第20話 事件解決、そして
「分かってると思うけど、急性の魔力欠乏症よ。前回よりは症状も軽いみたいだしもう動けるだろうけど、無理は厳禁。血も足りてないしね」
枕元で喋りながら、ナイフを片手にリンゴのような果物の皮を危なっかしい手つきで剥いている姉貴。
何で刃先を外に向けてんだ。間違っても手を滑らすなよ? 俺に当たる。
「あ、でも裕也が起きたら全員揃って顔を出してくれ、ってギルドに言われてるんだった。あいつらも勝手よね」
そう言って歪な多面体と成り果てたリンゴを皿の上に置くと、満足そうに頷く。
家庭科の授業くらいでしか料理をしたことがない俺ですら、もう少し上手く剥ける自信があるんだが。
《銀の稲穂亭》の一室。
姉貴の言う前回と同じように、気を失った俺が目を覚ましたのはまたもやこの部屋だった。
目を覚ましてまず目に入ったのは安心したような、そしてどこか呆れたような表情で俺を覗き込む家族全員の顔。
流石に二回目ともなると、説明はなくても何となく自分の置かれている状況は分かる。気を失う直前に親父の声も聞こえたし、家族の誰かがここまで運んでくれたんだろう。
とは言え事件の顛末についてはさっぱりだ。
案の定軽い説教を受けた後、お礼と謝罪の言葉もそこそこに親父たちにそっちについて聞いてみると、どうやらあれから二日も経っているらしい。
そしてこの二日の間にギルドの派遣した他の冒険者によって、コットンのものと思われる魔石の生えた両足が持ち帰られ、俺達と一緒に森に向かった騎士団員は全員が死亡を確認されたそうだ。
騎士団の長であるポータは、姉貴が倒したレッドベアという種類の魔物の別の個体と相打ちの状態で発見されたらしい。彼を含めて全員の遺体はどれも魔物によってかなり荒らされており、正確な身元の確認には少し時間がかかりそうだがほぼ間違いない、とのことだ。
って言うか、俺がコットンを追いかけた後、まさか騎士団が裏切っていたとは。手柄の横取りくらいは企んでるだろうとは思ってたけど。どうりでなかなか応援が来なかったわけだ。
ポータの裏切りは町に残っていた他の騎士団員たちにとっても青天の霹靂だったらしく、大混乱が生じているとか何とか。ポータの冒険者嫌いは有名だったけど、そんなことをするとは誰も思ってなかったみたいだ。
とにかくこれで事件は解決したんだけど、町の話題は殺人事件のことよりも騎士団のこと一色らしい。
まあ、冒険者ギルドに喧嘩を売ったことになるわけだしな。対応に追われる人たちは大変だろう。
話が終わり、最後に母さんが俺の傷の状態を確認すると、姉貴を除く全員は部屋を出て行ってしまった。
そして現在、枕元では姉貴が現代アートを絶賛制作中、というわけだ。
俺がコットンを殺したことについては誰も何も言わなかった。
盗賊の時は正当防衛に近いものがあったけど、あれは完全に自分の意志での人殺しだ。
仇討ちって言えば聞こえはいいけど、私怨とも言える。こうして全部終わって冷静に考えてみると、俺がしたのはコットンのしたことと何も変わらな――。
ビシン、と額に衝撃が走る。
横を見ると姉貴の左手が目の前にあった。手の形からしてデコピンされたらしい。
「ウジウジと悪い方に考えないの。仇討ちでもなんでも、あんたは自分が正しいと思ったことをした。あたし達も裕也の考えが正しいと思った。だから何にも言わないの」
まるで俺の考えていることが全て分かっているかのような言葉に思わず動揺する。
まさか、いつの間にか読心術みたいなスキルを覚えたのか? だとしたら、これから姉貴の前では何も考えられなくなるぞ。
俺が呆然としていると、姉貴は皿の上から多面体を持ち上げてさらに細かく切り分けはじめた。
「あたしももし裕也や他の皆が誰かに殺されたら、絶対に犯人を許さない。どこまでも追い詰めて、絶対に殺す。これはたとえここが日本でも変わらない」
手を止め、ナイフを食い入るように見つめながら話す姉貴に気圧される。
「人間のそういう気持ちって、どうしようもないんじゃないかな。だから裕也も、もう気にするのはやめたら?」
「そう……だな」
そうだ。どんなに言い訳しようと反省しようとも、あの時の気持ちに嘘はない。
姉貴の言う通り、後ろ向きに考えるのはやめにしよう。俺はあの時、自分の心に従った。何も後悔はない。
「で? さっき母さんが診てたけど、傷の方は大丈夫なの? 少しでも痛むんならギルドには私達だけで行くけど」
「いや、もう全然だ。【ヒール】って本当に凄いな」
重い話題から話がそれたのをこれ幸いと、陽気な感じで答えてみせる。
いや、実際に【ヒール】は凄い。それとポーションもだ。
何で飲み薬が外傷に効くのかさっぱり分からないけれど、あれと母さんの【ヒール】を利用して日本で医者でも始めたら、大儲け出来る気がする。と言っても、こんな治療方法が認められるわけないか。
ペロリと上着をめくって傷跡を撫でる。
コットンに貫かれて穴の空いていた脇腹は、今では綺麗に塞がっていた。
よく見ると薄っすらと傷跡は残っているけれど、それも漫画のキャラみたいで格好いいと思ったのは秘密だ。
そのまま傷跡を撫でていると何故か姉貴が黙りこんでしまったので、安心させるように今度は叩いてみせる。うん、大丈夫だ。全く痛くない。
念の為にもう一度叩いてみようかと思っていると、姉貴はナイフを脇に置き、不意に俺に抱きついてきた。
「ちょ、待っ――」
(鯖折り!? ベアハッグ!? 何でいきなり!?)
