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第2話 エンブラ 2

 誰もが無言だった。

 先ほどまで顔に笑みを浮かべ囃し立てていた観衆は皆一様に顔を青ざめさせ、誰一人として口を開くことなく、事の成り行きを見守っている。


 普段ならば活気溢れる冒険者ギルド、その正面玄関前。

 不気味なほどの静寂の中、ただ肉を叩く音と「やめてくれ」と男の泣き喚く声だけが響いていた。




   ◇




「そらぁっ!」


 一番初めに仕掛けたのは、左手に鉄で補強した木製の盾を装備した男だった。人の頭部よりもやや大ぶりなそれを前方にかざし、晃奈の視界を塞ぐようにしながら突進してくる。

 そのまま盾で殴りつけ、右手に構えた昆で本命の一撃を与える。そんな彼の作戦は次の瞬間、あっさりと瓦解することになった。


 無造作に振るわれた晃奈の右腕。

 武器はおろか、防具も何も装備していない、純粋な素手による一撃。


 それによって砕かれた盾の残骸が宙を舞うのを見て、男は思わず足を止めた。


「……へぁ?」


 男は何が起こったのか理解できないといった顔で、盾と一緒にへし折られた自分の左腕を見下ろす。


 遅れてやって来る激痛。

 だが男には叫び声を上げる暇すら与えられなかった。続けて振るわれた左腕によって、彼の意識はその体と共に宙を飛ぶはめになったのだ。


 数人の見物客を巻き込み、道の脇に置かれた木箱に勢い良く突き刺さる。そのまま彼は、ピクリとも動かなくなった。





「おおぉぉぉ!」


 雄叫びと共に、一人の男が斎蔵に迫る。

 男が両の手で握っているのは、長さだけなら斎蔵の身長にも及ぼうという片刃の大剣。それを大上段に構え、再び発した雄叫びと共に振り下ろす。


 一応刃は逆を向いているが、まともにくらえば大怪我は必至だ。

 だが斎蔵は臆すことなく男の懐に飛び込むと、振り下ろされる両腕の肘を掌底で打ち砕いた。


 思わず手放された大剣が地面に食い込み、男は激痛のあまり体を硬直させる。次の瞬間、彼は両膝を蹴り砕かれ地面に倒れ伏した。





 加奈子と相対した男は剣を抜くことすら許されなかった。


 加奈子が女性であることに加え、一家の中で最も小柄という外見に慢心したのだろう。


(ちょいと脅せば、すぐに降参するだろ)


 そう考えた男が見せつけるようにして剣の柄に手を置いた瞬間、その手が何の躊躇いもなく殴り潰される。


「ぎゃあああっ!?」


「すみません。でもそのくらいでしたら、【ヒール】かポーションで治せると思いますので」


 ゆったりとした袖口から覗く、無骨な手甲。

 加奈子の装備する防具の一つであり最大の武器でもあるそれは、先日の事件の際にも特に目立った損傷を受けていない。


 謝罪の言葉とともにペコリと頭を下げた加奈子は、手を抑えて呻く男の傍に歩み寄ると、そのまま頭から地面に叩きつけた。


「加奈子さん。もう少し周りを気にしないと……」


 男が気絶したことを確認する加奈子に、進士が背後から声をかける。

 その足元には別の男が白目を剥いて横になっていた。どうやら背後から加奈子を狙っていた所を、進士に倒されてしまったらしい。


「あらあら。進士さんが守ってくれるって、信じてましたから」


「いや、そんな……」


 注意をしたつもりが、逆に笑顔でそう告げられた進士は、照れくさそうに頬を赤らめた。





「お前らっ……! このクソ共がぁぁっ!!」


 瞬く間に自分を除く全員が倒されたのを見たダインが、雄叫びを上げる。


 初めは少し脅すだけのつもりだった。

 初めて見る家族連れの冒険者。それだけなら気にも止めなかったが、自分たちでさえ見たことのない貴重な素材を山程見せつけられ、ついいつもの悪癖が出た。


 この町で最も強く、最も魔物を倒してきた冒険者。あの素材は自分にこそ相応しい。


 この町では力が全てだ。騎士団も住人もそれを分かっている。なのに不甲斐ない仲間たちは、爺や女子供相手にあっさりと負けてしまった。このままでは大恥もいいところだ。

 まずは一人。目の前にいるガキから思い知らせてやる。


「おらぁ!」


 手にした剣を振り上げ、気合の声とともに斬りかかる。


 手加減はしない。認めるのは癪だが、この家族が強いということはよく分かった。全力で、徹底的に痛めつけてやる。


 ダインは嗜虐的な笑みを浮かべると、無手の裕也に向かって剣を振り下ろした。

 だが迫る刀身を前にしても、裕也はその場を一歩も動こうとしない。それどころか一体何を思ったのか、無手のままの右手を掲げる裕也に対して、ダインは内心で罵倒した。


 今ダインが手にしているのは両刃の剣だ。当たれば怪我ではすまない。当然手で受け止めることなど不可能だ。


(バフ(強化魔法)か? それとも他のスキルか? 馬鹿が。どっちにしても間に合わねえよ!)


