プロローグ
「お頭、ドルンのお頭ぁっ!」
ドンドンドンと、何度も乱暴に扉が叩かれる。
同時に響くのは半狂乱に陥ったかのような男の声。ひっきりなしに自分のことを呼んでいるが、今はとても忙しい。
扉の外で騒いでいる男が自分の下についてからかなり経つ。このまま返事を返さなければ、事情を察して静かになるだろう。
ドルンと呼ばれた大男はそう判断すると、外からの呼び声を無視し、いささか気分を害しながらも行為を再開しようとした。
最近は中々上物にお目にかかっていない。昨日手に入れたこいつも大して高くは売れないだろう。
だがそれでも『商品』の手入れは大切な仕事であり、ドルンにとっても至上の楽しみのうちの一つだった。
机の上の水差しから直接水を口に含み、喉の渇きを潤す。傍に散らばっていた干し肉を口に放り込むと、改めてベッドに向き直る。
シーツに覆われた膨らみが怯えるように震えているのを見て、ニタリと口角を釣り上げ――鳴り止まない騒音に顔を顰めた。
「何だ、騒々しい!」
流石に鬱陶しさを感じたドルンが乱暴に扉を開け放つと、彼の子分の一人が急に出てきた主の姿に、驚いたように動きを止めている。
「今日は邪魔をするなと言っておいただろう。昨日の戦利品の手入れと調整をしなくちゃあいけねえんだ。慌てなくても後でお前らにも味見させてやる」
下半身にパンツを一枚身につけただけの、ほぼ全裸のような格好をしたドルンは不機嫌そうに喋ると、口を大きく開けて欠伸をした。
「で、でもお頭っ」
子分の男が何かを言いかけたが、ドルンは話は終わりだとばかりに扉を閉めようとした。
これ以上無駄な時間を過ごすつもりはない。長く付き合いのある男だったが、あまりにも煩いようなら粛清の必要もある。
だが扉が完全に閉まる直前、子分の男は自身の体を部屋の中に強引に滑り込ませてきた。
「……おい」
「それどころじゃねえんだ、お頭っ! 大変だ! 冒険者だ! 冒険者の奴らが攻め込んできたんだ!」
怒りを滲ませたドルンが爆発するよりも早く、子分が早口でまくし立てる。
「何だと?」
部屋の中に充満しているすえた臭いに顔を顰めながらも、必死に状況を説明する子分。その言葉と表情に、ドルンは漸く事態の深刻さを理解した。
「それを早く言わねえか! 冒険者だと? 舐めやがって!」
冒険者自体は別に問題ない。これまでに何度も戦った事はあるし、今回も難なく返り討ちにできる自信がある。問題はアジトがばれたという点だ。
冒険者ギルドに居場所の知れた犯罪者など、早晩に駆逐されるのが目に見えている。今まで見たこともないが、もし仮にAランク冒険者がやってきた場合は流石に分が悪いと言わざるをえないだろう。
ドルンは慌てて踵を返すと部屋の中に置かれていた箱の鍵を開け、中にしまわれていた一本の杖を取り出した。
早急に片付けて、アジトを移動させる必要がある。
(せっかく快適なねぐらが手に入ったと思ったのによう)
舌打ちをしたドルンが外に飛び出そうとすると、横についてきていた子分が怯えたように口を開く。
「お頭、またそれを使うんで?」
「当然だ。あるもんは使わねえと損だろ」
耳をすませばどこからか喧騒が聞こえる。恐らくその冒険者達が子分たちを相手に暴れているのだろう。
早く行かねばアジトを移動する時間が遅れるだけではなく、貴重な労働力が減ってしまう。
「で、でもよう、お頭。俺、頭がよくないから上手く言えねえけど、それは嫌な感じがしますぜ。大体それを持ってきた奴だって――」
「おい」
純白の杖を気味悪げに見つめる男の発言を遮り、ドルンはその首元に杖の先端を突きつけた。
「俺が大丈夫だと判断したんだ。文句あるのか?」
「い、いや。ない……ないです」
「分かったらここに残って見張りでもしてろ。せっかくの商品だ。この隙に逃げ出されたら面倒だろうが」
◇
そこは小さな集落だった。
森の中に開かれた小さな広間を中心に、簡素な造りの家が十数軒並び、少し離れたところにはこの集落の長の物であろう、一番大きな家が一軒建っている。