体調が万全だったとしても姉貴にそんなことをされたら、即ベッドの上の住人だ。
身の危険を感じて慌てて振りほどこうとしたが、どうも様子がおかしい。
俯いた耳元は真っ赤だし、肩は少し震えている。
もしかして泣いてるのか、急にどうしたんだ、何て話しかければいい? と俺がさっきとは違う意味で焦っていると、その状態のまま姉貴の方から話し始めてきた。
「ごめんね裕也……。間に合わなくてごめんね。ドラゴンの時もそう、裕也に一番痛い思いをさせちゃった。あたしがお姉ちゃんなのに、裕也を守らないといけないのに。ごめんね……」
普段の姉貴なら絶対に考えられない行動だ。俺的には「何やってんのよ、ノロマ!」と罵ってくる方がしっくりくるんだが。
「……姉貴だからってあんまり気負うなよ」
俺が怪我をしたのは一人で勝手に突っ走っていった結果だ。姉貴は全く悪くない。
姉貴の中では俺はまだまだ頼りない弟なんだろう。
けれども今回のことで新しいスキルも覚えた。これからは姉貴を、家族の皆を守っていける。
「姉貴さ、前に俺が倒れて皆に迷惑かけた時言ってたよな。謝る必要なんてないって。だから姉貴も謝る必要なんかないと思うぞ」
俺の胸に顔を埋めたままコクンと頷く姉貴。
いつになく弱々しい姿に、柄じゃないけれど背中でも撫でてやろうかと考えていると、廊下からドタドタという足音が聞こえ、セリーが部屋に飛び込んできた。
「ユーヤさん! 目が覚めたんですね!」
飛び込んできた勢いのままに、一足でベッドの端に飛びつくセリー。
その時にはすでに姉貴は元の位置に戻り、ナイフを片手に二個目のリンゴに手を伸ばしていた。その表情からさっきまでの弱々しさは全く感じられない。
早え……。
◆
「ようこそ。お待ちしておりました」
冒険者ギルド三階。
支部長の執務室を訪れた裕也たちを、顔に満面の笑みを浮かべたスラフが扉の前で出迎えた。
「ユーヤさんも病み上がりにすみません。怪我の具合はどうですか? 今回は本当に助かりました。ポーション等でよろしければ、いくらでも都合しますよ」
事件が一先ずの解決を見せ、肩の荷が下りたのだろう。全員が部屋に入りきるのも待たずに、上機嫌な様子で話し始める。
「あれから何度も捜索隊が出向いていますが、他のレッドベアの痕跡は確認されていません。まだ確定ではありませんが、アキナさんが倒した一頭とポータさんが相打ちになった一頭。それぞれ雄と雌だったようですので、恐らく番でこの地域に移動してきたのでしょう」
相も変わらず足の踏み場もないような部屋の様子に一同が立ったまま話を聞いていると、お茶の入った人数分のカップを持ったナッシュが入室してきた。
「あの魔光草についても少しずつ駆除を始めています。一部の冒険者にとっては格好の狩り場だったかもしれませんが、件のレッドベアがこの魔光草に釣られて来たのではないかという意見が出ましてね。流石に見過ごせないということになりましたので」
そこまでを一気に話し終えると、スラフもナッシュからカップを受け取り、口を付ける。
口元を湿らす程度にお茶を口に含むと、先程までの上機嫌な笑顔から一転、今度は真剣な表情で続きを話し始めた。
「……騎士団についてですが、あの夜のことはポータさんとその側近など一部の者が計画、実行したことで、大半の団員は何も知らされていなかったようです。現在は長と主だった幹部がほぼ全員死亡したことにより機能停止状態。領主の大不祥事に後継者問題やら何やらで、ポータさんのご実家の方も相当揉めているようですね。ギルドと皆さんに対する正式な謝罪もまだですし」
「いや、別にあたし達はもうどうでもいいわよ?」
放っておくといつまでも喋り続けそうなスラフを、晃奈が遮るようにして止める。
実際にもう晃奈達はポータ騎士団に対して特に何も感じていなかった。事件を起こした騎士たちは自分たちで返り討ちにしたし、首謀者も死んでしまっている。確かに迷惑はかけられたが、正直に言うとこれ以上関わり合いになりたくないというのが本音だった。
「そうですか? まあ、事件の後始末についてはこのようなところです。ギルドとしましても、これ以上皆さんにご迷惑がかかるようなことは起こさせないよう気をつけますので。さて、これが本題なのですが、今日は報酬の件でお呼び立てしました」
