁寧に正規の手順で停止されてる。下手に壊すと止められなくなるからな。これだけやりたい放題にやっておきながら、最低限の知性は待ち合わせているってことか」
「撃竜煙……?」
まだショックから立ち直れていない裕也が尋ねると、ムグルは「おいおい、まさか本当に知らないのか」と意外そうな顔をした。
そして語る。その効果、役割を。
――使用されたのは昨夜皆が寝静まった後、裕也が見張りに立っていた時間帯である可能性が高いということも。




