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第19話 理由 7

 駆ける。駆ける。

 暗く深い森の中を、二つの人影が脇目もふらず駆けている。


 先頭を行く人影は両の手をまるで前足のように使い、木の枝を、幹を、足場代わりに跳び跳ねながら進んでいる。一方それを追いかけるもう一つの人影は草花を踏みしめ、眼前の木の枝を打ち払いながら、愚直に、そして堅実に地面の上を走り続けていた。


(まじで人間離れした動きだな。声も喋り方も変だったし、あれも魔人化の影響なのか?)


 後ろから追う影――裕也は、チラチラと木々の間に見え隠れしているコットンの背中を見ながら、いつでも抜き放てるように剣の柄の握りを確認する。


 コットンを追って走りだしてからしばらく経つ。

 突然のレッドベアの乱入と時間の経過は沸騰した裕也の頭をある程度落ち着かせていたが、それでも胸の奥に燻ぶる黒い思いまでは消せていなかった。


(暗闇にも不安定な足場にも慣れてきた。このペースならもうすぐ追いつく)


 以前受けた護衛クエストの最中に起こった盗賊達との戦い。あれが裕也の初めての人殺しの経験だ。

 たった一度きりの経験。それでも地球の、とりわけ日本という国に住む人間にとっては、異常とも言える経験。だが裕也は後悔などしていないし、今からまた同じ経験をするだろうということについても、全く躊躇はなかった。


(『復讐は何も生まない』『死んだ人はそんなこと望んじゃいない』。物語なんかじゃ、よく言うけどさ)


 脳裏にトポスと別れた時の記憶が思い浮かぶ。


『いつか僕も一人前の冒険者になってみせます。……そうしたら、今度は一緒にクエストを受けてくれませんか?』


 裕也達はすぐにでもアルラドを立つ予定だったし、トポスが肩を並べて戦えるまでに成長するにはまだまだ時間がかかりそうだった。当然トポスもそれは承知していただろう。

 実現する可能性は限りなく低いお願い。ただの社交辞令だったのか、それとももしかしたら本気の言葉だったのか。


 真実は定かではないが、それを確認する方法も、そのお願いが実現する可能性もゼロになってしまった。目の前を走る、あの男のせいで。


(……関係ない。俺はアイツを殺す。殺して終わらせる。それしか、この気持ちを整理できる方法は、ない)


 裕也がより激しい憎悪を込めて前方の影を睨む。瞬間、コットンが木の枝を足場にして反転、裕也に向かって突っ込んできた。


「まるで獣だなっ!」


 どこかに隠し持っていたのか、交差の瞬間に振るわれた短剣を打ち返しながら叫ぶ。


 攻撃を弾かれたコットンはそのままの勢いで裕也の後方に飛び抜けると、またもや木の上に跳び上がった。


「どうした? 鬼ごっこはもう終わりか?」


 ならここで死ね。


 情けをかけるつもりは全く無い。それにもしここで見逃せば、こいつはこれからも人を殺し続けるだろう。トポスのような犠牲者が増え続けるだろう。


 鋭い目つきで自分を睨み上げる裕也を見下ろしながら、コットンはケタケタと笑い声を上げた。


「他ニ誰モ追ッテ来ナイ。オ前一人ダ。ナラ、逃ゲル必要ハナイ」


「……舐めんなよ」


 裕也の低い呟きと同時にコットンが樹上から飛び降りる。

 笑いながら振り下ろされた短剣を弾き返すと、コットンは四肢を使い木の幹を駆け、宙を跳ね、裕也の周囲を縦横無尽に動き回り始めた。


(速い!)


 先程まで裕也の前方を駆けていた時とは全く違う。まるで全身がバネになったかのように絶え間なく、そして鋭い動きだ。

 全方位から襲いかかる強烈な攻撃に、裕也は少しずつ後退させられていた。


「――やり難いっ!」


 闇の中で鈍く輝く剣先が地を這うように駆け、足元から掬い上げるように喉元に迫る。かと思えば次の瞬間には、背中を叩き切ろうと後方の頭上から勢い良く襲いかかる。


 今まで戦ってきたどの魔物とも違う、三次元的な動き。そのトリッキーさに裕也は翻弄されていた。


 ――だがそれでも。


(目は追いつく。反応も出来る)


