表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
41/92

第17話 理由 5

 避ける。斬る。受ける。斬る。流す。斬る。

 斬る、斬る、斬る――。


 一体何度繰り返しただろう。


 晃奈の攻撃はレッドベアに通じず、レッドベアの攻撃は晃奈に直撃しない。まるで千日手のような膠着状態。


 苛立ちの頂点に達しかけているレッドベアに対し、晃奈の内心には焦りが生まれていた。

 裕也の安否とは別の理由による焦り。自分が目の前の敵に負けるかもしれないという焦り。


 この状態がいつまでも続くとは思えない。いずれはどちらかの体力が尽き、決着がつく。そして先に体力が尽きるのは、間違いなく自分の方だ。

 この世界に来て、体力も飛躍的に上がった。冒険者になってからも、成長は止まっていない。それでも目の前の魔物よりも上だと言い切れるほど、晃奈は楽観的ではなかった。


(このままじゃまずい)


 苛立ちの募ったレッドベアの攻撃は、益々苛烈さを増している。その一つ一つを紙一重で避ける度に神経はすり減り、体力が奪われていく。


(目なら攻撃も通せそうなんだけど、流石にそこは守ってくるのよね……)


 何か打開策はないか。


 一旦攻撃の手を緩め、回避に専念しながら晃奈が考えを巡らせていると、どこからともなく飛来したナイフがレッドベアの頭部に当たり、地面に落ちた。


『ゴア?』


 痛みはなくとも自分が攻撃されたということには気付く。レッドベアがナイフの飛んできた方向に首を巡らせると、その反対側から飛び出してきた進士が後頭部を斬りつける。


『ゴアァ?』


「うわ、固い!?」


 攻撃が通らないと気づき、慌てて闇の中に消える進士。レッドベアが振り向いた時にはもうその姿はどこにも見えない。

 不可視の標的の存在にレッドベアが困惑していると、今度はその頭上から銀色に輝く戦士が降ってきた。


「晃奈、下がれ!」


「っ、お爺ちゃん!」


 突然の事態に思わず呆気に取られていたが、背後から聞こえてきた斎蔵の言葉に従い、晃奈は即座に距離を取る。


 正直言ってかなり助かった。今は少しでも体を安めたい。


「はい、【ヒール】。まだどこか痛むところはある?」


 視線はレッドベアから離さず、斎蔵の隣にしゃがみ込んだ晃奈の肩に手が置かれる。思わず振り返ると、そこには白いローブを所々赤に染めた加奈子が立っていた。

 置かれた手から青色の光が生まれ、優しく全身を包む。光が収まると、体中にいくつもあった小さな傷が全て完治していた。


「大丈夫。ありがとう、母さん」


「残りはあやつだけじゃ。早う倒して、裕也を追うぞ。ポータも向かっておる。急がねばならん」


 斎蔵の視線の先で銀色の戦士が無数の突きを繰り出している。しかしどれも有効打には至っていないようだ。それでもと果敢に攻め立てていたが、逆にレッドベアの大振りの一撃を受けて、近くの木に叩きつけられてしまった。


「むぅ、やはりまだ慣れぬのう……」


 どうやらあれは斎蔵の新しいスキルらしい。便利そうだが本人が言うようにまだ使い慣れていないらしく、どこか動きがぎこちなかった。その上術者の斎蔵の顔色も悪く、肩も上下している。


 緩慢な動きで立ち上がろうとする銀色の騎士に、とどめを刺すべく近づいていくレッドベア。しかし再びどこからともなく放たれたナイフが、その頭部を執拗に狙う。


「……父さん」


 晃奈の目ですらようやく追いつける程の速度。周囲の暗闇と木々を利用しながら、レッドベアの周囲を進士が縦横無尽に跳び跳ねている。


「……皆、強くなってるんだね」


「先のドラゴン戦では、役に立たんかったんでの。……そろそろ片付けるぞい」


 進士を遠ざけるべく闇雲に手を振り回していたレッドベアが、ついに銀色の戦士に右手を振り下ろす。

 槍を砕かれ頭部から腹部までを一気に切り裂かれた戦士は、その場に崩れ落ちると同時に煙となってあっさり消えてしまった。


『ゴアアアアアアッ!』


 漸く一体仕留めた、と言わんばかりの歓喜の咆哮が響き渡る。


 天に向かって吠え立てるレッドベアに向かって斎蔵が槍を構え直し、加奈子がゴキリと腕を鳴らす。進士もレッドベアを挟んで二人とは反対側に姿を現し、腰から短刀を抜き放った。


