第13話 理由 1
「すみません! ですが支部長、大変です! 《ブレイブエッジ》が!」
ギルド職員がそう叫んだ瞬間、俺は彼と入れ違うように、開かれたままの扉から飛び出した。
数段飛ばしで階段を駆け下り、ギルドホールに躍り出る。
驚いたようにこっちに注目する人の群れの中から別の職員を捕まえて裏の広間で何かをやっていることを聞き出すと、邪魔な人を突き飛ばし、転がっている椅子を蹴り飛ばし、後ろから聞こえてくる文句を全て無視しながら扉へ向かう。
ただ夢中で駆け抜け、そのままの勢いでギルドの裏手に広がる広間に走り込む。
普段なら訓練をしている冒険者達が何人かいるはずだが、今は人払いされ、代わりにギルド職員と何人かの騎士が集まっていた。
彼らの目の前に並んでいるのは四台の木製の台車。
上には大きな布がかけられ、その下に眠る膨らみを隠している。
「裕也っ、急に走りだしてどうしたの!?」
後ろから追いついてきた姉貴が声をかけてきたが、構う気になれない。
(嘘だろ?)(よりによって……!)(何であいつが?)
頭の中で色々な思いがぐるぐると渦巻き、結局今自分が何を考えているのかよく分からないまま、ふらふらと前へ出る。
そのままかけられている布を捲り上げようと手を伸ばし――横合いから伸ばされたナッシュの手に止められた。
(力強えな……)(いつの間に傍に?)(何で止める?)
駄目だ。思考が上手く纏まらない。
俺が動きを止めたのを確認すると、ナッシュはゆっくりと前に出て布の一部をそっと捲り上げた。
「……っ!」
声にならない声が喉をつく。
たった一度。それもほんの数時間一緒にいただけだ。けれども見間違いじゃない。布の下から覗いたその顔は、間違いなくトポスの顔だった。
顔の部分の布だけを捲り上げたナッシュに、近くにいた職員が近づき何かを囁く。職員が話し終えると、ナッシュは首を振って布を元に戻した。
「奴は門から出た後、手負いの状態で森へ向かったということか? それに何故彼らが襲われたのだ?」
「分かりません。散乱していた所持物の内容から彼らは狩りの帰りだったと思われますが、魔石だけが見つかりませんでした」
「……魔石が?」
ナッシュと職員が話し込んでいるうちに、他の家族と一緒にスラフがやって来た。スラフは簡単に事情を聞くと、全てを理解したように軽く頷く。
「魔力の補充が目的ですね。森に向かったのは、付近にいる魔物を狙うつもりだったのでしょう」
(魔力の補充……?)
スラフの言葉に、何かが引っかかった。
混乱していた頭が、少しずつ落ち着いていく。
「冒険者たちの南森付近一帯での活動を全面的に禁止します。破れば罰則を」
「活動禁止、ですか? しかしそれでは他の冒険者達の反発を招きます!」
他の職員が思わずといった様子で声をあげる。
「《ブレイブエッジ》だけではありません。他の犠牲者と仲の良かった冒険者たちは敵を討とうとしていますし、それが目的でタスヴォからここに向かっている冒険者もいます。昨晩のクエスト内容でさえかなりの不満が溜まっているはずなのに、彼らに何と説明するおつもりですか? それに本部への報告は――」
「責任は私が取ります」
話し合いを続けるスラフと職員。
けれど俺は彼らの様子を見ながら、全く別のことを考えていた。
(――奪われた魔石。――魔人。――南の森)
脳裏にトポスと一緒に駆け抜けた、あの夜のことが思い浮かぶ。
輝く魔光草。そして周囲に散らばる、おびただしい数の魔物の死体。
「っ!」
全てが繋がる。
あそこだ。やつが魔力を回復するために森に向かったというのなら、目的地はあそこしかない。
「《ファミリー》の皆さんだけでは危険かもしれません。バールさん達が戻り次第、彼らと《ファミリー》を中心とした討伐隊を編成します」
「分かりました」
話し合いの方も終わったみたいだ。
戦力が整うまで待つみたいだけれど、そんな悠長なことは言ってられない。もしその間にあいつが回復したら、また誰かが殺されるかもしれない。またトポスみたいな犠牲者が出るかもしれない。
その前にあいつを、コットンを止めないと。
「裕也……」
スラフに向かって歩き出そうとした俺を姉貴が呼び止める。
悪いが話は後にしてくれ。今はそれよりも――。
「ひどい顔してるわよ」
両手で包み込むように右手を握られ、足が止まった。
思わず左手で顔を抑える。
前にドラゴンに襲われた時、何人もの仲間が命を落とした。
護衛クエストの間、ほんの数日だけだったけど、その誰もがトポスよりも長い時間を一緒に過ごした連中だ。目の前でニーラスが死んだ時、凄く悲しい思いをした覚えがある。
けれどもここまでの気持ちにはならなかった。ドラゴンの脅威に対する怯えの方が大きかった気がする。