 十分だ。自分の剣は相手に届く。

 唯一の問題は――。


(あれ、反則だろ)


 魔人の身体能力を十分に活かした驚異的な動きの反面、コットンの攻撃は直線的で単純だった。フェイントも何もない。ただ力を頼りに振るわれる単調な剣。

 確かにそのスピードは驚異的だが、今まで姉や母、そして祖父の攻撃を間近で見続けていた裕也にとっては隙だらけの攻撃だ。


 最初のうちこそ合わせるので精一杯だったが、目が慣れるにつれて徐々に受け流し、そして返しの刀で手傷を負わせるまでに至っていた。


 だがそこからが問題なのだ。

 何度傷を与えても浅いものだと本当に一瞬、深いものでも数秒経てば回復してしまう。


 まさに『再生』とも言える驚異的な回復力。

 知ってはいたが、いざ目の当たりにすると思わず舌打ちをしたくなる。


(あの回復にかなり魔力を使っているのは間違いない。だけど、あいつの魔力ってあとどのくらい残ってるんだ?)


 暗闇に浮かぶ無数の赤い輝き。コットンの全身から生えている魔石が放つ光は、一向に衰える気配がない。


 ゆっくりと後退しながら大木を背にする裕也。

 これで少なくとも背後からの攻撃はなくなる、と一息つくと、少し離れた位置にコットンが降り立った。


「ドウシタ? コノ程度カ?」


「うるせえ」


 コットンからすれば、裕也は為す術もなく追い詰められているように見えるのだろう。せせら笑いながら裕也を見つめる目には、隠し切れない優越感が浮かんでいた。


 それに対して吐き捨てるように言い返した裕也は、油断なく剣を構えながら大木に背を預け、少しでも体力の回復に努めようとする。


(あいつと違って、こっちには回復手段がポーションくらいしかない。今はなんとか凌げてるけど、ミスったら終わりだ。このまま相手の魔力切れまで持久戦ってのはないな)


 腰から下げられているマジックバッグに目を落とす。

 そこには裕也達が出発前にギルドから貰ったポーション類の大半が詰められているが、万が一致命傷を負ってしまった場合を考えると、少々心許ない。


 それにそもそも目の前の相手が、悠長にポーションを飲んでいるのを見逃してくれるとも思えない。


(確実なのは相手の回復が間に合わないくらい連続でダメージを与えるか、再生すら出来なくなるような大技を当てる、ってとこか)


 切り札はある。【ドラゴンブレス】だ。


 幼体とはいえ、本物のドラゴンの頭部を吹き飛ばした大技だ。当てることさえ出来れば、一撃で勝負を決めれる自信があった。そう、当てることさえ出来れば。


(……ちょっと溜めがあるんだよな)


 足を止めての体内の魔力の収束。

 何度も練習していたおかげで初めの頃に比べれば必要時間は減っているが、それでも隙が大きいことに変わりはない。


 無防備に大技の準備をしている状態をコットンが見逃すとは思えなかったし、警戒されれば避けられる可能性もある。


(どっちにしろ、まずはあいつの足を止めないといけないな)


「考エ事ハ終ワリカ?」


 ニヤニヤと裕也を見つめていたコットンが前傾姿勢を取る。右手に短剣を持った上半身が低く低く沈められ、やがて両の手が地面についた。

 クラウチングスタートよりも更に低い、四足歩行をする獣のような姿勢。そこから繰り出される突進のスピードは、恐らく今まで見た中でも最速だろう。


(全身を燃やされても治るくらいだ。生半可な傷じゃ止められない)


 コットンの手にある短刀に目を向ける。

 あまり質のいいものではなさそうだ。手入れがされていないのと相まって、先ほどまでのやり取りでかなり痛んでいる。


(狙いはあれだな)


「行クゾ!」


 裕也の視線にも気付く様子もなく、コットンが正面から突撃してきた。


「馬鹿正直だなっ!」


 魔人化の影響で驚異的な身体能力を得てはいるが、技術がそれにまるで伴っていない。突進のスピードも予想の範疇だ。来る方向の分かっている攻撃など何も怖くない。


 繰り出された突きに対して、裕也はその短刀の腹に思い切り剣の柄を叩きつけた。あっけないほど簡単に砕け散ったそれを見て、慌てて急ブレーキをかけるコットン。二人の距離は文字通り目と鼻の先だ。