(――勝てる)


 Bランクの魔物。ついさっきまで苦戦していた相手。

 それでも全員でかかれば、何てことはないような気がした。


『グルルルル……』


 レッドベアも何かを感じ取ったのか、じりじりと包囲網を詰める三人に警戒するような唸り声を上げる。しかし。


「……待って」


 その声に、ピタリと全員が動きを止めた。


「どうしたんじゃ、晃奈?」


 何故止める、と今にもレッドベアに斬りかかりそうな体勢の斎蔵が疑問の声をあげる。


 晃奈だけではない。斎蔵と加奈子、そして進士もが全員でかかれば勝てると感じ取っていた。

 あまり時間がかけられないということも理解している。だからこそ、晃奈がここで皆を止める理由が分からない。


「ごめん。あいつは私一人に任せて皆は先に行って」


「何を言ってるの、アキちゃん!?」


 突拍子もないことを言い出した晃奈に、加奈子が思わず驚きの声を上げる。


 その声に注意を引かれたのだろう。周囲を睨めつけていたレッドベアが、加奈子に向かって駆け出してきた。

 咄嗟に腰を落とし、両腕を上下に突き出す構えを取る加奈子。その前に斎蔵が立ちふさがり、更にその前に晃奈が飛び出した。


『ゴアアアアッ!』


 突き出された右手を剣の腹で受け止め、力任せに押し戻す。驚きのような表情を浮かべたレッドベアの顔を、晃奈は力任せに殴り飛ばした。

 かつてコットンを十メートル以上吹き飛ばした一撃。さしものレッドベアもその衝撃に思わず首を仰け反らせ、背中から地面に倒れこむ。


「お願い。裕也を追って」


 加奈子の【ヒール】のスキルは、傷は癒せても失われた体力を元に戻せはしない。肩で息をしながら、晃奈は全員を睨めつけるように見渡した。


「あのね、アキちゃん」


「待つのじゃ」


 承服できるはずがない。そう言い寄ろうとした加奈子の肩を掴み、斎蔵が首を振る。


「晃奈、どうしてもか?」


 コクリと、その言葉に無言で頷く晃奈を見て、斎蔵は声を張り上げた。


「進士! すぐに裕也を追え! わしらは後で追いかける。見つけたらこれを使え!」


 斎蔵が以前コットンを探す際にギルドから支給された、光を放つ魔道具を懐から取り出し宙に放る。


「分かりました!」


 返事と同時に跳び上がった進士が宙で魔道具を受け取り、そのまま姿を消した。直後に背後の森でガサガサと木々をかき分ける音が聞こえたが、それもすぐに聞こえなくなる。恐らく隠密性を捨て、全力で裕也を追っているのだろう。


「流石に晃奈一人は残していけん。そして時間もかけられん。危険だと感じたり、時間がかかるようなら割ってでも入るからの」


「ありがとう。でも大丈夫。すぐに終わる」


 まだ何か言いたげな加奈子を手で制しながら妥協案を示す斎蔵に、感謝と共に頭を下げる。


『ゴアァ……』


 全力のパンチも殆ど効いてはいないようだ。頭を振りながら起き上がったレッドベアが、晃奈を鋭く睨みつける。その目に宿るのは憤怒。今までよりも、より激しい憎悪の色だった。


「【火炎剣】」


 頭を上げ、レッドベアと相対する晃奈の剣。その刀身を炎が覆い、火の粉が舞い散る。

 使用者の武器に炎の属性を与えると同時にその強度、威力を増幅させるスキル。


(……でも)


 これでは駄目だ。全然足りない。この熊には通用しない。


(お爺ちゃん達はドラゴンの時のことを、多分あたしと裕也だけを戦わせたことを後悔してる。きっと隠れて特訓でもしてたんだ。だからあそこまで強くなってた)


 けれども、と晃奈は思う。それは自分も同じだと。


 あの日、あの瞬間。裕也がドラゴンのブレスに包まれた瞬間、世界が終わったような錯覚を起こした。無事だと分かったときは、安堵で全身の力が抜けた。そして直後に裕也が倒れた瞬間、今度は激しい後悔に襲われた。


(あたしがもっと強ければ、裕也は危ない目に合わないですんだ。あたしがもっと強ければ、裕也は倒れずにすんだ。あたしが、もっと強ければ!)


 冒険者になるとき、自分は何と言っただろう。この力で家族を守る? 裕也一人守れないこんな力で?


