第14話 理由 2
応接室の机の上。所狭しと並べられた金属類が、室内灯の灯りを反射してギラギラと輝いている。
ギルド職員たちの手によって次々と運ばれてきた武具の数々は、急遽用意された予備の机すら埋め尽くし、遂には鎧などの大きなものは床の上に並べ直された。
「あのう、ナッシュさん。これは一体?」
目の前の光景に親父が戸惑ったような声を出す。
あの後のナッシュとグリューの話し合いの結果、出発は夜。日が完全に落ちきる前に町を出て、南森を目指すということになった。
それまでの間はここにいるように、と最早お馴染みになった応接室で休んでいるうちに俺の頭も大分落ち着いてきた。
心配げに俺を見守る姉貴と母さん。ソワソワと落ち着かない様子の親父にジッと佇む爺ちゃん。今まで目に入っていなかったものが、少しずつ見えてくる。
この後のことを考えたら、一度冷静になっておくべきだ。そう思って顔でも洗おうと立ち上がると、部屋に武器を抱えたギルド職員たちが入ってきた。
そしてあれよあれよと言う間に、目の前に武具の山が築かれたのだ。
「これらは現在アルラド支部に保管されている武具の中でも最高級のものたちだ。残念ながら魔道具の類はないが、品質は保証する」
自身もガチャガチャとガラスのぶつかるような音をたてながら、大きな木箱を運んできたナッシュが説明してくれる。
重そうな音と共に床に放り出されたそれを覗き込んでみると、中には箱いっぱいにポーションが詰め込まれていた。
「以前貰った、小屋にあったものとは雲泥の差じゃの」
早速とばかりに槍を検分し始めた爺ちゃんが、嬉しそうな声を出す。
俺も目の前に置かれていた剣を鞘から抜き放ち、灯りに照らしてみる。
俺はこういうのは素人だし、刀の目利きなんて出来ない。それでもその剣が今まで使っていた物の数段上の逸品であることは理解できた。
「今我々が出来る最大限の支援だ。予備も含めて好きなだけ持って行くといい」
これから向かうのは夜の森。それも魔光草の群生地だ。
敵はコットンだけじゃない。前と同じく、魔光草に惹き寄せられた魔物との戦闘も避けられないだろう。
そしてあの突然豹変したポータの態度。冒険者ギルドと正面切って敵対することになるような真似はしないと思うけれど、一応騎士団にも注意する必要がある。
予備の武器も含めて、念には念を入れて準備していった方がいい。
お言葉に甘えて全員が武器と防具を新調し、マジックバッグにポーション類を詰める。それが終わるとそれぞれが思い思いに新しい武器の握りの確認を始めた。
「皆、準備は出来たかの? そろそろ時間じゃ」
しばらくの間そうしていると、一人じっと腕を組んで目を瞑っていた爺ちゃんが顔を上げる。
釣られて顔を上げて時計を見ると、確かにそろそろポータがやって来る時間だ。騎士団との待ち合わせ場所はギルドの正面。
俺たちは無言で頷くと、部屋を出てナッシュを先頭に階下へと向かう。
ゆっくりと階段を降りながら、服や鎧の最終確認。土壇場になって新しい鎧のせいで上手く動けないなんてことになったら致命的だ。
赤いショートパンツに腰マント。腰の両側にそれぞれ剣を一本ずつ下げ、脛、肘、膝など要所要所にプロテクターを装備。胴体には服の上から胸当てだけを装備している姉貴。いつも最前線にいるにも関わらず、極力動きやすさを追求した格好だ。
服の下に鎖帷子を着込み、さらに服の上からも軽鎧を着た爺ちゃんは背に一本の長い槍、腰には短刀を装備している。手には指の先まで覆う篭手まで嵌めているが、下半身には脛当て以外に特に何の防具もつけていない。
ゆったりとした白く大きなローブに身を包む母さん。外見はゲームに出てくる回復担当の魔法使いみたいだが、両手にはそれ自体が凶器に使えそうなほど厳つい見た目の手甲を嵌め、腰の後ろには二振りのメイスを提げている。ローブの下にも頑丈そうな鎧を着込んでいるみたいで、若干着太りして見える。家族の中で一番の重装備だ。