 一瞬の逡巡。


 このまま攻撃すべきか、一度距離を取るべきか。

 迷ったコットンが取ったのは前者だった。砕けた短剣を握りしめたままの右腕を振り上げ、再び裕也に向かって振り下ろす。


「遅えっ!!」


 しかしその選択は余りにも愚かだった。

 常日頃から晃奈や斎蔵の動きを見ている裕也にとって、コットンの反応はあまりにもお粗末なものだ。例え一瞬とはいえ、武器を失い敵の前で動きを止めるなど、自殺行為でしかない。


 振り下ろされた右腕は手首から先を斬り飛ばされ、返す刀で胴体を袈裟懸けに斬り降ろされる。


「ガアアッ!?」


 周囲に血を撒き散らしながら後ずさるコットンに向かって、裕也は好機とばかりに鋭く踏み込んだ。


(ブレスはなしだ。このまま回復される前にきめる。流石に首を飛ばしたら終わりだろう!)


 今までにない深手に、コットンの全身の魔石が激しく発光する。そのうちのいくつかがひび割れ始めると同時に、ジュクジュクと傷口が蠢き始めた。


 だがそんな猶予は与えないとばかりに接近する裕也に気付き、コットンは慌てたように先のない右腕を突き出した。


(――死ね)


 咄嗟にとった無意味な行為だ。無視しても構わない。

 そう決めつけた裕也は、何の躊躇いもなくコットンの首に向かって剣を振り下ろした。


 ――分かっている。どんなに言い訳や綺麗事を並べたところで、今自分がしているのはただの復讐だ。別にトポスがそうしてくれと頼んだわけでもない。ただ自分の気持ちに整理をつけるためだけの行為。


 だが後悔はなかった。自分はどうしても、目の前の男を許せそうになかった。


 コットンの眼前に刃が迫る。次の瞬間にその首は胴を離れ、宙を舞うだろう。


(――?)


 終わりを確信しかけた裕也だったが、コットンの表情を見た瞬間、脳内に警鐘が鳴り響くのを感じた。


 苦痛に歪み、恐怖に慄いた表情。

 目の前に死が迫っているのだ。当然の反応のように見える。もし逆の立場なら、裕也も同じような顔をしていたかもしれない――だが。


(っ、違うっ!!)


 歪められた口元。その口角が僅かに吊り上がっている。まるで罠にかかった得物を嘲笑うかのように。


「馬鹿ガ!」


 コットンが叫ぶのよりも僅かに早く、裕也は自分の勘を信じて攻撃の手を止め、反射的に身を捩っていた。

 端から見ればその動きは滑稽だったかもしれない。だがその判断は正しかった。


 突き出されていたコットンの右腕。血の滴るその切断面から赤い光が噴出し、裕也の脇腹に突き刺さる。


「何だっ!?」


 一瞬の出来事。裕也が痛みを自覚するよりも早く、赤い光は脇腹を貫通し、背後にまで抜けた。


(光? 血? ……違う。これは……まさか魔力か?)


 遅れて激痛が走る。自分の体に異物が突き刺さっているという自覚もある。幻覚の類ではない、紛れも無く物理的な攻撃だ。


(捻られたらまずいっ)


 何らかのスキルであることは間違いない。だが今はその正体よりも、この謎の光が自分に突き刺さったままという状態を何とかするほうが先決だ。


 捻ることによって傷口を広げられたり内蔵を傷つけられたら、致命傷にもなりかねない。


 咄嗟に、尚も光を放ち続けている右腕の肘のあたりを斬り飛ばす。同時に光は霧散し、コットンが怯んだ隙に一歩後退した裕也だったが、貫かれたところから血が噴き出し、思わずしゃがみこんでしまった。


「ガアァッ!」


「くそっ!」


 それぞれの傷口を押さえながら苦悶の声を上げる二人。


(痛い、痛えっ! くそっ、出血もやばい!)