 脳裏がチリチリと焼け付く。腹の底で言いようのない黒い感情が渦巻いている。

 これは怒りだ。余りにも不甲斐ない自分自身に対する怒りだ。


 目の前で仁王立ちする赤い熊。その姿に、かつて手も足も出なかった赤いドラゴンの姿が被って見える。


 あの時から何も変わっていない。今もまたこうして、たかが魔物一匹すら満足に倒せず、裕也に危険が迫っているのに傍にいてやることも出来ない。


『ガアアアアァッ』


(邪魔だ。目の前で吼えているこいつが邪魔だ。こいつを倒して、裕也に追いつかないといけない)


 裕也の所へはすでに進士が向かっている。間に合いさえすれば、もう大丈夫だろう。しかし晃奈は単独でレッドベアを倒し、裕也のもとへと向かわなければならなかった。


 自分さえいれば大丈夫だと。たとえこの先何が現れようと自分が守ってやると、裕也に、そして自分自身に証明しなければならなかった。


(もっと、もっと力がいる!)


 周囲に火の粉を撒き散らしていた炎の勢いが弱まり、やがて消える。


 魔力切れ、もしくはスキルの効果時間が終わったのだと、誰もが思った。

 レッドベアがこれで鬱陶しい炎が消えたとばかりに、口を歪に釣り上げながら晃奈に襲いかかる。


 しかし持ち手である晃奈だけは理解していた。炎は消えたわけではない。刀身の内側に吸われ、より威力を高めた、より上位のスキルへ進化したのだと。


「【炎熱剣ヒートソード】」


 ――瞬間、刀身が灼熱色に染まる。膨大な熱が周囲に吹き荒れ、景色を歪ませる。


 その刃は振り降ろされたレッドベアの右手にあっさりと食い込み、何の抵抗も感じられないほど簡単に宙に斬り飛ばす。あまりの熱量に切り口は一瞬で完全に焼きつき、出血すらない。


 目を見開く斎蔵と加奈子。斬られたレッドベアも何が起きたのか分からず、腕を振りぬいた姿勢で一瞬動きを止めた。そしてその隙を見逃さず、返す刀で首を斬り落とす晃奈。

 先ほどまで苦戦していたとは到底思えないほど、あっけなく決着はついた。


 ドオッ、と頭部を失ったレッドベアが倒れ伏すと同時に、そのあまりの威力に耐えられなかった剣の方も刀身からボロボロと砕け散る。


 それを一瞥し、晃奈は最早使い物にならなくなった鉄屑を放り捨てると、斎蔵達の方を振り返った。


「終わったわ。裕也を追いかけましょ」




   ◆




 一面の闇。

 広場から離れ、魔光草の明かりも届かなくなった森の奥。


 木々の間から漏れ落ちる星明かりと兜に埋め込まれた魔道具から発せられる光だけを頼りに、ポータは走り続けていた。


(妙だな)


 グリューに促され魔人と裕也を追って森に入ってから、かなりの時間が経っている。

 自分の足ならすぐに追いつくと楽観視していたが、未だに二人の姿は影すら見えない。

 掻き分けられた茂み、踏み潰された草花。ただ彼らが通った時に出来たであろう痕跡のみが目の前に続いている。


(奴らが思っていたより速かったということか……)


 唾棄すべき相手として、心の何処かで見下していたのかもしれない。仮にも相手は魔人、そしてBランク冒険者だ。

 戒めと共に気を引き締め直す。


 《ファミリー》の他の連中と乱入してきた魔物は、グリューと騎士団が始末してくれるだろう。今自分が為すべきことは、何としてでも今夜中に魔人と長男を仕留めることだ。


 最早賽は投げられた。誰一人として生かして帰さず、証拠も残してはならない。これは悲願の為の第一歩なのだ。

 そう思いながら益々速度を上げるポータだったが、視線の先に不可解なものを見つけ、思わずその足を止めてしまった。


「何だと?」


 兜の明かりに照らし出された地面の上。魔人と裕也、先程まで追いかけていた二人分の足跡に混じり、三人目の足跡が残されている。

 古いものではない。それに踏み潰された草や土の状態から見て、他の二人のものとほぼ同時刻につけられたものだ。


(私の他にも誰かが奴らを追っているのか? いや、それならばすぐに気付くはず。……いや、待て。この足跡、どこかで見覚えがあるような……)


