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第18話 理由 6

 ――あの日のことは忘れない。




「ポータ様、起きてください。ポータ様」


 困ったような声で何度も呼びかけられ、それに無言で抵抗していると今度はユサユサと体を揺すられる。


 日は既に傾いていたが、薄い雲に隠れているのでそこまで眩しくはない。

 自身を包む穏やかな風と仄かな草の香りを手放したくなくて、ポータは不機嫌そうに口を開いた。


「……今日の授業はもう終わったし、課題も済ませてある。夕食まではまだ時間もあるし、もう少しくらい構わんだろう?」


 久しぶりに、本当に久しぶりに訪れた暇な時間というものを満喫するため、人気のない建物裏の木陰に隠れるように横になっていたのだが、どうやらこの人物には全てお見通しのようだった。


「時間の問題ではありません。ポータ様のような身分の方がこのような場所で横になっていることが問題なのです」


 口調は荒いわけではないが、反論は許さないとばかりにきっぱりと告げられた言葉に渋々と目を開ける。


 そこにいたのはメイド姿をした一人の女性だった。歳は二十前後。同年代ということもあって、幼いころからポータの身の回りの世話を任されていた人物だ。


「確かに私は貴族だが、ここにいる間は一介の学生に過ぎん。領民の目もないのだ。卒業までもあと僅か、少しくらい羽目を外しても――」


「旦那様に言いつけますよ?」


 魔法の言葉をかけられ、勢い良く飛び起きる。

 長年の付き合いであるメイドの小言には慣れてきたが、厳格な父の叱責だけにはいつまで経っても慣れそうにない。


 決して手を上げるようなことはしないが、雷のように激しく怒鳴り散らす父の顔を思い出してポータが身震いしていると、ニヤニヤと笑うメイドと目があった。


「何だその顔は?」


「いえ、ポータ様はいつまで経ってもポータ様だなぁ、と」


 貴族の身分が云々と言うくせに自分の貴族に対するその態度はどうなんだと問い詰めたかったが、決して口には出さない。

 口論になった場合このメイドには決して勝てないということは、長年の付き合いから学んでいる。


「どうかされましたか?」


 仕方がないので、その顔を不機嫌そうに睨みつけることで溜飲を下げていると、メイドはキョトンとした顔で首を傾げた。


 この町に来てから数年。自分の領には決して存在しないであろうという美女を何人も見てきた。流石この街は違うと、ポータも同期の友人達とおおいに盛り上がったものだ。


 だがそれでもポータはこのメイドの純朴な顔立ちのほうが好きだった。決して美人とはいえない。それでもこの顔をじっと見ていると何故か動悸が早まり、顔が熱を持つ。

 今もそのあどけない表情を目にして、思わず顔を背けてしまったほどだ。


「……何でもない。寮に戻るぞ。そう言えばグリューの奴を置いてきてしまっているしな」


 背中についた土を優しく払ってもらいながら、ポータはメイドと一緒に護衛兼世話役としてついて来たもう一人の幼馴染の顔を思い出す。


「そうですね。きっと凄く怒っていますよ」


 それは怖い、とメイドの言葉に返しながら、ポータは夕日を横目に歩き出した。



 王都ジダルア。国の名をそのまま冠したこの街は、この国の中心地にして最も巨大な都市である。

 広大な面積と、それを囲む堅牢な城壁。全ての道には石畳が敷かれ、まるで国中に向かって広がっているかのように、街の外にも放射線上に走っている。


 街の中は幾つかの区画に分けられ、それぞれが別の役割を持っていた。

 そんな区画の内の一つ。国内でも最上級の教育機関が集う一画に、その学び舎はあった。


 年齢は関係なく国中の貴族の子供。その中でも特に優秀、または有望な将来人の上に立つべき人間が集められ、勉学に鍛錬にと励む学園。

 ポータはそこに学年主席として、周囲から多大な期待を寄せられながら通っていた。


 ポータの父は正妻の他に幾人もの妾を持ちながら、生まれてきた男子はポータ一人。異母姉妹は何人もいたが、継承権が一番高いのがポータだった。

 正妻の子ではないという理由で一部の家臣は反対していたが、父の高齢化に伴いその声も小さくなっていった。貴族の当主は長男が継ぐというのがこの国の常識だ。父がこれ以上の子を為すことは難しいと判断したのだろう。


