第16話 理由 4
「ぎゃあああっ」
剣を砕かれ、頭を打ちぬかれた騎士の一人が吹き飛ばされる。
「囲めっ、二人以上で同時にかかるんだ!」
兜を大きく凹ませ、力なく横たわった同僚の生死を確認している余裕は、彼らにはなかった。
使い物にならなくなった弓を投げ捨て、剣を構えた騎士たちが必死に動きまわる。その間を優雅とさえ言える動作で、加奈子は舞い踊っていた。
ゆったりとしたローブがふわりと舞い、二本のメイスが稲妻のような速度で振るわれる。そしてその度に新たな悲鳴があがり、誰かが地面に叩きつけられた。
「おのれっ!」
加奈子の正面に立っていた騎士が叫びながら斬りかかるのと同時に、背後からも別の騎士が襲いかかる。
背後から襲いかかった騎士は、加奈子が正面の相手に対応すべくメイスを振り上げたのを見て内心ほくそ笑んだが、突如首を仰け反らせると顔を抑えその場にうずくまった。
「あああっ!? 目が、俺の目がっ!」
顔を防護するための面頬。視界を確保するためのスリットから黒いナイフが生えている。
抜くべきか、抜いていいものなのか。
顔を抑えた騎士が混乱しながら泣き喚いていると、正面の騎士を打ち倒した加奈子が振り返り、その頭部に向かってメイスを振り下ろした。
「父親のほうを先にどうにかしろ! このままだと全滅するぞ!」
「くそっ。くらえ、【ファイ――」
混乱する状況の中、今度は魔法を放とうとしていた騎士の喉が掻き切られる。
その騎士はスキルを発動させることも叶わず、両手を加奈子の方に向けたまま崩れ落ちた。
「どうにかって、どうしろって言うんだ! 何で姿が見えないんだ!」
ついに恐慌をきたし始めた騎士の一人が、悲鳴混じりの声で叫んだ。
全身黒色で統一された装備に、刀身まで黒で構成された武器の数々。
確かに夜の森の中でその姿を追うのは困難だろうが、ここには魔光草の明かりもある。何より定期的に夜間訓練も行っていた彼ら全員の目ですら捉えられぬなど、考えられないことであった。
「【ブラインド】。ついこの前覚えたスキルです。見えないわけじゃありません。見えにくくなっているだけですよ」
恐怖のあまり一歩後ずさった騎士が最後に聞いたのは、そんな言葉だった。
幾度と無く繰り出される鋭い爪。その一つ一つが空気を裂き、風を巻き起こす。
一撃でもくらえば即戦闘不能になるであろう攻撃の全てを受け、流し、あるいは避けながら、晃奈はレッドベアに攻撃を叩き込み続けていた。
(パターンは読めてきたけど、硬い!)
レッドベア。
赤く燃えるような体毛と全長三メートルに届こうという巨躯。そしてそれに見合わぬ俊敏さを兼ね備えた熊型の魔物だ。特別に変わった攻撃方法を有しているわけではない。ただその体から繰り出される純粋な破壊力だけで、Bランクと分類されている種である。
炎を纏った刀身で赤い毛皮を何度も叩き、隙を見ては【ファイアアロー】を撃ち込む。アルラド周辺に生息しているレベルの魔物ならとうに絶命している威力にも関わらず、目の前のレッドベアにはほとんど効果がないようだった。
(早くしないと裕也が……!)