 以前ゴブリンに刺された時よりも明らかに深い傷だ。あの時は近くにいた加奈子がすぐに【ヒール】をかけてくれたが、今はそれも望めない。


 痛みのあまりに薄く涙を滲ませながら、必死にマジックバッグの中を漁る。やがて手の先にポージョンの瓶が触れ、安堵の息と共にそれを取り出そうとするが、それよりも早くコットンが立ち上がってしまった。


「痛イ、痛イッ! アア、クソッ。俺ノ腕ガッ!」


 傷口を押さえながら呻いているが、早くも出血は止まりつつある。いまだに蹲ったままの裕也と違い、今すぐにでも戦いを再会できそうな雰囲気だ。


「……絶対許サネエ。ダケドオ陰デ、ヨウヤクデキタ」


 裕也がポーションを取り出し飲むだけの余裕があるかどうか決めあぐねている間に、コットンの右肘先から再び赤色の光の剣が生まれる。


「コノスキルガ使エルノハ、前カラ分カッテイタ。ケレド中々制御出来ナクテナ」


「……何の話だ?」


 思わず疑問の声を上げる裕也。

 使えるのが分かっていたのに、制御できない? 自分のスキルでそんなことがあるのだろうか。


「アア?」


 裕也が質問してきたことに少し驚いた様子のコットンだったが、何か思うところがあったのか、剣先を裕也に向けると得意げに語りだす。


「ソウダ。コノスキルハ魔力ヲ体外ニ放出シ、剣ヲ形作ルトイウ代物ダ。ソノ上デ刃ノ部分ノ魔力ヲ高速デ回転サセ、切レ味ヲ上ゲテイルンダガ、ドウニモ上手ク出来ナカッタ」


 ジリッ、と腰を落とすコットン。対する裕也もポーションを取り出すのを諦め、話を聞きながら息を整えていた。


「スキルッテイウノハ、頭ニ浮カブリストニ載ッテイルダケジャ使エネエ。ソノ性質ト特性ヲ理解シ、ソレヲ成シ遂ゲラレル下地ガアッテ初メテ、完全ニ発動スルンダ。ホトンドノ奴ハソンナコトニ気付カズ、スキルヲ使エテイルケドナ。俺ニハ無理ダッタ。魔力ノ放出ナンテイウイメージガ掴メナカッタ」


「……」


 裕也にはコットンの言っていることが理解できた。あの時、初めて【ドラゴンブレス】のスキルを覚えた瞬間、その技の全容と使い方が頭に流れ込んできた。

 口内に十分魔力を溜め圧縮し、それを一度に解き放つ。口にしてしまえばそれだけだ。


 だが普通、今まで魔力を使ったことのない人間にそんなことを言ってもさっぱり意味は分からないだろう。

 裕也自身、日本にいた頃にゲームや漫画等から得た知識から大体こんなことだろうと勝手に補完しているだけなのだ。


 魔人となり、膨大な魔力と驚異的な身体能力を得たコットンだったが、その力に振り回せれるように動くばかりで技術面は全くであった。

 魔力についてもただ体の内を流れ、勝手に傷を治してくれる力、という認識があるだけで、剣を形作るどころかただの放出すら困難だったのだ。故に比較的早い段階でこのスキルを覚えていたコットンだったが、発動に成功したことはなかった。裕也に手を切り落とされる、その瞬間までは。


 切断面から流れ落ちる自らの血。とある物理学者がリンゴが落ちる様を見て閃いたように、コットンもまた閃いたのだ。魔力とは目に見えていないだけで、血のようなものなのだと。