 結局ポータは次期当主として、他の貴族に比べるとやや遅まきながらこの学園に通うことになったのだ。


(今更ここで学ぶことなど、余り無いのだがな)


 全ての貴族がここで学べるわけではない。普通は自分の家で雇われた家庭教師や使用人なりから学ぶもので、当然ポータもそうだった。


 だがここに通っていたという事実は、それだけでステータスになる。

 ポータもそれが分かっていたからこそ内心では嫌がりながらもグリューとメイドを引き連れ、父が治める領土から遠く離れたこの地にやってきたのだ。


 それから数年。ポータは周囲より少し年齢が上ということもあるが頭脳明晰、品行方正。加えて実技の面でも同学年で相手になる者は片手とおらず、将来はさぞかし立派な領主になるだろうと噂されていた。

 ポータ自身にもその自負はあったし、事実彼は自分が当主を引き継いだ後、領民の暮らしがより一層よくなるようにと、常日頃から新たな政策をいくつも検討しているような人物であった。


(民を襲い、作物を荒らす魔物の存在。我が領土周辺の魔物は低ランクとは言え、その全てに対処するのに手持ちの騎士団だけでは手が回らないだろう。冒険者の手が必要だ。むしろ日頃騎士団より民と接する機会の多い彼らに巡回を依頼したほうが、民は安心するのではないか? 騎士団は街道の点検や、定期的な魔物の駆除に当てたほうが効率的かもしれん)


 そして冒険者の有用性を認め、その活動内容を調べているうちに、若きポータは冒険者の虜となっていった。


 未開の地に巣食っていた凶悪な魔物を退治し、人間の活動領域を広げることに成功した冒険者。幾つもの町を滅ぼした強大な魔物を少人数で撃退したチーム。北方の国で大量発生した魔物から住民が逃げ切るまで戦い続けた冒険者。


 勿論そんな輝かしい戦果はごく一部だ。それでも冒険者が活躍したという記事が発行されれば飛んでもらいに行き、激戦から生還した高ランクの冒険者が凱旋する様を、憧憬の目で眺めたものだ。


 だが、そんな思いは全て間違いだったのだと知った。




 ――あの日のことは忘れない。




 卒業を間近に控えたある日。突如学園の寮が謎の武装集団に襲撃、占拠されたのだ。


 幸い時刻は授業中だった為、寮に生徒は残っていなかったのだが、各々が国元から連れてきていた従者達が人質になった。その中にはポータが連れて来ていたメイドも含まれていた。

 王都の騎士団の対応は素早く、即座に寮を取り囲んだのだが、人質がいるので強行に突入することは出来ない。王国最強と謳われる王家直属の騎士団は、この集団が陽動である可能性を考慮して城の守りに回っている。


 無闇な屋内への突入は人質のみならず騎士団員をも危険に晒すことになる、と話し合う隊長格の男達を見ながら、ポータは苛立ちを募らせていた。


(何を悠長なことを言っているのだ、今こうしている間にも私の従者は、彼女は危険に晒されているのだぞ!)


 ポータを含む血気盛んな学生や一部の教師達が協力を申し出たが、騎士団の態度は変わらなかった。


 延々と続くかと思われた話し合い、そして賊との交渉。しかしそれは城から派遣された一人の男の言葉によって終わりを告げた。


 賊は王都のとある研究機関から何か資料を盗み出している。もし賊の中に情報を外部に転送できるようなスキルを持った者がいた場合、時間をかけるのは愚行だ。可及的速やかに解決すべし。

 それが国の出した結論だった。


 直ちに人質の救出班と突撃班の編成を行う騎士団だったが、男はそれを遮りこう言った。貴殿たちはこのまま待機せよ、突入に関しては冒険者ギルドに協力を要請した、と。


 程なく現れたのは、たった二人だけのチームだった。

 既に成人しているポータが見上げるほどの大男。全身を黒いローブで包んでいるため、その表情も装備もうかがい知ることは出来ないが、途轍もない威圧感を放っている。そしてもう一人。