 腕を失い地面に蹲る裕也――そんな光景を幻視したダインだったが、実際に斬り飛ばされたのは裕也の腕ではなく、ダインの持つ剣の方だった。


「――は?」


 思わず間の抜けた声を上げ、宙を舞う刀身を呆然と見つめる。

 渾身の力で振り下ろされたダインの剣は、まるでより鋭利な刃物で切断されたかのように、その刀身を半ばから両断されていた。


「お。初めてだけど上手くいったな」


 たった今『ダインの剣を斬り飛ばした右手』を開いては握りを繰り返しながら、呑気な声をあげる裕也を前に、ダインは思わず後ずさる。


「な、何だよ。そりゃあ……?」


 まるで意味が分からない、理解できない。


 何らかのスキルを使ったのは間違いない。けれどもダインはこんなスキルを見たことも聞いたこともなかった。


「さて、と」


 気負った様子もなく一歩前に踏み出す裕也を前にして、ダインは更に後退する。

 ここにきてようやくダインも裕也と自分の間にある圧倒的な力量差を感じ始めていたが、周囲が自分に向けている視線を感じ、後退しようとしている足を無理やりその場に踏みとどめた。


 失望。呆れ。まるで見下すような無数の感情が全身に突き刺さる。


 これまでにダイン達が起こしてきた無法の数々。それは彼らが圧倒的強者であるからこそ、許されてきたことだ。他の冒険者、そして騎士団の誰よりも多く町の周辺の魔物を狩り続けてきた彼らだからこそだ。

 ダインもそれを自覚し、そして振る舞っていた。


 このまま無様に負けてしまえば、間違いなくこの地位と特権は失われる。自分達よりも強く頼れる存在が現れたと知れば、町の住人はこぞって手のひらを返すだろう。


 屈辱と怒りに震えるダインに向かって、ゆっくりと裕也が近づいてくる。


(こんな衆人環視の中で女子供にやられたとあっちゃあ、この先やっていけねえんだよ!)


 ギリギリと奥歯を噛み締め、ダインは柄だけになった剣を投げ捨てた。


「くらえやっ!」


 自分が目の前のガキに劣っているなどありえない。技術も力も、自分のほうが数段上のはずだ。


(俺の方が、強えんだよっ!)


 自分に言い聞かせるように内心で叫びながら身を低く沈め、素早く裕也に接近すると、下から抉りこむようにして右腕を突き上げる。


 ダインの渾身の一撃。だがそれを前にしてすら、裕也の顔色は変わらない。

 どころか彼の感想は、結構早いな、という程度のものだった。


 並の冒険者にとっては驚異的な速度かもしれない。しかし裕也が以前戦った魔人の男、コットンに比べれば欠伸が出るほどの遅さだ。

 裕也が感じたのはそれだけだった。


 受けるもよし。躱すもよし。如何ようにも対処できる。


 しかしそこで裕也の中に、ある一つの考えが浮かび上がった。


(そういや俺、防御力ってどのくらい上がってるんだ?)


 冒険者になった日に手に入れたギルドカード。そこに記されているステータスの数値は少しずつ上昇している。しかしそれはあくまで数値上の話だ。


 数字ではなく、実感として知りたい。

 そんな好奇心とも言える思いから、裕也は迫るダインの拳を真正面から受けた。受けてしまった。


 構えすら取っていない裕也の腹部に、ダインの拳が突き刺さる。下方からの衝撃に裕也の体が地面から浮き上がり、ダインはそのまま右腕を振り抜いた。


「どうだあっ!」


 拳を突き上げた姿勢のまま、快哉を叫ぶダイン。その視線の先では裕也の体が放物線を描くように、観衆の上を飛んでいた。

 遅れて響く衝撃音。ダインからは見えていないが、裕也が道の脇に積まれていた木箱の山に落ちた音だ。


「さあ次はどいつだ? 確か泣いて詫びても許してくれないんだっけか?」


 両の拳を打ち付け合い、笑みを浮かべるダイン。


 もともと職業【拳士】のダインは威嚇目的で剣を提げているのであって、鍛え抜かれた五体から繰り出される打撃こそが彼の真骨頂だ。

 その実力はメンバー全員がCランクで構成されている、エンブラ最強と目される彼のパーティ内でも突出しており、唯一かろうじて相手になるとすれば、今はこの場にいない実の弟のみであった。