そんな母さんと対極的なのは親父で、パッと見た感じではほとんど防具を身につけていないように見える。姉貴と同じように要所にはプロテクターを付けているみたいだけれど、それだけと言えばそれだけだ。ただ特徴的なのは服の色で、頭巾や口元を覆うマスクからつま先に至るまで、全てが黒一色に統一されている。まるで忍者か暗殺者だ。
一方俺は動きを阻害しないように、いくつかパーツを外した軽鎧を着込んでいるだけ。特に何の特徴もない一般的な冒険者の格好、ってやつだ。武器は一応予備も含めて二本の剣を腰から提げている。
肩を大きく回し、腰を捻ってみても特に問題はない。
そして意気揚々と階段を降りた俺達が見たのは、不気味なほどに静まり返ったホールだった。
「……?」
いつもなら多くの冒険者たちが大声で話し合い、常に騒がしいはずの空間に人っ子一人いない。
もしかして俺たちの出陣も秘匿されているんだろうか。
だとしたら昼の広間みたいに、ギルド自体が一時的に立入禁止になっているのかもしれない。よく見てみるとカウンターの奥にも人の気配がないみたいだ。
「何これ。ここがこんなに静かなんて、何か不気味ね。皆どこ行ってるの?」
姉貴の問いに応える様子もなく、ナッシュは無言で出入り口へと向かう。仕方なく俺たちは顔を見合わせてから、その後を追った。
そしてナッシュが扉を開き、続いた俺たちが外へ出ると――。
「――え?」
ずらりと、道の両端にギルドの職員が、そしてその背後には多くの冒険者達が並んでいた。周囲には一体何事かと、一般の人も集まっている。
流石にこんな事態は想定していなかったので思わず足を止めてしまったのだが、ナッシュは全く意に介した様子もなく先に進んでいく。
仕方なく恐る恐る皆が見守る中足を踏み出したのだが、彼らは誰一人として言葉を発しようとしない。
ただ無言で佇む人の群れ。群れ。群れ。
「何だこれはっ!?」
どうにも落ち着かず視線を彷徨わせていると、前方からポータの声が聞こえた。
どうやらポータもこの事態に驚いているみたいだ。戸惑ったような声を上げるが、誰も返事をしようとしないので舌打ちをしてこっちに近づいてきた。
「約束の時間だが、何だこいつらは? まさかここにいる全員も連れて行くつもりか?」
背後に全身鎧を着込んだ二十人くらいの騎士を連れ、自身も一際豪華な鎧に身を包んだポータが前に立つ。
「あたしだって知らないわよ。そういうあんたはそれだけしか連れていかないの?」
「我が騎士団の中でも選りすぐりの精鋭だ。それと私とグリューも同行させてもらう」
姉貴の問いに、ニヤリと嫌な笑みを浮かべたポータが応える。
「言葉通りの精鋭か、もしくは子飼いの連中か……」
ボソリと後ろで爺ちゃんが呟いた。
二十人。昨日見たのもこのくらいの数だったけれど、確か元々はこの町に駐在する騎士の補充って話だったはずだ。あれで全員なわけがない。
おそらくこいつらは騎士団の中でも特にポータに忠実な連中なんだろう。
ギルドは全面的な支援をしてくれているけれど、実際に森に入るのは俺達と騎士団の連中だけ。中で何かが起こっても騎士団の連中が口裏を合わせたら、あとは状況証拠しか残らない。
さっきは騎士団もギルドと敵対するようなことはしないだろうなんて思っていたけれど、これは考えなおした方がいいかもしれない。
「では出発するぞ。貴様らも邪魔だ! 散れ、散れ!」
鬱陶しそうに周囲に声を張り上げ、ポータ達が反転する。
それに付いて行こうとすると、横に並ぶ人垣の中から一人のギルド職員が走り出てきた。
何回か顔を見たことがある。俺は話したことはないけれど、カウンターで受付をしている職員のうちの一人だ。
「皆さん、どうかお願いします……! 殺された皆の仇を……!」
顔は悲痛に歪み、目から涙がこぼれている。
トポス、《ブレイブエッジ》のメンバー、そして他の犠牲者達。彼らの死を悼み、犯人に恨みを抱いているのは何も冒険者達だけじゃない。
業務の中で彼らと長年の付き合いがあったギルド職員や、普通の市民の中にも彼らと親しかった人は大勢いるだろう。
コットンはトポス達の命を奪っただけでなく、彼ら全員の心に一生消えない傷跡を刻んだのだ。