森からの自然の恵みを糧に生きる人々が、自分たちの生活の拠点としている場所。この世界ではありふれた光景だ。
だがかつてそこに住んでいた、慎ましくも懸命に生きていた住民たちの姿は一人も見えない。
今や彼らに成り代わりその集落を拠点とし生活しているのはジダルア王国、ひいては冒険者ギルドからも指名手配されている、ドルン盗賊団の面々であった。
「大人しく投降しろ! 今すぐ攫った人々を解放すれば、これ以上の殺生は行わない!」
広場の中心で数十人の盗賊たちに囲まれた一団、その中の一人の青年が声を上げる。
青銅製の鎧に身を包み、手には剣と盾を持っている。胸元からはこれ見よがしにギルドカードが提げられ、自身が冒険者であることを周囲に知らしめていた。
彼の横には似たような格好をした男が二人。それぞれ槍と棍を構え、声を上げる青年を守るように動きながら周囲の盗賊たちを牽制している。
「無駄じゃねえか? どの道ここで降参したところで、こいつらの末路は縛り首だ。俺なら無謀でも戦うね」
「その通り。それより逃げられでもしたら厄介です。後の禍根を絶つためにも、ここで皆殺しにすべきでしょう」
敵の本拠地で周囲を囲まれるという圧倒的に不利な状況にも関わらず、彼らにはまるで気負った様子がない。
自らの強さに対する絶対の自信、そして仲間への信頼。長年をかけて培われたこの二つは、この程度の人数の敵に囲まれた程度で揺るぐものではない。
「ふっざけんなあああっ」
「馬鹿っ、やめろ!」
自分たちを舐めきったかのような態度の三人組に、怒りの声を上げた盗賊の一人が飛びかかる。
仲間の制止を振り切り、両手に短刀を持って飛びかかった男は、先程まで声を張り上げていた冒険者に一刀のもとに斬り伏せられた。
「説得は無理か……!」
「だから言ってるじゃねえか。それにしてもこいつら、誰一人逃げようとしねえな。根性だけは据わってやがる」
「何か奥の手があるのでしょうか? そう言えば首魁のドルンらしき男がまだ姿を見せていませんが、まさか彼の制裁を恐れている、とか?」
「ここで俺たちに向かってきても死ぬのに、制裁も糞もあるかよ。オラァ、来ねえならこっちから行くぜ! この人間の屑共! って、おおぉ!?」
盗賊たちを威嚇するように手にした槍を大きく振り回した冒険者が、飛び出しかけた足を慌てて止める。
仲間の行動を怪訝に思った他の二人も、その光景を見て思わず絶句した。
先程斬り捨てた、そして自分たちがこの広間に侵入するまでに倒してきた幾人もの盗賊たち。その死体、そして周囲の地面から、まるで何かに吸い取られるかのように血が浮き上がっていく。
「……これは一体?」
先程までとは違い、最大限の警戒を持ってその光景を睨みつける一行。
宙に浮かび上がった血液は幾本もの筋となり、彼らを囲む盗賊たちの後方へと吸い寄せられていった。
「っ、お頭!」
「ドルンのお頭ぁ!」
「へっへっへ、これでテメエ等も終わりだぁ!」
三人とは対称的に、その光景に沸き立つ盗賊たち。
やがて全ての血液が盗賊たちの奥へと消えるとその一角が割れ、白く輝く杖を持った一人の大男が姿を表した。
「人相書き通りだ。お前がドルンだな?」
「おう、そうだ。よくここが分かったな、冒険者」
確認を取るように話しかけながら、ドルンに向かって剣を突きつける青年。
残りの二人も大男の手にしている杖から目を離さないようにしながら、いつでも飛び出せるように構えを取る。
(何だあの杖? 気味が悪ぃ)
(杖本体の造形には美しささえ感じます。しかしあれは……)
(何らかの魔道具だろう。油断するな。あれが奴らの力の秘密、自信の源に違いない)
最近急速に勢力を伸ばし始めたドルン盗賊団の悪評はよく聞くが、彼らが元冒険者や元騎士だったという話は聞いたことがない。
神託を受けた者とそうでない者の力の差は歴然だ。にも関わらず指名手配を受けて尚、未だに誰もがドルンの討伐を為しえておらず、生きて帰れた者すらほとんどいない。恐らく教会を通さずに何らかの方法で神託を受けた人間なのだろうというのが彼らの推測だったが、どうやらそれは違ったようだ。