 一歩前に踏み出すダインを前に、先程までとは打って変わって斎蔵、加奈子、進士が恐れるように後ずさる。

 強者を前にした弱者の取る行動だ。


 見慣れた光景を前に、ダインの笑みが益々深くなる。


「兄貴! 何やってんだ?」


 そんな時、観衆の中から聞き慣れた声があがった。

 次いでその一角を掻き分けて現れたのは、ダインそっくりの風体の男。買い物の最中なのか、袋の口からポーションなどを覗かせた麻袋を抱えている。


「おう、ザイン。いい所にきた。ちょっと舐めた態度を取った奴らに教育をしてやってる所だ。お前を入れりゃ、二対四で少しは楽になる。手伝え」


 ザイン。ダインと同じくCランクの冒険者で、以前アルラドで裕也達と一悶着を起こした冒険者だ。

 どこか見覚えのある顔に、斎蔵たちも軽く驚きの表情を見せる。


「おいおい。あんまりやり過ぎるなよ」


 兄に促され麻袋を抱えたまま駆け寄ってきたザインは、いつものことかと苦笑しながら相手の顔を見つめる。しかし次の瞬間、その表情から血の気が引き、全身からは冷や汗が吹き出した。


「フ、《ファミリー》……?」


 忘れもしない。圧倒的な暴力を振るい、己を半殺しにした女。そのパーティの一家だ。


 そしてその女が恐ろしいほど何も感じさせない無表情のまま、ゆっくりとこちらに向かって歩いてきている。


「ザイン?」


 いつもなら嬉々として協力するはずの弟が、突如抱えていた荷物を地面に落とし震え出した。ポーションの入っていた瓶が割れ、中の液体が染み出しているが、そのことを気にかける余裕すらなさそうだ。


 尋常ではない様子に訝しげな顔を向けるダインだったが、最早ザインには兄の言葉すら届いていないようだった。


「おい、ザイン。どうしたってんだ?」


 何度かの呼びかけに漸くザインが反応を示す。だがそれはダインの期待していたようなものではなく、ただ震える指先を前に向け、喘ぐようにして声を絞り出しただけだった。


「……《ファミリー》。《ファミリー》だ! 本物のドラゴンスレイヤーだ!」




   ◆




(うん、全然効かないな。流石に斬撃は怖いから試す気にならないけど、少なくともCランクくらいの打撃ならノーダメージってわけだ)


 木箱の残骸に埋もれながら、体の調子を確認する。


 全く痛くないわけじゃないけれども、殴られた腹も木箱で打った背中も問題はなさそうだ。軽い擦り傷くらいはあるかもしれないので、一応後で【ヒール】をかけてもらおう。


 勢いをつけて飛び起きると、周囲に木箱の残骸が舞い散った。バラバラになった木箱の成れの果てを見ると、自分の怪我よりもこっちの方が気になってしまう。持ち主に文句を言われたらどうしようか?  とりあえずダインに責任を押し付けるか?


 言い訳を考えながら歩き出すと、近くにいた人たちが何人か驚いたようにこっちを見てきたが、それ以外は道の中央に注目したままだった。

 もしかしてまだダインが暴れているんだろうか。


 向こうが売ってきた喧嘩だし、彼らの態度ややり方にも腹が立ったけど、実際にこうなると少し可愛そうだったかもしれないという気もしてくる。

 ダインの仲間は全員大怪我を負わされ、戦闘不能の状態。回復スキルやポーションが無ければ、長期入院コースだ。これが日本だったら相手が武器を持っていたと言っても、間違いなくこっちが悪者になってしまう。


(いや、正当防衛って言えば通じるか?)


 まあそれはともかく、ダインも俺を思いっきり殴り飛ばせてスッキリしたはずだ。痛み分けってことで、ここら辺を落とし所にしてくれればいいんだが。


 そんなことを考えながら見物人をかき分け前に出た俺の目に飛び込んできたのは、想像の斜め上をいく光景だった。


「やめてくれぇ! 頼む! 兄貴が死んじまうよ!」


 倒れ伏したダインに蹴りを入れ続ける姉貴と、そのすぐ傍で地面に頭を擦り付けて泣き喚いている大男。


 何だこの地獄絵図。


「やはり無事じゃったか。悪趣味な事しとらんと、早う晃奈を止めえ」


 呆然としていると、呆れたような声で爺ちゃんが話しかけてきた。


 止める? 俺が? あれを?


