表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
39/92

第15話 理由 3

「っ、あああああああああぁぁぁっ!」


 怒りの咆哮をあげた裕也が走り出す。斎蔵が「待て!」と制止の声をかけたが、気にする素振りもない。


 そのままコットンに向かって躊躇なく剣を抜き放った後ろ姿を見て、それでいい、と晃奈は思った。


 晃奈は別にコットンにそれ程恨みがあるわけではない。確かに殺された人たちは可哀想だとは思うし、人並みの義憤も感じる。けれども、それだけと言えばそれだけだ。

 ただ、裕也を悲しませたことは許せない。晃奈にとってはそれが全てだった。


 裕也がそう望むのなら、代わりに晃奈が何の躊躇いもなくコットンを斬り殺しに向かっていただろう。

 けれども裕也は自らコットンに向かっていった。自分の手で決着をつけに行った。

 ならば晃奈はその意思を尊重する。


(誰にも、何にも邪魔はさせない)


 誰もがコットンとそれに向かう裕也に意識を向けている中、唯一人その周囲に注意を向ける。


 故に、その場にいる人間の中で『それ』に一番初めに気づいたのは晃奈だった。


 森の中を走る巨大な影。木々の間を縫いながら、裕也達の方に近づいてきている。


「――っ、裕也っ!」


 叫ぶと同時に走り出す。


(魔物? でもあんな大きな奴、見たことない)


 脳裏に浮かんだ疑問をすぐに振り払う。


 そんなことはどうでもいい。

 重要なのはそれが裕也に向かってきていること。そして裕也がそれに気が付いていないということだ。


「逃がすかよっ!」


 後方に向かって駈け出したコットンに向かって、裕也が更に加速する。

 謎の影はすぐそこにまで近づいている。


(裕也の馬鹿っ、まだ気がついてない!)


 今更声に出して注意しても間に合わない距離だ。そもそも今の裕也が周りの声に耳を傾けるとは思えない。


 森へと飛び込んだコットンを追い、裕也が広間の端へと到着する。


『ゴアアァァッ』


 直後、身の毛のよだつような咆哮を上げながら、影の主が裕也に向かって飛び出してきた。


「熊っ!?」


 そこでようやく気付いた裕也が驚きの声をあげる。


 裕也が叫んだ通り、見た目は熊だ。

 ただし、全身を覆う毛は鈍い赤色。僅かに見える地肌までもが赤く、凶暴そうな瞳だけが青く輝いている。そして何より、大きい。直立すれば三メートル近くある。


 その巨大な赤い熊は、右手を振り被った状態で広間に飛び込んできていた。

 目標は裕也。慌てて剣で防ごうとはしているが、全力で走っていることもあり体勢が崩れている。


「さ、せ、る、かあぁぁっ!」


 最後の数歩を全力で踏み込み、裕也と熊の間に強引に体をねじ込む晃奈。


 次の瞬間、振り下ろされた巨大な拳と晃奈の剣が交差した。


 火花が散り、衝撃音が響き渡る。


 一体どれほどの硬さだというのか。刃の部分で受けたにも関わらず、熊の拳は傷ついた様子がない。


「行きなさい、裕也っ! 絶対に逃がすんじゃないわよ!」


「っ、分かってる! ありがとう!」


 一歩引き下がり、体勢を立て直しながら叫ぶ晃奈に叫び返す裕也。


 予想外の乱入者のせいでコットンとの距離が開いてしまったが、まだ見失ってはいない。一旦剣を鞘に収めると再び全力で走り出す。


「おっと」


 後ろ姿を晒した裕也に視線を向ける熊の眼前を、まるで挑発するかのように晃奈が剣を振り払った。


『グルルルル……』


「初めて見る魔物ね。悪いけどあんたの相手はあたしよ。時間が勿体無いし、さくっと倒されときなさい」


 不機嫌そうな唸り声をあげた熊に、晃奈は余裕すら感じられる態度で対峙する。熊の方も晃奈を障害と認めたのか、低く唸りながらゆっくりと晃奈の方に向き直った。


 巨大な体を低くかがめ、前足を地面につける。四足歩行をする動物が、最も速く走り出せる姿勢。

 この巨体が相応のスピードを持って突進してくれば、その破壊力は計り知れないだろう。


(こいつ、かなり強い。……面倒くさいわね)


 一方口元に笑みを浮かべながら、晃奈は内心で舌打ちをした。


 眼前から放たれる圧倒的なプレッシャー。そして何よりも、先ほど打ち合った手応えから目の前の魔物が只者ではないことが分かる。


(ドラゴンほどじゃないけど、今までに見た魔物の中で断トツね。皆で一斉にかかっても時間がかかりそうだし、裕也の方はお爺ちゃん達に任せるしかないか)