案の定と言うべきか、背後で起こっているいざこざはどうやら騎士団の裏切りによるものらしい。
別にそれ自体は問題ない。こちらに乱入して来れば迷わず斬り捨てる気だし、遠距離攻撃を仕掛けようとしてくる相手は家族の誰かが対処してくれるだろう。
問題は、騎士たちを相手にしているせいで、誰も裕也の援護に向かえそうにないということだ。
『ゴアアアァッ』
突き出された爪が頬を掠り、宙に血の筋が走る。それを気にも留めず懐に飛び込み、脇腹を抉る。しかし何度やっても結果は同じだ。
【火炎剣】。炎を纏って燃え盛る刀身は、分厚く強靭な筋肉に阻まれ表皮を斬りつけるだけ。ダメージを与えるには程遠い。
追撃を警戒して即座に腹部を蹴りつけ、その反動で後ろに跳び下がる。しかし予想に反してレッドベアはその場を動こうともせず、まるでこちらを挑発するかのように、斬りつけられた部分をポリポリと掻いていた。
(せめてこの剣が、あの時の剣だったら……)
思い出すのはドラゴンとの戦闘時にリタから借りた短剣。パラライズマンティスという名の魔物の鎌から作られたというその一品は、強度こそ晃奈の全力には耐えられそうになかったが、まさしく名刀というに相応しい一振りだった。
今使っている剣が粗悪品というわけではない。ギルドが品質を保証すると言うだけあって、これまで使ってきた剣とは雲泥の出来だ。
それでももしあの剣ならば……もっと強く、もっと早く振るうことが出来る。
(ないものねだりしてる場合じゃないわ)
頭に浮かんだ弱気な考えを、首を振って追い払う。
今はこの条件で、目の前の魔物を倒すしかないのだ。
「【ファイアアロー】」
晃奈の周囲に無数の炎の矢が生まれる。
赤色の矢の群れは溢れ出る熱で周囲の景色を揺らめかせながら、レッドベアへと殺到した。
『ゴアアァッ!?』
着弾と同時にレッドベアの周囲に小規模な爆発が起こる。その煙に紛れるように懐に飛び込むと、晃奈は思い切り剣を振り被った。
「いい加減に、死ねぇぇ!」
銀閃が無数に交差し、激しく火花を散らす。
斎蔵とグリュー。二人の手から繰り出される技の数々は、最早常人では目ですら追い切れない程の速度となり、周囲に金属音を響かせ続けていた。
「どうしたジジイ。息が上がってきているぞ?」
繰り返される剣戟の中、口元をつり上げたグリューが軽口を叩く。
一見互角のように見える戦いだが、グリューの言う通り斎蔵の呼吸は荒く、動きにも乱れが生じてきていた。よく見ればグリューは全くの無傷なのに対し、斎蔵の体には小さな傷がいくつも刻まれている。
「ジジイじゃから、ちと体力がのう……。それより貴様こそ、そのジジイ相手に随分と手こずっておるようじゃないか。のう、若造?」
お返しとばかりに皮肉げに笑い軽口を返す斎蔵だったが、その間にもまた一筋、腕に浅い切り傷が生まれていた。
「ふん、もうすぐ終わるさ。どうやら貴様の使えるスキルは武技系ばかりのようだ。なるほど、確かにそれだけでこのグリューを相手にここまでやるというのは賞賛に値する。だがしかし、それだけでは同程度の技量を持ち、単純にステータスの勝る相手には勝てん!」
【フィジカルアップ】によって増幅された筋力で、今まで以上に強く剣を横になぎ払う。それを槍の柄で受け止めた斎蔵はたたらを踏んで後ずさると、槍の石突を地面に突き立て、杖代わりにするようにして俯いてしまった。
「もう体力の限界か? ……それにしても、不甲斐ない部下達だ。帰ったら訓練の量を倍にするよう、ポータ様に進言しなくてはならんようだな」
距離が離れたことで一度斎蔵から視線を外し、周囲の様子を確認するグリュー。
予定通りならとうに片付いているはずの夫婦は未だに健在、どころか逆に騎士たちの方が次々と倒されていっているようだ。
思わず溜息を吐くと、グリューは斎蔵の方に向き直った。
「さて、そろそろ本当に終わりにしよう。今頃はポータ様が貴様ら《ファミリー》の長男を始末されているはずだ。なに、安心しろ。残りの家族もすぐに送り届けてやる」
くるくると二刀を手の内で回しながら、ゆっくりと近づいていく。
もう少し近づいたら首を刎ねる。それで終わらせるつもりだった。
「儂はな、いや儂等はな、あのドラゴン戦の時のことをずっと悔いておったんじゃ」
「……何の話だ?」
唐突に話を始めた斎蔵に向かい、疑問の声をあげるグリュー。だがそれを無視して斎蔵は淡々と話を続ける。
「奇々怪々な世界に放り出され、危険な職業に就いた。それでもいざとなれば守ってやる、そんな心積もりじゃった。じゃがあの時儂等は孫を、まだ成人にも満たぬ子供を戦わせ、ただ後ろで指を咥えて見ているだけじゃった。情けなくて、情けなくてのう」
槍を地面から引き抜き、顔を上げる。その表情を見て、グリューは思わず足を止めた。
体力も底をつき、息も絶え絶えな老人のする表情ではない。グリューは今までに何度か同じような表情をした人間を見たことがある。