「無理無理無理無理! 姉貴あれマジ切れしてんじゃん! どうやって止めんだよ!?」


 どう見ても勝負の付いた相手に攻撃を加え続けるだなんて、かなりキている証拠だ。何であんなになるまで怒ってるのかが分からないと、怖くて近づけたものじゃない。


「元々裕也の悪戯が原因じゃ。適当に声をかければ、すぐ止まるじゃろ」


「何で俺のせいになってんだ!?」


 見れば母さんと父さんも俺に任せる気満々のようだ。二人揃って、早くしろと目線を送ってきている。


「……嘘だったら化けて出るぞ」


 全く気が進まないけれど、放っておくわけにもいかない。このままだと横にいる大男が言うように、ダインが死んでしまいかねない。


 恐る恐る姉貴に近づきながら、横で泣き叫んでいる男の顔を見て気がついた。

 前に見たことがある顔だ。確かザインって名前だった気がするけど、そうか。ダインの弟だったんだな。

 初めてダインを見たときに感じた既視感は、気のせいじゃなかったらしい。


「俺達が悪かった! 謝るよ! だから頼む! やめてくれ!」


 必死に懇願しているけれど決して手を出そうとしないのは、下手なことをして標的が自分に移ることを恐れているんだろう。


 その考えは正しいぞ。

 けど俺はその可能性を考慮した上で、姉貴を止めなきゃいけないんだ。


「あー……、姉貴? お姉様? その辺りで許してあげたらどうですかね? そいつもちょっと調子に乗っちゃっただけっていうか、もう十分反省してるだろうし」


 万が一のことを考えて最低限の距離を取りながら、恐々と話しかける。怒れる姉貴はただの暴力マシーンだ。俺の言葉が届くかも怪しい。


 けれども今回に限っては、その心配は杞憂に終わったらしい。姉貴は執拗にダインを蹴り続けていた脚をピタリと止めると、ゆっくりとこっちに振り返った。


「……裕也?」


(よし、今のうちだ!)


 素早く姉貴とダインの間に体を滑り込ませ、呆然とこっちを見つめるザインに視線を向ける。


「いいか? 喧嘩を売ってきたのはそっちだ。これに懲りたらもう二度と、誰にもこんなことをするなよ? ダインや他の連中が起きたら、きちんと言い含めておけ」


 勢い良く頭を上下させるザイン。けれども。


(後ろから感じる姉貴の気配に変化がない……。これだけじゃ甘いって言いたいのか? 仕方ないな……)


 手刀を刀身に見立てて【魔力剣】を発動する。続いて跪いた姿勢のザインの腰から剣を奪い取ると、鞘ごと刀身を両断した。


 ついさっきぶっつけ本番で試して成功した応用技だけど、使い勝手はかなりいい。何よりこの方法だと刃の部分しか生成しなくていいので、魔力の消費が少なくて済む。

 それに手刀でこの威力だ。新しい剣を手に入れたら、それで試すのが楽しみだ。


「……誓う! 誓うよ! もう二度と周囲に迷惑をかけるようなことはしない!」


 突きつけられた剣の残骸を見て顔を青褪めさせると、ザインはより激しく首を降った。


 これだけ脅しておけばもう大丈夫だろう。こんな馬鹿な真似はもうしないだろうし、姉貴も満足のはずだ。


「よし、終わり終わり。行こうぜ」


 姉貴の手を取り、何か反応される前に皆の元へと戻る。

 決着が着いたのが分かったのか、さっきまで静かだった見物人達がざわつき始めている。早めに離れたほうがいいかもしれない。


「そうだね。今更だけど騎士団っぽい人もいるし、何か言われたら困ったことになるかもしれない」


「恐らく此奴らは町有数の実力者だったのじゃろう。その敗北となれば、混乱が生じるかもしれんしのう。加えて奴らが騎士団と懇意にしとったら面倒じゃ」


「あらあら、とりあえず落ち着ける場所を探しましょうか。それと皆、後で念のためにヒールを受けてくださいね」


 意見が一致しているのなら、こんな所に長居する理由はない。


 囲いを抜けようと歩き出すと、それに合わせて一斉に人垣が割れた。


 こっちとしてはありがたいけど、……もしかして怖がられてる?

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