あの時と一体何が違うんだろう。何が変わったんだろう。
そして今俺は怒っているのか、それとも悲しんでいるのか。それすらも分からない。
手に触れた顔の筋肉が強張っている。ただそれだけしか分からない。
「裕也、あんたどうしたいの?」
トポスの乗っている荷台に目を向ける。同時に頭の中にコットンの顔がフラッシュバックした。
「俺は……俺は、コットンを――」
姉貴の方を振り向いてその先を言おうとした瞬間周囲が騒がしくなり、聞き覚えのある大声が響き渡った。
「話は聞かせてもらったぞ!」
◆
ガチャリガチャリと金属の擦れ合う音が響き渡る。
音の主の姿を目に止めたギルド職員が驚いたように動きを止め、周囲にいた騎士団員は一斉に敬礼を捧げた。
「そのバールとかいう冒険者を待つまでもない。足りない戦力は我が騎士団が埋めてやろう」
アルラドの町を含む近隣地域の領主、騎士団の長。
背後に側近のグリューを引き連れ、ポータがスラフ達の前に進み出る。
「……?」
騎士団員に敬礼をやめるように軽く手を振り、周囲を睥睨するポータに対し、スラフは訝しげな表情を見せた。
所属する国や領土、民を守るために存在する騎士とは違い、冒険者というのはそのような柵に一切囚われない。個人個人の感情によってそのような判断をする者はいても、組織として一定の勢力に肩入れするようなことはないのだ。
そんな立ち位置、方針の違いから冒険者ギルドと騎士団が協力体勢を取ることはほとんどない。
先のドラゴン事件においてエンブラの町で冒険者と騎士団合同の討伐隊が編成されたように、全く前例がないというわけではないが、相手がポータとなると話が違う。
例え天と地が逆転し、世界中に魔物が溢れようと、決して冒険者と組もうなどとは考えないはずの人物だ。
「何用ですかな? 情報なら派遣されてきた騎士に逐次伝えています。ポータ様が直々に足を運んでいただく必要はありませんが」
顎に手を当て何かを考え始めたスラフに変わって、ナッシュが応対する。
言葉遣いこそ最低限の礼節を守っているが、その口調と態度からは相手を敬う気持ちなど微塵も感じられない。
ポータの背後に控えていたグリューが反射的に眉をしかめたが、昨晩とは違い何も口を出さなかった。
「聞こえなかったか? 我々が力を貸してやると言っているのだ。騎士と冒険者、今こそ力を合わせ、共に平穏を脅かす悪を討とうではないか」
ポータ自身もナッシュの態度を咎める気はないようだ。それどころか口元には微笑すら浮かんでいる。
彼の人となりを知る人から見れば、余りにも異常な光景。露骨なまでの態度の変化だ。
「白々しい。あんた、昨日自分が何したか忘れたの?」
スラフに続いてナッシュまでもが顔を訝しげに歪める中、裕也の手を離した晃奈がポータを鋭く睨みつける。
「ん? 貴様は確か昨晩現場にいた冒険者だな?」
晃奈の言い様にも全く腹を立てる様子もなく、穏やかな表情で視線を向けるポータ。
そのままぐるりと周囲を見渡し、晃奈だけではなく他の《ファミリー》のメンバー全員が自分を睨めつけていることに気がついた。
「ふむ。あの時は本当に申し訳なかった。この通りだ」
重ねて文句を言おうとした晃奈が口を開きかけるが、それよりも早く深々と頭を下げる。
呆気にとられる面々の前でグリューを始め、他の騎士団員達までもが一斉にそれに続いた。
「……どういう心境の変化よ?」
スラフとナッシュが驚愕で表情を固まらせ、他のギルド職員に至ってはポカンと口を開けている。まさかポータがこんな行動に出るとは思わず、流石の晃奈も少し戸惑ったような声音だ。
「私に対する憤り、疑いの気持ちは分かる。あのようなことをしたのだ、仕方あるまい。だがこれは私の心からの言葉だ。どうか受け取って欲しい」
決して頭を上げようとせず、腰を曲げたままのポータの言葉に晃奈が思わず家族の方を振り返る。
今までに聞いた彼の人となり、評判、そして昨日の態度。
どれをとっても謝罪の言葉が到底心からのものとは思えなかったが、実際にポータは頭を下げている。人一倍プライドの高そうだと思われる人物の行動に、晃奈たちも困ったように顔を見合わせた。
「構わぬよ」
そんな中昨晩の事件の当事者であり、《ファミリー》の中でも人一倍疑り深い斎蔵が返事を返す。
「ポータ殿、顔を上げてくだされ。わしは気にしておらん。戦場に事故は付きもの。幸い、この通りわしも無傷じゃ。それよりも今は、お互いにやるべきことがあるのでは?」
斎蔵の言葉に今度は晃奈達が驚愕に包まれる。
普段の斎蔵なら絶対にこんなことは言わないはずだ。
本当に言葉通り気にしていないだけなのか? それとも何か信じるに足る根拠があったのだろうか?