「あれだけ苦労したのよ。当然見合うだけのものなんでしょうね?」
それまでほとんど興味なさげに話を聞いていた晃奈が、待ってましたと明るい声を上げる。そんな態度に苦笑しながらも、スラフは自信満々に頷いた。
「勿論です。金銭につきましては当然として、もう一つ。今あなた達が最も必要としているであろう物を送らせていただきます」
当初の予定では、報酬はエンブラ行きの護衛クエストの優先権だったはずだ。だがスラフの態度は、それよりも遥かにいい物を用意しているという雰囲気だった。
期待に胸を膨らませる裕也たちの前でスラフは自分の机の下に潜り込み、ゴソゴソと何かを探り始めた。そして――。
「……あのー?」
今か今かと待ち続ける裕也達だったが、スラフは一向に机の下から出てこようとしない。
やがて痺れを切らせた晃奈が声をかけると、スラフは「ナッシュ……」と困ったような声を上げた。
「どうしましょう。動かないのですが」
「物が多すぎなのでは? ですから整理整頓をしてくださいと常日頃から言っているではないですか」
「すみません」
呼ばれて近づいてきたナッシュと、申し訳無さそうな顔で机の下から出てきたスラフは小声でやり取りをすると、無言の裕也たちの前でそそくさと部屋を掃除し始めた。と言っても、四角い部屋を丸く掃くように、部屋中に置かれた雑多なものを隅のほうに積み上げただけなのだが。
「申し訳ありません。お待たせしました」
部屋の中央に出来た小さなスペース。
それを前に再び自信を漲らせた表情のスラフが立つが、裕也達は既に呆れ顔で何も言おうともしない。
「ええと、こちらが今回の件についての報酬となります」
「……?」
そう言われても目の前には何もない。後ろではナッシュも「はぁ……」と溜息を漏らしている。
皆の白い目に気づいたスラフは、慌てて取り繕うような笑みを浮かべると再び机の下に潜り込んだ。
程なくして僅かな振動と共に部屋の中央部の床がスライドしていき、その下から幾何学的な紋様が描かれた床が現れる。
「これ、魔方陣?」
晃奈の呟きに、その通りと頷くスラフ。
「エンブラにある冒険者ギルドへの転送魔方陣です。これを使えば一瞬で皆さんをエンブラに転送することが可能です。本来ならば存在すら秘匿せねばならない品物なのですが、皆さんが今最も必要とされているもの、そして今回の報酬に見合うものと言えばこれしか思い浮かばなかったもので」
どうだ、驚いたか? と今度こそ自信を漲らせたスラフだったが、裕也たちの反応は彼の想像していたもの以上だった。
「うおおおおおおっ、すっげえええええええ! 俺転送なんて初めてだよ!」
「そう言えば裕也、ドラゴンの時は寝てましたしね」
「これで大分日程を縮められるのう」
「またあの道を歩かなくて済むのね。ラッキー!」
「そうと決まればすぐに準備しないと。あれ? でもすぐにエンブラに着くのなら、荷物を纏めるだけでいいのかな?」
先程までとは打って変わって明るく騒ぎ始める一行に、スラフの顔も自然とほころぶ。
「この魔方陣は起動に必要な魔力を溜めるのに少し時間がかかります。皆さんにも都合がありますでしょうし、準備ができましたら早めにご連絡ください。あと一階の受付で他の報酬についても受け取れますので、お忘れのないよう」
嬉しそうにお礼を告げてくる一行を抑えながら、スラフは笑顔でそう締めくくった。
起動に必要な魔力、それを溜めるのに一晩はかかる。
すぐにでもこれを使いたいと訴える裕也たちに返ってきたのは、そんな答えだった。
ならばその間に準備をしようと《ファミリー》の面々は次々と部屋を出る。そしてそれを笑顔で見送るスラフの前に、裕也だけが残った。
「どうしたんですか、ユーヤさん。他の皆さんに置いて行かれてしまいますよ?」
「あの、ちょっと聞きたいことがあるんですけど」
「何でもどうぞ」
自分に答えられることなら何でも答えよう。
スラフはそう思える程に裕也達に恩義を感じていた。冒険者ギルドの支部長としても、そしてスラフ個人としても。
「今回の事件で犠牲になった人たちの遺体は、その……どうなるんでしょうか」