 切断面から血が流れ出るように、魔力が溢れ出る。魔力は宙で剣の軌跡を描くとまた傷口に戻る。その動きを早くすることで剣の形を作り、同時に切れ味を持たせる。


 他者が聞けば誰もが思うだろう。何故今までそんなことが出来なかったのだと。それに対するコットンの答えは一言だけだ。


「……俺には、才能がないからな」


 不意に呟かれたその言葉は嗄れひび割れたようないつもの声ではなかった。何の根拠もないが、魔人と成り果てる前の素のコットンの声だと裕也は感じた。


 永遠のFランク。己の実力の限界を知り、それでもなお諦めきれない、諦めたくないという自分を嗤うように紡がれた声。


「お前……」


「ダガソレモ、今日マデダ!」


 裕也が口を開きかけた瞬間、再び元の声でコットンが叫ぶ。


「コノ最強ノ剣ヲモッテ、俺ハアイツラニ! 俺ヲ馬鹿ニシタ奴ラ全員ヲ見返シテヤルンダ! マズハ貴様ラカラダ、《ファミリー》ッ!」


 叫びと共に突き出される光剣。

 痛みに顔を顰めながらも後方に回避する裕也だったが、今やコットンの体調のほうが万全に近い。即座に距離を詰められ、再び振るわれた光剣を仕方なく剣で受ける。


「ソンナ鈍デ!」


「くそっ!」


 脇腹を貫かれた時から予想はしていた。仮にもBランク冒険者の肉体が、余りにもあっさりと貫かれた。並の剣などとは比べ物にならないほど鋭い切れ味。それでも多少は打ち合えると思っていた。


(ギルドが用意してくれた剣だぞ!?)


 ひどくあっさりと、赤い輝きが自分の剣に食い込んでいく。


 これは避けなければ駄目だ。受けることなんて出来はしない。


 思考は一瞬だった。剣を捨て、とにかく回避することに全力を注ぐ。急激な動きに傷口から新たに血が噴き出すが、気にしている余裕はない。


 光剣が剣を両断し、更に後方へと下がった裕也の胸をも浅く切り裂く。


「ヒヒヒッ、終ワリダ」


 武器を失い、胸と脇腹から血を流す裕也に向かってコットンがゆっくりとにじり寄る。


 いたぶって遊ぶ気はない。今の自分ならBランク冒険者にも勝てると分かったのだ。こいつを殺したら残りの《ファミリー》メンバーも。そして町に戻って――。


 しかし、誰がどう見ても絶望的な状況にも関わらず、裕也の顔からは一切怯えの類の感情が伺えなかった。強いて言えば、何か予想外のものを発見したかのような、そんな驚きのような表情を浮かべている。


(呆然トシテイルノカ? 無理モナイ)


 コットンが今まで殺してきた中にも何人かいた。

 己に死が迫っていることを理解できず、受け入れられず。その直前になってもただ立ち尽くしているだけの連中が。


(構ワナイ。ソノママ死ネ)