 裕也が一人でコットンとの決着を望んでいたとしても、心配なものは心配だ。


 出来れば自分が見守りたいところだが、目の前の魔物を放置するわけにもいかない。優先すべきなのは個人的な感情ではなく、裕也の安全だ。


 晃奈は気持ちを切り替え表情を引き締めると、今にも飛び掛ってきそうな熊に向かって改めて剣を構え直した。





「レ、レッドベア? ……何でBランクの魔物がこんな所に!?」


 森から飛び出してきた赤い魔物の姿を見て、騎士の誰かが悲鳴のような声をあげた。その声には明らかに恐怖の色が浮かび、広間を包囲しようと動いていた騎士たちの動きが止まる。


 動揺する騎士たちに舌打ちをしながら、斎蔵自身も咄嗟の判断に迷っていた。

 裕也を追い元々の標的である魔人を先に仕留めるべきか、それともこの魔物を倒してから全員で魔人を追うべきか。


 初撃を防ぎ、魔物と対峙している晃奈は前者を望んでいるようだ。

 何かを言われたわけでもアイコンタクトを取ったわけでもない。だがその後ろ姿からは援護は不要、と言わんばかりの雰囲気が滲み出ている。


(どうする?)


 Bランクの魔物。晃奈と裕也ならば一対一で戦っても問題ないレベルだ。


 ランクとは強さの絶対的な指標であり、その値の違いは絶望的なまでの実力差を表す。

 しかし当然のことだが、同ランクであれば実力は拮抗しているのかと問われればそれも違う。例え同ランクといえども、その強さに差は存在するのだ。


(あれがもしBランクの中でも上位の強さならば、晃奈一人では荷が重いかもしれん)


 思い出すのは赤い竜の姿。バール曰く、幼体だった奴の強さもBランク相当らしい。

 確かに皆、あの時よりも強くなっている。それでもあれと一人で戦って勝てるかと問われれば、否と答えざるをえない。


 レッドベアがますます身を深く構え、四肢に力が込められていく。

 正面から迎え撃つつもりなのか、晃奈も軽く腰を落とす。


 やはり晃奈に加勢しよう――そう判断した斎蔵が晃奈に向かって走りだした瞬間、それまで事態を見守っていたポータの声が響いた。


「狼狽えるな! 作戦は変わらん。構え!」


 その一喝に歩みを止めていた騎士たちが慌てて動き出し、全員が背中に背負っていた弓に矢を番える。


(っ!?)


 直感だった。何の根拠もないが、斎蔵はその声色に悪意を感じ、咄嗟に後ろを振り向いた。


「放て!」


 直後、号令と共に無数に放たれる矢。

 その軌道はレッドベアだけでなく、対峙している晃奈をも巻き込んでいる。否、むしろ晃奈を狙っている矢のほうが多い。


 考える間もなく、斎蔵は矢の軌道上に体を躍らせた。



(殺った!)


 宙を飛ぶ矢の群れを見て、ポータは内心で快哉を叫んだ。


 こちらに背を向けた晃奈はまだ矢に気付いていない。いくらBランク冒険者とはいえ、軽くはない怪我を負うはずだ。その状態で目の前のレッドベアに抗えるとは思えない。

 調べた所、《ファミリー》の要と言われ最も警戒していた相手だが、これで早々に脱落してくれるだろう。


 背後から矢を受け無残に倒れ伏す晃奈の姿を幻視し、口元を歪ませるポータ。しかし次の瞬間、その表情は苦々しい物へと変わった。


「疾っ!」


 鋭い気合の声と共に、銀色の輝きが宙を走る。同時に、晃奈に向かっていた全ての矢が弾き飛ばされた。


「さて、どういうつもりなのか聞かせてもらおうかの?」


 それを為したのは双眸に殺意を滾らせ、槍を構える白髪の老人。油断なく周囲を警戒しながら、ポータに質問を投げかけてくる。

 口ではそう言っているが、どのような弁解をしようと許す気がないことは明白だった。


「お爺ちゃん!?」


『ゴアアァァッ』


 一部の矢がレッドベアに向かって降り注ぎ、それが切っ掛けとなってレッドベアが走り出す。

 突進の勢いと共に繰り出された右腕を剣で受け止める晃奈だったが、威力を殺しきれずに数メートル後退させられた。


「構うな晃奈! 目の前の敵に集中せえ!」


 背後で何かが起こっている。

 ようやく事態に気付いた晃奈が後ろに意識を向けかけたのを斎蔵が一喝した。


 相手はBランク。こうなっては加勢もできない。余計なことを考えているとすぐにやられてしまう。


 気を取り直してレッドベアと切り結び始めた晃奈を見て、ポータは軽く右腕をあげる。


「第二射、構え!」


 一度で駄目なら当たるまで何度でも繰り返すまでだ。

 ポータの命令で騎士達が再び矢をつがえる。


 これ以上の暴挙は許さんと斎蔵がポータに跳びかかろうとするが、それよりも早く騎士たちの一角が声もなく倒れ伏した。次いで無事な騎士たちの弓の弦が次々と切断されていく。


