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第9話 殺人犯の正体 1

 どうやら俺たちを襲った人物は、件の事件の犯人で間違いなかったらしい。


 『身長約百六十センチ。ボロボロの外套をまとった男。やや猫背気味』


 アルラドの町での目撃談や、タスヴォの町からの僅かな情報からギルドが犯人の風体をそう発表すると、その情報は瞬く間に町中に広まった。


 町の外へと続く全ての門には厳戒態勢が敷かれ、ギルドから要請を受けた町長の指示によっていつもの倍の人数の警備兵が見張りに立ち、出入りする人間を厳しくチェックしている。

 町の中ではクエストを受けた冒険者達が巡回し、警備兵の立ち会いのもと宿屋や空き家の確認も始まっていた。


「とは言え、範囲が広すぎる。その犯人が逃げに徹すれば、見つけるのは容易ではなかろう」


「でもこれ以外に、やりようがないんじゃないか?」


 ギルドの屋上。この辺りでは最も高い建物の屋根の上で、眼下の喧騒を見下ろしながら爺ちゃんが呟く。


 アルラドの町の建物はほとんどが一階建てで、神殿みたいな特殊な建物を除いたら高くても精々が二階建て。加えて冒険者ギルドはただの三階建てではなく、一階あたりの高さが普通よりも高めの設計になっているので、とても見晴らしがいい。


 さっきまで一緒に周囲を見ていた俺は、爺ちゃんの言葉に相槌を返しながら空を見上げた。

 この世界で夜に見る星空の輝きは、日本とは比べ物にならないくらい綺麗で、いつまで見ていても飽きそうにない。

 クエストに備えて十分に仮眠はとったけれど、合図があるまで何もすることがないとなると、退屈で眠くなってくる。せめて空を見て時間を潰そうと思ったのだけれど、残念なことに今日は曇り空。雲の切れ目からほんの僅かに星明かりが漏れているだけだ。


「身長約百六十センチ、ね。何でセンチ? 長さの単位が地球と一緒っておかしくない?」


 屋根の上にしゃがみ込み、犯人の風体が書かれた紙を片手に、姉貴が首を傾げる。


「まあ、分かりやすくて助かるじゃないか。今後僕達が使っても問題ないってことだし」


 新しく購入したナイフを確かめながら、姉貴の疑問に親父が笑顔で答えた。


「地球……。そうですねぇ、また帰るのが遅くなっちゃいそうですね。エンブラに着くのも、いつになるのかしら」


 俺たちとは別の方向を見渡していた母さんがのんびりとした口調で口を開くと、しゃがみこんでいた姉貴が勢い良く立ち上がる。


「次は最初から本気でやるし、絶対に逃がさないわ。折角だし、襲ってきたお返しはしないとね。裕也、足を引っ張るなら後ろに引っ込んでなさいよ」


 あれで本気じゃなかったのか。

 頭上から襲いかかってきた犯人を逆に吹き飛ばした光景を思い出し、思わず苦笑いを浮かべる。


 足を引っ張る云々については何とも言えない。そもそも姉貴が本気を出すというのなら、全員足手まといになりかねない。


「それにしても、ちょっと冷えてきたわね。こっちはこんな寒い思いをして合図を待ってるっていうのに、クエストを出した本人は建物の中だなんて、いい身分じゃない」


「支部長なんだし、実際いい身分だろ。それに他にも色々とすることがあるだろうし」


「あんたどっちの味方なのよ」


 ゴツゴツと屋根を踵で叩く姉貴を眺めながら、曖昧な笑みを浮かべる。


 犯人、早いところ見つからないかな。




   ◆




 冒険者ギルド、アルラド支部三階、執務室。

 まさに今、屋根の上で晃奈が踵を振り下ろしている直下の部屋で、スラフは室内唯一の椅子に座り、顔を顰めていた。


 その右手には一枚の紙。ランプの灯りによって照らし出されたその内容に、大きな溜息をつく。

 そこには一人の男の人相書きと、『コットン』という文字が綴られている。


「この人相書きと名前、確かなのですか?」


「タスヴォ支部からの正式な通知ですので、間違いないかと。しかしあそこも強引な真似をします。門番の記憶から人相書きを作成するとは」


 スキル又は薬物を用い、他者の脳を覗き込む。そして本人ですらうろ覚えな記憶を強引に読み取る。

 アルラドで事件が続いていることを知った冒険者ギルドタスヴォ支部は、己の町の門番にそれを実行したのだ。その結果得られたのは犯人と思われる男の背格好、そしてフードの奥からわずかに除いていた素顔。