 赤く輝く光を放出し続ける右手を振り上げる。しかし次の瞬間目の前で起こった出来事を理解できなかったのは、コットンの方だった。


「……何ダ、ソレハ」


 振り上げた手を下ろすのも忘れ、足を止める。


 まるで何かを確かめるかのように、手を開いては握ってを繰り返していた裕也だったが、コットンに言われ、初めてそれに気付いたかのように視線を下に向ける。


 光の剣に貫かれ、血を流し続けていたはずの脇腹。そこに中空から大量の光の玉がひしめき合うように現れ、傷口を覆い隠していた。

 最早そこから血は流れ出ていない。まるで見えない血管の中を通るように、開いた傷口の奥で正常に血が循環していた。


「ああ、精霊か。久しぶりだな。ありがとう、助かるよ」


 それだけでもコットンにとっては理解し難い光景だった。傷口を覆い、癒やす光の玉。こんなスキルは見たことも聞いたこともない。


「よっと」


 出血の止まった裕也がコットンから距離を取りながら、跳ねるようにして立ち上がる。


 唖然とした表情でそれを見ているだけのコットン。そして次いで起こった出来事は完全にコットンの理解の範疇を超えていた。


「こんな感じか?」


 手のひらを握って開いてを繰り返すのをやめた裕也が、何かを確認するかのように腕を振るう。


 ピタリとコットンに向けられた腕先。その先から白い光が溢れ、剣の形を為す。

 コットンの腕から発生しているのと寸分違わぬその意匠。違うのは光の色のみだ。


「……何ダ、ソレハッッ!!」


「このスキル、【魔力剣】っていうのか。まんまだな」


 そして呟く。コットンが口にしたことのないはずのそのスキルの名を。


「イ……ア、アアアアアアアアアアアあああああああああああぁぁぁっっ!!」


 絶望、怨嗟、羨望、憤懣。


 あらゆる負の感情を込めてコットンが吼える。

 目の前に立つ裕也、そしてこの世の全てを否定するかのように、呪うかのように。


「何でだっ!? お前たちは、いつもそうだっ! 俺がその技を、その力を手に入れるのにどれだけ苦労したのかも知らずにっ! 不公平だっ! 俺は、俺ハッ!!」


 コットンの叫びに呼応するかのように、パキパキと魔石が割れていく。それに比例してコットンの腕から生える赤い剣、その光がより濃く、眩く輝き始める。


「コンナ姿ニナッテマデッ!」


「――知らねえよ」


 怒りと嘆き、それと僅かの後悔を混ぜたコットンの叫び。


 それを一言で切って捨て、裕也は右腕を構えた。


「あぁ、知らねえよ。お前に何があったのか、何を思っているのかなんて、全く知らねえよ」


 飛び掛ってきたコットンの赤い光剣と、裕也の白い光剣が交差する。


「俺にとって、お前はトポスの仇でただの殺人鬼。それだけだ!」


 例え同じスキルを使っていようとも、鍔迫り合いになれば魔力量で勝る己が勝つ。

 そんなコットンの予想を裏切り、裕也の光剣はあっさりと赤い光を切り裂き霧散させると、その勢いのままコットンの胸を貫いた。


「ガアアァァッ!?」


 信じられない思いで自らの胸に刺さる白い光を見下ろすコットン。


 単純な魔力量なら間違いなく自分の方が上のはずだ。仮に負けるとしても、ここまで一方的な結果になるものだろうか?


 勝敗を決定づけたのはイメージの差だった。コットンの【魔力剣】の刃がただ魔力を回転させただけのものなのに対し、裕也がイメージしたのはチェーンソーの刃。無数の細かな刃が刀身の周りを回転する様をイメージし発動させた裕也の【魔力剣】の方が、コットンのものより遥かに威力が上だったのだ。


「そして、こんなこともできる」


 裕也のイメージに従い、刀身が伸びる。光剣はコットンを貫いたまま数メートル程伸び、その身を大木に縫い付けた。


「クソッ、クソオッ!」


 傷を癒やそうとコットンの魔石から魔力が溢れ、次々と割れていく。しかしいかに回復力が優れていようと、貫かれたままの部分は治せず、その戒めから逃れることもかなわない。


 光の剣を持つ右手を前に突き出したまま、裕也が両足を踏みしめる。大きく息を吸い込むような動作をしながら、口内に体内の魔力を圧縮していく。


「ッ!? アアアァァァッッ!!」


 精霊達が喜び勇み、裕也の周囲をグルグルと飛び跳ねまわる。裕也を中心に大気までもが渦巻き、その体が白い輝きを放つ。


 危険を察知したコットンは、両手から【魔力剣】を発動すると自身を貫く白い光に出鱈目に叩きつけた。


「コンナ、コンナ所デ! コンナ奴ニィィィッ!!」


 しかし裕也の【魔力剣】は微塵も揺るぎはしない。逆にコットンの剣の方が霧散し、その度にコットンは新たに【魔力剣】を発動させる。


(――今度こそ、本当に終わりだ)


 コットンの身体から魔力の輝きが失われていく。全身から生えていた魔石は、そのほとんどがひび割れていた。


 木に磔にされ、わめき声を上げるだけのその姿に少しばかりの憐れみの気持ちが浮かぶ。しかし裕也はすぐにそれを打ち払った。代わりに脳裏に浮かんだのはトポスの顔。


 いつか一人前の冒険者になることを夢見ていた、まだまだ頼りない後輩の笑顔だった。


(じゃあな。もしあの世ってのがあったら、お前が私欲で殺した人たちに謝りに行け)


「チクショオオオオオオオオオオオオッッ!!」




 【ドラゴンブレス】。




 放出された魔力の渦がコットンを飲み込む。


 白い輝きの奔流が木々を巻き込み、上空へと抜けていく。その光は闇夜を切り裂き、深い森の中を昼間よりも明るく照らしだした。


 やがて光が収まると、ドサリと何かが地面に落ちる。

 周囲の被害を気にした裕也がやや上向きに放ったせいで、ブレスの直撃を免れたコットンの両足だ。

 それを確認すると同時に、裕也の意識は急速に遠のいていった。


(ドラゴンの時と同じだ。急に魔力を使いすぎた。それと、血が足りねえ……)


 どこからか「裕也!」と自分の名を呼ぶ進士の声が聞こえ、上空で光が炸裂するのが目に入る。


 その光景に安堵し、裕也はゆっくりと目を閉じた。

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