ドルンが手にしている一本の白い杖。とてもシンプルなデザインでほとんど何の装飾も施されていないが、その柄には魔力の輝きが宿り、複雑な文様を描き出している。
そしてその先端。青く輝く宝石が埋め込まれた柄頭の先には、赤黒い不気味な球体が蠢きながら浮かんでいた。
「ったく面倒なことになったもんだぜ。一度ばれたヤサはいつまでも使えねえ。お前らのお陰で俺達ゃこれから引越しだ」
手にした杖を構えようともせずに、ボリボリと胸元をかくドルン。続けて眠そうに大あくびをした瞬間、槍を構えた冒険者が一撃で首を獲るべく駆け出した。
「安心しな。その心配は必要ねえよ!」
相手の力量も、手にした魔道具の性能も未知数。下手な時間稼ぎが命取りになる可能性もある。
ならば何もさせないうちに倒すのが常道だ。
まるで示し合わせていたかのように、残りの二人も追撃を繰り出すべく動き出す。
「手前の敗因はな。のこのこと前線に出てきたことだ!」
雄叫びと同時に喉元めがけて突きを繰り出す。
これまで幾人もの悪人、数多くの魔物を屠ってきた一撃だ。受ければ即死必至。たとえ急所を外れても、即座に仲間の追撃が待っている。
眼前に迫る槍を見て目を見開くドルン。その時になって漸く、手にした杖がその輝きを増し始めた。
(遅えんだよ。手前の魔道具が発動するより前に、その首に風穴が開いてらぁ)
踏み込み、そして突きの速度に角度。どれもが完璧だ。
だが必殺を確信し笑みを浮かべた彼の意識は、そこで途切れることになった。
◆
ハッハッハッ、と息を切らせて森の中を走り続ける。
さっきまで手に持っていた剣も盾も、全てあの広間に捨ててきた。
今必要なのは速度。奴らから逃げ切り、無事に森から抜け出るための速度だ。
「おいおい、さっきまでの威勢はどうしたんだ!?」
「ヒャッハッハ、急にブルっちまってよお!」
「お頭、一気にやっちゃってくださいよ!」
後方から囃し立てるような声が聞こえる。自分を追いかける盗賊たちのものだ。
彼らから逃げ切ることは容易い。神託を受け、冒険者として日々戦いの中に身を置いていた自分と神託すら受けていない彼らの間には、比べることすら烏滸がましい程身体能力に差がある。いざとなればこの素手の状態でも、彼らのうちの殆どを倒せるだろう。
問題は『奴』だ。何とかしてあの化物から逃げ切らなければならない。
(何でこんなことにっ……!)
脳裏に頭を潰され、胸を貫かれた仲間の無残な最期が浮かび上がる。
歳も出身地もバラバラ。冒険者になった時期も違う。
それでもチームを組んで長く活動するうちに、これまで出会った誰よりも親しく気の置けない関係になった。最高のチームだと思っていた。
(今は逃げる。でも必ず、必ず仇は取ってやる!)
ギルドへの事態の重要性の説明。高位冒険者への救援要請。
やらねばならないことが数多くある。それが唯一生き残った自分の責務だ。
溢れ出そうになる涙を我慢し、歯を食いしばる。
毅然とした決意で前を見据え――その頭上に影が差した。
(馬鹿な、速すぎる!)
轟音とともに目の前に大きなものが着地し、土煙が巻き上がる。男が呆然とした表情を浮かべていると、やがてその中からトントンと、白い杖で自身の肩を叩きながらドルンが現れた。
「……何だ、何なんだよそれはぁっ!!」
まるで癇癪を起こした子供のように喚き散らしてしまう。否、そうしなければもう精神の均衡を保てそうになかった。
「ああ? これか?」
抑えていた涙や鼻水を溢れさせ、グチャグチャになった顔を見せる男にドルンは自慢げに杖を見せつける。
その上に浮かぶ赤い球体は初めて見たときよりも僅かに体積を膨らませ、その表面には二人の人間の苦悶の表情らしきものが浮かんでいた。
「ひっ!」
とても見覚えのあるその顔に男が悲鳴を漏らすのを見て、ドルンは大きな笑みを浮かべる。
「いいもんだろう? これ、【アーティファクト】って言うんだとよ」