 当然そんなことをされた門番の脳には、かなりの負担がかかる。本人の同意を得ているとは思えない。そして恐らく、その記憶すら消されているだろう。


「向こうも必死なのでしょう。自分の管轄下で冒険者を殺され、犯人に逃げられ。それで手がかりの一つもなしでは、ね」


 同じ組織に属するものが非人道的な行為をしたという事実に、スラフの口調からは怒りや嫌悪感というものは感じられない。先ほどから変わらず、手にした人相書きに対して顔を顰めているのみだ。


「で、こちらも間違いないのですね?」


「残念ながら」


 人相書きを机の上に置き、代わりにびっしりと文字が書き込まれた紙の束を手に取るスラフ。


「Fランク冒険者、コットン。三年前アルラド支部で冒険者に登録。以降二年間冒険者として活動するものの、昇格はなし。一年前に失踪。以降どの支部でも生存が確認されず、死亡と判断、ですか」


 確認を取るように読み上げられた内容に、その表情はますます険しくなっていく。


「……確かに犯人が信託を受けた人間であるとは思っていましたが、本当に冒険者だったとは。ギルドへの信用問題にも関わりかねません」


 犠牲者は冒険者だけではない。幸い騎士団への被害は出ていないが、それも今後どうなるか分からない。


「タスヴォ支部はこちらに応援の職員を派遣すると言っています。表向きは事件の早期解決のためですが、実際はコットンの正体の隠蔽のためでしょう」


 世間を騒がせている殺人犯の正体は冒険者。そんなことを公にするわけにはいかない。事はアルラド、タスヴォの冒険者ギルドだけの問題ではなくなってきている。


「真相を知る者は少ないほうがいい。……時間はかけられませんか。ナッシュ、あなたにも動いてもらいますよ」


「はっ」


 スラフは自身の最も信頼する部下からの返事を聞き、漸く多少落ち着いたように背もたれへ体を預けた。


「しかし二年もの間Eランクにすら上がれなかった人間が、たった一年でここまで強くなれるものなんですかね?」


 冒険者のランクの下限はF。つまりそのコットンという冒険者は、二年間最低ランクに留まり続けていたということになる。


 普通二年も冒険者として活動を続けていれば、ある程度レベルもステータスも上昇する。例え目立った実績がなくとも、適当な実力がついた時点でEランク程度になら昇格するものだ。


 ならば冒険者ギルドに登録して、他の活動をしていたのかと思えばそうでもない。ナッシュの調べによれば行方不明となるまでの二年間、コットンは低ランクながら魔物の討伐も含め精力的に活動していたらしい。

 ならば答えは一つ。彼には絶望的に才能がなかった。冒険者に向いていなかったのだ。

 しかし事件の被害者の中には、彼よりランクの高いEランク冒険者が含まれている。これは一体どういうことだろうか。


 スラフの疑問にナッシュが答えあぐねていると、コンコンと、執務室にノックの音が響き渡った。


「誰かね」


 すぐに扉から顔を出したナッシュが、何かを伝えに来た職員と一言二言交わす。そして部屋の中に戻り、スラフへ伝言を告げた。


「ああ、忘れていました。厄介なことは続くものですね。本当に」


 その内容を聞き、スラフは頭が痛いとばかりに眉間の間をもみはじめた。




   ◇




 裕也達がギルドの屋上に陣取り合図を待ち始めてから、一時間ほどが経過していた。


 昨夜の事件の噂が広まっているためか、目に見えて道行く人の数が少ない。たまに視界に入るのも、ほとんどが巡回している冒険者たちだ。


「まずいのう。もし犯人がこの状況下でも犯行を続けるようなら、今度は実力の足りない冒険者ばかりが狙われるわけじゃ」


 眼下の様子を見ながら、斎蔵が呟いた。


「大丈夫なんじゃない? このクエストのランクはC。受けれるのは最低でもDランクの二人組以上が条件なんでしょ?」


 斎蔵の独り言に反応し、別の方角を見張っていた晃奈が振り返る。


「あくまでクエストを受けられるのは、じゃ。自発的に町を巡回する者を止めるものではないし、低ランク冒険者の外出を禁止しておるわけでもない。ほれ、あそこに居るのもおそらくEランク相当じゃろう」