 赤い髪をした幼い少女だ。いや、幼いなんてものではない。五歳にも満たないように見受けられた。物心がついているかすら怪しい程だ。


 唖然とする周囲を他所に、その二人は騎士団に状況を聞くと、なんの躊躇いもなく寮に向かって歩き出した。

 その自信に溢れた後姿を見て、ポータは安心を覚えたものだ。


 ああ、これで全て解決するのだと。彼女も助かるのだと。




 ――あの日のことは忘れない。




 全壊した寮。残骸から賊の死体を漁り、その首をねじ切っては騎士団に向かって放り投げる男。そして何が可笑しいのか、残骸の上で血濡れの顔を拭おうともせず笑い続ける少女。

 どこかに火の気があったのか、かつて寮だった残骸が燃え始めている。


 彼らは、いや奴らは初めから人質を救出するつもりなどなかったのだ。ただ殺し、破壊するつもりだったのだ。


 目の前の惨状に誰もが声もなく立ち尽くす中、また一つ、男が残骸の中から死体を引き上げた。

 身体の至る所が不自然に折れ曲がっているが、間違いない。その姿はポータのよく知る人物のものだった。

 今朝も小言と共に起こされ、授業に送り出された。護衛役のグリューと苦笑いしながら手を降って応えたのを覚えている。

 幼い頃からずっと一緒だった。決して許されないのは分かっていたが、淡い恋心も抱いていた。


 男がその死体を興味なさげに後ろに放り投げた瞬間、ポータは意識を失った。


 後日、その二人組の冒険者は迅速な対応が評価され、莫大な金を貰ったのだと聞いた。人質の件については依頼を出した国からも、そして二人を派遣したギルドからも何のお咎めもなかったらしい。自分の従者を失った一部の学生が抗議したが、それも国が僅かばかりの見舞金を払うことで解決してしまった。


 そしてポータは悟った。

 冒険者は、奴らは決して英雄などではない。ただ己の力を奮い、金を得たいだけの畜生なのだと。奴らに民を守ろうと言う気は微塵もない。ただ己の欲望に忠実に動いているだけの獣なのだと。


 現実的に考えて、国境を超えて根を張る冒険者ギルドを排除することは不可能だ。だが私が治める領地では決してあんな真似はさせない。まずは民の目を覚まさせる必要がある。

 民の中にはかつての自分のように、冒険者に対して盲目的な信頼を寄せている者も多い。意識改革が必要だ。騎士団が冒険者より優秀だということを広く認知させなければならぬ。




 月日が流れ、父親が急逝し、ポータは異例の若さでありながら正式に当主となった。


 騎士団の訓練量を増やし、戦力の底上げを図った。しかし本当に優秀な人材は、ほとんどが冒険者か王都近くの騎士団に入ってしまっている。当然だ。より稼げる職場があるのなら、誰もがそこで働くだろう。

 だがそれでも諦めなかった。個々の実力が低いならば、集団戦にのみ特化させればよい。必要ならば、自らが前線に出ればよいのだ。


 それから更に月日は流れ、努力は実った。ポータ騎士団は領土内で確かな実力と信頼を得ることに成功したのだ。同時に自身の冒険者嫌いの噂も広まってしまったが、それが如何程のものだと言うのか。何も弁明する必要はない。事実、その通りなのだから。


 そんなある日、アルラドの町の周辺からドラゴンと思わしき大型の魔物の目撃談が舞い込んできた。それもどうやら幼体らしい。

 チャンスだと思った。ここでドラゴンを倒すことが出来れば、騎士団の地位は不動のものとなる。民は冒険者ギルドではなく、騎士団に頼るようになるだろう。そうすれば二度とあのような悪夢は起こらない。

 アルラドの騎士団を任せていた部下は古くからポータに仕え、志を同じくする男だった。彼もポータと同じことを考えたのだろう。そのドラゴンを討伐すべく血気盛んに飛び出していったらしい。