晃奈達の疑問を他所に斎蔵が笑顔を浮かべて前に出ると、ポータはようやく顔をあげた。
「おおそうか。そう言ってもらえるとありがたい。では支部長、先ほどの話に戻ろうか」
そのままスラフの方に顔を向け、最早斎蔵には興味が無いとばかりに話を再開する。やはり反省しているとは思えない。
晃奈たちが再びポータを睨みつける中、一行の先頭に立つ斎蔵がポータ達騎士団には見えないように、後ろ手で人差し指を立てた。
全員が無言で見守る中、斎蔵の指先から銀色の薄い煙のようなものが生まれる。
(――新しいスキル?)
いつの間に覚えたのだろう。
晃奈たちが軽い驚きを浮かべる中、銀色の煙は宙に文字を描き出した。
『信用するな。やつは全く反省などしておらん。それよりも一体何を企んでおるのか、気にならんか?』
晃奈たちの位置からその表情を確認することは出来ないが、今間違いなく斎蔵は笑みを浮かべているに違いない。それもとてつもなく獰猛な。
「あの殺人犯は魔人なのであろう? それも少しずつ強くなっている。時間をかければ手がつけられなくなるぞ」
「仰るとおりです。既に近隣の冒険者ギルドへも応援を要請しております。戦力が整い次第、討伐隊を編成し――」
「それは何時だ? 明日か? 明後日か!?」
「……っ!」
とりあえず様子を伺おうと晃奈たちが見守る中、スラフとポータが意見をぶつけあう。
スラフとしてはコットンの正体のこともあるので、冒険者ギルドだけで事件の解決を図りたいのだが、そんなことを言えはしない。加えてポータの言う通り十分な戦力が整うのが何時になるのか、皆目検討がつかないのも事実だ。
現在アルラドの町にいる冒険者でコットンを相手取ることが出来そうなのは《ファミリー》のみ。最寄りのタスヴォの町から何組かの冒険者が向かって来ているらしいが、到着まで二、三日はかかる。しかもそれがコットンに対して戦力になるのかは不明だ。
頼りのバール達とは未だに連絡がつかず、このままでは徒に時間が過ぎてしまう。
「奴が魔石を求めているというのなら、南森に潜んでいるのは間違いない。貴様らの出せる最高戦力を出せ。我々も協力してやると言っているのだ」
その提案は確かに魅力的だ。騎士団は集団戦に非常に優れ、特にポータ騎士団はそれが顕著だ。彼らが周囲を固めてくれるというのなら、安心して《ファミリー》をコットンにぶつけることが出来る。
だがポータという男の人間性を鑑みるに、彼の言葉を鵜呑みにするわけにはいかない。今も「最高戦力」の件のあたりで、ポータが一瞬視線を送ったのを、スラフは見逃していなかった。
「危険です。森にいるのはあの魔人だけではありません。それに一言に森といってもかなり広いのですよ? いったいどこにいるというのか」
「我が領地だ、そんなことは貴様に言われなくとも分かっておる!」
『さて、どうする? 奴の提案に乗ってみるのも一興じゃが』
白熱していくスラフとポータを眺めながら、斎蔵が新たな文章を宙に描く。
『そうですねぇ。それも面白そうですけれど、やっぱり危ないと思います。バールさん達が帰ってくるのを待った方が……』
『僕もそう思います。それまで南森には誰も近づかないようにしてもらえれば』
斎蔵の提案を受け、加奈子が家族に【念話】を発動した。
視線をスラフ達に向けたまま会議を始めるが、加奈子と進士は反対のようだ。
『確かに騎士団の連中は信用できんが、初めからそうと分かっておれば、やりようはあるじゃろ。何かあれば、今度こそ叩きのめしてやればええ』
対して斎蔵は賛成派。しかし彼らはそこで口を噤んだ。
いつもなら真っ先に意見を言うはずの子供達が黙りこんだままだ。
「アキちゃん? 裕也?」
最早怒鳴り合いに近い様相を醸し出してきたスラフとポータを見つめたまま微動だにしない裕也。そしてその顔を心配げに覗きこむ晃奈。
二人の様子に加奈子がつい声を出す。
「ではこのまま奴が傷を癒やし、更に力を蓄えるのを黙って待つつもりか!? 次は冒険者ではなく、民が襲われるかもしれんのだぞ!?」