 斎蔵に指し示され、晃奈とその近くにいた裕也が二つ向こうの通りに目を凝らす。


 そこには確かに二人組の冒険者がいたが、言われてみればそんなにいい装備には見えないな、と思う程度で、流石にこの距離から実力を判断することはできなかった。


「クエストのランクにしてもCで本当に十分なのか、疑問が残るところじゃ。Eランクの冒険者を殺しただけならまだしも晃奈と裕也、進士からも逃げおおせたのじゃぞ」


 進士の冒険者ランクはC、晃奈と裕也に至ってはBだ。話によれば晃奈に全く歯が立たなかったそうだが、油断はできない。


 斎蔵はギルドが犯人の強さを過小評価しているのではないかと懸念していた。


「かと言ってあまりランクを上げてしまいますと、この町の冒険者さんで参加できる人は、ほとんどいなくなってしまいますしねぇ」


 進士と一緒に別の方向を見張っていたはずの加奈子も退屈になったのか、いつも通りのほんわかとした笑みを浮かべながら、三人の方へと近づいてくる。


「そうだ裕也。昨日のあれ、精霊。結構役に立つんでしょ? 犯人を捜してもらったりできないの?」


 いくら悩んだところで、そもそも犯人が見つからなければどうしようもない。

 やがて再びしゃがみこんでしまった晃奈に会話を振られた裕也は、二度にわたって自分を助けてくれた存在のことを思い出す。


 ドラゴンのブレスを受けた時、殺人犯に襲われた時。あの精霊と呼ばれる光の粒は、自分が危機に陥った時に現れ、力を貸してくれた。


 もしかしたら、お願いすれば何とかなるかもしれない。

 そう考えた裕也はまず精霊に心の中で犯人を探してくれるように呼びかけ、何も起こらないのを見ると手を掲げながら念じ、やがて色々なポーズを取り始めた。


「あー。やっぱ、いいわ」


 奇怪な行動を取り始めた弟の姿を半目で見ていた晃奈が首を振ると、裕也も残念そうに首を振る。


「無理っぽいな。何も感じないし」


「使えないわねー」


 落胆したような声を出す晃奈だったが、裕也は特に気にしていなかった。

 何となくだが、精霊達の行動が読めてきたからだ。


 彼らは恐らく裕也本人が危険に晒されたり、困ったときに手助けしてくれるのだろう。今回犯人を見つけ出すことは、別に裕也の身の安全を守ることには直結しない。


(会話か何か、意思疎通ができたらいいんだけどな)


 今まで助けてくれたお礼も言いたい。ニーラスはどうやっていたんだろう。


 今際の際に自分に謎のスキルをかけたエルフ。おそらくあれが精霊が守ってくれるようになったきっかけだというのは、裕也にも分かっていた。

 貴重そうなイヤリングも預かっていることだし、折を見てエルフについても色々調べるべきかもしれない。

 裕也がそんなことを考えてながら周囲の見張りに意識を戻そうとした瞬間、遠方で光の弾が弾けた。


「あれか!?」


「どこどこ!?」


 裕也の叫びに反対側を見張っていた進士が駆け寄り。


「とうとう出たわね!」


 周りが止める間もなく、晃奈が駈け出した。




   ◇




(妙だな)


 日中、路地裏に打ち捨てたれた廃材の山に身を隠しながら眠り、夜になると同時に周囲の様子を確認したコットンが、最初に思ったのはそれだった。


 昨日より明らかに通行人が少ない。それは別に不思議ではない。タスヴォでもそうだった。


 別に一般人を襲うつもりはないが、向こうはそんなこと分からないだろう。警戒して夜に出歩くのを控えるというのは、至極当然の判断だ。


 気になったのは、町の警備兵がほとんど見当たらないということだ。

 噂によれば、現在この町の騎士団はほとんど機能していないはず。ならば代わりに町長の雇った警備兵が巡回しているはずなのに、見かけるのは冒険者ばかりだ。

 そしてごく僅かな警備兵も、その冒険者達に同道している。


 そして彼らの行動、ただ単に町の中を巡回しているわけではない。彼らのうちの何人かは何かが書かれた紙を持ち、明確な当てを持って誰かを探している。


(まさか人相書? 昨日殺し損ねた冒険者から、俺の外見が伝わったのか?)


 コットンの脳裏を、男女三人組の冒険者たちの姿が過ぎる。

 今まで見てきた冒険者の中でも、かなり上位の実力者に感じられた。


(なるべく顔は見られないようにしていたはずだが。なるほど、奴らならあの暗闇の中でも俺の顔を判別できたのかもしれない)


 そこまで考えてコットンは愕然とした。現在自分が置かれている状況にではない。

 仕留め損ねた相手から情報が漏れる。そんな簡単なことに気付くまでに、ここまで時間を要したということにだ。


 最近更に思考力が低下している。だがあと少し、あと少しだ。あと少しで目的は達成される。

 暗闇で笑みを浮かべるコットンに気付かずにその前の通りを男二人、女一人の三人組の冒険者が通り過ぎた。


 昨日進士が投げたナイフが刺さった場所を、そっと撫でるコットン。


(よし、いいぞ)