 しかし結果は全滅。結局ドラゴンを倒したのは通りすがりの冒険者だったらしい。

 民は騎士団の無能を笑い、冒険者の力を褒め称えた。命をかけ、己の信念に従った勇敢な騎士たちは、笑いものとなったのだ。


 最早何も分からなくなってしまった。私は民を守りたいのか。それともただ単に冒険者が憎いだけなのか。


 今となってはもう分からない。だがそれでも、一つだけ言えることがある。

 



 ――あの日のことは忘れない。




 あの日、あの光景が。今の、これまでの私の原動力となっているのだ。


 意識を失う直前に見たあの光景を。


 まるでゴミのように彼女を放り投げた男を。


 それを見てさらに笑うあの少女を。





   ◆




 スラフの目の前に、レッドベアに咥えられたポータがぶら下がっている。四肢は裂かれ、胴体にいくつもの裂傷を刻まれ、口からは血の泡を吹いている。


 ヒューヒュー、と空気の漏れるような呼吸音を立てているポータに向かって、スラフはどこまでもにこやかに笑いかけていた。


「いやあ、本当にお強いですね。まさかここまでとは」


 そう言って手を叩き、レッドベア達に目を向ける。三頭のレッドベアの身にはいくつもの切り傷が浮かび、うち一頭の片目は潰されていた。


「しかし残念ですが、ここまでです。不運にも強力な魔物に襲われたあなたは善戦虚しく敗れ、その身を貪り食われてしまう。後日探索部隊を派遣しますので、運よく棺の中に入れる部位くらいは残っていることを願っていますよ」


 そう言ってナッシュに向かって手を振ると、片目を潰されたレッドベアを指差す。

 それだけで察したナッシュは地面に落ちていたポータの剣を拾い上げ、そのレッドベアの潰れた目に剣をつき立てる。


 ナッシュが力を込めるとズブズブと刀身が頭部に埋まって行くが、レッドベアは叫ぶどころか一切の抵抗をしようともしない。やがてビクリと体を震わせると、そのまま倒れこんだ。


「あなたを倒せるほどの魔物が徘徊しているとなると面倒ですからね。相打ちということにしておきましょう。それとも倒すことには成功するも、その時の傷が激しく他の雑魚魔物に遅れを取った、の方がいいですかね。どう思います?」


 そう問いかけてくるスラフをありったけの憎悪をこめて睨みつけ、何かを口にするポータ。

 しかしその声は、ゴボゴボという血の泡を吹き出す音に紛れ、言葉にならなかった。


「憎いですか? 私が、冒険者が。その思いは胸に秘めておくべきでした。あなたは喧嘩を売る相手を間違えたのですよ」


 ズイ、と顔をポータに近づけスラフは笑う。その笑みは穏やかとは程遠く、相手を見下し、嘲るような、残虐な笑みだった。


「この世界で敵に回すと最も恐ろしいものは何だと思いますか? 国? 違いますね。一国家を敵に回してしまっても、他の国に逃げ込めばいいだけのことです。では宗教? 違います。この国で一番の勢力を誇る三聖教であっても、所詮数ある宗教のうちの一つに過ぎません。大陸中の国々に広がり、その地の隅々にまで根付く。そして主に暴力を生業とする我々冒険者ギルドこそが、最も恐ろしい存在だと言うことを知っておくべきでした。たかが地方の一領主が、調子に乗りましたね」


 ポータの瞳から光が失われていく。やがてその呼吸音が聞こえなくなると、レッドベアはその体を無造作に放り投げた。


「さて行きましょうか、ナッシュ。結界はもう解いてもいいですよ。我々も魔人を追いましょう。万が一ユーヤさんが敗れ、《ファミリー》の皆さんが追いつけなかった場合、我々が奴を倒さねばなりません」


「分かりました」


 スラフが残った二頭のレッドベアに《方舟》をかざすと、その巨体がまるで吸い込まれるように消えてなくなる。その様子を確認して、ナッシュは結界を解いた。


「ですがまずは、ドラゴンスレイヤーのお手並み拝見と行きましょうか」

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