 そこまで考えたところで、ポータは驚愕の面持ちで背後を振り返った。

 暗闇の奥から三人分の足跡が続いている。魔人と裕也、そしてポータ自身の足跡が。


 ゆっくり片足を上げ、たった今出来た真新しい足跡と、前方に突如現れた第三者の足跡を見比べてみる。


 同じだ。あれは間違いなく、自分の足跡だ。つまり――。


「っ!」


 反射的に剣を抜き、周囲を警戒する。


 ありえないことだ。いくら夜の森とはいえ、道に迷うなどという程愚かではない。

 考えられる要因はただ一つ。自分は今、何らのスキルに捕らわれている。


(追跡を撒こうとした魔人の仕業か? いや、それならば長男の奴も近くにいなければおかしい。では長男が? それは更にありえん。むしろ奴は援護を期待する身のはずだ。まさかとは思うが、レッドベアのように普段この辺りにいないはずの魔物が他にもいるのか?)


 知らぬうちに自分に何らかのスキルをかけられるような魔物。そんな存在が近くにいるかもしれないという可能性に思い至り、ポータの警戒心が最大限に引き上げられる。


 と、その時、限界にまで研ぎ澄まされたポータの聴覚に、ガサガサと何かが茂みを掻き分けながら近づいてくる音が聞こえた。


「うわ、服が枝に! ん、あれ……? ああ、やっと追いつきました。ポータ様、足速いですね」


 出てきた瞬間に斬る。そう構えていたポータだったが、予想外の人物の登場に思わず動きを止める。


「ああ! こんなところにまで葉っぱが。やっぱり夜の森は歩きにくいですね」


 その人物は目を見開くポータの前で、服に付いていた葉っぱを丁寧に払う。


 ここは魔光草の群生する夜の森の奥深く。にも関わらず、まるでちょっと街角を散歩していたかのような気軽な雰囲気だ。


「馬鹿な……どういうことだ……?」


 何故ここにいる? どうやってここまで来た? 


 様々な疑問がポータの頭の中を渦巻くが、相手はその質問に答える気がないのか、くるりと首を後ろに向けると暗闇の中に向かって声を放つ。


「ふう、これで全部取れたかな? ナッシュ、ご苦労様です。引き続き結界のほうをお願いします」


 いつからそこに立っていたのか。冒険者ギルド、アルラド支部の職員ナッシュが主の言葉に首肯する。


「支部長……、スラフ……!」


「はい。冒険者ギルドアルラド支部、支部長のスラフです」


 信じられないようなものを見る目で声を出すポータに向かって、スラフはゆっくりと頭を下げた。


 慇懃無礼。今のスラフの態度には、正にこの言葉こそが相応しい。

 その役職上、ポータはこれまでにも公式非公式を問わず、何度かスラフと顔を合わせたことがある。だがこれ程までに丁寧かつ礼節に則った礼をされたことはなかった。


「いやあ、困りますよポータ様。先日の一件だけならまだ大目に見れました。でも今回のはいただけない。ええ、冒険者ギルドに対する明確な敵対行為です。ああそうそう、勿論一部始終見ていたので、言い逃れは出来ませんよ?」


 穏やかに告げるスラフの表情は笑顔。まるでこの状況が楽しくて仕方がない、とでも言わんばかりの満面の笑みだ。


 対するポータも強張った表情が徐々に笑みへと変わっていく。

 予想外の人物の登場に少々面食らったが、何も問題はない。いや、むしろ僥倖と言えるだろう。ただ魔物に襲われた哀れな犠牲者が二人増えるだけ。それもギルドの要職に就く人物がだ。


 自分も騎士団は彼らには出会わなかった。何故彼らがこんな所にいたのかは不明だが、痛ましいことだ。そう説明するだけでいい。

 唯一面倒なのは、他にも森に入っているギルド関係者がいるかもしれないということだ。二人を殺してしまう前に、それも聞き出さなければならない。


「それで? どうするつもりだったのかは知らんが、私の前に現れたのは愚かな行為だったな支部長。これでアルラドの冒険者ギルドは暫くの間、機能停止に陥ることになるだろう」


 剣を上段に構える。この距離なら一足でスラフの懐に飛び込み、脳天を叩き割れる。

 ポータにはそれだけの技量と自信があった。


 ようやく自分の置かれている状況を理解した様子のスラフが懐に手を入れるが、もう遅い。何を取り出そうが、次の瞬間には真っ二つだ。背後に控えるナッシュも動こうとしていない。


(死ね、冒険者ギルドめ!)