「二度目は許さないですよ」


 いつの間にそこいたのか、倒れた騎士たちの傍で両手から黒い投げナイフを放った進士が、残りの騎士たちを睨みつける。

 その隣には両の手にメイスを提げた加奈子。その表情はローブに隠れて見えないが、視線は一番近くの無事な騎士に向けられている。


「先に《ファミリー》の連中からやれ! レッドベアはその後で構わん! ぬうっ!?」


 叫ぶポータに一瞬で肉薄した斎蔵だったが、その一撃は引き抜きざまに振るわれた剣によって払われた。


(お山の大将というわけではなさそうじゃの)


 領主の身でありながら前線に立っているのは、伊達ではないようだ。今の一撃も周りの騎士達ならば、反応すらできずに斬り倒せる速度だった。


「貴様っ、離れんかっ!」


 割って入ってきたグリューの攻撃を避け、一歩引く斎蔵。


 ポータを守るように立ち塞がったグリューの両手には、二本の剣。

 周囲の騎士たちと同じ意匠の剣だが、それを片手で一本ずつ扱えるということは、彼の実力もまた並の騎士たちより抜きん出ているのだろう。


「最早隠す気もないようじゃな」


 魔人を追うでもなく、レッドベアでもなく自分達を包囲しつつある騎士達を見ながら、斎蔵が吐き捨てる。


「貴様らは善戦むなしくも魔人に敗れる。そして戦いで傷ついた魔人は我らが仕留めた、という筋書きだ。ありがちな話だがな。奴がこの森に潜んでくれていたお陰で助かったぞ。死体も魔物たちが処理してくれよう。加えてこの魔光草の量にレッドベア。誰も疑うまい。ギルドも証拠がなければ何もできんだろう」


「一歩間違えれば破滅じゃぞ。そこまでしてわしらを始末したいのか? 冒険者嫌いだとは聞いておるが、やりすぎじゃないかのう?」


「黙れ! 民を守るのは騎士団、法によって統制された存在でなくてはならない! 断じて冒険者などではないのだ! 民もその認識が足りていない。困ったことがあればすぐ冒険者ギルドに助けを求める!」


 斎蔵の質問に前に立つグリューを後ろに下がらせ、ポータが激昂する。


「奴らはっ! 貴様らは、金に群がる畜生だ! いたずらに力を振るう悪魔だ! 私は騎士団が冒険者よりも優れていると言うことを証明し、民の目を覚まさねばならぬのだ!」


 目を血走らせ、泡を吹きかねない剣幕で叫ぶポータ。


 その様子を見て斎蔵はため息を一つ吐いた。


「お主にも思うことがあるというのは分かったが、まだここに来て日の浅いわしらには何とも言えぬな。すまんが、それでもお主には消えてもらうぞ」


 途切れることのない、激しい憎悪。

 何か余人には計り知れない事情があるのかもしれない。


 それでも斎蔵は、目の前に立つ男を許すつもりはなかった。孫の命を狙い、今も尚家族の命を脅かしているこの男を。


「ポータ様、ここは我らに任せて魔人のほうを。《ファミリー》の長男も向かっております」


 興奮のまま剣を構えるポータだったが、グリューの言葉で冷静さを取り戻すように深呼吸をする。


「ふーっ……、そうであったな。奴を取り逃してしまうのはまずい。今ならばまだ追いつけよう」


 後は任せた、とグリューに告げ、走り出すポータ。とても全身鎧を着ているとは思えない程に速い。


「行かせんっ!」


 裕也に追いつかれるとまずい。ただでさえ魔人が相手なのだ。いくら裕也も強くなっているとはいえ、これ以上危険を増やすわけにはいかない。


 そう判断した斎蔵がポータに斬りかかった瞬間、またもやグリューの攻撃が邪魔をした。


「させん!」


「ちぃっ」


 手にした二刀を巧みに操り、降り注ぐ矢の群れをも弾き落とす斎蔵の槍を難なく捌く。


「厄介じゃの。先にお主を倒さねばならぬ、というわけか」


「無理な話だがな。長男はポータ様が追われた。まずは貴様から、そして残りの連中も私が始末してやろう」


 グリューはちらりと視線を横に向け、肩を竦めた。

 そこでは進士と加奈子が騎士団を相手に大立ち回りをしている。見たところ、騎士たちの方がやや劣勢のようだ。


「それは困るのう。――【四連】」


 会話の合間に不意に繰り出された、斎蔵の四撃の突きを。


「【フィジカルアップ】」


 自身の身体能力を強化したグリューが、手がかすむほどの速度で剣を振り迎撃する。


(……まずいの。これは思ったより、骨が折れるやもしれん)


 すでにポータの姿は見えなくなってしまった。急がなくてはならない。


 グリューに対する評価を更に上方修正しながら、斎蔵は槍を構えなおした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