「どうか、どうか……!」
託された思いに思わず立ち尽くす。
同時にガンッ、と何かが地面を叩く音が響いた。
ガンッ、ガンッ、ガンッ――。
手にした武器の刀身で、石突で、鞘で――地面を打ち鳴らし、武器を打ち鳴らす音。
その場にいた冒険者達が一斉に叫び声を上げる。
「頑張れよ、《ファミリー》!」
「お前達に任せるぜ!」
「頼む、あいつらの仇を討ってくれ!」
「やっちまえ! ドラゴンバスター!」
アルラドの町にいる冒険者。その全てがここに集まっているんじゃないかというような大音量。
思わず顔を引きつらせる俺の前で、姉貴が堂々と歩き始める。
「武運を」
横を通り過ぎた時、そう呟いたナッシュが頭を下げた。
ポカンと口を開けて固まるポータ達の前にたどり着き、クルリと後ろを振り返った姉貴が拳を振り上げる。
そしてそこにいる全員に向かって、力強く、自信に満ち溢れた声で叫んだ。
「あたし達に任せときなさい!」
◇
日は完全に沈み、世界を闇が支配する。人は眠り、魔が活動する時間。
予定通り森の中へと入った俺達は、騎士団員たちが持つカンテラの灯りだけを頼りに目的の場所を目指していた。
「そろそろ一時間は経つぞ。まだなのか?」
魔光草の群生地。一行の中でその正確な場所を知っているのは俺だけだったので、案内役を務めている。
それはいいんだけど、隣を歩くポータが鬱陶しい。森に入ってから一体何度目になるか分からないほど「まだなのか?」と催促してきている。
確かにトポスと二人で来た時を考えたら、そろそろ到着していてもおかしくない時間だ。けれども俺だって別にゆっくり歩いているわけじゃない。問題は――。
「右前方から数一!」
斥候役の騎士の声と同時に、ガチャガチャと鎧を鳴らしながら何人かの騎士が声のした方へと向かう。次いで戦闘音が響き渡り、やがて「駆除完了!」と騎士たちが元の位置に戻ってきた。
事前の取り決め通り、騎士団は出会う魔物全てに対処してくれている。ついさっきはドラドラコが現れたみたいだけど、それも問題なく倒せたみたいだ。精鋭を連れてきたというのも、あながち嘘じゃないらしい。
そう。問題は魔物との遭遇率が高過ぎるということだ。俺とトポスが二人で来た時より明らかに出会う魔物の数が多い。
(そりゃ大人数で灯りを振り回した上に、ガチャガチャ大きな音も立ててるしなあ……)
どう考えたって進行速度は遅くなる。
ポータの催促を軽く流しながら、奥へ奥へと進んでいく。魔物との遭遇間隔はますます短くなり、一匹当たりに割り振られる騎士の数も増えていく。
魔光草の影響で魔物が興奮しているせいだ。
そしてそれから更に何度目かの戦闘を終えた騎士が、配置に戻る前にポータに一株の花を差し出した。どうやら近くに生えていたらしい。
「成る程。これが魔光草か」
暗闇の中で青白く輝く花。だがその美しさとは裏腹に非常に厄介な性質を持っているということは、とうに実感済みだ。
「危険だな。このようなものが我が領内で群生しているとは……。事のついでに全て伐採してしまうとするか」
「それはいいけど、全部終わってからにしてくれよ。草刈しながら魔人退治なんて御免だぞ」
「貴様に言われるまでもない。それよりもさっさと目的地まで案内しろ。これ以上無駄な戦闘で団員を消耗させるな」
魔物が襲ってくるのは俺のせいじゃないだろう、と思っていると前方を警戒していたグリューが声を上げた。
「ポータ様、魔物の死体です。しかもまだ新しい」
「何だと?」
グリューの指し示す場所に近づいて見てみると、確かに小型の猪みたいな魔物が倒れている。血もまだ乾いていない。
「魔石は?」
「抜き取られています」
「近いな……。総員、警戒せよ」
ポータの言葉に、近くにいた騎士たちが無言で応える。
その様子を見ながら俺も改めて気を引き締めた。
ポータの言う通り、近い。もうすぐそこなのだ。魔光草の群生地は。
より周囲を警戒しながら歩き出した俺達の前に、ちらほらと魔光草の輝きが映り始める。ここまで来ればもう案内なんて必要ない。その輝きに導かれるようにして歩を進める。