「少ない戦力で捜索と討伐を同時に行うおつもりですか!? 更に被害が出るだけです! 十分な戦力でもって、捜索と偵察を――」
「魔光草の群生地だ。夜、あいつはそこにいる」
【念話】にも加奈子の声にも反応しなかった裕也が、スラフ達の会話に割って入る。
思わぬ乱入者に二人の動きがピタリと止まった。
「……何故わかる?」
まさか裕也達の方から協力的な態度を取ると思っていなかったのか、少し間の抜けた表情で、次いで疑わしげな顔になったポータが尋ねる。
「一昨日そこに行った時、魔石だけが抜き取られた魔物の死体が散乱してた。他にそんなことをしそうなのは、あいつくらいしかいない」
ほう、と口元を歪めるポータに向かって、裕也は淡々と言葉を続ける。
「協力してくれるんだろ? 行くなら早いほうがいい。出来れば今夜にでも」
「ユーヤさん!」
流石にこれ以上は黙っていられない。スラフが焦ったような声を出す。
「分かってますよ、スラフさん。全部分かってます。でもあいつは一刻も早く止めないといけないんです。じゃないと、また犠牲者が出る」
スラフの警告に近い一声にも、脳内に響く【念話】の声にも全く関心がないかのような裕也の前に、今度は晃奈が立ち塞がった。
「裕也、本気?」
「何言ってんだ? 当たり前だろ」
気遣うような声色で尋ねる晃奈。そのまま数秒間裕也の顔を覗き込むと、くるりとスラフの方に向き直る。
「スラフさん。裕也とあたしは騎士団と協力して、あの魔人を倒してくる。そっちさえよければ、今夜にでも」
「無論、構わん」
チラリと視線を向けられたポータが頷く。対して慌てたのはスラフだ。
晃奈の目は本気だ。残りの《ファミリー》のメンバーも反対する気はなさそうだ。皆諦めたような表情を浮かべている。自分の言うことなんて聞くわけがない。
ポータの思惑通りに事が進んでしまっている気がするが、こうなってしまっては仕方がない。自分たちがすべきなのは、出来る限りの対策をすることだけだ。
「……分かりました。ナッシュ、後は任せます。私は本部に報告としなければなりません」
首を振り、その場を後にする。
そうだ。出来る限りの事をしなければならない。冒険者ギルドとして。アルラド支部の長として。
「場所も分かった。戦力も十分だ。貴様の言う通り、早速今夜出発するとしよう。私もいつまでもこの町にいるわけにはいかんのでな。グリュー、詳細を詰めておけ」
スラフが立ち去ると同時に、ポータも騎士たちを連れてその場を離れた。残されたのはナッシュとグリュー。そして《ファミリー》の面々だけ。
他のギルド職員は二人が去った後思い出したかのように動き始め、四台の台車をどこかへ運んでいった。
ナッシュとグリューの話し合いに《ファミリー》の代表として進士が向かうと、加奈子が困ったように溜息を吐く。
「まさかこんなことになるなんて……」
この世界で夜、森に入る。どう考えても危険過ぎる行為だ。
いつもなら他の誰が何と言おうと、頑として反対していた。
そもそも自分が反対しなくても、晃奈が反対していたはずだ。晃奈の性格上、裕也が危険なことをするのを容認するとは思えない。
しかし今回は違う。晃奈が初めて冒険者になりたいと言い出した時、その危険性を軽んじて決断しようとしたあの時とは違う。
自分の命の危険、裕也の命の危険。その二つを秤にかけて尚、行くと決めていた。仮に残りの皆が反対し続けていれば、本当に二人だけで向かっていたかもしれない。
「アキちゃんらしくないわね」
去っていく台車を見つめ続ける裕也。そしてその後姿を見つめる晃奈に声をかける。
「裕也、辛そうな顔してた……」
その原因が排除可能なものならば、晃奈は躊躇いなく実行に移す。裕也が自身の力で解決することを望むのなら、可能な限り手助けする。
納得したように頷き、話し合いの内容を聞き取ろうと紳士の方に歩き出した加奈子の背中に、それに――と言葉が続けられる。
――裕也にあんな顔をさせた奴は許せない。