 既に傷は癒えている。必要なのは力、強靭な肉体だ。そのためならば思考力の低下など、些細な問題だ。


 ゆっくりと歩き出し、懐から何かを取り出すコットン。それを口の中に放り、表通りに出ると同時に噛み砕く。


 ガリッ、という大きな音が辺りに響いた。


 その音にコットンの前を歩いていた三人組が勢い良く振り向く。三人の手はそれぞれが腰に下げていた剣の柄に添えられている。しかし臨戦態勢の三人がコットンの姿を捉えた時には、既に先頭の男の首の半ばまでコットンの剣が食い込んでいた。


「遅いなア、遅い。昨日のやつらは反応できていたぞ? サービスで音まで立ててやったのに、その程度か?」


 ――それとも俺が強すぎるのか?


 嘲るように笑い、コットンが剣を振りぬくと、宙に男の頭部が舞った。

 吹き出す鮮血。ゆっくりと倒れる、首を失った胴体。


「ルディ!」


 信じられない、信じたくない。残った仲間たちの悲痛な叫び声があがる。

 目の前で起きた凶行に混乱しながらも、二人の冒険者は咄嗟にコットンから距離を取り、それぞれの武器を抜き放つ。


「……そうダ、今の俺は昨日よりも強い。確実に。貴様らの次は、昨日のやつらを探すトしよう」


「意味わかんねえこと言ってんじゃねえっ!」


 血の滴る剣を頭上に掲げ、ぶつぶつと呟き始めたコットンに対し、男の冒険者が激高する。

 叫ぶなり、剣を構えた男の体から赤いオーラが立ち上った。同時に女の冒険者が懐から魔道具を取り出し、上空に放り投げる。


「何だ?」


 思わずそちらに注意を向けたコットンの視線の先で魔道具が炸裂し、激しい輝きを放つ。

 視界を焼くほどの明るさの中、逆光を利用した男の冒険者がコットンの懐にまで踏み込んだ。


「馬鹿、何やってるの! 時間を稼ぐだけでいいのよ!」


「ルディがやられたんだぞ!? このままで済ませるか!」


 女の忠告を無視し、赤いオーラに身を包んだ男が掬い上げるように剣を振るう。


「だから、遅いと言っているんダ」


 ほとんど見えていないにも関わらず、迫る剣に余裕を持って剣を合わせると、コットンは男の腹を蹴り飛ばした。


「がはっ!?」


 蹴りの勢いのままに男の体が浮き上がる。そのまま地面に倒れ、今の一撃で内蔵を傷つけたのか、激しく咳き込みながら血を吐き出した。


「……っ、くそっ!」


 信号弾は放ったのに、まだ誰も応援に駆けつけてくる様子がない。このままだと仲間が殺されてしまう。

 一瞬の逡巡の後、コットンに斬りかかる女冒険者。しかしその剣はあろうことか腕で受け止められてしまう。


「しまっ……!」


 腕に食い込んだ剣が抜けない。押すことも、引くことも出来ない。

 慌てた女冒険者が剣を手放し距離を取ろうとするよりも早く、その首元にコットンの左腕が伸びた。


「お前等、弱いな」


 見下すような言葉とともに女冒険者の首の骨を無造作にへし折り、次いで苦悶と怒りの入り混じった表情で自分を見上げている男冒険者の顔を殴り潰す。


 二人が完全に動かなくなったのを確認すると、コットンは腕に食い込んだ剣を払い落とし、二人の胸元を漁り始めた。

 全ての冒険者が例外なく身に着けているギルドカード。そこに記されていたランクを見て、コットンの顔に笑みが浮かぶ。


「両方ランクDか。もうこのレベルでも問題なイな。次はやはり、昨日のやつらを探すトしよう」


 足元に広がる惨状。倒れている死体にそれ以上興味を示さず、コットンはその場を離れながら再び懐から何かを取り出した。


「さっきの光は何かの合図か? 囲まれる前に移動するか。それにしても、昨日のやつらは何ランクだったのかナ?」


 一度は自分を撤退に追い込んだ相手だ。少なくとも目の前の連中より下ということはないだろう。最低でもD、或いはC以上という可能性もある。

 コットンの笑みがますます深くなった。


 昨日の三人組、そのギルドカードのランクを確認する所を想像しながら、口の中に含んだ物をゆっくりと噛み砕き――。




「Bランクよ」




 驚き振り返ったコットンの顔面に、晃奈の拳が突き刺さった。

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