 ポータは心の中で叫びながら、口元を狂喜に歪め――。




『グルォォォォォっ!』




 突如現れた赤い影に吹き飛ばされた。


「ガハッ! か、はっ! ……ゴホッ!」


 後ろにあった大木に叩きつけられ、無様に地面に転がり落ちる。肺の中の空気が全て吐き出され、呼吸がままならない。


 一体何が起こったのか分からないが、このまま寝転がっているのは自殺行為だ。


 全身の痛みを無視して、木で体を支えながら何とか立ち上がる。

 そして震える体を叱咤しながら顔を上げたポータの目の前には、信じられない光景が広がっていた。


「え? は……え?」


 普段の彼ならば絶対に口にすることはない、間の抜けた声が漏れる。


 目の前には懐から手を抜いたスラフが立っている。

 それはいい。信じられないのは、その傍らに寄り添う赤い巨体。その顎をスラフに撫でられ、『グルルル』と気持ちよさそうな声を上げているレッドベアの存在だった。


「どういうことなのだ? 何なのだそれは? 何処から現れた!?」


 ポータは落とした剣を拾うことも忘れ、震える指でレッドベアを指す。


 この辺りには生息していないはずのBランクの魔物。加えてポータがスラフに斬りかかる直前まで、間違いなく周囲にはナッシュの他に誰もいなかったはずだ。

 体長三メートルにも及ぼうかという巨体だ。いくら夜の森とはいえ、隠そうと思って隠しきれるものではない。


「ああ、この子ですか。実はこれを使って運んできたのですよ」


 レッドベアを撫でているのとは反対の手をポータに向かって突き出すスラフ。その手のひらの上には不思議な光沢を放つ、五センチ四方程度の直方体が握られていた。


「これを見るのは初めてでしょう? 《方舟》と呼ばれている【アーティファクト】です」


「【アーティファクト】、……だと?」


 ポータが引きつったような声を上げる。


 噂には聞いたことがある。だが、決して短くはない人生を送ってきた彼も、『それ』を見るのは初めてだった。


「【アーティファクト】。人の手では決して作り出せぬ、神々によって生み出されたと言われる魔道具。この《方舟》はそのうちの一つです」


 スラフの言葉が終わるのと同時に、その直方体から勢い良く何かが飛び出す。赤い光のように見えたそれはスラフの側に降り立つと、二頭のレッドベアへと姿を変えた。


「いくつか制限はありますが、複数の生き物を中に閉じ込め、好きなときに取り出せるという能力を持っています。本当は全部で四頭連れてきていたのですが、先に出した一頭だけ制御しきれなくなってしまいましてね。いやはや、魔光草のことを侮っていました。お陰で《ファミリー》の皆さんにも迷惑をかけてしまったようです」


 困ったように頭をかくスラフに向かって、三頭のレッドベアがまるで飼い主に餌を催促するペットのように鼻を鳴らし始める。


「しかし誰が名付けたのか分かりませんが、何故《方舟》なんて名前なんでしょうね? どう見ても船には見えませんし。ポータ様はどう思います?」


「そんなことはどうでもいい! 何故……何故そいつらは貴様に付き従っておるのだ!?」


 人に懐き、付き従う魔物。

 決してありえないはずの光景に、ポータは恐慌をきたし始めていた。スラフはその様子を見てふむ、と顎に手を当てると《方舟》を懐に仕舞いこむ。


「実は私はね、そこまで頭も要領もよくないのです。単純な書類仕事一つ取ってもそこのナッシュどころか、平のギルド職員にすら劣るかもしれない」


 スラフが片手を挙げると三頭のレッドベアがポータを見据え、統制された動きで横一列に並ぶ。


「そんな私が支部長などという要職に就け、しかもこの【アーティファクト】を貸与されている理由ですが、私自身の戦闘力と職業によるところが大きいでしょう」


 巻き添えをくらわぬよう、ナッシュが距離を取る。


「レネゲスさんのような熱心な三聖教徒に知られたら不味いので普段は極力秘密にしているのですが、今回だけ特別にお教えします」


 まだか、まだか、とレッドベア達が興奮したように唸り声をあげる。それを片手を上げて制しながら、スラフはどこか自慢気な口調で続けた。


「私の職業はレアジョブでして。【魔物使い】っていうんです」


 その腕が振り下ろされるのと同時に、三頭のレッドベアがポータに向かって殺到する。


「ああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?」


 絶望と恐怖の声を上げながら、ポータは必死で予備の剣を振りかぶった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