「出身地の確認が困難な人は、全てギルドの共同墓地に葬られます。ですが幸いにもトポスさん達の皆さんの故郷は簡単に調べがつきました。彼らの遺品は生まれ故郷に届けられ、手厚く埋葬されることでしょう」
穏やかに微笑むスラフの言葉に、安心したとばかりにほっと溜息を漏らす。
「それともう一つ。魔人の、コットンの足は見つかったんですよね? あいつは悪人でしたが、せめて墓を――」
何を馬鹿なことを。あいつはトポスの仇で、そもそもお前が殺したんだろう。
振り切ったはずの考え。心にもないことを言うなと頭の中で誰かが告げる。
自分でも一体何を言ってるんだと思う。
それでも裕也は言わなければならなかった。
「ユーヤさん」
葛藤しながらも言葉を続けようとする裕也に、スラフが冷静に答える。
「彼は一年前に死亡したと判断され、先日正式に冒険者登録にもそう記されました。遺品は何一つありませんが、珍しいことではありません。他の多くの冒険者と同じように、合同の慰霊碑が彼の墓代わりとなるでしょう。先日の事件と彼は何の関係もないのです」
分かってはいた。ギルドは極力この事件の真実を隠し通すつもりだろう。
今後この事件の顛末がどこかで纏められることになろうとも、そこにコットンという名が記されることはない。
そして代わりに彼は他の冒険者と同じように祀られ、供養される。
「……」
スラフの言う通りならば、確かにコットンにも墓を作って欲しいという裕也の望みは叶う。
しかし彼の遺体の一部は確かに存在するのだ。それは一体どうなるのだろうか。ただの犯罪者の一部だと破棄されてしまうのだろうか。
遺体は関係のない所で処分され、しかし名は墓に記される。
どちらが正しいとは言えない。ここまで来るともう宗教上の問題なのかもしれない。遺体も供養すべきだという考えなのは、裕也が日本人だからなのだろうか。
「これは独り言ですが――」
何となく納得の行かない気持ちで複雑な表情を浮かべる裕也。しかしそれを安心させるようにスラフが笑いかける。
「今回回収された魔人の遺体の一部。彼の身元は最後まで不明でしたが、私は死者に罪はないと考えています。ギルドの共同墓地にというわけにはいきませんが、調査が終われば丁重に葬る予定です」
「っ! スラフさん!」
「さあ、皆さんお待ちかねですよ? ユーヤさんも早く準備をなさってください。魔方陣の準備は明日の昼前までには終わらせておきます」
「ありがとうございます!」
こんな世界だ。家族皆で日本に戻るまで、これからも自分は人を殺すことになるだろう。そのことに対する恐れも躊躇いも、もう持つのはやめた。
それでも。
誰かに偽善と言われようが、他でもない自分がそう思おうが、この気持ちを捨てるつもりはない。
自分の中の気持ちに漸く一区切りがつき、思い残していた問題も解決した。
スラフに見送られながら部屋を出て行く裕也の表情は、とても晴れ晴れとしていた。
◇
「よくもまあ、あのようなことを」
執務室の一角。魔方陣の描かれた床よりも更に厳重に隠された小さな扉。
その奥にある小部屋で、ナッシュが呆れたような声を出す。
「私は何一つ、嘘は言っていませんよ?」
それに対してスラフは心外だとばかりに肩を竦めた。
「調査が終わればちゃあんと、埋葬します。ええ、調査が終われば」
二人が見守る机の上、そこにはコットンの足が置かれていた。何かの実験器具につながれ、僅かに残った魔石から淡い光が漏れている。
「死者に罪はありませんからね。それどころか私はコットンに感謝さえしているのですよ? こんな貴重なサンプルを残してくれて」
「……外を見張っておきます」
その光を見つめるスラフの表情には深い笑みが刻まれていた。裕也達、《ファミリー》に向けていたものとは違う。冷たく歪んだ、残虐な笑み。
呆れたように首を振ったナッシュが部屋を出て行き、部屋にはスラフだけが残された。
それでもまるで熱に浮かされたかのような彼の独白は止まらない。
「コットンさん! あなたは本当に素晴らしい! 才能がない? そんなことはありません。現にあなたはBランク冒険者とも渡り合えていたではないですか! さあ、最後のクエストです。私にその力の秘密を教えてください! 魔人の力を!」