やがて次々と魔物の死体の発見報告が上がってきた。念の為に確認すると、そのどれもが魔石を抜き取られている。
初めのうちこそ発見のたびに律儀に報告してきた騎士たちだったが、その数が十匹を超えた辺りで報告どころか確認もしなくなり、やがて誰もが黙々と歩き続けるようになった。
魔光草の輝きが周囲を照らし、最早足元が覚束ないなんてことはない。一人、また一人と騎士がランタンの火を落としていく。
避けて歩くのも億劫になるほどの死体の間を踏みしめ、俺達はとうとうそこにたどり着いた。
乱立する木々に囲まれた小さな広間。その中心に群生する魔光草の輝きはまるで光の絨毯みたいだ。
散らばる魔物の死体とむせ返るような血の匂いさえなければ、まるでおとぎ話の世界のような光景。
そしてその世界の中心に――奴はいた。
「ア? 何デ、ココガ分カッタ?」
嗄れ、ひび割れたような不快な声。前に聞いたときよりも更に聞き取りにくくなっている。
光の絨毯の中央であぐらをかいて座り、今まさに魔物から抉り出した魔石を口に運んでいたコットンは俺達の姿を見て首を傾げた。
(……大丈夫。俺は冷静だ)
コットンの姿を見た瞬間、熱くなりかけた頭を強引に冷やす。
台車の上で眠るトポスを見た時は冷静じゃなかった。お陰で前後の記憶もあやふやだ。
(今度こそこいつを絶対に止めないといけない。じゃないとまた犠牲者が出る)
その為には冷静にならないといけない。
家族の皆だけじゃない。騎士団との連携も必要だ。怒りに任せて先走るわけにはいかない。
今にも駆け出しそうになる足を抑えながら、コットンの様子を観察する。
魔光草に照らし出された肌は灰色。腰には布切れを巻きつけているが、他には何も身に纏っていない。そして――。
「全部治ってるな」
全裸のような格好のお陰で、全身を走る赤黒い血管のようなものがよく見える。
随所から飛び出ている魔石はかなりの数がひび割れていたはずだが、今は少なくとも目に見える範囲で割れているものはない。
「問題ない。想定内だ」
ポータが右手をあげると、騎士団がゆっくりと左右に展開していく。この広間を包囲するつもりなんだろう。
「さて、《ファミリー》と言ったな。作戦通り、奴は貴様らで仕留めろ。近づく魔物は我々が抑えてやる」
まだ騎士団を完全に信用したわけじゃないが、ここまでは予定通りだ。別におかしな動きをする素振りもない。
ポータに言われるままに一歩前に出る。
他の皆も準備はできているみたいだ。背後にいる騎士団を気にしながらも、ゆっくりと前に出てくる。
一歩、また一歩と広間の中心に近づく。
やがてコットンの表情すら判別できる距離にまで近づいた時、奴はようやく傾げていた首を元に戻した。
「《ファミリー》……? 《ファミリー》……。ソウカ、ヤッパリオ前ラガソウナノカ。ドラゴン殺シナンダロ? 強イナア、羨マシイナア。……コノ人数ハ、マダ無理ダナ」
のそりと前傾姿勢で立ち上がったコットンが、傍らに置かれていた巾着袋を手に取る。
血に塗れた小さな袋。その口を下に向けて振ると、中から魔石が一個こぼれ出てきた。
「チッ。四人モイタンダカラ、モウ少シクライ狩ッテオケヨナ」
呟き、その魔石を口に放り込むコットン。
中身の無くなったその袋が投げ捨てられた瞬間、俺の視界が真っ赤に染まった。
「っ、あああああああああぁぁぁっ!」
確信があった。
あの袋はトポス達の物だ。
(こいつが奪った。……こいつが殺した!)
頭の中で止まれという声がする。でも無理だ。
後ろからの制止の声も振り切り、全力で駆け出す。怒りに任せて剣を抜き放つ。
同時にコットンが後ろに跳んだ。そのまま、まだ包囲の完成していない後方に向かって走りだす。
「逃がすかよっ!」
魔物の死体を踏み潰し、輝く花を蹴り散らしながら森の中へ向かうコットンを追う。
(絶対に逃さない。アイツはトポスの仇だ。俺がこの手で――)
瞬間、木々をなぎ倒しながら何か巨大なものが森の奥から飛び出してきた。