強い意志と覚悟を宿した顔。その鋭い目はグリューを見据え、ギラギラと輝いていた。
思わず気圧されたグリューの前で、斎蔵の体から銀色の薄い煙のようなものが立ち昇っていく。
「二度とあの子達だけを危険に向かわせるような真似はすまい。そう誓い、鍛錬を積んだ。それこそ寝る間も惜しんでの。なのに今、また同じ過ちを犯そうとしておる」
魔人を追いかけていった裕也、そしてたった一人でレッドベアと戦い続けている晃奈。
何も変わっていない。このままではあの時と同じだ。そんなことは許せない。否、許してはならない。
「まだ使い慣れておらん技なんでの。体に負担をかけぬよう温存しておったが、やめじゃ。ここでお主を殺し、周りの木っ端共も片付ける。なに、安心せい。すぐに裕也を追ったポータも仕留めてやるぞい」
立ち昇った煙は斎蔵の体を離れると徐々に実体を伴い、ボトリと地面に落ちた。ウネウネと蠢くそれはまるで銀色のスライムのようにも、水銀の塊のようにも見える。
やがてそれはビクリと震えると徐々に形を為していく。隣でグリューを睨みつけている斎蔵と、寸分違わぬ形を。
「……何だ。それは」
長年騎士団の一員として活動していたが、今まで一度も見たことのないスキルにグリューが搾り出すような声を上げる。
「【ドッペルゲンガー】というみたいじゃ。なんじゃ、見るのは初めてか?」
斎蔵と銀色の剣士は隣合って並ぶと、まるで鏡合わせのように槍を構えた。
それを見たグリューも改めて二刀を構え直す。しかしその表情に先程までの余裕はなく、額には汗が浮かんでいた。
「時間が惜しい、ゆくぞ。【四連】」
言葉と同時に高速の突きが繰り出される。それをグリューは必死の形相で迎撃した。
「うおおおおおおぉっ!?」
【四連】。まるで同時に繰り出されたかのように見える高速の四連撃。これまでならグリューにとって難なく捌けていたスキルだった。
しかし今回は違う。斎蔵と銀色の剣士、二人が繰り出す突きの数は合計して八。しかもお互いがお互いの攻撃の隙を埋めるかのように、緻密な連携を組んでいる。
「がっ、はっ」
グリューが肉体強化スキルを総動員し、限界まで高めた反応速度で迎撃できたのはその内の五発。残りの三発は胴体に大きな穴を開けていた。
「馬鹿なっ、こんなところでっ……!」
血を吐き、剣を取り落とし、苦悶の表情で傷口を押さえながら後退するグリュー。だが撤退は許さぬとばかりに斎蔵が距離を詰める。
「終いじゃ」
「ポータ様ぁぁっ!」
叫ぶグリューの心臓を銀の戦士が貫き、首を斎蔵が刎ねた。
残り六人。立っている騎士はたったそれだけだった。
接近戦で加奈子に敵う騎士はおらず、スキルによる遠隔攻撃を行おうとした騎士は優先的に進士に排除されている。
――勝てない。
そう全員が絶望しかける中、一人の騎士が武器を捨てて加奈子に掴みかかった。
「うああああぁっ」
「あらあら?」
しかし相手が徒手空拳だからと言って、手加減をする加奈子ではない。進士も含め、この二人もまた、斎蔵と同じくドラゴン戦の時のことを後悔し、研鑽を積んでいたのだ。
素手だというのならむしろ好都合。すぐに沈めて次の敵に取り掛かれる。
加奈子が何の躊躇いもなく左手のメイスを振ると、その騎士はそれを待っていたとばかりにメイスのほうに飛び込んできた。
「え!?」
思わず驚きの声を上げる加奈子。
全て覚悟の上だったのだろう。自らの顔が潰されながらも、その騎士は食い込んだメイスを決して離すまいと掴み込む。
「っ!」
悪寒を感じ、咄嗟にメイスを離す。次の瞬間、騎士が潰れた顔で何かを呟くと、その手が光り、メイスが粉々に砕け散った。
砕けたメイスの破片を至近距離で浴びたその騎士は、手と胸をズタズタに切り裂かれながら仰向けに倒れこむ。しかし、その口元には満足げな笑みが浮かんでいた。
「敵ながら天晴れ、とでも言うべきなのかしら」
「やったぞ、あと一本だ! これならいける!」
加奈子がそう呟くのと同時に、仲間の行動に勇気付けられた残りの騎士が、加奈子に向かって遮二無二殺到する。
即座に黒いナイフが飛び、うち二人が倒れたが、残り三人が加奈子に飛び掛った。
「死ねええぇっ!」
「加奈子さんっ」
騎士達と進士の叫び声が響く中、加奈子は穏やかに微笑むと、残るもう一本のメイスを手放した。
――諦めたか?
自ら武器を放棄し、その場に立ち尽くす。
加奈子の様子を見た騎士達がそう思いながら剣を振り下ろし――次の瞬間、全員が地面に叩きつけられていた。
「ごめんなさいね」
振り下ろされた剣の軌道を変え、同士討ちを誘う。
仲間を斬り、斬られ、更には首の骨を折られた騎士達は一体自分の身に何が起こったのかも分からず、ただ地面の上に横たわり、ぶくぶくと血の泡を吐き出し続けている。
ゆっくりと意識が遠ざかっていく騎士たちに向かって、加奈子は変わらぬ微笑みのままに告げた。
「私、素手の方が強いんです」




